第11話 リングの欠片が落ちてくる
第二章開始します。
観測語:MIO。
レンはその一行を、もう一度だけ見た。
端末の端に保存されたログは、ただの文字列としてそこに残っている。同期率、通信不可、映像断片消失。ノアの判定どおりなら、確定した情報はほとんどない。
それでも、レンの指は表示の上で止まっていた。
『作業停止時間、二十七秒』
「数えるな」
『生体反応の変化が大きいため、記録対象です』
「余計な親切だな」
『親切ではありません。監視です』
言い返す気力が少し削れた。
レンは息を吐き、ログを閉じた。金属床に片膝をついたまま、焼けたパネルの奥へ視線を戻す。さっきまで手を入れていた配線束は、まだぬるく熱を持っていた。焦げた被覆の臭いが残っている。換気は戻ったが、完全には抜けきっていない。
ミオ。
声に出しかけて、やめた。
今は、目の前の配線だ。
レンはプローブを差し込み直し、折れた端子を一本ずつ逃がしていく。端末の小さな画面に、赤い警告が並んだ。
[LOCAL POWER PANEL]
――――――――――
補助配電:不安定
冷却ファン:復旧済
通信塔補助線:低出力稼働
外部観測:断続
軌道リング信号:微弱受信中
――――――――――
「軌道リング、まだ拾ってるのか」
『第九周期以降、信号強度が微増しています』
「第九周期って言われても分からん」
『あなたの主観時間で、およそ三時間前です』
「最初からそう言ってくれ」
ノアは沈黙した。
たぶん、必要な情報は出したつもりなのだろう。悪気はない。ないのが少し面倒だった。
レンは端子を固定し、配電パネルのカバーを仮止めした。ネジは一本足りない。探せばあるかもしれないが、今は見ないことにした。
『外部観測に異常値』
「またか」
『軌道リング断片の姿勢変化を検出。地表への降下軌道に入りつつあります』
「降下って、落ちてくるってことか」
『はい』
端末の画面が切り替わった。
粗い地形図が出る。拠点を示す白点。その北東に、細い円弧。さらに上空から斜めに落ちる赤い線。
[ORBITAL DEBRIS TRACK]
――――――――――
対象:軌道リング断片
質量推定:不明
熱反応:低
姿勢制御:喪失
落下予測範囲:拠点北東域
重要施設:旧気象観測ステーション
――――――――――
レンは画面をにらんだ。
「拠点に落ちるのか」
『現時点の予測では、直撃可能性は低。ただし、落下に伴う衝撃波と砂塵上昇により、拠点の生命維持外気取入口が損傷する可能性があります』
「低い、可能性があります、損傷する可能性があります。嫌な言い方を重ねるな」
『不確定要素が多いためです』
「要するに、まずいんだな」
『はい』
短く返されると、それはそれで腹が立った。
レンは立ち上がり、壁の補助手すりにつかまった。足元が少しふらつく。さっきのCROSS-LINKのせいか、単に寝不足か、水を飲んでいないせいか。たぶん全部だ。
床の端に置いた水容器を拾い、少しだけ飲んだ。ぬるい。だが飲める。
まずい。けれど、文句を言うほど残っていない。
「旧気象観測ステーションって何だ」
『この拠点の外部環境を補助監視していた施設です。砂嵐、降下物、地表温度、帯電粒子を観測していました』
「生きてるのか」
『休眠状態です』
「死んでない、くらいか」
『近似的には』
レンは地図を見る。
拠点から北東。距離は三百八十メートルほど。通信塔より少し遠い。地形図の上では近い。実際には、壊れた道路、赤い砂、外にいる制御喪失機、呼吸用の残量、戻る体力が全部絡む。
近い、だけでは済まない。
『旧気象観測ステーションの観測核を最低出力で起動できれば、軌道リング断片の落下予測精度を上げられます』
「行けってことだな」
『推奨は、外部移動手段を確保した後の現地確認です』
「外部移動手段」
『徒歩移動は非推奨。現地到達前に砂塵密度上昇の可能性があります』
「じゃあ、何で行けって?」
『旧格納庫に小型作業ローバーが一台残存しています』
「それを先に言え」
ノアはまた少し沈黙した。
『現在のローバー稼働可能性は二十一パーセントです』
「だめじゃないか」
『修理により上昇可能です』
「どこまで」
『推定四十三パーセント』
「まだだめじゃないか」
レンは工具箱を蹴りそうになって、やめた。足が痛いだけだ。
代わりに、床の上に散らばっていた端子を拾って工具箱へ放り込む。ひとつ外れた。もう一度拾うのが面倒で、数秒だけ見なかったことにした。
『拾わないのですか』
「あとで拾う」
『現在、拾う動作に必要な時間は二秒未満です』
「今は気分の問題だ」
レンは結局、端子を拾った。
負けた気がした。
外部モニターがちらついた。ノイズの奥に、赤茶けた空が映る。砂が横へ流れていた。遠くの地平線に、折れた塔の影がある。通信塔とは別の、もっと太く短い構造物。
その上空で、ほんの一瞬、細い光が走った。
流星のようなものではない。もっと鈍く、重い。夜空ではなく、昼の濁った空に、白い傷のような線が引かれた。
『軌道リング断片、降下速度上昇』
「猶予は」
『現時点で、落下予測まで七時間四十二分』
「短いな」
『修理、移動、観測核起動、予測補正を考慮すると、余裕はありません』
「余裕があったことあるか」
『確認中』
「確認しなくていい」
レンは端末の地図を拡大した。
拠点。旧格納庫。北東の気象観測ステーション。さらにその先に、落下予測範囲。赤い楕円がじわじわ広がっている。
ここに来てから、ずっと目の前の設備だけを見ていた。
空気。水。食料。電力。通信塔。
ひとつ直すたびに、次の足りないものが見えた。
今度は、空から落ちてくる。
「ノア。旧格納庫までのルートを出せ」
『了解。安全性は低いです』
「分かってる」
『外部活動準備が必要です。酸素残量、簡易スーツ気密、工具、予備電源、牽引ワイヤ』
「あとローバーが本当に動くか」
『動かす必要があります』
端末に新しいログが出た。
[MISSION ROUTE]
――――――――――
目的:旧格納庫確認
優先対象:小型作業ローバー
次段階:旧気象観測ステーション到達
制限時間:七時間四十二分
警告:軌道リング断片降下中
――――――――――
レンは表示を数秒見た。
MIOのログは、もう画面にはない。
でも、頭の奥には残っている。
青い空。白い輪。透明な板を持つ少女の後ろ姿。
レンは工具ベルトを腰に回し、バックルを締めた。少し強く引きすぎて、腹に食い込んだ。
「……痛い」
『調整を推奨』
「分かってる」
レンはベルトを少し緩めた。
それから、外部用の簡易スーツを手に取る。まだ補修跡だらけで、膝のところに古いシール材が盛り上がっている。頼りない。けれど、これしかない。
『レン』
「何だ」
『CROSS-LINKログは保存されています』
「今それを言うのか」
『あなたの注意が断続的に逸れています』
「……助かる」
少しだけ間が空いた。
『今の発言は、皮肉ですか』
「半分」
『残り半分は』
「本当に助かった」
ノアは返答しなかった。
赤い警告灯が、またひとつ点滅した。今度は消えない。
レンはヘルメットを抱え、旧格納庫へ続く通路を見た。
空から、リングの欠片が落ちてくる。
外へ出る足は、まだない。
なら、まず足を作るしかない。
「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。




