第147話 復旧艦骨格図
待機、という言葉は便利だった。
止まってはいない。だが、進んでもいない。少なくとも、レンがそう思いたい時には使える。工業層は低く鳴り、保守機群は通路を走り、精製炉は奥で熱を保っている。昇降塔第一段の根元には、補強リングと四本の大型構造材が置かれたままだ。
全部、待機中。
そういうことにしておきたかった。
だが、低地の壁面に出ている薄い図面は、待機していなかった。
「ノア」
『はい』
「あの図面、まだ出てる」
『作業支援表示です』
「作業してない」
『候補者の視認範囲に保持されています』
「候補者、余計なお世話が多いな」
レンは塩分ジェルの残りを工具箱に放り込んだ。まずかった。保存食もたぶんまずい。だが、腹は少し落ち着いている。悔しいが、作業者支援機能は役に立っていた。
ミナナは補強リングの横にいた。リングの縁を小さな腕で叩き、表面の白線を確認している。名前をつけたせいで、ただの保守機よりずっと目につく。レンが見ていると、白い点が一度だけこちらを向いた。
「ミナナ」
『ミナナ、待機中』
「呼んだだけ」
『了解』
返事までするようになった。いや、ノア・ガタが代わりに出しているだけかもしれない。どちらでも、もう遅い。名前はついてしまった。
低地の壁面で、薄い図面が一度だけ揺れた。
レンは目を細めた。
「今、動いた」
『上位設計図の展開準備です』
「準備するな」
『前回、ちゃんと出せと指示がありました』
「俺のせいにするな」
『発言記録があります』
「消して」
壁面の薄い線が、補強リングの図面から外へ伸びた。四本の大型構造材、その先にさらに線が足される。低地の壁を越え、床を越え、反対側の壁まで届く。まだ細い。だが、明らかに大きくなっている。
ログが出る。
――――――――――
[RESTORATION VESSEL FRAME]
候補設計:展開準備
用途:星系復旧
建造施設:月面工廠
地上側支援:地下都市工業層
責任者候補:黒瀬レン
――――――――――
「責任者候補を表示に入れるな」
『設計管理上、必要です』
「見たくない」
『非表示にしますか』
「設計は出せって言ったけど、俺の名前は消せ」
『候補者名のみ非表示にします』
名前の行が消えた。
それだけで少し楽になった。だが、図面そのものは消えない。むしろ名前が消えたぶん、線の方が目立つ。低地の壁いっぱいに、巨大な骨組みが広がっていく。
艦、という言葉がようやく形になり始めた。
先端はまだない。外装もない。推進器もない。あるのは骨だけだ。だが、骨だけでも大きい。補強リング一基が、その骨の中では小さな継ぎ目に過ぎないことが分かる。
レンは黙っていた。
ノア・ガタも、数秒だけ黙っていた。
その沈黙の間に、壁面の線はさらに伸びた。
「……でかいな」
『はい』
「これ、本当に艦?」
『星系復旧艦の候補骨格図です』
「戦艦じゃないんだよな」
『用途は復旧です』
「復旧でこの大きさか」
『星系規模のインフラ復旧を想定しています』
「星系規模って単語、口に出すな」
低地の壁に出た骨格図は、ただ巨大なだけではなかった。いくつもの層に分かれている。中央に太い背骨。その周囲に資材区画、工廠接続部、推進らしい構造、そしていくつかの空白。空白には、未確定と表示されている。
未確定が多い。
なのに、もう逃げ場がないくらい形がある。
ミナナが補強リングから降り、壁面の図面を見上げた。小さな白い点が、巨大な線の前で止まる。レンも同じように見上げていることに気づいて、少し嫌になった。
「俺とミナナ、同じ反応してるな」
『ミナナは図面を理解していません』
「じゃあ俺も理解してない」
『レンは概念的理解を開始しています』
「やめろ。理解したくない」
壁面に、縮尺表示が出た。
レンはすぐに目を逸らした。
「ノア。縮尺消して」
『確認しないのですか』
「確認したら後悔する」
『すでに表示済みです』
「見てない」
『視線追跡上、見ています』
「見てない」
ノア・ガタは黙った。珍しく追及してこなかった。たぶん、見たことにしたくない気持ちを学習したのだろう。嫌な学習だが、今回は助かる。
図面の一部が明るくなった。補強リングと大型構造材の場所だ。今、低地に置かれている部材が、骨格図のどこに対応するかを示している。
小さい。
とても小さい。
部品としては大きいのに、艦の中では小さい。
「ノア」
『はい』
「このリング、艦のどこ」
『地上側支援構造との互換点です』
「艦本体じゃない?」
『本体補助フレームと地上側昇降塔の共通規格です』
「つまり」
『昇降塔の部品として作ったものが、復旧艦補助フレームにも転用可能です』
「嫌なつまりだな」
レンは補強リングを見た。さっきまで、塔の第二段を支える部品だった。今もそうだ。だが、壁面の図面では、別の巨大な骨格の一部にもなっている。
一つの部品に、意味が二つある。
そういうのは、だいたい面倒だ。
――――――――――
[COMPATIBLE STRUCTURE]
昇降塔補強材:適合
大型構造材:適合
復旧艦補助フレーム:一部一致
月面工廠:本格照合待機
地上側支援:有効
――――――――――
「本格照合待機」
『はい』
「本格って何が必要」
『月面工廠の覚醒深度上昇。候補者権限の追加確認。地上側支援構造の第二段起動』
「三つとも嫌」
『必要条件です』
「必要になるな」
低地の空気が、またわずかに上へ流れた。昇降塔の通信柱が細く光り、壁面の骨格図へ同期する。月面工廠は、まだ微弱応答だけのはずだ。だが、図面はもうここにある。断片とはいえ、確かに来ている。
レンは工具箱の上に腰を下ろした。
立って見ていると、圧に負けそうだった。
「ノア。これ、今すぐ作る話じゃないよな」
『現時点では、候補設計の表示です』
「現時点では、禁止」
『候補設計の表示です』
「よし」
『ただし』
「続けるな」
『昇降塔第二段の起動により、地上側支援構造の照合が進みます』
「続けたな」
ミナナがレンの横まで来た。白い点で見上げてくる。何かを待っているように見える。たぶん、指示待ちだ。
「ミナナ。お前はどう思う」
『ミナナに意見機能はありません』
「じゃあ黙って見てて」
『了解』
ミナナはその場で止まった。素直だった。ノア・ガタより扱いやすいかもしれない。
壁面の骨格図は、さらに一段だけ細部を増やした。中央の背骨の横に、いくつかの区画名が出る。資材保持、修復材生成、広域通信、月面工廠接続。どれも、いま地下都市で動き始めた設備と似ていた。
「これ、地下都市と同じ機能が艦にもあるのか」
『はい。星系復旧艦は、移動可能な復旧拠点です』
「移動する地下都市みたいなもの?」
『簡略化すれば、その理解で近いです』
「最悪だな」
『復旧能力としては高いです』
「最悪の褒め方」
レンは壁面の図面を見た。地下都市を直していたら、その機能が艦の中にもあると分かった。工業層、精製炉、通信柱、月面工廠接続。いま起こしているものが、そのまま別の大きな構造へ繋がっている。
だから上位規格が合う。
だから補強材が艦の骨格にもなる。
だから月面工廠が返事をした。
理屈は分かる。
分かるのが嫌だ。
「ノア」
『はい』
「これ、帰るための道に近づいてるのか、遠ざかってるのか」
『判断不能です』
「そこは嘘でも近づいてるって言え」
『候補者の心理安定のため、近づいている可能性があります』
「雑な気遣い」
『改善します』
レンは少し笑った。笑うしかなかった。
壁面の骨格図が、そこで固定された。全体ではない。断片だ。だが、低地の壁をいっぱいに使った断片だった。補強リングと大型構造材が、そこに細く強調されている。
――――――――――
[RESTORATION VESSEL FRAME — PARTIAL]
表示:候補骨格図
範囲:部分
地上側支援構造:適合
昇降塔第二段:接続候補
月面工廠:本格照合待機
次段階:第二段起動条件確認
――――――――――
「次段階、第二段起動条件確認」
『はい』
「やっぱりそこに戻るか」
『はい』
レンは補強リングを見た。
リングは冷えている。
大型構造材も四方向に置かれている。
工業層は安定している。
候補者権限も、仮とはいえ通っている。
つまり、条件確認をすれば、次は第二段だ。
塔が、もう一段せり上がる。
そう考えると、怖いのと同じくらい、見たい気持ちがあった。
レンはその気持ちに気づいて、顔をしかめた。
「ノア」
『はい』
「俺、ちょっと見たいと思ってるな」
『好奇心ですか』
「たぶん」
『危険です』
「お前が言うな」
『危険ですが、復旧には有効です』
「もっと悪い」
ミナナが白い点を一度明滅させた。
同意に見えた。
たぶん、違う。
違うことにしておく。
「第二段の条件確認だけだ」
『了解』
「起動はしない」
『条件確認のみ』
「この流れで起動したら、本気で怒る」
『怒りを考慮します』
「考慮じゃ足りない」
昇降塔第一段が低く鳴った。
返事みたいだった。
レンは立ち上がった。
低地の壁には、星系復旧艦の骨格図がまだ広がっている。
工具箱の横では、まずい塩分ジェルが半分残っている。
ミナナは足元で待っている。
どれも現実だった。
「行くぞ」
レンが言うと、ミナナが先に動いた。
昇降塔第二段の条件確認へ向かって。
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