CROSSOVER 6 prelude / MIO 届かない名前
E-03の登録後、基地の外縁地図は少しだけ広がった。
中央卓の表示には、基地、第五タグ、E-03外部仮拠点、観測柱B-2候補が並んでいる。E-04遮断点はまだ灰色のままだ。北側外縁ルートも、線とは呼べないほど細い。
それでも、ただの空白ではない。
レンは中央卓の前で、B-2接近計画を開いていた。
[B-2 APPROACH STATUS]
――――――――――
起点:E-03外部仮拠点
目的:観測柱B-2接近確認
主目的:E-04迂回判断
副目的:未分類反応再取得
停止条件:沈降反応/通信低下/駆動負荷急上昇/生体ログ急変
――――――――――
「条件は揃ってる」
『はい。E-03を起点にすれば、B-2候補への接近は計画可能です。帰還余裕も、前回より安定しています』
『車輪カバーは二枚まで許容範囲です』
「一枚って言っただろ」
『一枚は装着済みです。もう一枚は予備です』
「そういう数え方をするな」
『必要物資です』
ガタは整備室側で、後部ラックを少しずつ調整していた。金属の小さな音が、中央卓まで届く。かちゃ、かちゃ、と予備バンドが揺れるたび、ガタの車輪がわずかに向きを変えた。
外へ出る準備が、基地の中に増えている。
それはいいことのはずだった。
だが、レンの目は外縁地図の端へ戻る。
観測柱B-2候補。
その近くに、未分類反応の小さな印が残っている。
個人識別系の断片。
相互鍵に似たもの。
通信ではない。
記憶でもない。
そう分類された、よく分からない光。
「ノア。未分類反応、もう一度」
『表示します』
中央卓の端に、細い波形が出る。前に見た時と同じだ。短く、薄く、途中で途切れている。送電ノイズでも、地形データでも、搬送機IDでもない。
[UNCLASSIFIED TRACE]
――――――――――
検出地点:観測柱B-2候補周辺
波形:短時間/単発
既知系統:不一致
個人識別系:類似
相互鍵:類似
通信:不成立
――――――――――
「相互鍵」
『はい。個人単位の認証鍵、または待機中の相互鍵に近い特徴があります』
「待機中ってことは、相手がいるのか」
『判定できません。相手側識別子、通信路、応答先、いずれも未確認です』
「つまり、何も分からない」
『分かっていないことは増えました』
レンは息を吐いた。
「それ、嫌な増え方だな」
『ですが、前進に必要です。不明点が地図上に置かれたことで、監視対象にできます』
「ノアは前向きだな」
『危険を分解して、行ける形にしています』
その言い方に、レンは少しだけ笑った。
以前なら、非推奨だの、停止条件だの、そういう言葉ばかりが先に立っていた気がする。今も条件は多い。だが、ノアの説明は止めるためではなく、進むために組み直されている。
レンは未分類波形をもう一段拡大した。
細い線が、中央卓の上で震える。
その瞬間、胸の奥が小さく詰まった。
痛みではない。
息が止まるほどでもない。
ただ、名前を呼ばれる直前みたいに、体だけが先に反応する。
『レン、生体ログに微細変動』
「分かってる」
『停止しますか』
「まだいい。続けて」
波形の端に、短い光が混じる。
白に近い。
けれど、基地の白ではない。ノアの表示の白でも、警告灯の白でもない。もっとやわらかく、少し湿った石みたいな光だった。
レンは眉を寄せた。
「今の、何だ」
『再解析します』
中央卓の表示が一度暗くなる。外縁地図の上に、別の層が重なった。見たことのない線だ。地図ではない。電力系統でもない。施設配線でもない。
細い白い筋。
その周りに、三つの小さな点がある。
[TRACE CROSS-COMPARE]
――――――――――
既知基地系統:不一致
外縁施設系統:不一致
地形監視塔系統:不一致
個人鍵類似:上昇
外部参照:未確立
――――――――――
「三つの点……」
『レンの視覚ログにも同形状の認識が発生しています』
「俺が見てるからだろ」
『表示前に、生体ログが反応しています。順序が逆です』
「順序が逆?」
レンは中央卓に手を置いた。
冷たい金属が、手のひらに触れる。
三つの点。
細い白い筋。
そして、その奥に何かがある。
名前に届かない。
だが、ただの機械反応ではない。
胸の奥がまた狭くなる。
「……ミオ」
声に出したあとで、レンは自分で固まった。
ガタの金属音が止まる。
ノアも一拍、応答しなかった。
『レン』
「今、俺、何て言った」
『音声記録では、ミオ、と発話しています』
「誰だ」
『現時点で、基地内登録人物、外部施設ID、既知端末名、いずれにも一致しません』
「なのに、出た」
『はい』
レンは口元を押さえた。
名前だけが出た。
顔はない。
声もない。
記憶も、まだ形にならない。
だが、喉がその名前を知っていた。
いや、喉だけではない。胸の奥が、先に知っていた。
『心拍上昇。呼吸間隔に乱れがあります』
「大丈夫」
『座ってください』
「まだ」
『座ってください。作業継続は可能ですが、姿勢安定を優先します』
レンは言い返しかけて、やめた。
中央卓の椅子に座る。背中を預けると、思ったより肩に力が入っていたことに気づいた。指先も少し冷えている。
ガタが整備室の入口から、ゆっくり出てくる。
『倒れますか』
「倒れない」
『では、倒れないでください』
「雑だな」
『搬送能力が不足しています』
レンは短く笑った。
笑ったせいで、少し息が戻る。
ノアが表示を整理した。
[PERSONAL KEY RESPONSE]
――――――――――
発話:ミオ
登録照合:該当なし
未分類反応:同期
通信:未成立
記憶:断片未満
処理:保留推奨
――――――――――
「保留推奨」
『はい。現時点で深層解析を行うと、生体ログへの負荷が増える可能性があります』
「でも、これ、重要だろ」
『重要です。だからこそ、保留が適切です』
「ノアが止める側に戻った」
『違います。壊さずに進めるための保持です』
レンは黙った。
壊さずに進める。
その言葉は、未分類反応より少しだけ分かりやすかった。
レンは中央卓の表示を見る。三つの白い点は、もう薄くなっている。細い筋も、地図の上に完全には残っていない。代わりに、観測柱B-2候補の近くで、小さな印だけが点滅している。
そこへ行けば、もう一度取れるかもしれない。
だが、今ここで無理に追うものではない。
「ミオって名前、記録するな」
『記録済みです』
「早い」
『音声ログです』
「消せ」
『消去は推奨しません。未分類反応との同期があるため、保持が必要です』
「……じゃあ、見えないところに置いといてくれ」
『了解。通常表示からは外し、保留ログへ移します』
中央卓から名前が消える。
消えたのに、レンの胸の奥には残っている。
厄介だ。
知らないはずの名前なのに、消したくないと思っている。
レンは額に手を当てた。
「ノア。これは、俺の記憶なのか」
『判定できません。ですが、完全な外部ノイズとして扱うには、生体反応が強すぎます』
「じゃあ、誰かから来たものか」
『通信路は未成立です』
「じゃあ、何なんだよ」
『分かりません』
ノアの返答は短かった。
無理に説明を足さない。
その方が、今は助かった。
ガタが中央卓の足元で止まる。車輪の向きが少し斜めになっていた。
『レン』
「何だ」
『不明なら、現場で確認します』
「現場ってB-2か」
『はい。未分類反応の再取得地点です』
「ガタにしては前向きだな」
『ただし、倒れない、急がない、車輪カバーを増やす。この三条件です』
「最後だけお前の都合だろ」
『三条件です』
レンは少し息を吐いた。
B-2へ行く理由が、ひとつ増えた。
E-04迂回確認。
地形監視。
未分類反応の再取得。
そして、ミオという名前。
だが、それを目的の一番上には置かない。置いたら、たぶん足元が乱れる。
[B-2 APPROACH UPDATE]
――――――――――
主目的:E-04迂回判断
副目的:未分類反応再取得
追加監視:個人鍵類似反応
生体条件:急変時停止
保留語:通常表示外
――――――――――
「保留語って、雑な名前だな」
『表示外にするため、簡略化しました』
「まあいい」
レンは立ち上がろうとして、少しだけ待った。
足元は安定している。
息も戻っている。
それでも、すぐに動かない方がいいと分かった。体の奥がまだ、さっきの名前を確かめている。
ミオ。
口には出さない。
出すと、また何かが動きそうだった。
「今日は、B-2へは出ない」
『妥当です。行動計画を維持し、準備日に変更します』
『車輪カバーは』
「一枚だけ」
『二枚』
「一枚」
『では一枚と、固定バンドを増やします』
「交渉するな」
ガタの車輪が小さく鳴った。
ノアが中央卓の外縁地図を整理する。E-03の点、B-2候補、E-04遮断点、未分類反応。それらが静かに並ぶ。
さっきの白い筋は、もう見えない。
三つの点も消えている。
けれど、レンの中には、名前だけが残っていた。
誰かの顔も、声も、まだ戻らない。
ただ、その名前を無理に掘り返してはいけないことだけは分かる。
深層解析をかければ、何か出るかもしれない。
でも、今はしない。
レンは中央卓の縁に手を置いた。
「保留でいい」
『はい』
「消すわけじゃない」
『保持します』
「追わない」
『現時点では』
「現時点では、だな」
ノアは短く応答した。
『はい』
基地の外では、風が砂を運んでいる。外縁地図の先には、E-03があり、そのさらに先にB-2候補がある。
そこへ行く。
ただし、準備してから。
名前に引っ張られるためではなく、足元を見ながら進むために。
レンは中央卓を離れ、整備室へ向かった。
ガタが後ろからついてくる。
『車輪カバー』
「一枚」
『一枚半』
「半分って何だ」
『固定バンドです』
「それはカバーじゃない」
『では一枚と固定バンド』
「最初からそう言え」
いつものやり取りが戻る。
それでも、胸の奥に残った名前は消えない。
ミオ。
まだ届かない。
けれど、どこかにいる。
そう感じたことを、レンは否定しなかった。
おかげさまであと2日で連載1ヶ月です。たくさんの応援ありがとうございます。
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