第142話 空へ伸びる通信
昇降塔第一段の灯りは、離れて見るとさらに目立った。
低地の中央からせり上がった灰白色の塔。その側面を走る白線は、第七保守ラインへ向かう前より太くなっている。第一段の途中で切れた塔は、相変わらず半端な形だ。だが、もう沈んでいた床の一部には見えない。低地の中央に立つ、明らかな縦軸だった。
レンはケースの中の通信安定化部品を確認し、塔の側面端末へ向かった。M-7-03は足元をついてくる。登録していない。名前もつけていない。なのに、もう完全に同行者みたいな顔をしている。顔はないが。
「ノア。交換したら、通信は安定するんだよな」
『はい。工業層通信は安定します』
「それ以外は」
『昇降塔第二段の起動準備が進みます』
「そこは進まなくていい」
『通信安定化により、進行可能になります』
「可能になると進むんだよな、ここ」
『はい』
レンは端末下のハッチを開けた。古い部品を外した場所は、まだ暗い。残った一本が補助に入っているが、光は弱い。新しい通信安定化部品を差し込むと、内部の黒線が白く走った。かちり、と短い音。次に、塔の側面が明るくなる。
反応は早かった。
塔の白線が下から上へ走る。第一段の外装を一周し、縦のスリットを灯し、さっきまで暗かった上端へ届く。そこで止まると思った。
止まらなかった。
白線は、切れた塔の上端から、空中へ少しだけ伸びた。
物理的な部品ではない。光だ。だが、まっすぐ上を向いている。低地の灰色の空気の中で、細い通信柱みたいな線が立ち上がった。
「ノア」
『はい』
「これ、塔の修理だよな」
『通信安定化処理です』
「なんで上に伸びる」
『上位施設照会が可能になりました』
「可能になっただけで照会するな」
塔の端末が鳴った。低い駆動音ではない。もっと細い、遠くへ信号を投げるような音だった。低地の天井近く、崩れた外縁の隙間を、白い線が薄く抜けていく。光は途中で消えず、灰色の上空へ細く伸びた。
ログが開く。
――――――――――
[UPPER FACILITY QUERY]
通信安定化部品:交換完了
工業層通信:安定
昇降塔第一段:通信柱展開
設計補正:照会中
上位施設:月面工廠
信号強度:微弱
――――――――――
「月面工廠」
『上位製造施設です』
「月面って、あの月面か」
『軌道上衛星体表面の工廠群を指します』
「言い換えてもでかい」
レンは低地の外縁を見上げた。空は見えない。ここは地下都市の低地だ。上には崩れた構造体と、有毒大気を遮る古い外殻がある。それでも、光は上へ伸びている。薄い。細い。いまにも途切れそうだ。だが、確かに上を向いている。
ただの通信だ。
ただの通信のはずだ。
「ノア。照会内容は」
『昇降塔第二段の補強材規格。大型構造材の上位設計。精製炉処理条件』
「全部、今すぐ要らない」
『大型規格への補正を停止するには、上位設計との照合が必要です』
「止めるために問い合わせたら、もっと大きいところへつながった」
『はい』
「嫌な構造」
M-7-03が塔の根元を回り、端末下の粉を吸い始めた。もう完全に仕事をしている。レンは止めなかった。止める理由もない。塔の通信柱は細く震え続けている。
低地の奥からも、音が返っていた。第七保守ライン、採掘ライン、精製炉。どれも低出力のはずなのに、いまは一本の流れになっている。素材を掘り、流し、精製し、部品を作り、塔へ戻す。その塔が、今度は空へ信号を投げている。
名前が多い。
音も多い。
そのくせ、全部がつながっている。
レンは塔の端末に手を置いた。
「信号、届くのか」
『不明です。月面工廠は休眠状態と推定』
「なら返事はない?」
『信号が届いた場合、自動応答の可能性があります』
「自動応答は、だいたい面倒なんだよな」
『経験則ですか』
「最近の実績」
塔の上端で、白い通信柱が一瞬だけ太くなった。レンの手の下で端末が熱を持つ。熱いほどではない。だが、確かに温度が上がっている。第七保守ラインから送られた補強材生成候補が、塔の中を通って上へ投げられている。
投げるな。
そう思ったが、もう遅い。
信号は出ている。
――――――――――
[DESIGN AUTHORITY CHECK]
大型構造材:上位照合中
昇降塔第二段:設計権限不足
地上側権限:限定
上位施設:月面工廠
応答待機
――――――――――
「設計権限不足」
『はい』
「俺、権限ないの?」
『現在は現地復旧作業者として認識されています』
「それで十分じゃない?」
『昇降塔第二段および大型構造材の正式生成には不足します』
「不足しなくていい」
塔が小さく揺れた。
レンは一歩下がった。塔そのものが動いたわけではない。内部の何かが切り替わった振動だ。上へ伸びていた白い通信柱が、細く分かれる。一本だった光が三本になる。中央の一本はそのまま上へ。左右の二本は、低地外縁に沿って伸びた。第七保守ラインと精製炉へ向かう線だ。
ノア・ガタの表示が増えた。
――――――――――
[VERTICAL LINK STABILIZATION]
昇降塔第一段:安定
工業層通信:安定
精製炉:低出力接続
上位照会:継続
通信柱:第一段展開
第二段:起動準備未完
――――――――――
「安定はした」
『はい』
「それは良い」
『はい』
「良いんだけど、通信柱が出た」
『はい』
「月に向かってる」
『はい』
「はいじゃない」
低地の空気がまた変わった。霧の流れが上へ吸われる。強くはない。だが、昇降塔の周りだけ、空気が縦に動いている。レンはそれを見て、ぞわっとした。低地はもう沈む場所ではない。上へ抜ける場所になりかけている。
その変化は、悪くない。
悪くないのが、一番困る。
「ノア。もし月面工廠が返事したら、何が起きる」
『上位設計が返送されます』
「設計だけ?」
『推定では、工業層および精製炉の生成規格が更新されます』
「また勝手に賢くなるやつだ」
『効率は上がります』
「怖さも上がる」
M-7-03がレンの靴先を軽く叩いた。見ると、端末下の粉が片づき、ハッチ周辺の配線も整えられている。小さいくせに、仕事が早い。
「お前、もうミナナでいいか」
『登録しますか』
「いや、今それどころじゃない」
『登録待機』
「待機しすぎ」
塔の通信柱が、もう一度太くなった。
今度は、低地全体が一瞬だけ暗くなった。第七保守ラインの灯りが落ち、採掘ラインの音が細くなる。精製炉の低い呼吸も、一拍だけ止まった。
次の瞬間、すべて戻る。
通信柱の先端だけが、白く残った。
『信号送出完了』
「送ったのか」
『はい』
「返事は」
『未受信』
レンは息を吐いた。少しだけ安心した。返事がないなら、今はここまでで済む。大型構造材も、第二段も、上位設計も、ひとまず保留だ。塔は安定した。通信部品も戻した。低地維持系統も前より強い。
今日は、十分に進んだ。
そう思った。
塔の先端で、白い点がまた光った。
小さい。
とても小さい。
だが、今度は上から来た光だった。
「……ノア」
『はい』
「今の、こっちからじゃないよな」
『外部応答を検出』
「どこから」
『照合中』
ノア・ガタの表示が一瞬乱れた。低地の壁、塔の側面、レンの視界に重なる小型表示。その全部に、同じ白い点が出る。遠い場所から返ってきた、たった一つの応答。
塔の端末に、新しいログが開いた。
――――――――――
[REMOTE RESPONSE DETECTED]
送信先:月面工廠
応答:微弱
内容:受信確認
設計照合:開始前
状態:休眠深度不明
――――――――――
「返ってきた」
『はい』
「月から?」
『推定、月面工廠です』
レンは、見えない空を見上げた。
低地の底から伸びた細い信号に、月が返事をした。
部品を交換しただけだった。
昇降塔を安定させたかっただけだった。
塔の端末には、まだ小さな白点が残っている。
「……返事、来たな」
『はい。微弱応答です』
「微弱でいい。強く来るな」
『応答強度、上昇傾向』
「だから強く来るなって」
白点が、もう一度だけ明滅した。
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