第128話 B-2の下へ
E-03の補給ケースには、昨日開けなかった乾燥穀物系ブロックがまだ残っていた。
レンはそれを手に取り、外装を見た。薄い銀色の袋は少し曇っているが、破れてはいない。ノアの判定では成分劣化は許容範囲内。つまり、食べられる。おいしいとは一言も言っていない。
「これ、朝から食うものか」
『非常用として保持する予定でした』
「今日は非常か?」
『B-2接近は通常外活動です』
「便利な言い方だな」
レンは袋を開けた。中身は四角い固まりだった。色は薄い茶色。匂いはほとんどない。ひと口かじると、歯に乾いた粉がまとわりついた。穀物というより、古い棚の味がする。
「水」
『水パックを併用してください』
「言われなくても飲む」
ぬるい水で流し込む。腹に入る感じはある。味はない。だが、B-2へ向かう前に腹を空にしておくよりはましだった。ガタは横で充電ステーションに接続している。E-03の低出力では満充電には遠いが、出発前の数分でも意味はあるらしい。
『充電残量、遠征可能範囲です』
「遠征ってほど遠いか?」
『基地基準では遠征です』
『E-03基準では接近行動です』
「基準が変わると、言い方も変わるんだな」
『はい。E-03は起点として機能しています』
その言葉は、少しよかった。
E-03が起点として機能している。昨日、沈降帯を越えた時にも感じたことだ。基地から外へ出ているのではない。E-03からさらに外へ出る。その一段が、レンたちの行動範囲を確かに広げていた。
ノアの表示がE-03端末に出る。
[B-2 APPROACH CHECK]
――――――――――
起点:E-03外部仮拠点
浅い沈降帯:低速通過線登録済
目的:B-2基部到達
停止条件:地盤沈下/通信低下/ガタ駆動負荷急上昇/B-2構造崩落兆候
携行:水パック/補修テープ/固定バンド/簡易給電線
――――――――――
「今日はB-2の下まで」
『はい。上部への接近は行いません』
「分かってる。下を見る」
『下部基盤の状態確認が主目的です』
『排砂が必要になる可能性があります』
「ガタ」
『対応可能です』
「早いな」
『砂は敵です』
ガタの返事は妙に強かった。
レンは袋に残った乾燥ブロックを見た。あと半分。食べたくはない。だが、ノアが何か言う前に口へ入れた。水で流す。これでいい。食事というより、出発前の燃料補給だ。
浅い沈降帯までは、昨日のルートを使った。E-03の地形監視塔が短く照射し、足場の白い点が視界の端に出る。昨日より怖くはない。だが、楽でもない。灰色の地面は足を置くたびに少し沈み、ガタの車輪は低い音を立てた。
レンは急がなかった。昨日と同じように左寄りへ三歩、中央を避け、右の硬化部へ逃げる。ガタはカバー側を外縁へ向け、少し遅れてついてくる。途中で一度止まり、水を飲んだ。水はぬるく、乾燥ブロックの粉っぽさが喉の奥で戻ってきた。
『水分摂取、良好』
「良好ってほど飲んでない」
『昨日よりは良好です』
「低い比較だな」
『改善です』
沈降帯を越えると、B-2の影が昨日より大きく見えた。
近づくにつれて、観測柱の形がはっきりしてくる。細い柱ではなかった。細く見えていただけだ。基部は思ったより広く、砂に半分埋まっている。上部は斜めに傾き、途中の外装が剥がれていた。風に削られた金属片が、柱の根元で薄く鳴っている。
「でかいな」
『観測柱B-2候補、外形照合一致率八十一パーセント』
「候補のままか」
『基部端末確認まで確定しません』
「慎重だな」
『倒壊構造物です』
ノアの声が少し硬い。たしかに、B-2は生きている施設というより、まだ倒れていない残骸に近かった。上部が斜めに傾き、基部の片側は砂に飲まれている。近づくほど、金属の軋みが聞こえる気がした。
レンは立ち止まり、B-2全体を見上げた。
空は白い。風は乾いている。観測柱の影だけが、地面に細長く落ちていた。その影の端が、浅い沈降帯の灰色と重なる。
[B-2 EXTERIOR SCAN]
――――――――――
外形:観測柱B系列一致
上部:傾斜
外装:損傷大
基部:砂詰まり
露出端末:未確認
構造安定:要監視
――――――――――
「上は無理だな」
『はい。上部観測機能は使用不可と見ます』
「下は?」
『基部に低出力系統が残っている可能性があります』
「じゃあ、下を見る」
ガタが先に動きかけた。
「待て」
『砂があります』
「あるな」
『排砂します』
「まだ端末の位置も見てない」
『砂があります』
「お前、砂を見ると早いな」
ガタは少しだけ止まった。止まったというより、我慢しているように見える。車輪が小さく左右に揺れている。
レンはB-2の基部を回り込んだ。足元は硬い。沈降帯よりは歩きやすいが、金属片と砂が混じっていて滑る。基部の北側は完全に埋もれている。東側は外装が剥がれ、内部の配線らしきものが見えた。だが、断線している。西側に回ると、砂の下から四角い端末の角が出ていた。
「これか」
『可能性があります。接触前に周辺砂を除去してください』
『排砂します』
「はいはい。出番だ」
ガタが前へ出た。
車輪を固定し、小さなアームを下げる。先端の板が砂を押し、基部の周りへ寄せていく。ざり、ざり、と乾いた音がした。派手な作業ではない。だが、確実に端末の輪郭が出てくる。レンは横で補修テープと固定バンドを確認しながら、崩れそうな外装片を手で押さえた。
砂をどけるたび、B-2の下から古い金属の匂いが上がる。
熱ではない。
湿気でもない。
長く閉じていた機械の、乾いた匂いだ。
『排砂量、想定より多いです』
「まだいけるか」
『いけます』
『ガタ駆動負荷、上昇中』
「ガタ、休むか」
『砂が残っています』
「休むかって聞いてる」
『十秒停止します』
ガタはしぶしぶアームを上げた。車輪も止まる。レンはその間に水を飲んだ。口の中にまだ乾燥ブロックの粉っぽさが残っている。B-2の基部を見ながら飲むぬるい水は、うまいとは言えない。でも、飲まないと頭が鈍る。
『レンも休憩してください』
「してる」
『立ったままです』
「座ると立ちたくなくなる」
『理解できますが、推奨しません』
「理解するんだ」
『はい』
レンは少しだけ笑った。
十秒後、ガタは何も言われなくても排砂を再開した。端末の表面が出る。四角い板。端の方に古い表示窓。中央には、指を置くような浅いくぼみがある。上には細かい砂が残っていた。
レンは手袋で砂を払った。
表示窓が一瞬だけ、薄く光った。
「ノア」
『反応あり。低出力残存の可能性』
「生きてるのか」
『生きている、という表現は避けます。下部系統に微弱残量があります』
「十分だ」
レンは端末の横を探った。接続口がある。半分砂に埋まり、片側が歪んでいる。簡易給電線をそのまま挿すには危うい。無理に入れれば折れる。
『接続口、損傷』
「見れば分かる」
『上部観測は不可。下部中継の可能性あり』
「B-2を目として使うのは?」
『現時点では不明。ただし、下部基盤の応答が取れれば、E-04遮断点の側面データ取得に使える可能性があります』
「じゃあ、ここが足がかりか」
レンは端末のくぼみに手を置いた。
冷たい。
だが、完全に死んだ金属の冷たさではない。奥に、ほんの少しだけ反応がある。基地やE-03とは違う。眠っているというより、砂の下で電源を落としきれずに残っていた感じだ。
表示窓がもう一度、薄く光る。
[B-2 BASE CONTACT]
――――――――――
基部端末:露出
残存出力:微弱
上部観測:不可
下部中継:可能性あり
接続口:損傷
砂詰まり:継続除去必要
――――――――――
「B-2、到達」
『はい。観測柱B-2候補を、B-2として仮確定します』
「仮か」
『正式登録には、基部応答の取得が必要です』
「相変わらず厳しい」
『構造物が相手です』
ガタが横で砂を押しながら言った。
『砂も相手です』
「お前はそっち担当な」
レンはB-2の基部に背を向け、少しだけ周囲を見た。ここまで来た。E-03から出て、浅い沈降帯を越え、B-2の下へ。上は使えない。柱は傾いている。端末は砂に埋まっていた。それでも、下部には微弱な反応が残っている。
完全な拠点ではない。
だが、次の目になりうる。
その時、端末の表示窓の端に、短い光が走った。
白でも青でもない。
見た瞬間、胸の奥が少しだけ反応する。
レンは手を止めた。
『未分類反応』
「……出たか」
『一瞬です。個人鍵類似とはまだ判定できません』
「MIOか」
『表示されていません』
「そうか」
名前は出ていない。
通信もない。
ただ、B-2基部の奥で、あの反応に似たものが一瞬だけ揺れた。
レンは端末から手を離した。
「今日は開かない」
『はい』
「まずB-2の下部を確かめる」
『妥当です』
ガタが砂を押す音だけが、しばらく続いた。
B-2の上部は沈黙したまま、白い空に斜めに立っている。足元では、砂に埋もれていた端末が少しずつ姿を見せていた。壊れかけの観測柱。微弱な下部系統。E-04へ向かうための、まだ細い足がかり。
レンは水を一口飲み、ぬるさを飲み込んだ。
ここから先は、慌てる場所ではない。
B-2の下に、まだ使えるものが残っている。
それだけで、今日ここまで来た意味はあった。
「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。




