第18話 自律機械群が、こちらを見た
フィルタ室の床には、赤い砂が山になっていた。
外気取入口のフィルタを外した瞬間、内側に詰まっていた砂がまとまって落ちた。衝撃波は避けた。吸気口も壊れていない。だが、砂塵波はちゃんと来ていたらしい。フィルタの奥は赤く汚れ、細い溝に砂が噛んでいる。
レンは膝を曲げ、フィルタを床へ寝かせた。右膝が鈍く痛む。手のひらには冷却材の布を巻いたままなので、工具が少し滑る。
「ノア、これ放置したら」
『吸気効率が低下します。短期運用は可能ですが、外部活動後の粉塵流入が増えるため、生命維持系の負荷が上がります』
「つまり掃除しろってことだな」
『はい。物流制御施設へ向かう前に必要です』
レンは返事の代わりに、ブラシをフィルタの溝へ押し込んだ。
砂がこびりついている。乾いた粉だけではない。熱を受けた細かい粒が、薄く焼きついたようになっていた。ブラシで削り、圧縮空気を短く吹き、また削る。一本ずつ溝を戻していく。
単調な作業だった。
単調で、助かった。
端末にはまだ、MIOのログが保存されている。開けば見える。見たくなる。だから、フィルタを磨く。ガタの右前輪を見る。水を飲む。手を動かす理由を積んでいく。
[MAINTENANCE LIST]
――――――――――
外気フィルタ:清掃中
ローバー右前輪:要点検
補給水:不足気味
手掌部:軽度熱傷
右膝:負荷増加
次目標:惑星物流制御施設
――――――――――
「リストにされると、嫌な現実感があるな」
『優先順位の確認に有効です』
「ミオのログは?」
『隔離保存済みです。外部接続なし。破損領域の追加解析は停止中です』
「停止でいい。今は」
フィルタ清掃が終わる頃には、手のひらの痛みが熱に変わっていた。レンは布を巻き直し、水をもう一口飲んだ。水容器は軽い。補給系は最低限動いているが、外へ出るたびに減る。
長距離移動をするには、心もとない。
でも行かない選択肢はなかった。
惑星物流制御施設。
名前だけなら、物資管理の施設だ。だが、CROSS-LINKの再解析条件に引っかかっている。そこを起こせば、ミオのログが増える可能性がある。
可能性。
それだけで十分だった。
レンはガタの前にしゃがみ込んだ。
右前輪の軸には黒い砂の破片が入りこんでいた。リング片の落下地点で踏んだ、熱で固まった砂だ。細かい破片が軸受けの隙間に詰まり、回転を重くしている。
「これは嫌がるな」
『ローバーに嫌悪反応はありません。右前輪抵抗値は通常時の一・七倍です』
「嫌がってるようなもんだ」
レンは車輪を外さず、外から取れる分だけ破片を掻き出した。完全分解は時間がかかる。戻せる保証も薄い。今は走れる範囲に戻す。
短いフックで破片を引っかける。落とす。軸へ作動液を少しだけ入れる。車輪を手で回す。
重い。
もう一度回す。
少しだけ軽くなる。
[ROVER CHECK]
――――――――――
右前輪:抵抗低下
左後輪:応答遅延継続
ブレーキ補助:不安定
推奨速度:低速
遠距離移動:非推奨
――――――――――
「遠距離移動、非推奨」
『はい』
「行くけどな」
『予測しています。そのため、停止可能地点を複数設定します』
ノアの返答が早かった。
止めるより、行く前提で危険を分ける。ノアも学習している。あるいは諦めている。
レンは荷台に補給を積んだ。水容器、工具、予備電源、牽引ワイヤ、断熱シート、端末ケーブル、フィルタの予備布、冷却材。栄養パックは二つ。うち一つは改善版だった。
改善版。
レンはそれを見て、少しだけ嫌な顔をした。
「改善前から食べるか」
『なぜですか』
「後で改善版を食べる方が気分がましだ」
『合理性は低いですが、心理的効果はあります』
「そういうこと」
出発前、レンは端末を一度だけ見た。
隔離領域の黒いアイコン。
その中に、MIOの文字がある。
開かない。
今は開かない。
「行くぞ」
『物流制御施設までの暫定ルートを表示します。第一経路は旧道路跡沿い、第二経路は砂丘迂回、第三経路は旧排水路跡です。第一経路が最短ですが、途中に橋梁崩落の可能性があります』
「最短から見る。だめなら迂回」
『了解』
外へ出ると、空は少しだけ明るくなっていた。
砂嵐の残りが薄く流れている。遠くの地平線はまだ赤い。軌道リングの白い線は見えない。昼の濁った空に、ただ薄い傷のような雲が残っていた。
ガタは低速で進み出した。
拠点を離れると、音が減る。背後の循環音も、ポンプ音もなくなる。かわりに、タイヤが砂を噛む振動と、車体の軋みが足元から伝わる。右前輪はまだ重い。ハンドルに少し遅れて抵抗が返る。
ノアのルート表示は、前より少し細かくなっていた。
旧道路跡。
崩落予測地点。
砂没範囲。
休止中の旧標識塔。
そして、南東に小さな施設マーカー。
惑星物流制御施設。
[ROUTE TO LOGISTICS NODE]
――――――――――
目的地:惑星物流制御施設
推定距離:六・八キロメートル
推定時間:二時間四十分
経路状態:未確認
警告:未識別機械反応の可能性
――――――――――
「六・八キロで二時間四十分」
『現在のローバー性能では妥当です』
「徒歩より速いのか」
『荷物を積めます』
「そこ、前も聞いたな」
ガタは旧道路跡へ乗った。
砂に埋もれた硬い路面。ところどころ割れている。道路の端には、古い支柱が等間隔に立っていた。標識なのか、照明なのか、通信中継なのか分からない。ほとんどは倒れ、残っているものも上部が折れている。
その一本に近づいた時、端末の表示が乱れた。
短いノイズ。
次に、黄色い警告。
[PASSIVE SENSOR]
――――――――――
微弱反応:検出
種別:旧作業機械
状態:休眠
距離:一・二キロメートル
――――――――――
「旧作業機械」
『地上保守用の自律機械と思われます。休眠状態です。現時点では移動反応なし』
「休眠なら、そっと行けばいい」
『はい。通信発信、強い電源波形、管理者認証応答は避けてください』
レンは速度を落とした。
ガタの駆動音も少し下がる。荷台の工具箱が揺れないように、ペダルを細かく調整する。旧道路跡は少しずつ下りになり、その先に壊れた橋が見えてきた。
橋梁崩落地点。
ノアの予測どおりだった。
道路の一部が落ちている。幅は四メートルほど。下には乾いた排水路跡。深さは二メートル程度。ガタで飛び越えるのは無理だ。降りて上がるにも、右前輪が持たない。
「迂回だな」
『砂丘側へ迂回できます。ただし、休眠中の作業機械反応に近づきます』
「近づくと起きる?」
『不明です。現在のところ、起動条件は確認できません』
「嫌な不明だな」
レンは砂丘側へハンドルを切った。
ガタが遅れて曲がる。右前輪が重い。砂へ入ると車体が沈む。ペダルを踏みすぎると空転する。踏まないと止まる。
何度もやった作業だ。
慣れたくはないが、少し慣れている。
砂丘を斜めに進む。遠くに、低い機械の影が見えた。
最初は岩かと思った。
だが違う。
六脚の作業機械だった。胴体は低く、脚は折りたたまれ、外殻は砂をかぶっている。前部には掘削用のアーム。背面には、古い管理マーク。
眠っている。
そう見えた。
レンは息を浅くした。
『対象まで三百八十メートル。反応、休眠継続』
「この距離なら通れるか」
『推定可能です。ただし、あなたの管理者候補権限が断片ログ取得後に再評価対象となっています。近接時、対象が管理者信号を検出する可能性があります』
「俺のせいで起きるかもしれないってことか」
『はい』
レンは返事をしなかった。
ハンドルを握り直す。
砂丘の斜面を横切る。ガタの車体が右へ傾く。荷台の工具が低く鳴る。作業機械の横を抜けるには、あと二百メートル。
端末に赤い点が出た。
[MACHINE REACTION]
――――――――――
対象一:休眠解除準備
対象二:微弱反応
対象三:位置不明
原因候補:管理者候補信号
――――――――――
「三ついるのか」
『少なくとも三つです。移動を継続してください。停止は推奨しません』
レンはペダルを少し踏んだ。
ガタが揺れる。
右前輪が砂を噛む。
遠くの六脚機械の背面に、細い光が点いた。
青白い。
次に、脚が一本動いた。
「起きた」
『対象一、起動。対象二も反応上昇。行動目的は不明ですが、こちらを認識しています』
六脚機械がゆっくり立ち上がった。
砂が外殻から落ちる。掘削アームが地面をこする。胴体正面のセンサーが、レンの方を向いた。
戦う装備はない。
ガタも戦闘用ではない。
逃げるしかない。
「最短で抜ける道」
『右前方の旧排水路跡へ降りてください。砂丘上を進むより、機械の脚部追従性を落とせます。ただし、排水路出口は未確認です』
「未確認ばっかりだな」
『現状では最も生存率が高い経路です』
レンはハンドルを右へ切った。
ガタが砂丘の斜面を斜めに下る。車体が滑る。右前輪が沈み、左後輪が浮きかける。レンは体を左へ倒し、ペダルを細かく踏み直した。
背後で、六脚機械が動き出した。
速くはない。
だが、確実にこちらへ向かっている。
もう一つ、砂の下から機械の頭部が出た。半分埋まったまま、センサーだけがこちらを見る。
[PURSUIT ALERT]
――――――――――
対象一:追跡開始
対象二:起動中
対象三:信号のみ
推奨:排水路跡へ進入
警告:ローバー右前輪負荷上昇
――――――――――
「右前輪、ここでやめるなよ」
『負荷は上昇しています』
「応援しろ」
『右前輪の継続稼働を期待します』
「雑だな」
排水路跡が見えた。
コンクリートのような古い素材でできた浅い溝。砂に半分埋もれているが、底は固そうだ。入口部分は崩れていて、段差がある。
レンは速度を落としすぎないようにした。
落とせば後ろが近づく。
速すぎれば、前輪が折れる。
段差の手前で、操縦桿を握り直す。
「いくぞ」
ガタが段差へ突っ込んだ。
車体が跳ねる。
荷台が鳴る。
右前輪が強くぶつかり、足元に嫌な振動が走った。
[ROVER WARNING]
――――――――――
右前輪:衝撃
軸受け:異常値
走行継続:可能
――――――――――
「可能ならいい」
排水路跡の底へ降りた。
路面は固い。揺れは増えたが、砂よりはましだ。ガタは細い溝を走る。左右の壁が近い。ハンドル操作の余地が少ない。
背後から六脚機械が排水路の縁まで来た。
脚を下ろそうとして、角度を測っている。
「降りてくるか」
『対象一は降下可能です。ただし脚部展開に時間がかかります。距離を稼いでください』
レンはペダルを踏んだ。
ガタのファンが軸のずれた音を立てる。右前輪の振動が強い。排水路の底には、古い配管片や割れたパネルが転がっている。避けきれないものは踏むしかない。
金属片を踏む。
車体が跳ねる。
手のひらに痛みが走る。
レンは舌打ちした。
前方に、排水路の一部が埋まっていた。
砂と瓦礫で、半分ふさがっている。ガタが通れる幅はある。だが、右側に寄る必要がある。
右前輪を使う。
嫌な選択だった。
『前方、狭窄部。通過可能幅、推定一・三メートル』
「ガタの幅は」
『一・二メートル』
「余裕十センチ」
『正確には左右合計で十センチです』
「言わなくていい」
レンは速度を落とした。
背後で、六脚機械が排水路へ降りる音がした。重い振動が伝わる。追ってくる。
狭窄部へ入る。
左を擦る。
右へ戻す。
右前輪が瓦礫に乗る。
車体が傾く。
「戻れ」
操縦桿を左へ。
遅い。
壁が近い。
左側面がこすれる。
金属が削れる音がした。
抜けた。
[ROVER DAMAGE]
――――――――――
左側面:擦過
荷台固定具:緩み
走行:継続可能
――――――――――
「あとで直す」
『修理項目に追加します』
「もうリストが長い」
排水路の先に、古い分岐が見えた。
右は狭い。左は砂で埋もれている。正面は、低いゲートのような構造物でふさがれていた。半分開いている。ガタなら、ぎりぎり通れるかもしれない。
『正面ゲート、旧保守通路入口です。内部を抜ければ、追跡対象を遮断できる可能性があります』
「高さは」
『ローバー上部との余裕、推定八センチ』
「この惑星、十センチ以下の余裕好きだな」
背後の六脚機械が近づいている。
センサー光が、排水路の壁に反射した。
迷っている暇はない。
レンは正面ゲートへ向かった。
速度を落とす。
落としすぎない。
ゲートの上部が近い。
頭を下げたくなる。ローバーの高さは変わらないのに、レンは反射で首をすくめた。
がり、と上部がこすれた。
アンテナの先端が折れた。
「今の」
『上部簡易アンテナ、破損』
「必要か」
『予備があります』
「ならいい」
ガタはゲートを抜けた。
内部は暗い旧保守通路だった。
壁が近い。天井が低い。床は固い。追跡機械の脚は、この幅では入りにくい。背後で、六脚機械がゲート前に止まった。掘削アームがゲートの縁を叩く。だが、すぐには入ってこない。
[PURSUIT STATUS]
――――――――――
対象一:進入困難
対象二:排水路外で停止
対象三:信号継続
追跡圧:低下
――――――――――
レンは速度を落とし、ようやく息を吐いた。
「逃げ切ったか」
『一時的です。対象はあなたを認識しました。今後、管理者候補信号に反応する自律機械が増える可能性があります』
「最悪だな」
『はい』
短い返事だった。
レンは壁に映るノアの簡易表示を見た。青白い線だけのアイコンが、端末の端で揺れている。
「物流制御施設まで行けるか」
『現在のローバー損傷では、到達可能性が低下しています。推奨は、保守通路出口を確認し、拠点へ帰還。防衛・監視準備を行ったうえで再挑戦です』
「ミオのログは遠のくな」
『拠点を失えば、再挑戦できません』
レンは黙った。
その通りだった。
CROSS-LINKを追いたい。MIOの名前をもっと読みたい。物流制御施設へ行けば、何かが増えるかもしれない。
だが、今のガタは限界だ。右前輪、左側面、アンテナ、荷台固定具。自律機械に認識された状態で、未知の施設へ突っ込むのは悪手だ。
レンは操縦桿から片手を離し、痛む手を軽く開いた。
「帰る。防衛を作る」
『妥当です』
「また褒め方が雑だな」
『適切な判断です』
「それでいい」
保守通路の出口は、拠点の北側に伸びていた。完全に安全ではないが、追跡機械からは距離を取れる。ノアが即席の帰還ルートを出す。
[RETURN ROUTE]
――――――――――
経路:旧保守通路経由
追跡対象:一時遮断
ローバー損傷:中
推奨:拠点帰還後、防衛・監視網整備
次目標:拠点基地化
――――――――――
「次目標、勝手に決まったな」
『状況から算出しました』
「嫌になるくらい正しい」
ガタは暗い保守通路を進む。
背後では、まだ六脚機械がゲートを探っているような低い振動があった。離れていく。だが、完全には消えない。
レンは前だけを見た。
ミオの名前を追う前に、拠点を守る必要がある。
外の機械群は、こちらを見た。
次は、向こうから来るかもしれない。
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