第167話 受け入れ箱を出発箱にする
外部扉の向こうで、ガタが一人分の重量体を載せた運搬台を止めた。
前話で寝台を沈ませた資材箱に、水袋と固定具を足して人ひとり分へ合わせてある。その横には、満水容器、保存食、保温布、止血材を詰めた受け入れ箱を固定した。ガタの右輪は黄色のままで、荷は左へ少し寄せてある。
『到着想定位置です。右輪、黄色。急旋回は嫌です』
「今日は曲がる場所まで決める。入れて、休ませて、それで終わりじゃない」
レンは基地運用図を外部扉から寝台区画まで開いた。前話で確かめた線は、除塵、入口選別、給水、温食、静養室、寝床で止まっている。その先には軌道移送系統の候補図が灰色で浮かんでいたが、基地からつながる線は一本もなかった。
『大型居住移送体候補への実移送は実行不能です』
「分かってる。今日はそこまで送らない。送れる状態にして、待たせるところまでだ」
『候補図は参照表示のままです』
「線は灰色のままでいい」
ガタが前輪灯を二度瞬かせた。レンは外部扉を開き、砂混じりの冷気が入る前に運搬台を誘導した。
重量体が敷居を越えると、右輪から細かな振動が床へ伝わった。ガタは速度を落とし、除塵区画の中央線へまっすぐ入る。受け入れ箱は壁側の棚へ下ろし、重量体だけを低い台へ移した。
「外套を着たまま到着した想定。面体、手袋、靴底」
『外部粉塵付着を模擬します』
ノアの表示に従い、レンは重量体へ古い防塵外套を巻き、肩と裾へ試験粉を薄く付けた。除塵風を起こすと、乾いた音が布の表面を走り、灰色の粉が床の吸入口へ引かれていく。靴底代わりの固定板を裏返し、溝に残った粉を刷毛で落としてから、外套を外側が内へ入るよう畳んだ。
「汚れ物は受け入れ箱へ戻さない。回収袋」
『使用済み外套、外部側回収棚へ隔離』
除塵の終わった重量体を運搬台へ戻す。ガタは一度後退し、右輪を軸にせず左輪を小さく刻んで入口選別点へ向きを変えた。黄色表示は太くなったが、橙には触れない。
入口選別点には簡易診断器、識別帯、止血材、保温布が並んでいる。レンは重量体の胸位置へ診断板を当て、歩行可能、発熱なし、右前腕に軽傷ありという試験条件を入力した。
『静養室で処置後、休息可能。寝床への長時間固定は不要です』
「歩ける人でも、到着直後に次へ歩かせない。先に水」
受け入れ箱から満水容器を出し、給水棚へ置いた。封止を切り、規定の一回量を計量杯へ注ぐ。飲んだ想定の水は回収槽へ流さず、重量確認用の空容器へ移し、残量と補充量が見えるようにした。
次に保存食を加熱器へ入れる。低い送風音が立ち、蓋の縁が温まるまでの間に、レンは重量体の右前腕へ洗浄布を当て、止血材と固定帯を一組使った。使用済み洗浄布は医療廃棄袋へ、余った止血材は封を切っていないことを確かめて医療棚へ戻す。
『温食、供給温度です』
蓋を開けると、豆と乾燥菜の湯気が上がった。レンは容器を食事区画の低い台へ置き、重量体を椅子位置へ寄せる。ガタの運搬台を椅子の背へ平行につければ、右輪を大きく切らずに乗せ替えられた。
『本機は配膳車ではありません』
「今日は搬送台だ。温食は俺が持つ」
『それなら許容します』
食べ終えた想定で容器を空にし、蓋と匙を洗浄台へ回す。受け入れ箱から出した水、食料、医療材、保温布の欄が一つずつ空になった。箱の底には、到着時のための物はもう残っていない。
レンは重量体を静養室へ運んだ。
四床のうち入口側へ寝かせ、保温布を掛ける。簡易診断器を壁面電源へつなぎ、処置後の安定値を十分ぶん記録した。警告が出ないことを確かめると、レンは重量体を寝台区画の入口側へ移し、休息用の寝具へ横たえた。
『静養室から休息床へ移行。歩行可能判定を維持します』
「医療の場所を休憩所にしない。処置が済んだら、次の怪我人へ返す」
静養室の保温布と診断器はまだ使用済みのまま残しておく。寝台では別の保温布を掛け、三十分の休息記録を始めた。その間に、レンは受け入れ箱の空いた区画を洗浄布で拭き、除塵済みを示す白い帯を蓋の内側へ貼った。
「休ませてる間に、出る物を揃える」
『移送前装備を提示します』
外出棚から、洗浄済みの防塵外套、交換済みフィルタの面体、手袋を一組取り出した。給水口で携行容器を満たし、加熱せず食べられる保存食を二食、封止袋へ入れる。入口選別で使った識別帯には、処置済み、歩行可能、給水済み、温食済みとだけ記録し、行先欄は灰色のまま残した。
「行先を作ったことにはしない。軌道移送系統へ渡す候補、ここまで」
『第一ロックは未解除。移送路は未成立です』
「だから出発できる格好で待つ」
空になった受け入れ箱へ、畳んだ外套を底から入れた。面体が潰れないよう固定具を組み替え、その脇へ携行水と二食分の保存食を立てる。上段へ手袋、識別帯、未使用の保温布を置き、蓋を閉めた。
同じ箱なのに、持ち上げた時の音が変わった。
到着時は水と医療材が片側で鳴っていた。今は外套が隙間を埋め、携行水と食料が固定具の中で動かない。レンは箱を一度傾け、何も滑らないことを手のひらで確かめた。
「受け入れ箱、じゃないな」
『内容は移送前装備です』
『出発箱です』
「それでいい」
休息記録が終了した。レンは保温布を外し、重量体を起こす代わりに台の背を立てた。右前腕の固定帯を残し、識別帯を胸位置へ通す。防塵外套と面体は出発直前に着ける想定で、出発箱と一緒にガタの運搬台へ固定した。
出発待機場所は外部扉の前ではなかった。到着者と交差すれば、除塵前の粉塵をもう一度浴びる。レンは食事区画の壁際にあった折り畳み机を半分だけ畳み、除塵区画から一枚扉を隔てた内側へ、重量体一つと出発箱一つが収まる黄色線を引いた。
『外部扉、医療搬送線、給水棚への通路を阻害しません』
「ここなら、次の到着を先に入れられる」
ガタが重量体を寝台区画から出発待機線まで運ぶ。右輪は黄色のまま、寝台区画の狭い入口では一度停止し、左輪からゆっくり向きを変えた。待機線へ着くと、重量体と出発箱は壁沿いへ収まり、中央の担架線が空いた。
レンはすぐに静養室へ戻った。
静養室で使った保温布を回収袋へ入れ、診断器の接触板を拭く。右前腕処置で開けた医療材を補充し、壁面電源の線を巻き直す。静養室の入口側一床は白い待機表示へ戻った。
次に寝台区画へ戻り、重量体を載せていた寝具の表面を洗浄した。張りを直すと沈み跡が消え、入口側の一床も白へ戻る。空容器を補充棚へ戻し、洗った食器を保温棚の下へ収め、床の水滴を拭いた。
『静養室一床、再開放。寝台区画、全床使用可能。入口選別点、補充完了』
「到着した一人が、場所を持ったままになってない」
出発待機線には重量体と出発箱がある。外套、水、食料、識別帯を持ち、処置を終え、次へ渡せる形になっている。だが外部扉は閉じたままで、通信塔も停止中監視から変わらない。
実在の避難者はいない。軌道へ上げた人もいない。
それでも、基地の中では一人分が到着から出発待機まで移った。使った物は回収され、空いた箱は次へ向かう装備に変わり、静養室と寝床は次の到着へ戻っている。
レンは運用図の基地表示を開いた。これまでは補給、退避、修理、受け入れの四項目が並んでいた。その下へ、到着、回復、移送準備、出発待機の四区分を追加する。
「定住区じゃない。受け入れて、戻して、次へ渡す」
『基地用途を更新します』
「移送前地上港」
『登録します』
基地の表示名の下に、新しい一行が白く残った。そこから大型居住移送体候補へ向かう線は灰色のままだ。第一ロックの橙色表示も、保守受信口の識別子も、何の信号を受けずに止まっている。
[GROUND PORT PRE-TRANSFER FLOW]
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到着:外部扉/除塵/入口選別
回復:給水/温食/医療/休息
回収:使用済み外套/食器/医療材/寝具を洗浄・補充
移送準備:防塵外套/携行水/二食/識別帯
出発待機:除塵前動線と分離/担架線・給水線を維持
基地用途:移送前地上港
実移送:未成立
第一ロック:未解除/信号送信なし
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レンはログを閉じ、出発箱の留め具を引いた。外套も水も食料も動かない。識別帯だけは蓋の内側で見える位置にあり、次の場所で箱を開ければ、何を済ませた人か分かる。
『出発待機中です』
「待ってるだけじゃない。ここでやることは終わってる」
『次の到着を受け入れ可能です』
ガタの右輪は黄色だった。だが運搬台は出発待機線に収まり、外部扉から静養室までの床は空いている。白く戻った寝具の上には、もう重量体の跡もなかった。
基地は一人を抱え込まず、一人分の場所を次へ返した。
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