第5話 通信アンテナ
[REPAIR MATERIAL STATUS]
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船体補修材:搬入済み
簡易通信アンテナ部品:搬入済み
補助配管:一部搬入済み
自動工場 D-12F:限定稼働中
推奨作業:船体外板補修/受信アンテナ復旧
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工場から持ち帰った補修材は、船内の床に積まれていた。
灰色の薄い板。表面には細い青線が走っている。金属のようで、完全な金属ではない。持つと軽い。曲げようとすると、少しだけしなる。端を叩くと、かん、ではなく、こん、と低い音がした。
レンはその板を一枚持ち上げた。まだ工場の熱が残っている気がした。気のせいかもしれない。手袋越しでは、細かい温度まではわからない。
「これで船体を塞げるんだな」
『はい。小規模破損部、配管周辺、外板の割れに使用できます。大型破損部には複数枚の重ね貼りが必要です』
「接着剤で貼るだけ、じゃないよな」
『熱圧着と固定具の併用が必要です』
「だろうな」
レンは船内図を見た。赤い部分が多い。最初に目覚めた時よりは減っているが、それでも多い。船体上部、右舷、下部推進区画。赤と黄色がまだらになっている。
全部は無理だ。
今すぐ塞ぐべき場所を選ぶ必要がある。
「優先順位を出してくれ。生命維持、電源、通信の順で」
『第一優先、右舷外板の圧力漏れ。第二優先、下部補助配管。第三優先、船体上部の簡易通信アンテナ基部です』
「通信は三番目か」
『はい。ただし、軌道上の信号監視を継続する場合、受信アンテナの復旧が有効です』
「送信はしない。受信だけだ」
『設定可能です』
「なら、まず穴を塞ぐ。次にアンテナ。配管はその後だ」
ノアは少しだけ間を置いた。
『配管を後回しにすると、補助推進の復旧が遅れます』
「動かない船より、空気が漏れる船のほうが困る」
『判断を記録します』
「それは記録していい」
右舷外板の圧力漏れは、船内から半分だけ作業できる場所だった。狭い整備通路の奥に、外板の裏側が見えている。裂け目は指三本ぶんほど。そこから冷たい空気が入っていた。ひゅう、と細い音がする。
レンはライトを当てた。裂け目の縁が白く変色している。外の大気が触れた跡だ。近づくだけで、喉の奥が変な感じになる。
「ここ、船内側だけでいけるか」
『仮補修は可能です。完全補修には外部作業が必要です』
「今日は仮でいい。完全を目指して死ぬよりましだ」
『同意します』
「珍しいな」
『生存確率の面では妥当です』
レンは補修材を裂け目に合わせた。少し大きい。工具で端を削る。き、と短い音が鳴る。粉が落ちる。吸わないように顔をそむけた。ヘルメットはかぶっているが、気分の問題だ。
板を当てる。固定具を仮止めする。圧着器を押し当てる。
「ノア、温度」
『圧着温度、百八十度まで上昇中。手袋越しでも長時間接触は避けてください』
「百八十度は先に言え」
圧着器が低く鳴った。ぶん、と手の中で震える。補修材の青線が薄く光り、裂け目の周囲へなじんでいく。嫌な臭いがした。熱した樹脂と焦げた金属の間みたいな臭いだ。
レンは息を止めかけて、すぐに浅く吸った。止めると手がぶれる。
『圧力漏れ、三十二パーセント低下』
「まだ漏れてる」
『二枚目が必要です』
「重ねる」
二枚目を当てる。今度は形が合わない。左端が浮く。レンは舌打ちし、固定具を外した。削る。合わせる。もう一度当てる。浮く。
指先が遅い。疲れが抜けていない。焦ると、さらに合わない。
レンは工具を床に置いた。かちゃ、と音がして、通路に響く。
「十秒待つ」
『推奨されます』
「数えなくていい」
『了解しました』
十秒も待たなかった。五秒くらいで工具を拾った。今度は板ではなく、裂け目の縁を少し削る。補修材を押し込む。固定具を斜めにかける。圧着器を当てる。
青線が光った。
『圧力漏れ、八十七パーセント低下。船内生命維持への影響は軽微になりました』
「完全じゃないが、今は十分だ」
『はい』
「その“はい”は助かる」
レンは壁に背中を預けた。額に汗がたまっている。ヘルメットの内側が曇る。外してしまいたいが、ここはまだ漏れが残っている。やめておく。
ふと、補修した外板を見た。
壊れた場所に、別の素材が重なっている。雑だ。きれいではない。だが、塞がっている。そこだけは確かだった。
「次、アンテナだ」
『船体上部へ移動してください。外部作業になります』
「また外か」
『はい』
「今日、何回外に出るんだ」
『三回目です』
「数えなくていい」
簡易通信アンテナ部品は、細い棒状のパーツと、小さな板状の受信器、それから旧規格の接続端子で構成されていた。見た目は頼りない。だが、ノアによれば受信だけなら十分らしい。
「これで軌道上の信号を拾う」
『はい。送信機能は切り離して構成します』
「絶対に送るな」
『送信回路を物理的に未接続にします』
「それなら信用できる」
レンはスーツを点検した。左腕はさらに固くなっている。補修材を重ねすぎて、肘が曲がりにくい。だが、密閉率は八十二パーセントまで戻っていた。低い安心だが、ないよりましだ。
[EXTERNAL REPAIR PLAN]
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作業対象:船体上部 簡易受信アンテナ
送信回路:未接続
受信回路:仮設接続
外部活動限界:二十四分
警告:船体上部に腐食性降雨あり
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「二十四分。短くなってないか」
『スーツ補修材の硬化により、可動性が低下しています』
「動きにくいから時間も減るのか」
『はい』
「嫌な計算だな」
船体上部へ出るハッチは、操縦室の後ろにあった。開けると、外の雨音が急に大きくなった。ぱちぱちとヘルメットに当たり、白い筋を作る。
レンは船体の上へ這い出した。
足元が丸い。船の外板はなだらかに曲がっていて、濡れている。立って歩く気にはならなかった。膝をつき、片手で固定具を探りながら進む。左腕は使いすぎない。右手と膝で身体を支える。
『前方一・五メートル、アンテナ基部です』
「見えてる。いや、見えてない。雨で白い」
見えていない。ノアの矢印だけが頼りだった。レンはゆっくり進んだ。船体の向こうに、旧都市の光が見える。前より明るい。水路、採掘ライン、工場。自分が起こしたものが、地表のあちこちに細い光を走らせている。
見ないほうがいい。
レンは視線を足元へ戻した。
アンテナ基部は折れていた。根元から斜めに曲がり、先端はなくなっている。周囲の外板にも細い亀裂が走っていた。
「ここに仮設アンテナを立てる」
『はい。折れた基部を切断し、受信器を固定。旧規格端子を仮設接続してください』
「折れた基部は使えないか」
『腐食しています。通電時にノイズ源となります』
「切るしかないな」
レンは切断工具を当てた。刃が金属に触れる。きい、と高い音がした。雨の音に混じって、耳の奥が嫌な感じになる。工具を押し込む。曲がったアンテナ基部が少しずつ削れていく。
途中で工具が跳ねた。
「っ」
右手が滑り、身体が横へ流れた。レンはとっさに左腕をつきそうになり、止めた。代わりに胸で船体を受ける。息が詰まった。工具が手から離れ、ケーブルでぶら下がる。
『姿勢が不安定です』
「見ればわかる」
レンは船体にしがみついた。雨がヘルメットを叩く。視界が白い。呼吸が速い。速すぎる。わかっている。だが、足元が丸くて、身体が滑る。
『外部活動限界まで十七分』
「わかってる」
工具を拾い直す。今度は力を入れすぎない。刃を押し当てる角度を変える。きい、きい、という音が短く続き、折れた基部が外れた。船体の上を滑っていきそうになり、レンは足で止めた。
「切断完了」
『基部の残留ノイズ低下を確認。受信器を固定してください』
受信器は小さな板だった。裏に青い回路が見える。これを船体に貼り、固定具で押さえ、端子をつなぐ。手順としては簡単だ。実際には雨と傾斜と時間制限がある。
レンは受信器を当てた。ズレる。もう一度。固定具をはめる。片方が入らない。削る余裕はない。力で押し込む。入らない。
「ノア、固定具が合わない」
『製造誤差、または基部変形です。右側固定具を省略し、補修材で固定してください』
「省略していいのか」
『仮設受信のみなら可能です』
「じゃあ仮でいい」
補修材を塗る。雨で薄まらないように、手で覆う。左腕がうまく曲がらない。肘が引っかかる。レンは身体の向きを変え、右肩で雨を受けるようにした。薬品臭がヘルメットの中にこもる。
受信器を押さえる。十秒。二十秒。指がしびれる。
『固定率、六十二パーセント』
「低い」
『仮設としては最低条件を満たしています』
「最低ばかりだな」
『はい』
端子をつなぐ。旧規格のコネクタは固い。奥まで入らない。レンは何度か角度を変えた。かち、と小さな音がした。
その瞬間、ヘルメットの表示がちらついた。
[RECEIVER LINK]
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簡易受信アンテナ:接続
送信回路:未接続
受信感度:低
軌道信号:検出
解析開始
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「拾ったか」
『はい。軌道上からの微弱信号を受信しました』
「内容は」
『解析中です。信号形式が破損しています』
「破損しててもいい。読めるところだけ出してくれ」
『了解しました』
レンは船体にしがみついたまま、画面を見た。雨が視界を流れる。受信器の青い光が、かすかに点滅している。
[PARTIAL SIGNAL]
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……管理……応答……
第七……復旧……確認……
軌道監視……待機……
識別……ノア……
……管理者……生存……
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レンは息を止めた。
「ノアの名前が出た」
『はい』
「この信号、君を知ってるのか」
『不明です』
「不明じゃ済まないだろ。ノアって出てる」
『支援AI識別子として登録されている可能性があります』
「この船のAIじゃなかったのか」
『本船の限定支援モジュールとして起動しました。ただし、同一識別子が旧文明設備内に登録されている可能性があります』
「つまり、君はこの星の設備にも関係してる」
『可能性があります』
レンは受信器を見た。小さな板だ。雑に貼りつけた仮設部品。その先に、上空の何かがいる。そこからノアの名前が返ってきた。
手袋の中で、指先が汗ばんだ。
『外部活動限界まで九分。帰還を推奨します』
「待て。もう少しだけ」
『推奨しません』
「わかってる。信号の続きは」
『受信感度が不足しています』
「アンテナを少しでも上げれば?」
『固定率が低下します。落下の危険があります』
「俺が落ちるのか、アンテナが落ちるのか」
『両方です』
「最悪だな」
レンは歯を食いしばった。戻るべきだ。わかっている。だが、ノアの名前が出た。管理者、生存、復旧。断片だけでも、見なかったことにはできない。
受信器の角度を少し変える。固定具がきしんだ。補修材の端が白く伸びる。
『固定率、五十五パーセント』
「あと少し」
『危険です』
「あと三秒」
表示が揺れた。
[PARTIAL SIGNAL]
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……第七管理区……
……ノア・コア……分離……
……生存管理者を確認……
……通信塔……接続せよ……
……軌道リング……待機中……
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「軌道リング」
言葉が口から落ちた。
衛星ではない。船でもない。リング。軌道上に、輪のような設備があるのか。
レンは空を見上げた。紫がかった雲しか見えない。だが、その向こうに何かがある。こちらを見ている。通信塔をつなげと送ってきている。
受信器が、ぎ、と鳴った。
『固定率、四十九パーセント。これ以上の保持は困難です』
「戻す」
レンは慌てて受信器を元の角度に戻した。補修材が伸び、指に白くつく。固定具が一つ外れかけたが、なんとか止まった。
『受信器、仮固定状態。帰還してください』
「わかった」
レンは工具をまとめ、船体を這って戻った。行きより遅い。右手が疲れている。左腕は使いにくい。膝が滑る。ヘルメットの中で息が荒い。
ハッチが見えた時、右足が滑った。
身体が横へ流れた。レンは反射的に手を伸ばす。指先がハッチの縁をかすめる。届かない。
「っ、くそ」
腰の安全ワイヤーが張った。がん、と身体が止まる。脇腹に痛みが走り、目の前が白くなる。工具箱が船体に当たって跳ねた。
『転落防止ワイヤー作動。外部活動限界まで四分』
「言われなくても、痛い」
レンはワイヤーをたぐり、身体を引き上げた。手が滑る。もう一度。右手の爪が痛い。ハッチの縁をつかむ。今度は離さない。
船内に転がり込んだ時、しばらく起き上がれなかった。ヘルメットの内側で、呼吸音だけが大きい。雨の音が遠くなる。ハッチが閉じ、圧力が戻る。
しゅう、と空気が鳴った。
レンはヘルメットを外した。床に置くつもりが、手から落ちた。ごん、と鈍い音を立てて転がる。
「……生きてる」
『はい。生体反応は安定範囲内です』
「安定って言葉の幅が広すぎる」
レンは床に仰向けになった。天井の配線が見える。最初に目覚めた時と同じむき出しの配線だ。だが、今は赤い警告灯だけではない。青い補助灯もついている。船は少しずつ戻っている。
ノアの投影が横に浮かんだ。
『受信データを整理しますか』
「今、読む。忘れる前に」
『了解しました』
モニターに、断片が整理されて表示された。
[RECEIVED DATA SUMMARY]
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送信元:軌道リングと思われる設備
対象識別:ノア・コア
状態確認:生存管理者あり
要求:通信塔への接続
補足:第七管理区の復旧を確認
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「ノア・コア」
『不明な識別名です』
「君じゃないのか」
『支援AIノアとの関連は高いと推定されます。ただし、現在の私は限定支援モジュールです』
「本体が別にあるってことか」
『可能性があります』
「軌道リングに?」
『不明です』
「不明ばかりだな」
レンは起き上がった。脇腹が痛む。さっきワイヤーに引っ張られたところだ。手で押さえると、呼吸が浅くなった。
ノアは変わらない声で続けた。
『通信塔に接続すれば、追加情報を取得できる可能性があります』
「同時に、こっちの情報も送ることになる」
『はい』
「軌道リングが味方とは限らない」
『はい』
「でも、船を直すにも帰るにも、情報はいる」
『はい』
レンはモニターを見た。右舷外板の漏れは軽減。受信アンテナは仮設接続。工場は稼働。採掘ラインも動いている。通信塔は未接続。
次の段階は、もう表示されていた。
[NEXT RESTORATION TARGET]
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地表通信塔
位置:旧都市 D-12 東側高台
状態:沈黙
必要資材:簡易アンテナ部品/補助電源セル/高所作業具
危険要素:腐食性降雨/高所落下/軌道設備への送信リスク
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レンはしばらく黙った。
上に何かがいる。ノアの名前を知っている。通信塔につなげと言っている。行けば、何かがわかる。行かなければ、ここで作れるものだけで船を直すしかない。
どちらも危ない。
だが、危なくない選択肢は、最初からなかった。
「今日は行かない」
『了解しました』
「だが準備はする。送信回路を切れるようにしたまま、通信塔を起こす方法を考える」
『可能です。受信専用接続から開始し、送信系は物理遮断できます』
「それでいく。勝手に送るな」
『了解しました』
「あと、ノア」
『はい』
「ノア・コアって言葉、君は本当に何も知らないのか」
『現在の記憶領域には該当情報がありません』
現在の、か。
レンはその言い方を聞き逃さなかった。ノアは嘘をついているわけではない。だが、全部を持っているわけでもない。たぶん、本人にも抜けている。
それは少し、レンと似ていた。
雨の夜。伸ばした手。思い出せない名前。
レンは給水口の下に置いたボトルを取り、水を飲んだ。こぼさなかった。少しだけ手の震えが落ち着いていた。
「明日は通信塔だ」
『はい。レン』
船の上では、仮設アンテナが雨に打たれている。
その小さな受信器は、上空からの信号を拾い続けていた。
送信はしていない。
まだ、こちらからは返していない。
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