第144話 星系復旧艦規格
第七保守ラインに戻る途中、搬送路の脇から小さな箱が出てきた。
最初は工具箱かと思った。白い外装の薄い箱で、保守機M-7-03が前脚で押している。箱の上面には、古い文字とノア・ガタの翻訳が重なっていた。
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[WORKER SUPPLY PACK]
保存食:一食分
飲料水:一パック
状態:生成直後
消費期限:有効
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「またこれかよ」
『工業層の作業者支援機能です』
「頼んでない」
『長時間作業者への補給です』
「消費期限、有効って出てるけど」
『はい。切れていません』
「そこはありがたいな。ありがたいけど、今じゃない」
レンは箱を拾った。軽い。中には銀色のパックと透明な飲料パックが入っている。味は分からない。食べ物に見える。水にも見える。見えるだけでは信用しきれないが、ノア・ガタは平然としていた。
『毒性反応なし。栄養成分、最低基準を満たします』
「最低基準って言い方、食欲なくなるな」
『作業継続には有効です』
「はいはい」
レンは保存食を工具箱の脇に突っ込んだ。飲料水だけ開けて、少し飲む。味はない。冷たくもない。だが、喉を通った瞬間、思っていたより体が欲しがっていたことに気づいた。
「……水は悪くない」
『追加生成しますか』
「するな。荷物になる」
M-7-03が白い点を一度明滅させた。どこか得意げに見えた。たぶん違う。そういう顔はない。
第七保守ラインは、前より明るかった。月面工廠からの微弱応答を受けたせいで、壁の生成槽の表示が増えている。大型構造材の仮成形、昇降塔第二段補強、星系復旧規格。文字だけで胃が重い。さっき飲んだ水が、もう仕事をしていない気がした。
搬送台の奥では、精製炉から送られてきた素材が低い熱を持ったまま並んでいた。白磁複合材は薄い板状に固まり、高耐熱導材は黒い線材になっている。それぞれの先に、リング状の大型部材の図面が浮いていた。
「仮成形だけだぞ」
『はい。大型構造材、仮成形準備中』
「仮って、どの段階まで」
『形状保持前。材料を切り出し、構造材候補として並べます』
「組むなよ」
『組みません』
「信じるぞ」
『仮成形範囲では組みません』
「範囲外に逃げるな」
レンが搬送台に近づくと、壁面の表示が切り替わった。月面工廠から返ってきた断片設計が、昇降塔補強材の図面に重なる。最初はただの補強リングだったはずの部材に、外側へ伸びる骨格線が増える。細い線ではない。太く、長く、どう見ても塔の一部だけでは終わらない線だ。
ログが開く。
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[SYSTEM RESTORATION VESSEL]
参照規格:星系復旧艦
適用範囲:地下都市長期維持
昇降塔第二段:互換
大型構造材:補助フレーム候補
建造準備:第一段階未満
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「星系復旧艦」
『はい』
「艦って出た」
『表示されています』
「見れば分かる」
レンは壁面の線を見た。艦と呼ぶには、まだ断片すぎる。全体像はない。先端も後部もない。見えているのは、骨組みの一部だけだ。けれど、その断片だけで、第七保守ラインの壁いっぱいに広がっている。
昇降塔の補強材とは、桁が違う。
「これ、地下都市の部品じゃないだろ」
『地下都市長期維持に必要な上位構造材と互換します』
「互換って便利な言葉だな」
『便利です』
「お前が言うと腹立つ」
天井のアームが動き始めた。素材を掴み、搬送台の上へ並べる。白い板、黒い線材、灰色の結合材。どれも一つ一つは手で持てる大きさだ。だが、それらが図面の線に沿って並ぶと、途端に大きく見える。
M-7-03が搬送台の端を走り、素材の位置を調整した。脚は細いのに、動きは早い。たまに白い点がレンの方を見る。名前を待っているのか、ただ確認しているのか分からない。
「ミナナ」
『登録しますか』
「言ってみただけ」
『登録待機』
「待機圧が強いな」
搬送台の上に、最初の補強材が並んだ。まだ接合されていない。だが、形は分かる。昇降塔第二段の根元を支えるリング状部材。そこから外側へ伸びる四本の大型構造材。今は短い。だが、上位規格の線はその先をずっと遠くまで伸ばしている。
「これを作ると、第二段が上がる?」
『第二段起動準備が進みます』
「それだけ?」
『同時に、星系復旧艦補助フレーム規格との照合が進みます』
「余計な同時が多い」
精製炉が低く鳴った。
壁面の図面が一段明るくなる。月面工廠の応答光が、細い線として第七保守ラインの壁に降りる。すると、昇降塔補強材の横に、別の表示が開いた。
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[FRAME SCALE PREVIEW]
補助フレーム:断片表示
全体規模:未展開
地上側支援:地下都市工業層
上位建造:月面工廠
責任者権限:不足
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「責任者権限」
『はい』
「嫌な単語が来た」
『現在のレンは、現地復旧作業者です』
「それでいい」
『星系復旧艦規格の本照合には不足します』
「不足したままでいい」
レンは搬送台の端に手をついた。素材はまだ仮成形の途中だ。いまなら止められるかもしれない。だが、止めたところで、塔の第二段が止まる。工業層の安定も遅れる。精製炉の素材も劣化する。月面工廠は返事だけとはいえ、もう受信確認済みだ。
止めても、なかったことにはならない。
それが一番面倒だった。
「ノア。仮成形はどこまで進める」
『補強リング一基。大型構造材四本。接合なし』
「接合なし」
『はい』
「勝手に接合したら怒る」
『怒りは作業効率に影響しますか』
「俺のやる気に影響する」
『考慮します』
レンは少しだけ笑った。こういうところだけ、人間くさい返しをしてくる。いや、人間くさいというより、こちらの扱い方を覚えてきている。嫌な学習だ。
搬送台の素材が、順番に切り出されていく。白い板が弧を描くように削られ、黒い線材が中へ通され、灰色の結合材が端に塗られる。接合はしない。だが、置かれた位置だけで、すでに部品らしい。塔の第二段がこの上に乗るのだと、見て分かる。
分かってしまう。
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[STRUCTURAL MATERIAL MOCK FORM]
補強リング:仮成形
大型構造材:四本仮成形
接合:未実施
昇降塔第二段:起動準備進行
星系復旧艦規格:断片照合継続
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「仮なのに進んでる」
『はい』
「仮って何だ」
『正式接合前の状態です』
「気持ちの問題じゃないんだよ」
M-7-03が補強リングの縁を軽く叩いた。こん、と良い音がした。レンも思わず見た。軽い金属音ではない。中が詰まっている。これなら本当に、塔の上段を支えられるのかもしれない。
できてしまった。
それが困る。
困るのに、少しだけ気分が上がる。
低地の塔がもう一段上がる。地下都市が上へ伸びる。その先に、月面工廠がある。遠すぎる話なのに、目の前のリング一基から繋がっている。
「ノア」
『はい』
「これ、塔の部品だよな」
『はい』
「艦の部品じゃないよな」
『現時点では、昇降塔補強材です』
「現時点では」
『はい』
レンは補強リングを見た。
現時点では。
便利な言葉だ。だいたいあとで裏切る。
壁面の上位図面はまだ消えない。復旧艦補助フレームの線は、薄いまま残っている。補強リングの周りに重なり、いま作った部材が別の巨大な何かにも使えると、ずっと言い続けているみたいだった。
「消せないのか、この艦っぽい線」
『非表示は可能です』
「非表示にして」
『設計自体は保持されます』
「見えなきゃ少し楽」
壁面の線が消えた。昇降塔補強材の図面だけが残る。レンはそれを見て、少しだけ息をついた。
すぐに、別の表示が出た。
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[NEXT REQUIREMENT]
昇降塔第二段:補強材受領待機
起動条件:部分達成
不足:設計権限
候補処理:上位権限確認
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「消したら別の嫌な表示が出た」
『必要条件です』
「設計権限ってまた出たな」
『はい』
「月面工廠の次は何」
『権限確認です』
「誰の」
『現地復旧責任者候補』
レンは黙った。
ノア・ガタも、少しの間、何も言わなかった。
保守機群の音だけが部屋に残る。素材カプセルが流れ、精製炉が低く鳴り、搬送台の上で補強リングが白く冷えていく。飲みかけの水パックが工具箱の横で揺れた。
「今、候補って言った?」
『はい』
「俺のこと?」
『候補対象は一名です』
「聞きたくない」
『黒瀬レン』
聞きたくなかった。
レンは天井を見上げた。第七保守ラインの天井は低く、配管とアームだらけだ。空など見えない。だが、その先に昇降塔があり、さらにその上に見えない月がある。
そして、そのどこかから、権限確認が来ようとしている。
「ノア」
『はい』
「水、もう一本ある?」
『生成可能です』
「今度は頼む」
『了解。飲料水パックを一つ生成します』
搬送台の端から、また小さな白い箱が出てきた。
レンはそれを見て、少し笑った。
「こういう時だけ、ちょうどいいな」
『作業者支援機能です』
「作業者でいたいんだけどな」
白い箱の横で、補強リングが静かに冷えていた。
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