第153話 E-03を補給所にした
暗い地面へ白線が伸びていた。
外套の面へ砂が当たり、視界の端で細かな粒が光を散らしている。レンは手首端末を胸の前へ寄せ、進路表示と足元を交互に見た。
ガタの車輪は低い音で砂を噛んでいた。荷を積んだ右輪が段差へ乗るたび、昨日清掃した軸から短い振動が車体へ返る。擦過音はまだない。
『右輪、駆動抵抗上昇。許容範囲です』
「何回目だ」
『四回目です』
「増え方は?」
『ほぼ一定です。急変はありません』
ノアの声は外套内の受信器から直接届く。通信状態が一段落ちれば語尾へ薄い雑音が混じった。基地との距離を、景色より先に耳が教えた。
前方に、砂から低く突き出した外壁が見えた。
E-03だった。
補給ケースの蓋には古い擦り傷があり、その横の充電ステーションは片側だけ砂へ沈んでいる。地形監視塔も、前に見た角度のまま立っていた。水を飲み、ガタを充電し、北へ出る時の足場にした場所だ。
ただし、今日は通り過ぎない。
「E-03到着」
『基地から位置を確認しました』
『右輪、到着まで異音なし』
「よし。荷を下ろす前に、残ってる物を見る」
レンは補給ケースの留め具へ手をかけた。砂を噛んだ金具は一度では動かず、押し込みながら横へずらすと、ざり、と嫌な音を立てて外れた。
蓋の内側へ薄い砂が流れ込む。中には、古い乾燥穀物のパック、補修テープ、固定バンド、清掃具、保温シートが残っていた。水パックは空が一本、未開封が一本。以前より減っているのは、自分たちが使ったからだ。
「記録と合ってる?」
『水一本、携行食三、非常食一、固定バンド二、清掃具一式。記録と一致します』
「基地から見えてた?」
『最終同期時点の記録です。現在数ではありません』
「じゃあ、置いてあるだけだ」
補給があっても、基地の表示が古いままなら戻る判断には使えない。
レンはガタの荷台から新しい水容器を下ろした。補給ケースへそのまま入れようとすると、古いパックと保温シートが場所を取って収まらない。
『詰めれば入ります』
「取り出す時に全部崩れる」
『入ることは入ります』
「補給所は倉庫じゃない。暗くても一回で取れるようにする」
ケースの中を三つに分けた。入口側へ水。中央へフィルタと外套用の封止布。奥へ食料と保温シート。固定バンドは蓋の裏へ留め、清掃具は砂のついた物と触れないよう細い袋へ入れ直した。
新しい交換フィルタを二枚、密封袋のまま中央へ置く。工具箱の底から非常用の誘導灯と折り畳んだ封止布を抜き、その隣へ収めた。保温シートは古い一枚と新しい一枚を重ねず、左右へ分けた。
「退避なら、水、フィルタ、外套の穴、体温。手前から取れる」
『配置順を登録します』
『本機用の電池は』
「充電ステーションを見てから」
ガタは返事の代わりに前輪をステーションへ向けた。接続部の覆いには砂が詰まり、端子の一部が白く曇っている。レンは刷毛で外周を払い、細い清掃棒を溝へ通した。
砂が固まって落ちた。
『接続面、摩耗は増えていません』
「通電は低く」
『低出力確認を開始します』
ガタが接続部を合わせる。かち、と乾いた音がしたあと、充電ステーションの表示が弱く点いた。黄色が二度揺れ、緑へ変わる。
『受電、安定』
『充電できます』
「予備電池を一基置く。もう一基は持っていく」
『右輪用は』
「持っていく方。保守棟まで働いてもらう」
『妥当です』
レンは予備電池の一基を荷台から外した。重量が抜けると、ガタの右側がわずかに持ち上がる。電池をケースへ入れるのではなく、充電ステーション脇の固定枠へ収め、短い給電線をつないだ。
接触表示が緑を返す。低出力でも、ここへ戻ればガタの本体か予備電池のどちらかを補える。
「残量を基地へ送れる?」
『E-03端末の同期項目を追加すれば可能です』
「在庫も同じ端末へ載せる。手入力だけだと、また古くなる」
『補給ケースの開閉記録と、固定枠の重量変化を使用できます。水とフィルタの個数は初期登録が必要です』
レンはケースの底を指で押した。以前はただの保管箱だったが、支持板の下には荷重検出部が残っている。細かな品目までは分からなくても、登録時から何かが減ったことは拾える。
「水二、フィルタ二、電池一。封止布、誘導灯、保温シート。食料は今ある分を数える」
『登録しました。重量差が出た場合、基地へ要確認を表示します』
『ブラシもあります』
「清掃具一式」
『ブラシです』
「……ブラシ一。登録」
ガタの車輪が短く鳴った。
補給ケースを閉じると、端末に新しい一覧が出た。水とフィルタは個数。電池は残量。食料と退避装備は有無だけ。細かい数字を並べなくても、ここまで戻れば何が使えるかは分かる。
[E-03 SUPPLY CACHE]
――――――――――
水:二
交換フィルタ:二
予備電池:一
退避装備:使用可能
清掃具:あり
基地在庫確認:接続
――――――――――
「次、外の状態」
地形監視塔の基部へ移る。柱は短時間の地形照射には使ってきたが、周囲の風と粉塵を基地へ連続で返す役にはしていない。端末の環境欄を開くと、風向、外気温、地表振動の古い記録が順番もなく並んでいた。
『粉塵計測部に堆積があります』
「どこ」
ノアが柱の中ほどへ白い枠を出した。レンは外套のフィルタ回転を確認してから、監視塔の側面覆いを開けた。粉塵計測部の吸入口には砂が薄い膜のように張りついている。
直接吹けば外套の面へ戻る。レンは吸引袋を当て、清掃棒で膜を内側から崩した。ざらついた塊が袋へ吸われ、吸入口の奥に細い格子が現れる。
『流量、回復』
「基地へ返す間隔は長めでいい。急に上がった時だけ割り込ませる」
『通常は低頻度。粉塵上昇、風向急変、地表振動時は即時通知とします』
監視塔の先端が低く唸った。周囲へ光は出ない。代わりに端末の環境欄が整理され、現在の風向と粉塵傾向、充電ステーションの温度が一列へ並んだ。
ノアの声が一瞬だけ途切れた。
レンは手を止めた。受信器の奥で短い雑音が走り、すぐに戻る。
『基地側でE-03環境表示を確認しました』
「今、切れた?」
『一秒未満です。監視塔送信部の切り替えに伴う瞬断です』
「一秒なら平気、にはしない。通信が切れた時の退避を試す」
『推奨します』
『充電は』
「切ってから試す」
ガタが自分で接続を外した。緑の表示が消え、車体が少し下がる。レンは補給ケースの前に立ち、基地側へ試験開始を送った。
「通信を切って」
『試験遮断を開始します。復旧までは現地手順へ移行してください』
ノアの声が消えた。
風と、外套のフィルタ音だけが残る。基地からの白線も端末上で灰色になり、E-03の局所表示へ切り替わった。
同時に、地形監視塔が低い警告音を三回鳴らした。訓練用の粉塵上昇表示が黄色へ変わる。
「ガタ、退避」
『充電ステーション停止。補給ケースへ移動』
レンはケースを開けた。手前に置いた封止布を一動作で抜き、外套の左腕へ重ねる。穴はない。今回は貼らず、固定バンドだけを通した。次に交換フィルタを取り、胸の保持具へ収める。
ガタは監視塔の風下から外れ、E-03の低い外壁へ車体を寄せた。折り畳んだ保温シートを荷台へ載せ、予備電池の固定枠を前輪で指す。
『電池、取り外し可能。右輪、異常なし』
「誘導灯」
『点灯を確認』
ケース脇の小さな灯りが橙色に変わった。砂で進路表示が見えなくても、E-03の位置を近距離から拾える。レンは水へ手を触れ、封が破れていないことだけを確かめた。
退避開始から、ここまで一分もかからなかった。
監視塔の警告が止まる。灰色だった基地線が白へ戻り、受信器にノアの声が入った。
『通信を復旧しました。現地退避手順、成立です』
「基地側では?」
『遮断中も、直前の在庫と環境状態を保持しました。復旧後、補給ケースの開閉、誘導灯の使用、装備取り出しを受信しています』
「使った物を戻して終わり、じゃ駄目だな」
レンは封止布とフィルタをケースへ戻さず、使用確認の札をつけた。訓練で開封はしていないが、一度取り出した物が未使用品と同じ場所へ戻れば、次の人間が迷う。
ケースの端に点検待ちの区画を作り、そこへ二つを置く。基地の在庫表示も、交換フィルタ二から、使用可能一、点検待ち一へ変わった。
『在庫変化を確認しました』
「見えてるな」
『はい。E-03は基地監視下です』
残る確認は、帰路だった。
レンはガタへ保守棟用の予備電池を積み直し、水を一本だけ荷台へ戻した。E-03へ置く分はケースに残す。来た時より荷は軽い。
「基地側へ、短く走る。外部扉まで帰るんじゃない。最初の分岐で戻る」
『帰還線の実走確認ですね』
『右輪、軽くなりました』
「その確認もする」
二人はE-03を離れ、白線を基地側へ戻った。背後では誘導灯が橙の点を保ち、地形監視塔が低い音で風を測っている。
最初の段差で、ガタの右輪が砂へ沈んだ。
『抵抗上昇』
「止まる?」
『止まりません』
ガタは速度を落とし、前輪を少し左へ切った。来る時についた二本の跡のうち、浅い方へ右輪を載せる。荷重が抜け、車体が水平へ戻った。
『帰路、通過可能』
分岐まで進むと、基地の外部扉を示す表示が白線の先に固定された。通信強度はE-03到着前より上がり、ノアの声から雑音が消えている。
『この位置から基地扉まで、既登録経路を維持しています。E-03へ戻った場合も基地側で追跡可能です』
「じゃあ戻る」
今度は自分たちの車輪跡を逆にたどらず、端末へ固定された帰還線を使った。砂で跡が薄れた場所でも線はE-03を指し、地形監視塔の誘導灯が先に見えた。
補給ケースの前へ戻ると、ノアが基地とE-03の往復区間を一本の線にまとめた。
[E-03 RELAY POINT]
――――――――――
補給:水/電池/フィルタ
退避手順:成立
環境監視:基地接続
在庫変化:基地確認可能
基地方向帰路:実走確認
次方向:保守棟下層
――――――――――
レンはケースの留め具を引き、今度は砂を噛まずに閉じることを確かめた。充電ステーションには予備電池が一基残り、監視塔は風と粉塵を基地へ返している。
以前にも、ここには水があり、充電もでき、地形も見られた。だが、それぞれが残っていただけだった。
いまは基地から数を見られる。通信が切れた時に何を取るかが決まり、帰る方向を実際に走って確かめた。E-03まで戻れれば、そこで一度立て直せる。
「仮拠点のままは終わりだ」
『E-03を補給・通信・退避中継点として更新しました』
『ブラシもあります』
「補給・通信・退避・ブラシ中継点」
『長いです』
「お前が足したんだろ」
ガタが保守棟側へ前輪を向けた。右輪の表示は黄色のままだが、抵抗値は到着時より下がっている。荷台には水一本、予備電池一基、限定工具。基地へ戻る分をE-03へ置いたことで、先へ運ぶ重さも減った。
レンは地図を切り替えた。E-03から先、旧配電線に沿って保守棟下層へ伸びる線はまだ灰色だった。受電口が砂に埋もれているか、補助電源が本当に起きるかは分からない。
「保守棟へ進む。到達前に電池と通信を再確認」
『了解。E-03から保守棟下層への経路追従を開始します』
『右輪、まだ動きます』
「その報告でいい」
二人はE-03を背にした。
振り返ると、低い外壁の脇で誘導灯が橙色に光っていた。その下には水と電池とフィルタがあり、地形監視塔の情報は基地まで届いている。
外部の足場だったE-03から、基地へ戻る線と、保守棟へ進む線が伸びていた。
レンは保守棟側の灰色の地面へ足を出した。
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