第19話 拠点を、ただの避難所で終わらせない
保守通路の出口は、拠点の北側に出た。
正確には、北側外壁から三十メートルほど離れた、砂に半分埋もれた作業口だった。ガタがそこから出るには、まず外れかけた金属扉を押し上げる必要があった。押し上げるといっても、ローバーにそんな力はない。レンが降りて、砂を掻き、隙間にバーを入れ、少しずつこじる。
背後の暗い通路から、まだ低い振動が伝わってきていた。
追ってきた六脚機械がどこまで来ているのかは分からない。保守通路そのものには入ってこられなかった。だが、諦めたとは限らない。外を回ってくる可能性もある。
『外部機械反応、継続。対象一は保守通路入口付近で停止。対象二は移動反応なし。対象三は信号のみ継続しています』
「三番目が一番嫌だな」
『位置不明のためです』
「分かってる」
レンはバーに体重をかけた。
扉が数センチ上がる。
砂が崩れる。
もう一度押す。
右膝が痛む。手のひらも痛い。痛いところが多すぎて、どれを優先して嫌がればいいか分からない。
「開け」
扉の下に隙間ができた。
レンはガタに戻り、低速で前へ出した。ローバーの前部が扉を押す。金属が軋む。上部アンテナはもう折れている。これ以上こすれても、今さらだった。
ガタは、ぎりぎり外へ出た。
外の赤い光が視界に戻る。拠点の外壁が見えた。無事だった。だが、無事なだけだ。壁は薄い。入口は古い。監視もない。今までは、外に何も来ない前提だった。
その前提が、終わった。
[BASE SECURITY STATUS]
――――――――――
外周監視:未整備
入口封鎖:手動
接近警告:なし
防衛設備:未稼働
自律機械反応:確認済
推奨:簡易監視線の構築
――――――――――
「防衛設備、あるのか」
『現在の拠点に本格防衛設備はありません。ただし、旧保守用センサー、搬入口警告灯、作業用遮断ゲート、外壁照明を再利用できます』
「武器じゃなくて、早めに気づいて閉めるやつか」
『はい。現状ではそれが最も現実的です』
レンはガタを搬入口へ入れた。
内部に戻ると、扉が閉まるまでの時間がやけに長く感じた。金属扉が降りる。気密が確認される。外の砂の音が薄くなる。
閉まった。
それだけで、少し息が抜ける。
だが、長くは座らなかった。
拠点を守る。
物流制御施設へ行く前に、まずここをただの避難所から、最低限の基地に変えなければならない。
レンはヘルメットを外し、壁にかけた。汗で髪が乱れている。水を飲む。膝の圧迫帯を締め直す。手の布を巻き直す。いつもなら雑に済ませるところを、少しだけ丁寧にやった。
ノアが何も言わない。
言われる前にやると、少し負けた気がする。
「今の記録したか」
『はい』
「するなよ」
『健康管理に有用です』
「そういうとこだぞ」
レンは端末の前へ移動した。
画面には拠点外周の簡易図が出ている。搬入口、外気取入口、フィルタ室、旧保守通路出口、観測塔方面、砂丘方面。そこに、ノアが赤い線を引いていく。
『簡易監視線を三層に分けます。第一層は遠距離検知。旧保守用支柱を再起動し、振動と熱反応を拾います。第二層は外壁近接警告。搬入口と外気取入口周辺にセンサーを集中。第三層は内部遮断。侵入時に搬入口ゲートと保守通路扉を閉鎖します』
「材料は」
『既存設備の再利用です。新規製作は最小限。必要なのは、支柱用電源二基、ケーブル三束、手動遮断端子、警告灯の修理です』
「多いな」
『少ない方です』
「そうかよ」
レンは工具箱を持った。
まず、外壁近接警告からだ。
遠距離検知は外へ出る必要がある。今すぐ外へ出るのは危険が大きい。なら、拠点内から届く範囲を先に固める。搬入口の上にある古いセンサー台へ登り、カバーを外した。
中は砂だらけだった。
「また砂か」
『外部設備です』
「知ってる」
センサー台には、古い赤外線センサーと振動検知器が残っていた。片方は死んでいる。もう片方は、線が切れているだけに見える。レンは配線を引き出し、焼けている部分を切り落とした。
短くなる。
届かない。
別のケーブルを継ぐ。
端子が合わない。
削る。
差し込む。
固定する。
地味な作業が続く。
こういう作業は嫌いではない。嫌いではないが、今は背中がずっと落ち着かない。外に何かがいるかもしれない。機械がこちらを認識した。管理者候補信号に反応した。それが頭の中で何度も戻ってくる。
[PROXIMITY SENSOR]
――――――――――
搬入口上部:接続
赤外線:低精度
振動検知:復帰
警告灯:未接続
――――――――――
「低精度でも拾えるか」
『小型動物は存在しないと推定されるため、誤検知は限定的です』
「機械と砂嵐だけ拾えばいい」
『はい』
次は警告灯だった。
搬入口の左右に、古い赤いランプが二つある。片方は割れている。もう片方は点くかもしれない。レンは割れていない方を外し、端子を磨き、補助電源へつないだ。
光らない。
叩く。
光らない。
「こういう時、叩けば一回くらい光れよ」
『接触不良です』
「知ってる」
レンは端子の角度を変えた。
ランプが一瞬だけ赤く点いた。
すぐ消えた。
「惜しい」
『電圧不足です。警告灯を連続点灯ではなく、短い点滅にしてください』
「省エネ警告灯か」
『現実的です』
設定を変える。
ランプが点く。
短く。
赤く。
また消える。
また点く。
拠点内の壁に、赤い光が断続的に映った。
それだけで、ただの古い入口が、少しだけ基地らしく見えた。
「いいな」
『視認性は限定的です』
「気分の話だ」
『了解』
搬入口警告灯は復帰した。
次は外気取入口だ。
ここを壊されたら終わる。吸気フィルタを掃除したばかりだ。センサーを集中させる必要がある。レンは配管室へ移動し、取入口の内側にある点検口を開けた。
外壁に近い。
風の音が少し聞こえる。
ここに、振動検知器を一つ付ける。もう一つは温度差検知。自律機械が近づけば、熱と振動が変わる。砂嵐でも反応するかもしれないが、何もないよりいい。
レンは配管に抱きつくような姿勢で作業した。
狭い。
肘が当たる。
膝が曲がらない。
手の布が配管に引っかかる。
「……面倒くさい」
『作業姿勢の変更を推奨します』
「変更する場所がない」
配線を通し、仮固定する。
通電。
反応なし。
配線を戻す。
端子を逆にしていた。
レンは数秒だけ黙った。
「今の見てたか」
『はい』
「忘れろ」
『作業記録として有用です』
「有用じゃない」
『同じ誤接続を避けられます』
「じゃあ小さく記録しろ」
『了解』
接続し直す。
今度は反応した。
[INTAKE SENSOR]
――――――――――
振動検知:復帰
温度差検知:低精度
外気取入口監視:暫定開始
警告連動:未設定
――――――――――
レンは一度、床に座り込んだ。
息が重い。喉が乾く。水を飲む。残量を見て、顔をしかめる。物流制御施設へ行くには、補給水を増やす必要がある。今のままでは足りない。
やることが増える。
だが、それは今考えない。
次は、保守通路出口。
さっき逃げてきた場所だ。
あそこを開けっぱなしにはできない。ガタは通れた。つまり、何か別のものも通れる可能性がある。六脚機械は入れなかったが、小型機なら分からない。
『旧保守通路扉は手動固定されています。遠隔閉鎖は未接続です』
「遠隔で閉められるようにする」
『可能です。ただし、開閉駆動は壊れています。閉鎖のみ、重力落下式に改造できます』
「一回閉めたら開けるのが面倒なやつか」
『はい』
「非常用ならありだ」
保守通路入口の内側へ移動する。
重い金属板が上に引っかかっている。本来は駆動装置で上下する扉だったらしいが、今は途中で固着している。レンはロック機構を確認した。駆動は死んでいる。だが、上部保持ピンを抜けば、扉は落ちる。
落ちる、というのが怖い。
落としたら、手で上げるのは難しい。
でも、侵入された時に閉じられる手段は必要だった。
「保持ピンにワイヤをつなぐ。遠隔で引いて落とす」
『有効です。誤作動防止のため、二段解除を推奨します』
「二段解除って」
『搬入口側端末で解除、手動レバーで実行』
「面倒だけど、間違って落とすよりましか」
レンはワイヤを通した。
滑車はない。古い配管フックを代わりに使う。摩擦が大きい。引くには力がいる。だが、動く。レバーに接続し、試しに少し引く。
重い。
保持ピンが鳴る。
まだ抜けない。
「本番で抜けるか」
『現在の張力では不足します。レバー延長を推奨』
「また延長か」
工具バッグから金属パイプを出す。
レバーに噛ませる。
もう一度引く。
保持ピンが少し動いた。
そこで止める。
本当に落ちたら困る。
[EMERGENCY SHUTTER]
――――――――――
保守通路扉:落下閉鎖準備
解除方式:二段
誤作動防止:設定
再開放:手動重作業
――――――――――
「再開放、手動重作業」
『正確な表現です』
「嫌な正確さだな」
ここまでで、近接警告と遮断はできた。
まだ足りない。
遠くで機械が動いた時、早めに知る手段が必要だ。外周の旧保守用支柱。壊れた標識のように立っていたもの。あれをいくつか生かせば、振動と熱反応を拾える。
外へ出る必要がある。
レンは搬入口で止まった。
ヘルメットを手に取る。
膝が痛む。
手も痛い。
外には機械群がいる可能性がある。
『外部作業は危険です。ですが、遠距離検知なしでは接近警告が遅れます』
「分かってる」
『単独行動時間を十七分以内に制限してください。支柱一基のみ復旧。複数基は次回以降を推奨します』
「十七分って半端だな」
『現在の身体状態と外部機械反応から算出しました』
「じゃあ十七分で一本」
レンは外へ出た。
砂の音が戻る。
空は濁っている。遠くの砂丘には、動くものは見えない。見えないだけかもしれない。ノアの表示には、機械反応がまだ遠くに残っている。
目的の支柱は、搬入口から百二十メートル。
近い。
外では遠い。
レンは工具バッグを肩にかけ、歩いた。ローバーは使わない。ガタを出すほどではないし、音を立てたくない。足元の砂がブーツを取る。右膝に負担がかかる。
支柱は斜めに傾いていた。
上部は折れているが、根元の制御箱は残っている。レンは膝をつき、制御箱を開けた。中は予想どおり砂と錆だ。
「ノア、残り時間」
『外部作業開始から三分二十秒』
「早いな」
『時間は一定です』
「そういう意味じゃない」
センサーは死んでいなかった。
電源が来ていないだけだ。小型電源を接続し、低出力で起こす。通信は使わない。強い信号は機械を呼ぶ可能性がある。だから、支柱から拠点へ細い有線を引く必要がある。
完全な有線ではない。
途中に旧配線が埋まっている。そこへ接続する。
レンは砂を掘った。
ケーブルが出る。
被覆が割れている。
使えそうな芯線を探す。
一本、死んでいる。
二本目、抵抗が高い。
三本目。
『導通確認』
「それだ」
接続する。
絶縁材を巻く。
電源を入れる。
支柱の根元に、小さな青いランプが点いた。
[OUTER SENSOR PILLAR-01]
――――――――――
振動検知:低精度復帰
熱反応:限定復帰
通信:有線低出力
検知範囲:半径二百四十メートル
――――――――――
「二百四十」
『現在の状態では十分です。帰還してください』
「まだ固定が」
『帰還してください。対象三の信号が上昇しています』
レンの手が止まった。
「距離」
『不明。方向、南東。信号強度のみ上昇』
「見えてないやつか」
『はい』
レンは工具を掴んだ。
支柱の蓋を完全には閉めず、上から金具で押さえるだけにした。雑だが、今は動けばいい。立ち上がると、膝が遅れた。
走れない。
早歩きで戻る。
砂が足を取る。
ヘルメットの内側で呼吸が大きくなる。
搬入口まで、八十メートル。
六十。
四十。
端末が鳴る。
[OUTER SENSOR ALERT]
――――――――――
新規振動:検出
方向:南東
距離:推定二百三十メートル
種別:不明
――――――――――
「もう拾ったのか」
『支柱は機能しています。急いでください』
レンは搬入口へ滑り込むように入った。
扉を閉める。
気密確認。
警告灯が赤く点滅する。
自分で直したランプだ。
赤い光が壁に映る。
端末に外周表示が出る。支柱一基だけの粗い監視線。その端に、赤い点が一つある。ゆっくり近づいている。
レンは息を整えながら、搬入口の操作盤へ手を置いた。
「ノア。外壁近接警告、つながってるな」
『接続済みです。保守通路扉の緊急閉鎖も待機状態です』
「来るなら、まず警告。近づいたら閉める」
『はい』
赤い点は、二百メートルのあたりで止まった。
動かない。
だが、消えない。
こちらを見ている。
[OUTER SENSOR PILLAR-01]
――――――――――
対象:停止
距離:二百八メートル
熱反応:微弱
振動:低
判定:監視状態の可能性
――――――――――
レンは画面を見た。
たった一本の支柱。
低精度の警告灯。
落下式の扉。
古いセンサー。
防衛と呼ぶには弱い。
でも、さっきまで何もなかった。
今は、外の何かが近づけば分かる。
閉める手段もある。
レンは壁に背をつけ、ゆっくり座り込んだ。
「基地っぽくなったな」
『最低限です』
「最低限でいい。今日は」
赤い警告灯が、短く点滅した。
外では、機械が止まっている。
内側では、空気が回っている。
拠点はまだ弱い。
それでも、ただ逃げ込む場所ではなくなった。
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