第151話 作業台の三部品が一つになった
研磨器の回転音は、傷へ触れた瞬間だけ高くなった。レンは導波材を固定爪へ押しつけたまま、白く曇った表面を拡大表示で追った。
細長い導波材の中央には、作業灯を斜めに当てなければ見えない傷が走っている。浅い傷なら削って消せる。深ければ、表面だけ整えても内部で信号が散る。
『研磨圧、上限の手前です』
「削れてる?」
『傷の底まで、あとわずかです』
レンは押す力を緩めた。研磨器の音が低く戻り、手袋越しの振動も細くなる。早く消そうとして押し込めば、傷より広い面を歪ませる。
作業台の反対側では、ガタが後輪を固定枠へ噛ませていた。前輪は台の脚へ軽く触れ、研磨器から伝わる揺れを拾っている。
『左へ逃げています』
「俺から見て?」
『今回はレンから見て左です』
「学習したな」
『前回、先に言えと言われました』
レンは固定爪を半段戻し、導波材の向きを変えた。片側からだけ削ると、薄い材は熱を持った側へ反る。指で触れられる温度でも、反射面には十分な歪みになる。
「ノア、削る場所を傷の両側へ分ける」
『推奨します。片側の連続研磨時間を制限します』
白い加工線が傷の左右へ分かれた。レンは短く当て、離し、冷却風を通す。金属粉が透明な覆いへ薄く貼りつき、吸引口へ流れていった。
何度目かの往復で、回転音から尖った響きが消えた。
レンは研磨器を止めた。導波材を固定爪から外し、作業灯の下でゆっくり傾ける。傷があった場所だけ色が変わることはない。細い光が端から端まで途切れず走った。
『表面形状、許容範囲内です』
「通してみる」
導波材を簡易負荷器の測定溝へ差し込む。中継板にはまだ接続しない。低い試験音が始まり、導波材の入口へ送られた信号が反対側で戻ってきた。
一度目は、表示の端が黄色に触れた。
「まだ散ってる」
『研磨面ではありません。固定圧が左右で異なります』
レンが測定溝を見ると、右の爪だけが導波材へ深く食い込んでいた。磨き終えた面を、測るための固定具が歪ませている。
「ガタ。台じゃなく、こっちの爪を見てくれ」
『右が強いです』
「どっちから見ても?」
『右は右です』
レンは息を吐き、固定爪のねじを四分の一だけ戻した。左右の接触音がそろい、導波材の薄い板がまっすぐ収まる。
再試験では、黄色が消えた。戻り信号は乱れず、測定音も一定の高さを保っている。レンは表示を保存せず、導波材を測定溝から抜いた。
『導波材、再使用可能です』
「まだ一個だ」
作業台には、削り終えた導波材の隣に端子用合金棒が残っていた。中継板を直した時の金属粉と、いま出た研磨粉が吸引口の縁で混じっている。
レンは合金棒を端子加工具へ挟んだ。必要なのは、古い受け口へ噛み合い、中継板と導波材を同じ圧力で押さえられる形だ。太ければ入らず、細ければ振動で接触が切れる。
『旧端子の摩耗を反映します』
「図面通りじゃ駄目か」
『はい。受け側が均一に摩耗していません』
加工線が合金棒の表面へ重なった。左右対称ではない。片側だけわずかに厚く、先端には浅い段差がある。
「壊れた穴に合う方を作る、と」
『現状では最適です』
切削器を起動すると、研磨器より低い音が作業室へ満ちた。細い金属片が螺旋になって落ち、熱を持った匂いが吸引口へ流れる。レンは送り量を抑え、厚い側を残して外周を削った。
最後の段差へ刃を入れた時、工具が一度だけ跳ねた。
レンは即座に停止へ触れた。
回転が落ちる。合金棒の先端には、加工線から外れた浅い打痕が残っていた。
『切削刃に付着があります』
「端子まで寄せ集めなら、刃も寄せ集めか」
『刃は清掃で再使用できます』
『跳ねる工具は嫌です』
ガタが固定枠の中で前輪を引いた。台から離れた車輪が、床へ短い音を立てる。
「俺も嫌だよ」
レンは刃を外し、溝に詰まった金属片を細い針で押し出した。手首が重い。中継板から続けた細かな作業で、指を曲げるたびに鈍い痛みが返る。
それでも打痕は削り代の内側だった。刃を戻し、回転を一段落とす。今度は音が跳ねず、先端の段差がゆっくり形になった。
加工を終えた端子を冷却台へ置くと、白い蒸気が一瞬だけ立った。温度が下がるのを待ち、絶縁材を巻き、受け口の試験片へ差し込む。
半分で止まった。
「厚い?」
『先端ではありません。絶縁材の重なりです』
レンは端子を抜き、巻き終わりを見た。硬くなった絶縁材が一か所だけ浮き、受け口の縁に当たっている。金属を削り直せば、今度は細くなりすぎる。
「被覆を切り直す」
浮いた部分を短く落とし、巻き始めと終わりを逆側へずらした。再び差し込むと、端子は最後まで入り、奥で乾いたロック音を返した。
ガタが作業台の脚へ前輪を戻した。
『抜けません』
「まだ引いてない」
『振動では抜けません』
ガタが車輪を小さく回すと、台へ細かな揺れが伝わった。端子は受け口の中で鳴らず、接触表示も緑のまま保たれる。
『給電端子、使用可能です』
レンは返事をせず、中継板を負荷器から外した。白い識別線を引いた補修回路は残っている。完全な板ではない。導波材にも削った跡があり、端子は歪んだ受け口専用の形だ。
三つとも、単体で直っただけでは塔を動かせない。
「統合する。給電は負荷器の中だけ」
『通信塔側の遮断を維持します』
レンは中継板を固定枠へ入れ、導波材を案内溝へ滑らせた。端子を最後に押し込むと、三つの部材が作業台の上で一直線につながった。
だが、ロック音のあとも導波材の中央がかすかに震えていた。
『振動あり』
「見えてる」
端子が深く入りすぎて、導波材を横から押している。どれも単体試験では正常だった。組み合わせた時だけ、寸法の誤差が同じ場所へ集まっていた。
レンは端子を抜かず、固定環を緩めた。導波材の震えを指先で探りながら、環を少しずつ回す。ある位置で、薄い金属の鳴る音が消えた。
「そこ」
『固定位置を記録します』
ガタがもう一度、台へ振動を送った。中継板の接触表示は緑。導波材は鳴らず、端子のロックも外れない。
「模擬負荷。停止条件を先に入れる」
『温度上限、反射損失上限、絶縁低下時の即時停止を設定します。冷却を先行起動します』
負荷器の奥で送風音が始まった。レンは非常停止へ手を置く。低負荷が入ると、中継板の補修片が温まり、導波材から澄んだ微振動が返った。
負荷が一段上がる。端子の接触部だけ温度が先に上がったが、冷却風が通ると上昇は鈍った。さらに一段。中継板、導波材、端子の三か所が別々に揺れたあと、同じ範囲へ収まる。
『統合系統、安定しています』
「一度止める」
負荷音が落ち、冷却だけが残った。レンは温度が下がるまで待ち、同じ条件でもう一度起動した。二度目は端子だけが先に熱を持つこともなく、最初から三か所がそろって上がった。
作業台の上で、寄せ集めの三部材が一つの系統として動いていた。
レンは非常停止から手を離した。これ以上、削る部品はない。焼けた板も、傷ついた導波材も、曇った合金棒も、作業台の端で順番を待ってはいなかった。
[COMMUNICATION TOWER REPAIR — COMPONENT COMPLETE]
――――――――――
中継板:部分回復
導波材:再研磨完了
給電端子:再加工完了
三部材統合:模擬負荷安定
通信塔推定出力:一・九四
部材側修復:完了
残不足:外部補助電力
――――――――――
「必要線には届かない」
『はい。部材側の追加加工では到達しません』
作業台の白い目盛りは前話より大きく伸び、そこで止まっていた。軌道アンカー照会に必要な線は、その先にある。だが、間に残っている警告は一つだけだった。
「不足は」
『補助電力です』
ノアの答えと同時に、作業台から二本の白線が伸びた。一方は基地外縁のE-03へ、もう一方は保守棟下層へ続く。どちらにも候補表示がつき、距離、配電経路、安定性の欄だけが並んだ。
レンは比較欄へ指を伸ばしかけ、止めた。まだ選ぶ段階ではない。いま決めるべきだったのは、壊れた部品をもう一度削ることではなく、次の不足が作業台の外にあるということだった。
「部材の加工記録を固定。組み直しても同じ位置へ戻せるようにしてくれ」
『固定位置、締結順序、停止条件、冷却条件を登録しました』
「基地監視に載せられる?」
『模擬負荷中の温度と停止状態は監視可能です。外部給電接続後、同じ項目を通信塔系統へ移行できます』
レンは三部材を外さず、統合したまま保護枠を閉じた。透明な覆いの下で、中継板の白い補修線と、磨かれた導波材と、新しい端子が一本につながっている。
研磨器を清掃位置へ戻し、端子加工具の電源を切る。吸引口が最後の金属粉を吸い込み、作業台の音が一つずつ消えた。
残ったのは、冷却風と、外へ伸びる二本の候補線だけだった。
「作業台は終わりだ」
『はい。通信塔の基地内部品修復工程を完了しました』
ガタが固定枠から後輪を外した。台を支えていた車体が離れても、保護枠の中の三部材は揺れない。
『外は段差があります』
「まだどっちへ行くかも決めてない」
『どちらにもあります』
「それは知ってる」
レンは工具を棚へ戻し、空いた作業台の端を手袋で拭いた。三話分の焦げた粉も、研磨粉も、切削片も残っていない。中央にあるのは修理途中の部品ではなく、使用できる一つの系統だった。
その向こうで、E-03と保守棟下層の表示が並んで光っている。
基地の中で直せるものは、直し終えた。
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