CROSSOVER episode.2 MIO
拠点管理室の照明は、まだ半分しか戻っていなかった。
天井のパネルが二枚おきに点き、床の影が細く切れている。壁際では補助電源の低い駆動音が続いていた。一定の音のはずなのに、時々わずかに沈む。レンはそのたびに顔を上げた。
「また落ちたか?」
『出力低下ではありません。負荷分散の再調整です』
「その言い方、落ちた時にも使うだろ」
『落ちた場合は、低下ではなく喪失と表現します』
「ありがたくない精度だな」
レンは工具を床に置き、壁面端末の前にしゃがんだ。
端末の外装は焦げている。砂嵐のあとに拾ってきた中継基板を仮でつないだせいで、配線はまだむき出しだった。絶縁材が足りないので、使える被覆材を裂いて巻いてある。見た目はひどい。だが、動いている。
それだけで、数日前なら十分だった。
今は違う。
動くだけでは困る。止まらずに動いてもらわないと、レンが寝られない。
[BASE NETWORK STATUS]
――――――――――
居住区画:暫定
水処理:安定
電力:低出力安定
外部センサー:部分稼働
小型作業ローバー《ガタ》:帰還済
拠点管理ノード:再構成中
――――――――――
「再構成中って、いつ終わるんだ」
『未知の破損領域が多いため、完了時刻は提示できません』
「はいはい。いつものやつ」
『補足します。あなたが予定外の外部装置を拾って接続するたびに、再構成対象が増えます』
「俺のせいみたいに言うな」
『一部はあなたの行動によるものです』
「一部で済ませたな。優しいじゃん」
『表現を調整しました』
レンは短く笑った。
笑った自分に、少し遅れて気づく。こんな場所で笑う余裕ができたことが、変だった。まだ外は砂だらけで、空は壊れた衛星の残骸みたいな白い輪を抱えている。何が落ちてくるか分からないし、何がこちらを見ているかも分からない。
それでも、拠点の中でノアとこんなやり取りをしている。
レンは端末のカバーを外し、焦げた端子の一本を抜いた。指先に黒い粉がつく。拭っても落ちない。もう気にするのをやめた。
「次、どこを見る」
『右下段の補助回線です。相互観測残滓が残っています』
レンの手が止まった。
「……まだあるのか」
『はい』
壁面端末の表示が切り替わる。
[CROSS OBSERVATION LOG]
――――――――――
観測語:MIO
照合対象:未成立
媒体:異相旧文明端末
同期残滓:極小
通信:未成立
――――――――――
MIO。
三文字が、端末の暗い画面に残っていた。
短すぎる。管理系の略号かもしれない。誰かの名前ではなく、古い設備の識別子かもしれない。本人だと決めるには、位置情報も、音声も、応答も足りない。
ノアなら、そう言うはずだ。
だが、レンにはもう、別のものには見えなかった。
「ミオ、なのか」
声に出した瞬間、喉の奥が引っかかった。
『照合は未成立です』
「名前は出てる」
『観測語です。本人証明、位置情報、通信経路、いずれも未成立です』
「でも、ミオだ」
『あなたの判断を否定する材料は不足しています』
「回りくどいな」
『肯定する材料も不足しています』
「そこまで言わなくていい」
レンは端末の前に座り直した。
床が冷たい。膝に当たる金属の感触で、少し頭が戻る。戻らないと、そのまま手を伸ばしてしまいそうだった。
「前に出た反応と同じか」
『完全には同一ではありません。同期残滓の方向性が変化しています』
「方向性?」
『こちらから観測した痕跡ではなく、向こう側が何らかの基盤を安定させた結果、こちらに残った反応です』
「向こう側が、基盤を」
『推定です』
「推定でいい」
レンは端末の縁を握った。
「それ、何を安定させたら出る反応なんだ」
『類似する旧文明用語では、局所管理ノードの低出力起動に近い反応です』
「局所管理ノード……拠点みたいなものか」
『概念としては近いですが、環境構造が異なる可能性があります』
「向こうにも、拠点がある?」
『拠点とは限りません。水系、物流、集落、防護領域、またはそれらに相当する構造の統合反応です』
「集落」
『翻訳候補です。厳密な語ではありません』
集落。水。物流。防護領域。
この端末の上では、どれも妙に浮いて見えた。だが、自分がいる場所も、最初はただの廃墟だった。空気が戻り、水が戻り、電力が戻り、扉が開き、端末がつながり、ガタが戻った。
向こうにも、何かが戻ったのかもしれない。
誰かが、手を動かして。
「ノア。追えるか」
『推奨しません』
「聞くと思った」
『あなたが聞くことは予測済みです』
「じゃあ、答えも分かってた」
『はい』
「それでも聞いた」
『はい』
ノアの声は淡々としていた。
だからこそ、逃げ道がなかった。
『現在の拠点管理ノードは低出力です。外部センサー網も不完全です。相互観測残滓へ再接続した場合、拠点側の電力・空気循環・水処理のいずれかに負荷が発生する可能性があります』
「どれか一つなら?」
『生存維持に影響します』
「三つとも大事なやつだな」
『はい』
レンは笑えなかった。
端末の奥で、MIOの文字が薄く残っている。
あの文字に触れれば、もう少し見えるかもしれない。声ではなくても、映像でも、ログでも、位置の欠片でもいい。
もし本当にミオなら。
もし向こうも生きているなら。
レンは、手を伸ばした。
端末が警告を出す。
[RECONNECT OPTION]
――――――――――
同期残滓へ再接続しますか。
警告:経路未確立
警告:外部観測圧上昇の恐れ
警告:拠点管理ノードへ負荷
――――――――――
指が、確認欄の手前で止まった。
押せる。
今なら押せる。
押したら、何かが変わる。
背後で空調の音が、かすかに沈んだ。
ごく小さな音だった。普通なら聞き逃す。けれど、今のレンには十分だった。
この拠点は、まだ弱い。
ここが落ちたら、自分は終わる。ガタも動かせない。ノアの端末も沈む。外へ出る前に、空気がなくなる。
向こうにミオがいるとしても、こちらが死んだら意味がない。
レンは奥歯を噛んだ。
「……くそ」
指を引いた。
[RECONNECT OPTION]
――――――――――
操作:保留
経路未確立
推奨:基盤ノード拡張後に再試行
――――――――――
表示が薄くなる。
MIOの文字も、少しだけ沈んだ。
レンは額を端末の縁に近づけた。触れる直前で止める。焦げた臭いがまだ残っている。息を吸うと、胸の奥が硬くなった。
『適切な判断です』
「適切って言うな」
『では、有効な判断です』
「もっと嫌だ」
『生存可能性を維持する判断です』
「……それでいい」
レンは端末から手を離した。
床に置いた工具を拾う。指先に力が入らない。一度落とした。乾いた音が管理室に響く。
拾い直す。
ノアは何も言わなかった。
その沈黙が、少しだけ助かった。
「基盤ノード拡張って、何をすればいい」
『拠点管理ノードの負荷分散。外部センサーの安定化。補助電源の増設。通信中継部の修復。小型作業ローバーの再整備』
「ガタも入るのか」
『移動手段が安定しなければ、中継部の修復へ進めません』
「まあ、そうだな」
レンは壁際を見た。
管理室から開いた扉の向こうに、暗い車庫がある。ガタはその奥で止まっている。観測塔から戻ってきたあと、最低限の砂だけ落として、そのままだ。右前輪は少し曲がっているし、ファンは時々変な音を出す。荷台にはまだ古い標識柱の破片が乗っていた。
「あいつ、だいぶ無理させたな」
『ローバーに疲労感はありません』
「そういう話じゃない」
『ただし、駆動部の損耗は進行しています』
「それを疲れてるって言うんだよ」
『比喩としてなら、許容します』
レンは少しだけ笑った。
MIOの文字は、まだ胸の奥に残っている。
だが、目の前にはガタがある。拠点がある。水処理装置がある。補助電源がある。むき出しの配線がある。端子の焦げがある。
どれも、まだ弱い。
どれも、直さないといけない。
「ノア」
『はい』
「さっきの反応、消すな」
『ログとして保持します』
「見える場所には?」
『非表示にします。あなたが作業中に見続けると、集中を阻害します』
「そこまで言うか」
『現在のあなたには必要な制限です』
「……否定できないのが腹立つ」
端末の表示から、MIOの文字が消えた。
完全に消えたわけではない。奥にしまわれただけだ。レンには、それが分かった。
少し楽になった。
少しだけ、腹も立った。
「まず、ガタを見る」
『推奨します』
「それから補助電源」
『推奨します』
「その次、通信中継部」
『条件付きで推奨します』
「条件?」
『睡眠です』
「今それ言う?」
『今言います。あなたの連続稼働時間は推奨値を超えています』
「寝たら、MIOの反応が消えるかもしれないだろ」
『ログは保持します』
「また出るとは限らない」
『はい』
「はいって言うな」
レンは工具箱を持ち上げた。
重い。
腕がだるい。目の奥が熱い。寝不足の頭で、端末の文字が少しにじむ。
ノアの言う通りだった。
この状態で作業しても、ろくなことにならない。
レンは車庫の入り口で立ち止まった。
ガタの影が暗がりに沈んでいる。あれを直せば、外へ出られる範囲が広がる。補助電源を増やせば、端末が落ちにくくなる。中継部を修復すれば、次にMIOが来た時、もう少し受け止められるかもしれない。
今すぐ押さなかったことが、間違いではなかったと思いたかった。
「ノア」
『はい』
「睡眠、何時間」
『最低三時間。推奨六時間』
「三時間で」
『妥協として受け入れます』
「お前、ほんとに最近言い方が人間くさくなったな」
『表現を調整しています』
「誰に寄せてる」
『主にあなたです』
「悪化してるぞ」
『評価は保留します』
レンは工具箱を床に置いた。
車庫の壁にもたれる。金属の冷たさが背中に伝わる。目を閉じると、MIOの三文字が浮かんだ。
ミオ。
今度は、声には出さなかった。
でも、消えなかった。
ノアの声が、管理室のスピーカーから静かに響く。
『照明を低下させます。三時間後に起こします』
「頼む」
『ログは保持しています』
「……うん」
照明が少しずつ暗くなる。
空調の音、補助電源の低い振動、遠くで砂が外壁をこする音。その中に、まだ届かない名前が沈んでいる。
レンは目を閉じた。
遠くへつながるために、まずこの拠点を落とさない。
そのために、今は寝る。
不格好で、腹立たしくて、たぶん正しい選択だったのだろう。
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