第146話 工業層効率暴走
補強リングは、思ったより静かに運ばれた。
第七保守ラインの天井アームがリングを持ち上げ、搬送台へ載せる。大型構造材四本はその後ろに並び、固定具に抱えられたまま低く滑っていく。ミナナは搬送台の横を歩いていた。登録したばかりなのに、もう自分の名前を知っているみたいに、レンが「ミナナ」と呼ぶと白い点を一度明滅させる。
レンはその反応を見なかったことにした。
「ノア。補強材搬送のみだよな」
『はい。補強材搬送です』
「接合なし。第二段起動なし」
『現時点では、接合なし。第二段起動なし』
「現時点ではを外せ」
『外せません』
「だろうな」
搬送台が動き出した瞬間、第七保守ラインの壁面が一斉に明るくなった。仮登録前より、線の太さが違う。生成槽の表示も、搬送路の灯りも、保守機群の動きも、全部少しずつ速い。
少しずつ。
だが、集まるとかなり違う。
採掘ラインの搬送音が安定し、精製炉の熱が細く整い、壁の配管を走る白い線が途切れなくなった。レンは搬送台の横を歩きながら、嫌な顔をした。
「これ、俺が仮登録したせい?」
『はい』
「聞きたくなかった」
『候補者権限により、工業層の待機制限が一部解除されました』
「一部でこれか」
『はい。一部です』
保守機群が増えていた。
さっきまで見えていたのは数台だった。今は壁際の格納部が開き、小型保守機が次々と出てくる。蜘蛛みたいな脚。丸い胴体。白い点。ミナナと同型だ。十台、二十台。もっといる。床の粉を吸うもの、配管を叩くもの、搬送台の前を走って障害物を避けるもの。いっせいに働き始めたせいで、通路の景色が変わった。
「増えすぎ」
『工業層保守機群、再配置中です』
「敵じゃないよな」
『候補者補助範囲内では敵対反応なし』
「候補者補助範囲外では?」
『未確認です』
「聞かなきゃよかった」
ログが開く。
――――――――――
[INDUSTRIAL LAYER OPTIMIZATION]
候補者権限:適用
保守機群:効率上昇
補強材:搬送開始
精製炉:処理安定
採掘ライン:搬送安定
工業層照明:復帰範囲拡大
――――――――――
「照明まで戻ってる」
『作業安全性の向上です』
「やることがまともだから困る」
『問題がありますか』
「便利すぎる」
搬送路に出ると、その便利さがはっきりした。さっきまで低かった天井の暗い通路は、壁の白線が明るくなり、床の歪みには仮プレートが敷かれていた。粉もほとんどない。M-7型の保守機が先回りして、搬送台の幅に合わせて横のケーブルを壁へ寄せている。
歩きやすい。
ものすごく歩きやすい。
レンは顔をしかめた。
「ノア」
『はい』
「歩きやすい」
『よいことです』
「そうなんだけどな」
補強リングが搬送路を通るたび、壁の奥で別の設備が反応する。電源が足りなかった場所へ電気が流れ、閉じていた小型ハッチが開き、古い換気孔から乾いた空気が出る。熱はあるが、不快ではない。作業者用に調整されている。
候補者権限。
その言葉が、いちいち効いている。
「これ、候補者だから作業環境を整えてる?」
『はい。候補者の作業継続性を優先しています』
「俺じゃなくても?」
『現地候補はレンのみです』
「じゃあ俺向けか」
『はい』
「重いな」
ミナナが足元で一度明滅した。
「お前も候補者補助?」
『ミナナは候補者補助モードです』
「名前で呼んだな」
『登録名です』
「……まあ、そうか」
ミナナは補強リングの搬送台へ戻った。小型保守機たちの中で、一台だけレンの近くへ戻ってくる。登録名があるだけで違って見える。違って見えるのが、ちょっと悔しい。
搬送路の途中で、壁の生成口からまた小さな白箱が出た。
「また保存食か?」
『作業者支援パックです』
「もう持ってる」
『今回は塩分補給用です』
「細かい」
『長時間作業により、発汗量が増加しています』
「監視が細かい」
『候補者の作業継続性を優先しています』
「さっき聞いた」
レンは白箱を受け取った。中には小さなジェルパックが二つ入っていた。片方に、塩分補給と表示されている。味はたぶん期待できない。だが、たぶん必要なのだろう。
「消費期限は」
『有効です』
「毎回そこだけ安心させるな」
ジェルパックを工具箱に押し込み、レンは搬送台を追った。
昇降塔第一段が近づいてくる。
低地の中央に立つ塔は、前より明るい。側面のスリットが白く、上端の通信柱は細く残っている。通信柱は月へ強く伸びてはいない。ただ、途切れてもいない。受信確認済みの細い線が、そこにある。
補強リングが塔の根元へ運び込まれると、塔が低く鳴った。
待っていたみたいな音だった。
「ノア」
『はい』
「今、塔が嬉しそうな音を出した」
『感情はありません』
「分かってる」
『補強材受領反応です』
「嬉しそうってことだろ」
『違います』
補強リングは塔の根元、第一段の外装の下側へ置かれた。接合ではない。置いただけ。だが、置いた瞬間、リングの表面を白い線が走る。塔の側面と、リングと、大型構造材四本が同時に反応した。
レンはすぐに言った。
「接合するな」
『接合しません』
「白線が走ったぞ」
『位置合わせです』
「位置合わせの音が大きい」
大型構造材四本が、リングの周囲に置かれていく。東西南北みたいに四方向。低地の床に沿って短く伸びる。今は短いが、図面上ではもっと長い。月面工廠から来た断片設計では、その先がさらに伸びていた。
レンは見ないようにした。
見ても消えないからだ。
――――――――――
[LIFT COLUMN REINFORCEMENT]
補強リング:受領
大型構造材:四方向配置
接合:未実施
昇降塔第二段:起動準備上昇
通信柱:微弱維持
――――――――――
「起動準備上昇」
『はい』
「接合してないのに」
『補強材の位置合わせにより、第二段の荷重計算が更新されました』
「計算するな」
『必要です』
塔の上端から、細い光が下りてきた。月からではない。塔自身の確認光だ。リングをなぞり、大型構造材を一本ずつなぞり、最後にレンの足元で止まった。
嫌な止まり方だった。
「今、俺のところで止まったよな」
『候補者位置確認です』
「確認するな」
『安全確保です』
「安全確保なら仕方ないな」
『はい』
「納得したみたいに返すな」
低地の外縁で、また照明が点いた。今度は広い。第七保守ラインへ向かう通路だけではない。採掘ライン側、精製炉側、昇降塔周囲の床。暗かった低地に、白い線が一気に広がる。
昨日まで、ここは沈んだ場所だった。
今は、作業場になっている。
レンはその変化を見て、喉の奥が少し詰まった。怖い。だが、それ以上に分かりやすい。暗い場所が明るくなり、使えない通路が通れるようになり、止まっていた機械が働いている。
自分がやった。
そう思うと重い。
でも、少しだけ悪くない。
「ノア」
『はい』
「これ、効率最適化っていつ終わる」
『初期最適化は完了間近です』
「次がある言い方」
『次段階は、補強材仮接続後です』
「仮接続しない」
『現時点では未実施です』
「現時点ではを外せって」
ミナナが大型構造材の一本に登り、表面を叩いた。こん、こん、と音が鳴る。別の保守機がそれを記録し、壁面に小さな数値を出す。強度確認らしい。工具も測定器も出していないのに、勝手に検査が進む。
「便利」
『はい』
「言うの二回目だけど、便利」
『はい』
「でも怖い」
『理解できません』
「だろうな」
ログが更新された。
――――――――――
[OPTIMIZATION RESULT]
工業層:低出力安定
保守機群:再配置完了
補強材:搬送完了
昇降塔第二段:起動準備七十二パーセント
月面工廠:接続維持
候補者補助:継続
――――――――――
「七十二」
『はい』
「半分超えてる」
『かなり超えています』
「余計な補足」
レンは補強リングの前に立った。接合していない。第二段も上がっていない。約束は守られている。だが、準備は七十二パーセントまで進んでいる。もう、材料が足りないという段階ではない。あとは権限と接続と、たぶん、レンの諦めだ。
低地の明かりが、また少し広がった。
遠くの壁に、薄い図面が出る。
すぐにレンは目を細めた。
「ノア。あれ、何」
『表示を確認中』
「艦っぽい線に見える」
『星系復旧艦補助フレームの断片表示です』
「非表示にしたよな」
『工業層最適化により、作業支援表示が再展開されました』
「再展開するな」
壁面の図面は、前より少し広い。まだ全体像ではない。だが、補強リングと大型構造材四本が、その巨大な線のどこに使われるのか、薄く示されている。
レンはしばらく黙って見た。
見たくない。
けれど、見えると分かる。
自分が作っているものが、塔だけで終わらないことが。
「ノア」
『はい』
「これ、次にどうなる」
『昇降塔第二段の起動条件が揃います』
「その次」
『上位設計図の展開が可能になります』
「艦の?」
『はい』
「見たくない」
『非表示にしますか』
「いや」
レンは壁面の薄い線を見たまま、息を吐いた。
「次に出るなら、ちゃんと出せ。半端に見える方が気持ち悪い」
『了解。上位設計図展開は、次回権限確認後に実施します』
「権限確認がまたあるのか」
『はい』
「聞かなきゃよかった」
ミナナが足元に戻ってきた。白い点が一度だけ明滅する。
補強リングは冷えている。
大型構造材は四方向に置かれている。
昇降塔第一段は、低く鳴っている。
低地は明るくなりすぎていた。
「ノア。今日はここで一回止める」
『停止ではなく、待機へ移行します』
「言い換えは大事だな」
『はい』
「皮肉だよ」
工業層の音は止まらない。
だが、暴れるような音ではなくなっている。働いている音だ。レンはそれを聞きながら、工具箱の横に腰を下ろした。塩分ジェルのパックを開ける。まずい。ちゃんとまずい。
「ノア」
『はい』
「これは消費期限より味を確認した方がいい」
『味覚評価は作業継続に不要です』
「だろうな」
ミナナが横で白い点を二度明滅させた。
笑われた気がした。
たぶん違う。
たぶん。
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