第124話 次の柱へ向かう準備
E-03は、もう地図の端の薄い点ではなくなっていた。
基地の中央卓に表示された外縁地図の中で、E-03は小さな四角い拠点表示になっている。基地から伸びる帰還線。第五タグ。旧管理道路跡。E-03入口区画。そこから北側外縁ルートへ続く細い候補線。
その先に、観測柱B-2があった。
まだ行っていない場所だ。
だが、もう完全な空白ではない。
[OUTER OPERATION MAP]
――――――――――
基地:運用中
外部仮拠点:E-03
E-03機能:入口区画/受電点/充電ステーション/送電調整室/地形監視塔
次候補:観測柱B-2
目的:E-04遮断点迂回確認
――――――――――
「Bブロックの締め……じゃなくて、外部運用の区切りだな」
『はい。現時点の外部行動成果を整理します』
「今の言い方で頼む」
『了解。外部運用の現在成果を整理します』
ノアの返答を聞いて、レンは小さく息を吐いた。頭の中で妙な管理用語が混ざりかけた。疲れているのかもしれない。
だが、中央卓の地図ははっきりしている。
E-03まで、外へ出られる。
E-03で、短く休める。
ガタを補助充電できる。
地面を見られる。
次に向かう柱が見えている。
それだけで、数日前とは外の意味が違っていた。
ガタは整備室の入口で、荷物の確認をしていた。車輪カバー一枚、予備固定バンド、小型ブラシ、補助セル、短いケーブル。必要物資、と本人が言い張るものが、いつの間にか後部ラックへきれいに並んでいる。
「増えてないか」
『増やしていません。整理しました』
「これは?」
『予備固定バンドです』
「前より一本多い」
『一本は誤差です』
「誤差で重くなる」
『不安も軽くなります』
「妙なこと言うな」
ガタは少しだけ車輪を回した。
『外で止まるより、一本重い方がましです』
「……それはそうだな」
『承認されました』
「一本だけだ」
『一本だけです』
レンはそれ以上言わなかった。
E-03ができても、外は安全になったわけではない。沈降帯もある。砂もある。通信も細い。観測柱B-2に近づけば、未分類ノイズが再発する可能性もある。
だから、準備は必要だった。
ただ、準備の意味は変わっていた。
怖いから止まる準備ではない。
進むために、戻れる条件をそろえる準備だ。
ノアが中央卓に一覧を出した。
[E-03 FIELD CACHE]
――――――――――
入口区画:短時間休息可
受電点:定期清掃で低出力維持
充電ステーション:ガタ補助充電可
送電調整室:限定稼働
地形監視塔:短時間スキャン可
保管候補:予備セル/固定バンド/清掃具/簡易食料
――――――――――
「E-03に置いていく物を決める」
『はい。B-2接近時、基地から全装備を運ぶより、E-03に軽量な補給を置く方が効率的です』
「予備セル、固定バンド、清掃具。水と栄養パック少し」
『妥当です。外部仮拠点としての初期備蓄になります』
『私用のブラシも置いてください』
「共用だ」
『共用なら使えます』
「そういうところは素直だな」
レンは備蓄用の小型ケースを取り出した。中身は少ない。予備セル二つ、固定バンド、絶縁テープ、清掃ブラシ、短いケーブル、栄養パック、水パック。基地から見れば、ただの小さな箱だ。
だが、外で見るなら違う。
E-03に置けば、そこは少しだけ拠点になる。
レンはケースの蓋を閉めた。
かち、と小さな音がした。
「これをE-03に置く」
『はい。E-03外部仮拠点の初期備蓄として登録します』
[OUTPOST SUPPLY]
――――――――――
配置先:E-03入口区画
予備セル:二
固定バンド:三
清掃具:一式
短ケーブル:二
食料/水:短時間分
用途:B-2接近前補給/帰還時回復
――――――――――
その日の外は、風が弱かった。
レンはガタと一緒にE-03へ向かった。すぐにB-2へ進むわけではない。今日は備蓄を置き、帰還線を確認し、E-03から北側外縁ルートの入口を目で見るだけだ。
それでも、足取りは前より軽かった。
軽く感じるだけで、荷物は重い。小型ケースが背中で揺れる。工具袋の金具が腰に当たる。マスクの内側はすぐ熱くなる。
だが、地図にE-03がある。
戻れる場所が途中にある。
それは体の動きにも出ていた。
『右前方、砂深めです。左の石を踏んでください』
「了解」
『今日は指示が通ります』
「いつも通ってるだろ」
『たまに勢いで進みます』
「否定できないな」
E-03に着くと、受電点カバーは前より安定していた。下部の排砂部に砂はたまっているが、詰まってはいない。レンは金属片を引き抜いて砂を落とし、固定を確認した。
入口区画へ入る。
風の音が遠くなる。
右壁の退避位置に、小型ケースを置いた。壁に固定バンドで留める。ケースの蓋に、手書きで「E-03」と書く。きれいな字ではない。少し斜めになった。
『字が傾いています』
「読めればいい」
『読めます。少し落ち着きません』
「お前が読む用じゃない」
『私も読みます』
レンはそのままケースを叩いた。
軽い音が入口区画に響いた。
外に、物を置いた。
次のために。
それだけのことなのに、胸の奥に妙な実感が残った。
E-03は、もう通過点ではない。
戻る場所であり、置いておける場所になった。
[OUTPOST SUPPLY REGISTER]
――――――――――
E-03初期備蓄:配置完了
入口区画:補給点登録
帰還時使用:可能
B-2接近前使用:可能
外部仮拠点状態:安定
――――――――――
「補給点登録」
『はい。E-03は外部仮拠点として、待機、補助充電、地形確認、短時間補給の四機能を持ちます』
「四機能」
『外部行動の中継点として十分です』
『砂床評価は低いですが、拠点としては認めます』
「ガタ認定も出たな」
『はい。砂以外は認めます』
ガタは待機ラインの内側で停止した。
レンは入口区画から外を見た。
北側外縁ルートの入口は、E-03から少し離れた岩盤の端にある。目で見ると、ただの荒れた地面だ。だが端末を重ねると、そこに薄い線が出る。
旧管理道路から外れる地点。
浅い砂。
小さな岩の列。
その先に、観測柱B-2候補。
まだ遠い。
だが、行けない距離ではない。
「ノア、B-2接近計画を確定」
『確認します。起点、E-03外部仮拠点。目的地、観測柱B-2候補。主目的、E-04迂回確認。副目的、未分類反応再取得。帰還点、E-03。停止条件、沈降反応、通信低下、駆動負荷急上昇、未分類ノイズ増幅、レン生体ログ急変』
「確定してくれ」
『了解。B-2接近計画を確定します』
[NEXT FIELD PLAN]
――――――――――
起点:E-03外部仮拠点
目的地:観測柱B-2候補
主目的:E-04迂回確認
副目的:未分類反応再取得
帰還点:E-03
計画状態:確定
――――――――――
計画状態、確定。
その表示を見て、レンは一度だけ目を閉じた。
外に出るたび、何かを拾ってきた。搬送口。受電点。入口区画。充電ステーション。送電調整室。地形監視塔。外縁地図。未分類ノイズ。
拾ったものが、ようやく次の道になった。
E-03からB-2へ。
B-2からE-04へ。
まだその先は見えない。
でも、進む順番は決まった。
ガタが静かに言った。
『次は、ここから出発できます』
「そうだな」
『基地からではなく、E-03から』
「それが大きい」
『はい。車輪にも大きいです』
「最後はそこか」
『そこも大きいです』
レンは少し笑った。
その時、端末の端で小さな光が瞬いた。
地図ではない。
受電値でもない。
観測柱B-2候補の近くに置いた、未分類反応の印が一度だけ揺れた。
ほんの一瞬。
鍵穴のような形に見えた。
「ノア」
『検出しています。未分類反応、再表示。通信ではありません。応答でもありません』
「じゃあ何だ」
『個人識別系断片の再発に近い反応です。強度は微弱。持続時間、一秒未満』
「俺の生体ログは」
『心拍、わずかに上昇。停止条件には達していません』
レンは端末を握り直した。
胸の奥が、また少し狭くなる。
痛くはない。
苦しくもない。
ただ、誰かの名前を思い出す前のような、変な空白があった。
「……また出たか」
『はい』
『戻りますか』
「いや。今日はここまでの確認で終わりだ。計画は確定した」
『了解』
ガタは何も言わなかった。
珍しく、本当に何も言わなかった。
レンはE-03の入口から、北側の地面を見た。灰色の砂。浅い岩場。遠くの低い起伏。その向こうに、まだ見えない観測柱B-2がある。
そして、その周辺に、誰のものとも分からない鍵が一度だけ瞬いた。
基地の外に、戻れる場所ができた。
その先に、次へ進むための柱が見えている。
レンは端末をしまい、E-03の壁に手を置いた。
冷たい金属だった。
だが、ただの廃墟の冷たさではなかった。
ここから先へ行ける。
そう思える冷たさだった。
「帰るぞ。次はB-2だ」
『了解。帰還線、維持されています』
『車輪状態、問題ありません』
ガタが入口区画からゆっくり動き出した。
レンはもう一度だけ、北側外縁ルートを見た。
B-2へ向かう線は、細い。
だが、消えていない。
E-03の仮拠点表示も、消えていない。
レンは灰色の外へ踏み出した。
章の前半で手に入れたものは、派手な勝利ではなかった。
外で休める場所。
外で充電できる場所。
外の地面を見る目。
次へ向かう線。
それだけだ。
でも、それだけあれば、次の一歩は踏める。
E-03の入口灯が、背後で小さく点いた。
レンは振り返らずに、帰還線をたどった。
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