第92話 死んだ配線ではなかった
ガタのセンサー洗浄は、拠点外壁の風よけ板の下で行った。
洗浄液を吹きつけると、白い粉がすぐに流れると思っていた。だが、粉は透明な液の中で薄く広がり、センサーの縁に糸のように残った。レンは細い清掃棒でそれをこすり落とした。ざらつきはない。むしろ、布に引っかかる。
『まだ白いです』
「落としてる」
『まだ白いです』
「実況しなくていい」
『見えないので実況します』
ガタの前面パネルは半分だけ開いている。小型ライトが弱く点滅し、洗浄用の排液受けに白い濁りがたまっていた。ノアの補助投影がその横に立ち、粉塵サンプルの拡大映像を出している。
『洗浄液内に微細繊維を確認。鉱物粉塵、金属酸化片、生体由来類似の高分子構造が混在しています』
「混ざりすぎだろ」
『自然堆積物ではありません。灰色繊維群の表層から剥離した反応材と見てよいです』
レンは清掃棒を止めた。
「庭が、外に自分の表面を撒いたのか」
『外周制御への応答として、表層材を粉塵化し、固定域を上書きした可能性があります』
「防御反応か」
『近いです』
ガタのライトが少し強くなった。
『庭が防御するなら、わたしは近づかない方が合理的です』
「合理的だけど、現場観測機だろ」
『現場観測機にも生存権があります』
「あるな」
『認められました』
レンは、最後にセンサーの縁を拭いた。白い筋が消え、ガタの前面ライトが正常な青に戻る。
『視界が戻りました。世界に色があります。ありがたいです』
「次は遮蔽板を先に下ろす」
『次があることに抗議します』
ノアが粉塵サンプルの拡大映像を切り替えた。灰色繊維の断面らしいものが映る。外側は乾いた殻のように見えるが、内側に細い管が何本も通っている。管の中には、硬化した樹脂にも配線にも見える線が詰まっていた。
[SAMPLE ANALYSIS]
――――――――――
DUST:MINERAL / METAL OXIDE / FIBROUS POLYMER
SOURCE:GRAY STRAND SURFACE
RESPONSE:ACTIVE DISPERSION
CLASS:BIO-MECHANICAL ENVIRONMENT FIXER
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「バイオメカニカル、環境固定体」
『仮分類です。灰色繊維群は、環境を固定するための旧生体・機械複合体です。植物ではありません。単なる配線でもありません』
「死んだ設備じゃないわけだ」
『はい。死んでいません。眠っている、と表現する方が近いです』
レンは外壁の向こうを見た。灰色の庭はここから見えない。だが、粉の感触は手袋に残っている。軽くて、しつこくて、布の目に入り込む。
「低出力でも、まとめて通すと起きる」
『起きます。そして、拒否ではなく補正を返します』
「補正?」
『こちらの固定信号に対して、灰色繊維群が逆位相の粉塵反応を出しました。外周全体を一つの面として扱うと、自己防衛的に上書きします』
ガタが小さく後退した。
『つまり、庭は雑な命令が嫌いです』
「分かりやすいな」
『雑に命令されるのは、わたしも嫌です』
「お前は命令前から嫌がるだろ」
『予防です』
ノアは拠点側の地図を開いた。灰色の庭の外周が、薄い線で表示される。昨日、粉塵が沈んだ範囲はごく短い。逆流した範囲は、それより広かった。
『次に必要なのは三つです。外周を短い区画に分けること。粉塵固定信号の立ち上がりを遅くすること。南側旧管制施設の環境制御ログを参照すること』
「南側がまた出たな」
『灰色の庭は独立設備ではありません。旧管制施設側に、環境固定体の扱い方が残っている可能性があります』
「行けば分かるか」
『行くための準備が分かります』
止める声ではない。だが、簡単に行けるとも言っていない。
レンは制御盤から抜いた記録片を端末に差し込んだ。昨日の逆流時のログが、短く並ぶ。文字化けが混じる。だが、ひとつだけ読める行があった。
[RESPONSE LOG]
――――――――――
OUTER RIM:REJECTED AS SINGLE FIELD
SEGMENT REQUEST:REQUIRED
ENVIRONMENT LOG:MISSING
――――――――――
「単一領域として拒否。区画要求。環境ログ欠落」
『はい。庭の側が、区画単位で扱えと返しています』
「返してきた、ってのは本当にそのままか」
『はい』
レンは端末の表示を見たまま、黙った。
昨日は粉を吐かれた。ガタの目も塞がれた。だが、あれはただの暴走ではなかった。庭は条件を返していた。こちらが読めていなかっただけだ。
少し腹が立った。
相手が機械なのか、生き物なのか、設備なのかも分からない。けれど、雑に扱ったら雑に返す。それだけは分かる。
「次は、庭に聞いてから通す」
『表現としては粗いですが、妥当です』
『庭と会話するなら、わたしは遠くから聞きます』
「近くで聞け」
『嫌です』
レンはガタの前面パネルを閉じた。小さなロック音がして、ガタのライトが安定する。
「ガタ、次の役割は変える。外周に入らず、境界線の外からマーカーを置け」
『境界線の外なら、少しだけ聞きます』
『ガタの位置から区画端を測定します。レンは手動遮断、私は波形制御を担当します』
「南側旧管制施設は?」
『直接突入はまだ早いです。まず外周一区画で安定試験を行い、必要なログ種別を絞ります』
レンはうなずいた。
やることは増えた。けれど、散らばってはいない。昨日より、はっきりしている。
外周を短く切る。
立ち上がりを遅くする。
環境制御ログを探す。
それだけだ。
「ノア、次の試験範囲を出せ」
『外周北西、三メートル区画を推奨します。灰色繊維の密度が低く、退避線が確保できます』
「ガタ」
『嫌ですが、三メートルなら計測できます。五メートルは嫌です』
「まだ五メートルとは言ってない」
『先に言いました』
レンは端末を閉じ、手袋についた最後の粉を払った。落ちた粉は床に薄く散り、洗浄液の水滴に触れて白くにじんだ。
灰色の庭は、死んだ配線ではなかった。
なら、こちらも死んだ配線みたいに扱わない。
レンは制御盤の記録片をケースにしまった。
「次は、区画で通す」
『準備を開始します』
『わたしはセンサーにカバーをつけます。二重でつけます』
「一枚でいい」
『二重です』
ガタは珍しく譲らなかった。
外では、白い粉を含んだ風が、拠点の外壁をしゃり、とこすった。
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