第2話 水循環施設
[LIFE SUPPORT STATUS]
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船内生命維持:限定安定
酸素供給:回復
飲用水備蓄:不足
船内温度:低下傾向
外部作業:制限付き可能
次行動推奨:水循環施設の再起動
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水がない。
それを聞いた瞬間、レンは舌で口の中を確かめた。乾いている。血の味は薄くなっていたが、喉の奥に金属の粉みたいなざらつきが残っていた。
「酸素は戻った。次は水か」
『はい。現在の飲用水備蓄は、搭乗者一名で約十一時間分です。船内の簡易再生装置は破損しています。第七地下区画 B-03 に水循環施設の待機反応があります』
「十一時間。多いのか少ないのか迷う数字だな」
『長期生存には不足しています』
「だろうな」
レンは工具箱を床に下ろした。箱の角が床に当たり、こつ、と乾いた音がした。船内の振動はまだ消えていない。足の裏から、低い音がずっと伝わってくる。さっき起こした地下区画が、まだどこかで動いている。
自分が押したレバー一本で、惑星の地下が起きた。
考えないようにしても、考えてしまう。レンは工具箱の留め具を開け、閉め、もう一度開けた。意味のない動きだと気づいて、指を止める。
『搭乗者の行動に目的外動作を確認』
「実況しなくていい。水循環施設までの道は?」
『船外を経由する必要があります。船体下部の裂け目から旧都市外縁へ出て、地下搬送路に入ります』
「船外って、あの泡立つ雨の中か」
『外部大気は有毒です。皮膚接触にも危険があります。船内に簡易外部作業スーツが一着あります』
「状態は?」
『損傷あり。ただし、短時間の作業なら使用可能です』
「短時間ってどれくらい」
『推定二十八分』
「水を取りに行くには?」
『最短で三十四分』
「足りてないだろ」
『作業時間の短縮が必要です』
「簡単に言うな」
レンは立ち上がった。膝が少し遅れてついてくる。脇腹の痛みも残っている。動くたび、身体の内側が細くきしむ。
ノアが操縦室の壁に青い経路図を出した。墜落地点。船体下部。外部岩場。旧都市外縁。地下搬送路。水循環施設。線だけなら簡単に見える。だが、そのほとんどがレンの知らない場所だった。
「このルート、危険箇所は」
『外部大気、腐食性降雨、足場崩落、旧都市内の電力不安定、手動バルブ区画の圧力異常』
「全部危険じゃないか」
『はい』
「そこは否定してくれ」
ノアは答えなかった。
作業スーツは、船尾側の収納庫にあった。白と灰色の中間みたいな色で、肩と胸に細い青線が入っている。表面はこすれて、左腕には焼けた跡があった。ヘルメットの透明部分にも細い傷が何本も走っている。
レンはそれを引き出した。重い。内側が冷えている。腕を通すと、湿った布のような感触が背中に貼りついた。
「これ、前の持ち主が使ってたんだよな」
『はい。使用履歴があります』
「名前は?」
『損傷により不明です』
「……そうか」
レンは袖を引いた。指先がうまく入らず、二度やり直す。手袋部分の内側に、わずかに擦り切れた跡があった。誰かの手が、何度もここを通った跡だ。
今は借りる。
声には出さなかった。
『左腕部の密閉が不完全です。補修材を使用してください』
「どこだ」
『工具箱の右側、黒いチューブです。塗布後、十秒で硬化します』
「十秒で固まる接着剤。便利だな。外したい時は?」
『切断してください』
「便利じゃないな」
レンは黒いチューブを押した。ねばつく補修材が左腕の焼け跡に広がる。甘いような、薬品のような臭いがヘルメットの内側に残った。十秒数える前に表面が固まり、指先にひっかかる。
『密閉率、八十一パーセント』
「低くないか」
『許容範囲下限です』
「下限か。好きじゃない言葉だな」
ヘルメットをかぶると、音が少し遠くなった。自分の呼吸だけが大きく聞こえる。すう、はあ。すう、はあ。酸素残量の数字が視界の端に出た。
[EXTERNAL SUIT STATUS]
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外部作業スーツ:簡易補修済み
密閉率:81%
外部活動限界:28分
推奨行動:走行不可/接触回避/短時間作業
警告:左腕部に漏れリスクあり
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「走行不可って出てるけど、急いだら?」
『転倒時の損傷リスクが高まります』
「急がなかったら?」
『時間超過リスクが高まります』
「つまり、転ぶなってことか」
『はい』
「一番難しい指示を短くまとめるな」
レンはハッチの前に立った。外へ出るための非常用扉は、少しゆがんでいた。手動レバーを引くと、ぎ、と重い音が鳴る。途中で止まった。
もう一度、体重をかける。脇腹が痛む。息が詰まる。レバーが少しだけ動いた。さらに引く。金属がきしみ、扉の隙間から白い霧が入り込んだ。
『外部大気流入。三十秒以内に通過してください』
「言われなくても、ここで深呼吸はしない」
扉が開いた。
外の空気が、ヘルメット越しでも重く感じた。紫がかった空。黒い岩。泡立つ雨。遠くに、青白く光る廃都市の線。地面はぬれているのに、水たまりらしいものがない。降ったものが、岩の表面で薄く煙を上げていた。
レンは一歩踏み出した。靴底が岩をつかむ。じゅ、と小さな音がした。
「靴底は大丈夫なんだよな」
『現時点では問題ありません。長時間の接触は推奨しません』
「だから時間がないってことか」
レンは経路表示を見た。青い矢印が地面すれすれに浮かんでいる。ノアの投影は船内ほどはっきりしていない。薄い。風に流れるわけではないが、時々輪郭が乱れた。
「外だと薄いな」
『船外投影は制限されています。音声案内を優先します』
「了解。目印だけ出してくれ。視界が悪い」
雨がヘルメットを叩く。ぱら、ぱら、ではない。細かな砂を投げられているような音だった。透明部分に白い筋が残り、レンは手袋で拭った。拭った跡がすぐにまた濁る。
左腕の補修箇所が、かすかに冷たい。漏れているのか、気のせいか。レンは腕を身体に寄せ、岩場を進んだ。
旧都市外縁は、近づくほど大きかった。地面から斜めに突き出た壁。半分埋まった柱。道路のような平面。どれも黒い砂をかぶっている。だが、その隙間を青い光が走っていた。
死んだ街に、血だけ戻ったみたいだった。
レンはそこで顔をしかめた。余計なことを考えるな。街は街だ。設備は設備だ。使えるなら使う。
『前方、段差があります』
「見えた」
見えていなかった。足先が段差に当たり、身体が前に流れた。レンはとっさに壁へ手をついた。左腕だった。
じ、と音がした。
「っ」
左腕の補修部に白い煙が上がった。レンは慌てて手を離し、腕を振った。
『左腕部、表面腐食を検出。密閉率、七十六パーセント』
「悪い。今のは俺が悪い」
『記録しました』
「そこは慰めろ」
ノアは黙った。慰め機能も止まっているらしい。
地下搬送路の入口は、地面に半分埋もれた長方形の穴だった。開いたままになっている。内部から、乾いた空気が吹き上がっていた。外よりはましな臭いだが、古い金属と、ぬれたほこりの臭いが混じっている。
「ここから地下か」
『はい。水循環施設まで二百四十メートル。下り勾配。足元に注意してください』
「残り時間は」
『外部活動限界まで十九分』
「厳しいな」
『はい』
「だから否定しろ」
レンは地下へ入った。雨の音が遠くなる。代わりに、床下を流れる低い振動がはっきりした。奥の壁には、青い光が細く走っている。非常灯のようなものだろう。途切れ、また点く。
通路の途中に、古い搬送レールがあった。台車らしきものが横転している。箱が散らばり、その中身は砂のように崩れていた。
「ここ、いつ止まったんだ」
『時刻同期不能。推定不可』
「何百年とか、何千年とか?」
『推定不可』
「聞いた俺が悪かった」
ヘルメットの内側が少し曇ってきた。レンは首を振る。意味はない。呼吸が速いのだ。わかっている。だが、ゆっくり吸おうとすると、逆に息が詰まる。
水循環施設の扉は、巨大な丸い隔壁だった。中央に手動ハンドルがある。周囲の表示は半分死んでいたが、青い警告だけが点滅している。
[WATER FACILITY B-03]
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水循環施設:待機
主制御:応答なし
補助制御:限定応答
圧力弁:手動操作必要
内部水質:未確認
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「水質未確認って、起動しても飲めるとは限らないのか」
『起動後、ろ過と検査が必要です』
「まず水を出す。飲むかはその後。わかりやすいな」
レンはハンドルに手をかけた。冷たい。表面がざらついている。回そうとしたが、動かない。
「固い」
『圧力固着の可能性があります。左下の補助ロックを解除してください』
「左下……これか」
レバーがあった。低い位置だ。レンは膝をつき、手を伸ばす。脇腹が痛い。歯を食いしばる。レバーは動いた。が、途中で止まる。もう一度押す。かち、と音がした。
『補助ロック解除。圧力弁を手動で開いてください』
「簡単に言うな」
レンはハンドルを握り直した。両腕に力を込める。動かない。足の位置を変える。腰を落とす。今度は少し動いた。ぎ、ぎ、と音がする。
左腕の補修箇所が冷たい。ヘルメット内の警告がちらつく。
『密閉率、七十三パーセント。作業継続は危険です』
「閉めたら水が出ない」
『はい』
「じゃあ回す」
ハンドルが半回転した。重い音が、隔壁の奥で返ってくる。さらに回す。手袋の中で指が滑った。レンは一度手を離し、掌をスーツの太ももで拭いた。意味があるかはわからない。でも、拭いた。
もう一度握る。
「ノア、あと何回転」
『完全開放まで二回転半』
「多いな」
『はい』
「そこも否定しろ」
回す。肩が痛い。脇腹が引きつる。息が乱れる。ハンドルが、少しずつ動く。最後の半回転で、急に軽くなった。
奥で水が動く音がした。
最初は低い。次に、どん、と何かが押し出される音。壁の奥を、水が走る。錆びた管がふるえ、床にたまったほこりが細かく跳ねた。
「動いたか」
『水循環系、反応。一次ポンプ、起動します』
通路の奥で、青い光が一斉に走った。一本ではない。網のように広がっていく。壁、床、天井。遠くの区画まで。
レンはハンドルに手を置いたまま、息を吐いた。膝が少し笑っている。立ち上がる前に、もう一度足を踏み直した。
[RESTORATION REPORT]
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水循環施設 B-03、限定起動。
一次ポンプ:稼働
飲用水生成:準備中
船内供給ライン:接続待機
地表水路:連動反応あり
警告:環境制御系の一部が起動しました。
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「待て。最後、何て出た」
『環境制御系の一部が起動しました』
「水を出しただけだぞ」
『水循環施設は環境制御系と接続されています』
「また広がったな」
『はい』
地下の奥で、さらに大きな音がした。水の音ではない。重い扉が、何枚も順番に開いていく音だった。遠くで空気が吸い込まれ、通路の風向きが変わる。
レンは顔を上げた。
外へ戻る経路表示が、青から黄色に変わっていた。
「ノア。黄色は?」
『注意。地表側に蒸気噴出を検出。帰還ルートの一部が不安定です』
「水を取りに来たら、帰り道が悪くなった」
『正確です』
「正確じゃなくて助けてくれ」
ノアの投影が、通路の奥に新しい矢印を出した。
『代替ルートを表示します。距離は伸びますが、外部大気への接触時間を短縮できます』
「残り時間は」
『外部活動限界まで七分四十秒』
「伸びた距離を七分で走るな、って言うんだろ」
『走行は推奨しません』
「わかった。転ばない程度に急ぐ」
レンは工具箱を肩にかけ直した。左腕の冷えが強くなっている。ヘルメット内で密閉率の数字が七十を切りそうだった。見ない。見たら足が止まる。
通路を戻る。さっきまで暗かった壁の奥で、水が流れている。ごう、と低い音が続く。床の一部から白い蒸気が漏れ、レンは足を止めた。
『左へ迂回してください』
「見えてる」
見えていない。蒸気で視界が白い。レンは左手を壁に伸ばしそうになり、途中で止めた。さっき腐食した腕だ。右手で壁を探る。ざらついた金属が手袋をこすった。
外に出ると、地表は変わっていた。
黒い岩場の向こうで、白い蒸気が何本も立ち上がっている。谷のようなくぼみに、水が流れ始めていた。細い流れだが、確かに水だ。泡立つ雨とは違う。透明に近いものが、青い光を映して走っている。
「……本当に出た」
声がヘルメットの中で小さく返った。レンは足を止めそうになったが、ノアの声がすぐに割り込んだ。
『外部活動限界まで三分。鑑賞は推奨しません』
「わかってる」
レンは歩いた。走らない。走れない。足元の岩が濡れている。靴底が一度滑り、身体が傾く。工具箱が脇腹に当たった。息が詰まる。それでも倒れなかった。
船体下部の裂け目が見えた時、ヘルメット内の警告が赤く点滅した。
『密閉率、六十八パーセント。外部作業限界です』
「あと少しだ」
ハッチに手をかける。手が滑る。もう一度。今度はつかめた。身体を押し込む。肩が引っかかる。工具箱を先に投げ入れ、レンは続いて転がり込んだ。
扉が閉まる。
船内の空気が戻る音がした。しゅう、と短く鳴り、圧力が変わる。レンは床に座り込んだまま、ヘルメットを外した。焦げた臭いと、冷えた金属の臭いが一気に鼻へ入る。それでも、外よりずっとましだった。
喉が鳴った。
「水は」
『船内供給ラインへ接続中。飲用可能判定まで二分十秒』
「二分か」
レンは床に背中を預けた。腕が重い。左腕の補修箇所は白く変色していた。指を動かす。動く。痛いが、動く。
やがて、小さな音がした。
ぽた。
操縦室横の古い給水口から、透明な水が一滴落ちた。次に、もう一滴。しばらくして細い流れになる。
[WATER SUPPLY STATUS]
――――――――――
飲用水生成:開始
水質:基準内
船内供給:限定接続
地表水路:3.1% 開放
環境制御系:待機状態へ移行
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レンは給水口の下に手を差し出した。水が手のひらに当たる。冷たい。ちゃんと冷たい。
「飲めるんだな」
『はい。基準内です』
「先に言え」
『表示済みです』
「声で言え」
レンは手のひらの水を口に含んだ。ぬるくはない。鉄の味もしない。喉を通った瞬間、身体の奥が少しだけゆるんだ。もう一口飲む。今度はこぼした。手元が少し震えていた。
ノアはそれを見ていた。
『次の行動を提案します』
「今じゃない」
『飲用水確保後、採掘ラインの再起動が推奨されます。船体修復には資材が必要です』
「今じゃないって言っただろ」
レンは給水口の下に座り込んだまま、額を腕に押しつけた。水の音が近い。ぽた、ぽた、と落ちる音が、船内の低い振動に混じる。
その時、モニターに新しい表示が出た。
[UNKNOWN RESPONSE]
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採掘ライン、待機信号を受信。
地表水路の開放により、地下搬送系が一部復帰。
次段階:第一採掘群の再起動
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レンは顔を上げた。
「水の次は、鉱山か」
『正確には採掘ラインです』
「どっちでも重い」
ノアは何も言わなかった。
レンはもう一度、水を飲んだ。今度はこぼさなかった。指先の震えはまだ残っている。だが、工具箱まで手を伸ばすくらいの力は戻っていた。
外では、眠っていた水路が細く流れ始めている。
その音は船内まで届かない。
それでもレンには、床下の振動が少し変わった気がした。
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