第123話 分類できない鍵
観測柱B-2への接近計画は、翌朝には形になっていた。
レンは中央卓に、E-03からB-2までの仮ルートを出していた。E-03外部仮拠点を起点に、北側外縁ルートへ出る。旧管理道路を外れ、浅い亀裂帯を確認し、観測柱B-2へ近づく。まだ実行ではない。今日は、計画とノイズの再解析だ。
外へ出る前に、分類できないものを少しでも減らしておきたかった。
[B-2 APPROACH PLAN]
――――――――――
起点:E-03外部仮拠点
目的地:観測柱B-2候補
前進条件:路面候補確認/帰還線維持/補助充電完了
停止条件:沈降反応/通信低下/駆動負荷急上昇/未分類ノイズ増幅
目的:E-04迂回確認/未分類反応再取得
――――――――――
「未分類ノイズが増えたら止まる」
『はい。B-2候補周辺で再検出される可能性があります。接近時の監視対象に含めます』
「危険かどうかは分からない」
『分かりません。ただし、既知の施設タグ、地形データ、送電ノイズ、搬送ログとは一致しません』
『車輪には関係しますか』
『現時点では不明です』
『では、関係した時点で教えてください』
「そこは俺にも教えてくれ」
ガタは車輪カバーを一枚だけ増やしていた。本当に一枚だけだったので、レンは何も言わなかった。代わりに、工具袋の重さを測る。B-2へ行くなら、持ち物を減らす必要がある。外部仮拠点で補給できるものはE-03に置く。基地から全部背負っていく必要はない。
それも、E-03ができたから変わったことだった。
レンは中央卓の未分類ノイズを開いた。
波形は短い。前回のスキャン終端で一度だけ入っている。線は細く、途中で途切れている。だが、消えずに残っていた。
[UNCLASSIFIED TRACE]
――――――――――
検出地点:観測柱B-2候補周辺
検出時間:地形スキャン終端
波形:短時間/単発
既知系統:不一致
再取得:接近時
――――――――――
「もう少し絞れるか」
『試みます。地形監視塔の生データ、E-03管理ログ、基地側生体記録を照合します』
「生体記録?」
『レンの外部行動時の生体ログです。未分類ノイズ検出時に、心拍と呼吸の微細変動があります』
「俺?」
『はい。異常値ではありません。ですが、完全な偶然とも断定できません』
レンは眉を寄せた。
心拍と呼吸。
あの時、何かを感じた覚えはない。送電調整室で地図を見て、沈降帯を確認し、B-2候補が出た。その終端で、ノイズが混じった。
胸が詰まったか。
思い出そうとしても、はっきりしなかった。
「疲れてただけじゃないのか」
『その可能性はあります。外部作業後であり、粉塵環境、緊張、疲労の影響も考えられます』
「なら、それでいい」
『ただし、ノイズ波形は個人識別系の断片に近い特徴を持ちます』
「個人識別系?」
『施設権限、装備タグ、搬送機IDとは違います。個人単位の認証鍵、または待機中の相互鍵に似ています』
「相互鍵……」
言葉が、なぜか耳に残った。
相互鍵。
誰かと誰かの間で使うもの。
レンは中央卓に手をついた。冷たい金属の感触が、手のひらに伝わる。頭の中で、何かが引っかかった。
名前にはならない。
映像にもならない。
ただ、胸の奥だけが、少し狭くなった。
『レン、心拍上昇』
「分かってる」
『停止しますか』
「いや。続けてくれ」
『了解。ただし、無理に追わないでください』
ノアの声は、いつもより少し低かった。
レンは息を吐いた。
「ノア、これが通信なら、相手がいるってことか」
『通信とは判定していません。現時点では、通信路も応答先も確認できません』
「じゃあ、記憶か」
『記憶とも判定していません。外部データと生体記録の一時的な同期に近い反応です』
「分からないってことだな」
『はい。ですが、重要度は上げます』
ガタが車輪を小さく動かした。
『重要度が上がるなら、停止条件にも残してください』
「残す」
『レンの反応も条件に入れますか』
「いらない」
『いります』
「いらない」
『外部で胸が詰まって倒れたら、私の車輪では運べません』
「倒れない」
『倒れる前提ではなく、倒れないための条件です』
レンは言い返そうとして、やめた。
ガタの言い方は雑だが、間違ってはいない。
「……心拍が跳ねたら、一度止まる」
『登録します』
「大げさにするな」
『外部作業条件です。大げさではありません』
ノアが条件を追加した。
[B-2 FIELD CONDITIONS UPDATE]
――――――――――
停止条件:沈降反応/通信低下/駆動負荷急上昇/未分類ノイズ増幅
追加確認:レン生体ログ急変時、一時停止
未分類反応:個人識別系断片の可能性
扱い:監視対象
――――――――――
「個人識別系断片の可能性、か」
『はい。確定ではありません』
「確定じゃないなら、深く考えない」
『それで構いません。接近時に再取得できれば、分類精度が上がります』
「再取得できなかったら」
『その場合は、単発の不明反応として残します』
レンは椅子に座った。
中央卓の地図には、E-03、北側外縁ルート、観測柱B-2候補、E-04遮断点が並んでいる。その端に、未分類反応の小さな印がある。
小さな印だ。
だが、目がそこへ戻る。
なぜか、放っておきにくい。
レンは胸の中央を、服の上から軽く押さえた。痛いわけではない。ただ、そこに小さな空白があるような気がした。
空白。
外の地図にあった黒い空白とは違う。
自分の中にある、名前のない空白。
『レン』
「何だ」
『作業を続けますか』
「続ける。今日は計画を終わらせる」
レンは姿勢を戻した。
未分類ノイズの正体は分からない。個人識別系かもしれない。相互鍵かもしれない。通信ではなく、記憶でもない。なら、今ここで考え込んでも進まない。
B-2へ行く。
そこで地形を確認する。
ノイズが出るなら、取る。
止まる条件も決めた。
それで十分だ。
[NEXT FIELD OBJECTIVE]
――――――――――
目的地:観測柱B-2候補
起点:E-03外部仮拠点
主目的:E-04迂回確認
副目的:未分類反応再取得
追加条件:生体ログ急変時、一時停止
準備状態:計画確定前
――――――――――
「計画確定前」
『はい。残る確認は、E-03での補給配置と帰還余裕の計算です』
「そこまでやる」
『了解』
ガタが少しだけ前に出た。
『車輪カバーは一枚増やします』
「もう増やしてるだろ」
『正式申告です』
「却下しない」
『承認されました』
レンは苦笑した。
いつものやり取りが戻ってきた。胸の奥の狭さも、少しだけ薄くなる。
だが、消えたわけではない。
未分類ノイズの小さな印は、中央卓の端で残っている。
誰のものとも分からない鍵。
そう思った瞬間、レンは自分で眉をしかめた。
鍵。
なぜ、その言葉が浮かんだのか分からなかった。
ノアは何も言わなかった。
ガタも、車輪を止めていた。
中央卓の地図だけが、静かに光っている。
E-03の先に、観測柱B-2。
その周辺に、小さな未分類反応。
レンは端末を閉じた。
次は、そこへ行く。
「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。




