第12話 壊れたローバーを走らせる
旧格納庫の扉は、半分だけ開いていた。
正確には、開いているというより、閉まりきらないまま固まっていた。厚い金属扉の下に赤い砂が入りこみ、床のレールを噛んでいる。隙間は、人ひとりが横向きで通れるかどうか。
レンはヘルメットを片手に、扉の前で止まった。
「ここを通るのか」
『推奨通路です』
「推奨の意味をあとで話し合おう」
レンは工具ベルトを押さえ、体を横にした。肩が金属の縁に当たる。ぎ、と嫌な音がして、スーツの外装に傷が入った。
「今の、気密は」
『外層擦過。気密層に損傷なし』
「先に言ってくれ」
『損傷していません』
「そういうことじゃない」
言いながら、レンは格納庫の中へ体をねじ込んだ。
中は暗かった。
天井の非常灯が、三つに一つだけ生きている。赤い光が床を細く照らし、奥に眠る機材の輪郭を浮かび上がらせていた。古いオイルの臭いと、乾いた砂の臭い。どこかで金属板が冷えて、ぱき、と小さく鳴った。
格納庫の中央に、それはあった。
小型作業ローバー。
四輪。低い車体。前部に工具アームが一本。後部には荷台。色は元が白だったらしいが、今は砂と錆でくすんでいる。右前輪は少し傾き、左後輪は半分砂に埋まっていた。
レンは近づいて、車体を軽く叩いた。
こん。
思ったより軽い音だった。
「これ、本当に走るのか」
『現状態での自走可能性、二十一パーセント』
「数字を聞くたびにやる気が削れる」
『修理後推定、四十三パーセント』
「まだ低い」
『徒歩より高いです』
「比較対象が悪すぎる」
レンはローバーの横に膝をつき、車体下部をのぞき込んだ。
配線は何本も切れている。バッテリーパックは膨らみ、冷却フィンには砂が詰まっている。右前輪のサスペンションは固着。左後輪は軸が動かない。
動かない理由は山ほどあった。
動く理由は、まだ見つからない。
端末を車体側面の古いポートへつなぐ。
画面に、ひどく眠そうなログが出た。
[UTILITY ROVER-03]
――――――――――
状態:長期休眠
主電源:低下
補助電源:死亡
右前輪:固着
左後輪:回転不能
ナビゲーション:応答なし
手動操縦:可能性あり
――――――――――
「可能性あり、か」
『最も前向きな項目です』
「ひどい励ましだな」
レンは工具箱を開いた。
まずは砂だ。
冷却フィンに詰まった砂を細いブラシで掻き出す。ざり、ざり、と乾いた音が続く。指先がすぐ痛くなる。グローブ越しでも、金属の角が硬い。
次にバッテリーパック。
膨らんだ主パックは使えない。無理に通電したら焼ける。レンは後部の補助工具ラックから、まだ形を保っている小型電源を二つ見つけた。一つは完全に死んでいた。もう一つは、端子が焼けているが、中身は残っている。
「ノア、これ使えるか」
『短時間なら使用可能。ただし、規格が一致しません』
「変換すれば」
『推奨しません』
「推奨しないは、可能って意味だな」
『危険という意味です』
「似たようなものだ」
似ていない、とノアが言う前に、レンは電源パックを外した。
手持ちのケーブルでは足りない。壁際の古い充電スタンドから、被覆の残ったケーブルを切り出す。銅線の状態は悪い。だが、今は新品を選べる場所ではなかった。
レンは膝を床につけたまま、ケーブルを剥き、端子を合わせ、絶縁材を巻いた。
汗が額を流れる。
格納庫は冷えているのに、スーツの中は蒸れる。呼吸音がヘルメットの内側でこもった。
『作業姿勢の継続により、右膝への負荷が上昇しています』
「膝より時間を見ろ」
『落下予測まで、七時間二十一分』
「見すぎだ」
レンはバッテリーを仮固定し、通電スイッチに指を置いた。
「行くぞ」
『過電流時は即時遮断します』
「頼む」
スイッチを入れる。
ローバーの車体奥で、低い音がした。
う……ん。
すぐに、ばち、と青白い火花が散る。
「切れ!」
『遮断済み』
レンは手を引っ込めた。指先が少ししびれている。
焦げた臭いが新しく増えた。
「失敗か」
『完全失敗ではありません。主制御ユニットは起動しかけました』
「起動しかけただけで火花を出すな」
『古い機体です』
「言い訳が機械側に甘い」
原因は、変換端子の片側だった。
レンは焼けた部分を切り落とし、ケーブルを一本減らす。出力は落ちる。だが、燃えるよりましだ。
二回目。
スイッチを入れる。
今度は火花が出なかった。
車体の奥で、冷却ファンがひとつ回り出す。
きゅる、きゅる、きゅる。
音が悪い。
でも回っている。
[UTILITY ROVER-03]
――――――――――
主制御:最低起動
電源:仮接続
冷却:不安定
右前輪:固着
左後輪:回転不能
操縦系:手動のみ
――――――――――
「起きた」
『起動です。稼働とは別です』
「そこを分けるな」
次は車輪だった。
右前輪は砂と錆で固まっている。レンは潤滑材を探したが、まともな缶は見つからなかった。代わりに、工具アーム用の古い作動液が少しだけ残っていた。
「これ、いけるか」
『本来用途とは異なります』
「聞き飽きた」
『腐食抑制効果は限定的です』
「回ればいい」
作動液を少しだけ軸へ垂らす。
レンはタイヤを両手でつかみ、体重をかけた。
動かない。
もう一度。
ぎ。
少し鳴った。
さらに力を入れる。肩に痛みが走る。歯を食いしばって、タイヤを押し込むように回す。
ぎぎ。
固まっていた軸が、わずかに動いた。
「動け」
『過負荷です』
「今言うな」
レンは足を踏ん張り、もう一度押した。
「動けっ!」
がこん。
固着していた右前輪が、一気に半回転した。
レンは勢いで床に尻をついた。
「痛っ」
『右前輪、回転反応あり』
「知ってる。俺も回りかけた」
右前輪は動いた。
ただし、きれいには回らない。引っかかる。レンはもう一度タイヤを蹴った。ぎ、と鳴って、半回転した。
「……まあ、死んではない」
『右前輪、低速回転可能』
「それでいい」
左後輪はもっと厄介だった。
軸の奥に砂が入り、ブレーキが噛んでいる。レンは車体をジャッキで少し持ち上げ、タイヤを外しかけた。ナットが一本だけ、どうしても外れない。
工具が滑る。
指を打つ。
「……っ」
声にならない息だけが出た。
『指先の損傷を確認』
「骨は」
『折れていません』
「なら続ける」
レンは工具を握り直した。
滑るなら、滑らないようにすればいい。布を巻き、柄を延長し、体重をかける。
ナットが鳴った。
ぎ、と嫌な音。
次に、ぱきん。
外れた。
反動でレンの肘が車体に当たる。
「今日はあちこち当たるな」
『作業環境が狭いためです』
「分かってる」
左後輪の中から、固まった砂と金属片が出てきた。ひどい量だった。レンは無言で掻き出す。途中で小さな虫の殻のようなものまで出てきた。
レンは数秒見た。
「……これは見なかったことにする」
『記録します』
「するな」
『衛生リスク評価のため必要です』
「じゃあ小さく記録しろ」
ブレーキを外し、軸を清掃し、タイヤを戻す。
もう一度、ローバーを通電。
車輪を試験回転。
右前輪がぎこちなく回る。
左後輪も遅れて回る。
四輪全部が、どうにか動いた。
[DRIVE TEST]
――――――――――
右前輪:低速回転
左前輪:正常範囲
右後輪:正常範囲
左後輪:低速回転
走行安定性:低
推奨:低速運用
――――――――――
「低速なら走る」
『走行と呼べるかは微妙です』
「動けば走行だ」
レンは運転席へ乗り込んだ。
座席は硬い。背もたれは破れている。操縦桿は片方だけ曲がっていた。足元には砂がたまっている。端末を操縦系へ接続すると、さらにひどい表示が出た。
[MANUAL CONTROL]
――――――――――
自動ナビ:死亡
姿勢補正:停止
ブレーキ補助:不安定
操縦桿入力:遅延あり
安全停止:一部不能
――――――――――
「安全停止が一部不能って、だめだろ」
『はい』
「そこは否定してくれ」
『事実です』
レンは操縦桿を握った。
手のひらに、古い樹脂のざらつきが伝わる。
「少しだけ前に出す」
『少しだけ、の定義を』
「十センチ」
『了解』
レンはペダルを軽く踏んだ。
ローバーが、がくんと前へ跳ねた。
「十センチ!」
『入力遅延と駆動偏差』
「止めろ!」
ローバーは思ったより速く前に出た。
格納庫の床を、がたがた揺れながら進む。右前輪が引っかかり、車体が斜めになる。正面には工具棚。
レンはブレーキを踏んだ。
効かない。
「ノア!」
『補助停止を実行』
反応が遅い。
工具棚が近づく。
レンは操縦桿を左に倒し、体ごと力をかけた。
「曲がれ!」
ローバーの車体が横へ滑った。
左後輪が砂に乗り上げる。がこん、と跳ねる。工具棚の角が目前をかすめ、ぶら下がっていた金属フックがヘルメットを叩いた。
かん。
「痛い!」
『外傷なし』
「音が痛い!」
ローバーは工具棚の横を抜け、そのまま格納庫の奥へ突っ込んだ。
正面に、閉じた搬出口。
レンはもう一度ブレーキを踏む。今度は左足でも踏む。意味があるかは分からない。
ノアの声が重なる。
『主電源遮断まで三、二――』
「今!」
レンは非常停止レバーを引いた。
がつん。
車体が止まった。
搬出口まで、手のひら二枚分くらい。
レンは操縦席で固まっていた。
呼吸が荒い。
額から汗が落ちて、目に入りかけた。
『停止を確認』
「……走ったな」
『制御されていませんでした』
「走ったことにしろ」
『記録上は、暴走です』
「初走行だ」
ノアは数秒黙った。
『初走行です』
「よし」
レンは操縦席の上で、ゆっくり息を吐いた。
車体はひどい。ブレーキは遅い。入力も遅い。右へ寄る。左後輪も怪しい。安全停止は信用できない。
でも、動いた。
徒歩では届かない場所へ行ける。
旧気象観測ステーションへ向かう足が、できた。
レンは運転席から降り、車体の前へ回った。搬出口にぶつかる寸前で止まったローバーを見て、少しだけ笑った。
「名前いるな」
『識別名はUTILITY ROVER-03です』
「呼びにくい」
『短縮名、UR-03』
「もっと呼びにくい」
レンは車体の錆びた側面を叩いた。
「ガタでいいか」
『機体識別名を“ガタ”に変更しますか』
「いや、正式にはやめろ」
『では非公式呼称として記録します』
「それも記録するのか」
『はい』
まあいい。
ガタは、見た目どおりがたがただった。
レンは搬出口の制御盤へ向かった。扉は手動で半分開けるしかない。外には赤い砂。遠くには気象観測ステーション。空からはリングの欠片。
端末が鳴る。
[MISSION UPDATE]
――――――――――
小型作業ローバー:仮復旧
走行安定性:低
推奨速度:徒歩以下
目的地:旧気象観測ステーション
落下予測まで:六時間五十八分
――――――――――
「徒歩以下って何だ」
『安全速度です』
「乗る意味」
『荷物を運べます』
「人も運べ」
『努力します』
「お前が努力するのか」
レンは工具と予備電源を荷台に積んだ。牽引ワイヤ、予備酸素、簡易パッチ、ケーブル束。積むたびに、ローバーのサスペンションが嫌な音を立てる。
「重いか」
『許容範囲内です』
「本当だな」
『範囲の下限に近いです』
「言い方」
レンは最後にヘルメットをかぶった。
視界の端に、外部環境の簡易表示が出る。酸素、気圧、砂塵密度、スーツ気密。全部が安全とは言いがたい。だが、赤一色ではない。
それだけで、出る理由になる。
搬出口が、ぎぎ、と上がった。
赤い砂が格納庫の床へ流れこむ。
外の光が、細く入ってきた。
レンはローバーの操縦席に座り、操縦桿を握った。
『外部移動を開始しますか』
「ああ」
ローバーのファンが、きゅるきゅると鳴る。
車体が前へ少し震えた。
レンはペダルを踏む前に、操縦桿を握り直した。
「今度は十センチからだ」
『了解。十センチです』
ガタは、がくん、と動いた。
また二十センチくらい進んだ。
レンは少しだけ黙った。
「……まあ、誤差だ」
『百パーセントの誤差です』
「出発だ」
赤い砂の上へ、壊れかけのローバーが進み出た。
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