第91話 灰色の庭が、粉を吐いた
灰色の庭は、近づくほど静かだった。風はある。外縁灯の支柱に細い砂が当たり、しゃり、しゃり、と低く鳴っている。だが、庭の中だけは音が吸われていた。白い粉塵が地表を薄く覆い、灰色の繊維状構造が、地面から何本も立ち上がっている。
植物に見える。けれど、葉も枝もない。束ねた配線が乾いて固まったようでもあり、骨の細い模型のようでもあった。レンは外周制御盤の前で、手袋の指を握り直した。
「ここでやるのか」
『外周制御のみです。深部には触れません。低出力で粉塵固定域の応答を確認します』
「失敗したら?」
『遮断します』
「答えが短い」
『遮断できる範囲でしか実行しません』
ガタがレンの足元で停止した。車体の前面センサーが、白い粉を避けるように少し上を向く。
『嫌な庭です。前輪が粉を踏みます。踏む前から嫌です』
「前輪な。前脚じゃない」
『前輪です。嫌です』
レンは制御盤の外装を開いた。古い金属がこすれ、ぎ、と短く鳴る。中には手動レバーと、黒ずんだ表示板が残っていた。ノアの補助光が走り、死んでいた線に青い筋が一本入る。
[OUTER GARDEN CONTROL]
――――――――――
MODE:LOW POWER TEST
TARGET:DUST FIXATION FIELD / OUTER RIM
DEPTH ACCESS:LOCKED
MANUAL CUT:READY
――――――――――
「深部ロックは維持」
『維持しています。レンは遮断レバーに手を置いてください』
「置いてる」
『低出力通電。三、二、一』
手袋越しに、レバーの冷たさが伝わった。制御盤の奥で、かち、と音がする。
庭の外周に沿って、低い振動が走った。地面の下で、古い配線が目を覚ますような震えだった。白い粉塵が一瞬だけ浮き、それから、すうっと沈む。
レンは目を細めた。さっきまで白くぼやけていた地表に、細い縁が浮いた。外周の境界線。灰色繊維の根元。割れた床面の番号。
『粉塵固定域、応答。固定率十二パーセント、十五、十八』
「動いたな」
『はい。安定域内です』
『視界改善を確認。嫌ですが、見えます』
ガタの車体が少し前へ出た。
その直後だった。
灰色繊維の一本が、かすかに鳴った。
きし。
乾いた音だった。レンの手がレバーを強く握った。
「ノア」
『異常反応を検出。灰色繊維群、外周信号へ逆位相応答』
「切るか?」
『待機。まだ遮断域内です』
灰色繊維が、二本、三本と震えた。地面に沈んだはずの白い粉が、今度は下から押し返されるように盛り上がる。粉が立った。霧みたいに、低く。
『前方視界、落ちます。落ちています。嫌です、これは本当に嫌です』
白い粉塵がガタの前面センサーに貼りついた。車体のライトが一瞬にじみ、映像が乱れる。レンのヘルメット表示にも、ノイズが走った。
[WARNING]
――――――――――
DUST FIXATION FIELD:REVERSED
BIO-MECHANICAL STRAND:ACTIVE RESPONSE
VISUAL SENSOR:CONTAMINATION
MANUAL CUT:RECOMMENDED
――――――――――
「切る」
『遮断してください』
レンはレバーを引いた。
がこん。
制御盤の奥で、何かが落ちた。低い振動が止まる。灰色繊維の震えも、少し遅れて止まった。白い粉塵は、まだ空気中に残っていた。
レンはガタの方へ駆け寄った。足元で粉が薄く舞い、ブーツの先が白くなる。
「ガタ、見えてるか」
『見えていません。正確には、白いです。世界が雑に白いです』
「動けるか」
『動けます。嫌ですが、後退します』
ガタはゆっくり後ろへ下がった。右前輪が小さな石を踏み、車体が少し揺れる。レンは腰の清掃パックを取り出し、前面センサーに貼りついた粉を払った。
粉は軽いのに、しつこかった。布で拭くと、伸びる。砂ではない。灰でもない。細い繊維が混じっている。
「ただの粉じゃないな」
『付着性があります。微細繊維を含みます。灰色繊維群の表層片と一致する可能性があります』
「庭が粉を吐いたってことか」
『表現としては粗いですが、近いです』
『粗くていいです。吐きました。庭が吐きました。最悪です』
ガタのセンサーが少しだけ戻る。ライトのにじみが消え、車体の前面が細かく震えた。
レンは灰色の庭を見た。粉塵はまた地表に落ち始めている。外周の境界線は、さっきよりぼやけていた。それでも、制御をかけた場所だけが、まだ薄く見えている。
庭は止まった。
止まっただけだ。
「……返してきたな」
『はい。外周制御に対する能動応答です』
レンは手袋についた白い粉を見た。指先に力が入り、布がぎしりと鳴る。
「生きてるのか」
『生物とは断定できません。ただし、死んだ配線ではありません』
「なら、無理に起こすと暴れる」
『はい。ですが、応答しました。制御不能ではありません』
ノアの声は、止める言い方ではなかった。行くための条件を並べる前の声だった。
『次は区画を刻みます。外周全体ではなく、固定域を短く分ける必要があります。加えて、南側旧管制施設の環境制御ログが必要です』
「庭にまとめて命令するな、ってことか」
『はい。一本ずつ、区画ごとに通します』
レンは少しだけ息を吐いた。
「ガタ、次も現場観測だ」
『嫌です』
「センサー掃除は先にする」
『掃除しても嫌です』
『ガタの位置情報は有効でした。次回はセンサー遮蔽角を増やし、退避距離を再設定します』
『退避距離は大きくしてください。かなり大きく』
「見えなくなる」
『見えなくても嫌です』
レンは笑いかけて、すぐ口を閉じた。
灰色の庭の奥で、また、きし、と鳴った気がした。風ではない。粉塵の向こうで、灰色の繊維が一本だけ、ゆっくり元の位置へ戻っていく。
レンは制御盤の外装を閉じなかった。手動レバーを戻さず、そのまま固定する。
[TEST RESULT]
――――――――――
OUTER RIM RESPONSE:PARTIAL
DUST FIXATION:TEMPORARY
REVERSE REACTION:DETECTED
NEXT REQUIREMENT:SEGMENTED CONTROL / ENVIRONMENT LOG
――――――――――
「次は、庭にまとめて命令しない」
『はい』
「一本ずつ、区画ごとに通す」
『それが安全域です』
『安全域でも嫌です』
「知ってる」
レンは灰色の庭を見た。白い粉が、また静かに積もっていく。さっき見えた外周線は、もう半分隠れていた。
それでも、一度は見えた。
庭は眠っているだけではなかった。触れば返す。間違えれば、粉を吐く。けれど、完全に拒絶したわけでもない。
レンは手袋を叩き、残った粉を落とした。
「行ける形にするぞ」
『条件を分解します』
『わたしはセンサーを洗います。すぐ洗います』
白い粉塵の向こうで、灰色の庭はまた静かになった。
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