第148話 縦軸確定
昇降塔第二段の条件確認は、塔の根元から始まった。
補強リングは第一段の外装下に置かれている。接合はしていない。大型構造材四本も、低地の床へ短く伸びたままだ。だが、リングの表面には白い線が走り、塔の側面と同じリズムで明滅している。置いただけの部品ではなく、もう塔に見られている部品だった。
レンはその前に立ち、工具箱を床へ置いた。ミナナがすぐ横で止まる。周囲では、他の保守機が少し離れて待機していた。候補者補助範囲。ノア・ガタはそう呼んだ。呼ばなくていいのに、ログにはそう出ていた。
「ノア。条件確認だけだ」
『はい。昇降塔第二段の起動条件確認のみ実施します』
「接合しない」
『接合しません』
「上がらない」
『上がりません』
「今の録音しといて」
『記録済みです』
「あとで言い逃れするなよ」
『私は言い逃れをしません』
「似たようなことはする」
塔の端末が白くなった。第一段の側面を走る線が下へ降り、補強リングを一周する。それから四本の大型構造材へ分かれ、先端まで走り、またリングへ戻ってきた。何かを測っている。荷重か、角度か、接続位置か。レンには分からない。ただ、線の動きは滑らかだった。
滑らかすぎて嫌だった。
――――――――――
[SECOND STAGE CONDITION CHECK]
補強リング:位置確認
大型構造材:四方向配置確認
接合:未実施
荷重計算:開始
候補者位置:確認
――――――――――
「候補者位置、毎回いる?」
『安全確認に必要です』
「安全なら仕方ない、って言わせたいんだろ」
『はい』
「はいって言うな」
ミナナがリングの縁に登り、小さな腕で表面を叩いた。こん、こん、と低い音がする。別の保守機が床側の構造材を叩き、また別の保守機がその音を記録する。人間が工具を当てる隙間がない。確認作業は、レンが立っている間に勝手に進んでいく。
「俺、必要か?」
『候補者承認が必要です』
「立ち会い係か」
『近いです』
「近いって言うな」
塔の上端で、通信柱が細く光った。月面工廠へ向かう線ではない。今回は上へ伸びきらず、低地の壁面に展開された復旧艦骨格図へ同期する。骨格図の一部が点滅し、補強リングと大型構造材の位置が反映された。
巨大な図面の中に、今ここにある部材が入る。
小さい。だが、確かに入っている。
「ノア。艦の図面と同期してる」
『はい。地上側支援構造として登録されています』
「登録しないで」
『条件確認には必要です』
「必要が多い」
壁面の骨格図が一段だけ明るくなった。低地の壁をいっぱいに使った断片図。その中の小さな箇所に、補強リングが白く重なる。レンは思わず目を細めた。こんなに大きい図の中で、今作った部品はこの程度なのかと思う。
思いたくなかった。
でも、見える。
――――――――――
[GROUND SUPPORT LINK]
昇降塔第一段:安定
補強リング:認識
大型構造材:認識
地上側支援構造:仮登録
復旧艦骨格図:部分同期
――――――――――
「仮登録が増えた」
『はい』
「俺も仮登録、部品も仮登録」
『正確です』
「正確じゃなくて嫌なんだよ」
低地の奥で、工業層が低く鳴った。第七保守ライン、採掘ライン、精製炉。音の高さは違うが、もうばらばらではない。順番に鳴っている。採掘ラインが素材を送り、精製炉が熱を保ち、第七保守ラインが部材を整え、昇降塔がそれを確認する。
一連の流れになっていた。
レンはそれを聞いて、工具箱に手を置いた。
直したものが多すぎる。
だが、壊したものはない。
そこだけは、まだ救いだった。
「ノア。低地維持系統は」
『安定しています』
「工業層」
『低出力安定』
「採掘ライン」
『低出力稼働』
「精製炉」
『低出力処理中』
「月面工廠」
『微弱接続維持』
「俺」
『星系復旧責任者候補、仮登録済み』
「聞かなきゃよかった」
ミナナが白い点を二度明滅させた。
「笑った?」
『ミナナに笑う機能はありません』
「そういうことにしとく」
塔の端末が、次のログを出した。
――――――――――
[VERTICAL RESTORATION AXIS]
低地維持系統:復帰
昇降塔第一段:起動済
工業層:再稼働
採掘ライン:低出力稼働
精製炉:低出力処理中
月面工廠:接続維持
星系復旧艦:候補骨格図展開
次段階:昇降塔第二段
――――――――――
レンはしばらく黙ってそれを見た。
低地維持系統。
昇降塔。
工業層。
採掘ライン。
精製炉。
月面工廠。
星系復旧艦。
昨日までは、低地の遮断点を越えられるかどうかだった。今日は、ログの最後に艦がいる。しかも、まだ候補だ。候補なのに、壁一面に骨格図を出している。
「ノア」
『はい』
「これ、低地の話だったよな」
『開始時点では、低地維持系統の復帰作業でした』
「開始時点では」
『現在は、地下都市縦軸の復旧初期段階です』
「言い換えてもでかい」
『はい』
補強リングの白線が、一度だけ強く光った。塔の内部で、重いものが少し動く音がする。レンは反射的に身構えた。
「上がるなよ」
『第二段は起動していません』
「今の音は」
『上段ロック確認です』
「確認の音が怖い」
塔は上がらなかった。
ただ、上端の切れた部分に白い線が増えた。第二段がどこから出るのか、その輪郭だけが薄く浮かぶ。いまはそこまで。塔はまだ一段。だが、次にどこが動くかは見えてしまった。
それだけで十分だった。
いや、十分すぎた。
低地の空気が上へ流れる。霧が塔の周囲で細く巻き、通信柱の先端が微かに光る。月面工廠からの返事はない。だが、接続は切れていない。見えない場所に、線が残っている。
「ノア。第二段の起動条件、何が足りない」
『追加権限確認。補強材接合。月面工廠からの設計照合応答』
「全部面倒」
『はい』
「はいじゃない」
『すべて必要です』
「もっと嫌だ」
ミナナが大型構造材から降り、レンの足元へ戻ってきた。小さな体に、白い粉がついている。レンは手袋でその粉を軽く払った。ミナナは逃げなかった。保守機にそういう概念があるのかは知らないが、逃げなかった。
「お前も働きすぎ」
『ミナナは正常稼働中です』
「休憩は?」
『保守機に休憩は不要です』
「俺には必要」
『作業者支援パックを生成しますか』
「今はいい。さっきのジェルがまだ口に残ってる」
『味覚評価は不要です』
「不要でも残るんだよ」
レンは工具箱を持ち上げた。低地は明るい。少なくとも、今立っている範囲は明るい。通路も見える。第七保守ラインへ向かう床も、採掘ライン側の分岐も、精製炉へ続く白線も見える。
もう、ただの探索路ではなかった。
戻る道も、次に進む道も、どちらも動いている。
「今日は待機」
『はい。各系統を待機状態に維持します』
「勝手に次へ行くな」
『次段階の自動実行は停止します』
「停止って言った」
『待機です』
「いま停止って言った」
『表現の揺れです』
「逃げたな」
ノア・ガタは答えなかった。
壁面の骨格図は、少しだけ薄くなった。消えはしない。低地の壁に、巨大な艦の骨だけが薄く残る。補強リングの位置も、第二段の輪郭も、月面工廠への細い線も残っている。
レンはその全部を見た。
見たうえで、息を吐いた。
「帰る話だったんだけどな」
『帰還経路は未確定です』
「知ってる」
『ただし、地下都市の維持能力は向上しています』
「それも知ってる」
『生存可能性も上昇しています』
「それは、まあ、助かる」
そこは否定できなかった。
水は出る。
食料も一応出る。
低地は安定した。
工業層は動いた。
月から返事も来た。
帰れるかは分からない。だが、生きて次を見に行く条件は増えている。
嫌な増え方ではある。
「ノア」
『はい』
「第二段は、次だ」
『了解。昇降塔第二段起動確認を次段階へ保留します』
「確認だけな」
『確認だけです』
「今度こそだぞ」
『記録しました』
ミナナが先に動き、低地の通路を少しだけ掃除した。レンは工具箱を持って、その後ろを歩く。背後で昇降塔第一段が低く鳴り続けている。
上がりたがっているように聞こえた。
たぶん違う。
たぶん。
レンは振り返らず、明るくなった低地を歩いた。
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