第138話 昇降塔内部
昇降塔の側面に浮いた白い線は、扉ではなかった。近づいてみると、外装の継ぎ目に沿って細い光が走っているだけで、取っ手も開閉部もない。だが、その線の中央に、手のひらほどの黒い板が露出していた。昨日まで床下に埋まっていた塔の内部端末。そう言われれば、そう見えなくもない。
レンは黒い板の前にしゃがみ、手袋の指先で表面の粉を払った。粉が落ちると、板の奥に白い点が三つ浮かぶ。点は上下にずれながら並び、しばらく迷うように明滅したあと、一本の線になった。
「これが内部端末?」
『はい。昇降塔第一段の保守端末です』
「内部って言うから、てっきり中に入るのかと思った」
『第一段は外部保守優先です』
「入らなくて済むなら助かる」
黒い板から、細い音がした。ぴ、とも、ち、ともつかない短い音。塔の内側で、古い機械がこちらを見つけたような音だった。レンがケーブルを差すと、ノア・ガタの表示が塔の外装へ広がる。白い線が縦に走り、塔の側面に小さな区画図が浮かび上がった。
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[LIFT COLUMN INTERIOR]
内部端末:起動
第一段外装:保持
工業層通信:接続準備
保守材生成系:待機解除前
昇降塔第二段:素材不足
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「まだ準備ばっかりだな」
『破損率が高いため、段階起動しています』
「段階的に面倒が増えてるだけでは」
『否定できません』
レンは少しだけ笑った。笑えたのは、今のところ塔がそれ以上せり上がっていないからだ。低地の霧はさっきより薄く、塔の周りだけ空気が乾いている。床下の振動も一定だ。危険な感じはない。危険な感じはないのに、ログはだいたい危険な方向へ進む。
黒い板に、さらに古い文字が浮いた。ノア・ガタの翻訳が追いつき、表示が重なる。
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[INDUSTRIAL LAYER HANDSHAKE]
工業層通信:接続要求
保守材生成系:待機解除
補強材生成系:待機解除
交換部品系:低出力待機
要求元:昇降塔第一段
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「待機解除って出た」
『はい』
「解除するとは言ってない」
『接続要求の応答として、工業層側が待機を解除しました』
「向こうが勝手に起きたってこと?」
『表現としては近いです』
塔の内側で、低い音が増えた。ごく小さな駆動音が、一本から三本になる。レンの足元を、細い震えが抜けた。低地の奥で、白い点がまた増える。さっきは壁面の裏に数個だった。それが今度は、横へ並んでいく。埋もれた通路の奥、崩れた設備の隙間、古い隔壁の線に沿って、遠い灯りが順番に目を覚ましていく。
レンは黒い板から手を離した。
「ノア」
『はい』
「これ、塔だけじゃないよな」
『工業層の一部が待機解除されました』
「一部でこれか」
『はい。一部です』
レンは低地の奥を見た。まだ見えない。だが、そこに何かがあるのは分かる。壁の向こうで、工場みたいなものが動き出している。いや、ノア・ガタは工場ではなく工業層と言った。つまり、単独の建物ではない。地下都市の中に広がる、生産と修理の層だ。
それが、昇降塔の端末一つで起きかけている。
「で、必要なのは何」
『昇降塔第二段の外装補強材。第一段内部軌道の再固定材。工業層通信の安定化部品』
「多い」
『最低限です』
「最低限の顔をしてない」
黒い板の白い線が、また明るくなった。
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[MAINTENANCE MATERIAL REQUEST]
昇降塔第二段:補強材不足
第一段内部軌道:再固定材不足
通信安定化:交換部品不足
製造候補:工業層第七保守ライン
素材搬入:未接続
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「第七保守ライン」
『工業層内の保守材生成ラインです』
「そこを起こせばいい?」
『起こす必要があります』
「言い方がもう決定事項なんだよ」
レンはケーブルを抜こうとして、やめた。抜いたところで、もう塔は一段せり上がっている。工業層も待機解除されている。ここで止めると、低地維持系統が不安定になる可能性がある。ノア・ガタがそう言わなくても、床下の振動が教えてくる。一定になったリズムが、まだ細い。支えが足りない音だ。
レンは息を吐いた。
「低地を安定させるために、塔を起こす。塔を安定させるために、工業層を起こす」
『はい』
「次は工業層を安定させるために、何を起こすんだ」
『現時点では不明です』
「現時点では、ね」
ノア・ガタは沈黙した。その沈黙が答えだった。
レンは黒い板の下側を見た。そこに小さなハッチがある。指をかける場所はないが、外装の隙間に工具を差し込むと、軽い抵抗のあとで開いた。中には細い筒状の部品が三本並んでいる。一本は割れ、一本は焼け、一本だけが辛うじて光っていた。
『通信安定化部品、損傷』
「これを交換すれば、工業層との通信が安定する?」
『はい』
「交換部品は」
『工業層第七保守ラインで生成可能です』
「鶏と卵みたいなこと言うな」
レンは割れた部品を外した。外した瞬間、塔の灯りが一段暗くなる。低地の奥の白い点も半分ほど落ちた。すぐに残った一本が補助に入り、灯りが戻る。生きているが、余裕はない。
レンは割れた部品を手のひらに載せた。軽い。白い陶器と金属の中間みたいな質感。こんなもの、手で削って作れるわけがない。
「これ、現地工作でどうにかなる?」
『不可』
「だよな」
『第七保守ラインの低出力起動を推奨』
「それしかないんだろ」
『はい』
塔の側面表示が変わった。
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[SEVENTH MAINTENANCE LINE]
位置:工業層外縁
経路:低地東側隔壁奥
状態:低出力待機
必要:初期電源/素材搬入
危険度:低
備考:保守機群、休眠中
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「保守機群」
『修理・搬送・清掃を行う小型機械群です』
「敵じゃない?」
『本来は違います』
「本来は、ってつけるな」
『現状態は未確認です』
レンは低地東側を見た。さっき灯りが並んだ方向だ。遠いが、見えないほどではない。霧も割れている。昨日までなら近づく気にもならなかった場所だが、今は白い線がそこへ向かっている。
また横へ歩くのか、と思った。
違う。
さっきまでの横探索とは違う。今度は、塔を上げるために工業層へつなぐ。低地の奥へ行くのではなく、地下都市の縦軸を支える部品を取りに行く。
理由が変わった。
それだけで、足の重さも少し変わる。
「行くか」
『第七保守ラインへ向かいますか』
「向かわないと塔が半端なままだろ」
『はい』
「半端な塔って、嫌すぎるな」
レンは工具を確認し、割れた通信安定化部品をケースへ入れた。塔の側面に浮いた白線はまだ消えない。内部端末の位置を示す線と、低地東側へ伸びる線。その二つが、同じ明るさで残っている。
低地の床が、また小さく鳴った。
今度は驚かなかった。
塔が返事をしている。
工業層が、それに返している。
レンは東側の隔壁へ歩き出した。
「ノア。第七保守ラインまでの経路を出して」
『表示します』
「できるだけ、起きるものは少なめで」
『努力します』
「努力じゃなくて」
『確約はできません』
「知ってた」
足元の白い線が、低地の奥へ伸びた。昨日まで沈んでいた床の上に、行き先が一本、はっきり出ている。塔の第一段は背後で低く鳴り続けていた。地下都市はもう、黙っていない。
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