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第13話 砂嵐の前に、観測塔へ


 ガタは、名前のとおりにがたがただった。


 赤い砂の上へ出た瞬間、右前輪が小さく跳ねた。車体が斜めに揺れ、荷台の工具箱がごん、と鳴る。レンは反射で操縦桿を握り直した。


「今のは何だ」

『路面段差です』

「段差っていうか、地面が信用できない」

『外部地表の信用性は低いです』

「そういう評価値あるのか」

『ありません。あなたの表現に合わせました』

「合わせなくていい」


 ヘルメットの内側で、レンの呼吸音がこもる。


 外の空気は薄く、赤い砂が流れている。空は青くない。薄い黄土色で、遠くへ行くほど地平線がぼやけた。拠点の外壁は後ろで低く沈み、旧気象観測ステーションは北東に黒い影として立っている。


 距離、三百八十メートル。


 数字だけなら短い。


 実際には、遠かった。


[EXTERNAL ROUTE]

――――――――――

目的地:旧気象観測ステーション

推定距離:三百八十メートル

砂塵密度:上昇中

視界:低下傾向

推奨速度:低速

――――――――――


「低速しか出ない」

『安全です』

「安全じゃなくて、性能だ」


 ガタはきゅるきゅると鳴きながら進んだ。


 進んだ、というより、どうにか前へずれている。右に寄る。戻す。左後輪が遅れて、車体が尻を振る。レンはペダルを踏む足を何度も緩めた。


 拠点から離れるにつれて、音が変わった。


 施設内では、ファンの唸りや配管の振動がいつも聞こえていた。外にはそれがない。かわりに、砂がスーツをこする音がずっと続く。さあ、さあ、と細かい音。ときどき大きめの砂粒がヘルメットに当たり、ぱち、と乾いた音を立てた。


『右方向、旧道路跡』

「見えない」

『地表下反射で検出』

「目には何もないぞ」


 レンはノアの表示を信じて、操縦桿を少し右へ倒した。


 ガタが遅れて曲がる。


 曲がりすぎる。


「そこまで曲がるな」

『入力遅延と駆動偏差です』

「分かってる。毎回言われると腹立つ」


 車体が古い道路跡へ乗った。


 砂の下に固い路面がある。揺れが少し減った。レンは肩の力を抜きかけて、すぐ戻した。


 正面の砂が濃くなっている。


 遠くの観測塔が、少しぼやけた。


「ノア、砂嵐まで」

『前線到達まで、二十八分』

「この速度で間に合うか」

『現在速度を維持した場合、到達予測は二十二分後』

「余裕六分」

『停止、迂回、車輪空転を考慮すると不足します』

「じゃあ余裕じゃない」

『はい』


 レンはペダルを少し踏み込んだ。


 ガタのファンが嫌な音を上げる。


 きゅるるる。


 車体が震えた。


[ROVER WARNING]

――――――――――

右前輪:抵抗上昇

左後輪:応答遅延

冷却:不安定

推奨:速度低下

――――――――――


「早速か」

『速度低下を推奨』

「下げたら間に合わない」

『現速度では車輪負荷が上昇します』

「どっちも嫌だな」


 レンはペダルをほんの少し戻した。


 速度は落ちた。だが、右前輪の音も少しだけ落ち着く。


 観測塔はまだ遠い。


 その手前に、黒いものが見えた。


 道路跡の上に何かが倒れている。近づくと、旧標識柱だった。根元から折れ、赤い砂に半分埋まっている。ガタでは乗り越えられない。


「障害物」

『左側へ迂回可能』

「左、地面は?」

『軟弱』

「右は」

『傾斜』

「まともな道は」

『ありません』


 レンは数秒だけ黙った。


「左でいく。沈んだら押す」

『非推奨』

「他に案は」

『右側傾斜へ進み、横転確率三十四パーセント』

「左だ」


 操縦桿を左へ倒す。


 ガタは遅れて左へずれた。砂の上へ乗る。すぐに速度が落ちる。左後輪が空転し、しゃりしゃりと砂を掻いた。


「止まるな」

『駆動力不足』

「知ってる」


 レンはペダルを細かく踏み直した。


 強く踏むと空転する。弱く踏むと止まる。ちょうどいいところを探る。右前輪が引っかかる。車体が斜めになる。


 荷台の工具箱がまた鳴った。


 ごん。


「落ちるなよ」

『工具箱の固定が甘いです』

「出る前に言え」

『出発前から甘かったです』

「なお悪い」


 左後輪が、ずるっと沈んだ。


 車体が止まる。


 レンは操縦桿から手を離し、ヘルメットの中で目を閉じた。


 一秒。


 二秒。


 すぐ開けた。


「押す」


『外部作業は危険です』

「ここで止まる方が危険だ」


 レンはハッチを開け、砂の中へ足を下ろした。


 足首まで沈んだ。


「うわ、深い」

『砂塵密度上昇。作業時間を短くしてください』

「言われなくても」


 レンはローバーの後ろに回り、荷台のフレームをつかんだ。金属が冷たい。グローブ越しでも分かる。


 足に力を入れる。


 押す。


 動かない。


 もう一度、押す。


 ガタの車体が、ぎ、と鳴った。


「ノア、左後輪だけ少し回せ」

『手動出力補助』

「やれ」


 左後輪が、低く唸った。


 レンは全身で押した。


「行け」


 砂が足元で崩れる。


 膝が沈む。


 ローバーが少しだけ前へ出る。


「行けっ!」


 がくん。


 ガタが砂から抜けた。


 勢い余ってレンの手が滑り、胸から車体にぶつかった。


「ぐっ」

『胸部打撲の可能性』

「可能性じゃなくて打った」


 レンは息を整える暇もなく、運転席へ戻った。


 砂がスーツの関節に入っている。膝が重い。ヘルメットの内側で呼吸が荒くなった。


[ROUTE STATUS]

――――――――――

障害物迂回:完了

到達予測:二十三分後

砂嵐前線到達:二十一分後

――――――――――


「遅れた」

『はい』

「はいじゃない」


 レンはペダルを踏んだ。


 ガタが前へ出る。


 旧道路跡へ戻ると、揺れは少し減った。だが、砂はさらに濃くなっていた。観測塔の輪郭が薄い。さっきまで黒い柱に見えていたものが、今は滲んだ影になっている。


「ノア、視界補助」

『外部カメラの砂付着により、補助精度低下』

「使えない?」

『断片的には可能』


 視界の端に、白い線が出た。


 旧道路跡の推定ライン。観測塔までの方角。途中の凹地。低い障害物。全部が途切れ途切れで、信用しきれない。


 レンは、その線と実際の地面を交互に見た。


 赤い砂。


 白い推定線。


 ぼやける塔。


 また砂。


「これ、酔うな」

『視覚情報の揺れが大きいためです』

「解説はいらない」


 ガタが大きく跳ねた。


 右前輪が何かに乗り上げた。車体が傾く。レンは操縦桿を戻し、ペダルを緩める。


 遅い。


 傾きが増える。


『横転リスク』

「分かってる!」


 レンはとっさに体重を左へかけた。


 意味があるかは分からない。


 でも、やった。


 ガタは二秒ほど斜めのまま進み、次にどん、と落ちた。四輪が地面を捉える。


「……生きてる」

『横転回避』

「俺の体重が効いたな」

『影響は軽微です』

「そこは効いたと言え」


 観測塔が近づいてきた。


 根元は砂に埋もれている。上部のセンサーマストは半分折れ、外部パネルは閉じている。壁面には古い識別番号がかすれて残っていた。


 だが、入口は見えない。


「入口は」

『塔南側』

「南が分からん」

『現在進行方向から右』

「右ね」


 レンは右へ回り込もうとした。


 その瞬間、風の音が変わった。


 低い唸り。


 地面の砂が、横から一斉に流れた。視界が赤く染まる。観測塔の根元が消える。ヘルメットに砂が叩きつけられた。


 ばちばちばち。


「来たか」

『砂嵐前線、予測より早く到達』

「予測外すな」

『観測ステーション未起動のため、精度不足です』

「そのために来てるんだろ」


 レンはガタを塔の影へ寄せようとした。


 だが、風で車体が流される。右前輪が砂に取られた。操縦桿の反応が遅れる。視界が赤い。塔が近いのか遠いのか、一瞬分からなくなる。


[VISIBILITY ALERT]

――――――――――

視界:危険域

外部カメラ:砂付着

ルート補助:低精度

推奨:停止

――――――――――


「停止したら埋まる」

『可能性があります』

「じゃあ止まらない」


 白い推定線が乱れる。


 ノイズ混じりの方角表示だけが残る。


 レンは操縦桿を握る手に力を込めた。指が痛い。さっき打った指先がまだじんじんする。


 塔の壁が、赤い砂の向こうに一瞬見えた。


「そこか」


 ペダルを踏む。


 ガタが前へ出る。


 次の瞬間、車体の下で何かが鳴った。


 がり。


 嫌な音。


『右前輪、抵抗急増』

「ここでやめるな」


 観測塔の壁が近い。


 近すぎる。


「ブレーキ!」


 レンはペダルを離し、ブレーキを踏んだ。


 遅い。


 車体が壁へ向かう。


 レンは操縦桿を左へ倒し、非常停止レバーに手を伸ばした。


 今度は迷わなかった。


「止まれ!」


 がつん。


 車体が止まった。


 観測塔の外壁まで、腕一本分。


 レンは操縦席で固まった。


 砂がヘルメットを叩いている。


 呼吸音だけが大きい。


『到達を確認』

「……到達って言っていいのか」

『旧気象観測ステーション外壁まで一・二メートルです』

「いいことにする」


 レンはハッチを開けた。


 外へ出た瞬間、風に押された。体が横へ持っていかれる。レンはローバーのフレームをつかみ、足を踏ん張った。


 砂で視界が狭い。


 塔の入口は右側。


 ノアの表示では、あと六メートル。


 六メートルが長い。


「ガタは」

『車体固定が必要です』

「ワイヤ」


 レンは荷台から牽引ワイヤを引き出した。風でワイヤが暴れる。金属フックがスーツに当たり、鈍い音を立てる。


 塔の外壁に古い固定リングがあった。


 レンはそこへフックをかけようとした。


 一回目、外れる。


 二回目、砂で手元が見えない。


 三回目。


「入れ」


 かちん。


 フックがかかった。


『固定確認』

「よし」


 レンは工具バッグを肩にかけ、塔の外壁沿いに歩いた。


 風が横から来る。砂が膝に当たる。足元は埋まりかけている。塔の壁に片手をつけていないと、方向が分からなくなる。


 入口らしい縦の線が見えた。


 扉は閉まっている。


 制御盤は砂に埋もれていた。


「手動か」

『外部パネルを開いてください。認証端子が内部にあります』

「また外か」


 レンは制御盤のカバーを掴んだ。


 動かない。


 砂が噛んでいる。


 工具バッグから薄いバーを出し、隙間に差し込む。手首をひねる。カバーはぎしぎし鳴るだけで開かない。


 風が強くなる。


 ヘルメットに砂が叩きつけられる。


 ばちばちばちばち。


『外部活動限界に接近』

「あと少し」


 レンはバーを差し替え、体重をかけた。


 動かない。


 もう一度。


 肩が痛む。


 指が滑る。


「開け」


 カバーが少し浮いた。


 砂がこぼれる。


 レンはその隙間に指をかけた。グローブ越しでも、金属の端が食い込む。


「開けっ!」


 ばきん。


 カバーが外れた。


 風に持っていかれかけた金属板を、レンはとっさに押さえた。だが止めきれず、板は足元へ落ちて砂に埋まった。


「……まあいい」

『部品損失』

「あとで探す。たぶん」


 中の認証端子は生きていた。


 レンは端末ケーブルを差し込む。


 画面に古いログが浮かぶ。


[WEATHER STATION-02]

――――――――――

外部認証:仮受付

内部電源:停止

観測核:休眠

入口ロック:手動解除可能

警告:砂塵侵入

――――――――――


「ロック開ける」

『手動解除には、扉横の補助レバーを使用してください』

「どこ」

『右下』

「砂の中だな」


 レンはしゃがみ、手で砂を掻いた。


 赤い砂がスーツの腕にまとわりつく。指先が何か硬いものに当たった。レバーだ。


 握る。


 動かない。


 レンは両手で持ち、足を踏ん張った。


 背中に風がぶつかる。


 倒れそうになる。


「ノア、カウントいらないからな」

『了解』


 レンは体重をかけた。


 レバーが、ぎ、と鳴る。


 まだ足りない。


 もう一度握り直す。


 工具バッグが肩からずれた。直す余裕はない。


 レンは奥歯を噛んだ。


「下がれ」


 がこん。


 レバーが落ちた。


 扉の中で、重いロックが外れる音がした。


 ごん。ごん。ごん。


 わずかに隙間が開く。


 黒い内部。


 風がそこへ砂を押し込もうとしている。


「入るぞ」

『内部気圧、不明』

「外よりましならいい」


 レンは隙間に肩を入れ、扉を押した。


 重い。


 だが動く。


 体をねじ込み、工具バッグを引っかけながら、どうにか中へ滑り込んだ。


 最後に扉を押し戻す。


 完全には閉まらない。


 それでも、外の風音が少し小さくなった。


 暗い内部で、レンは壁に背をつけて座り込んだ。


 ヘルメットの中の息が荒い。


 腕が重い。


 膝に砂がついている。


 喉が乾いた。


『旧気象観測ステーション内部への到達を確認』

「……着いたな」

『はい』

「ガタは」

『外壁に固定されています。損傷評価は未完了』

「生きてればいい」

『ローバーに生命はありません』

「そういう意味じゃない」


 レンは暗い天井を見上げた。


 非常灯は消えている。


 奥の方で、何かが低く鳴っている。風ではない。塔の中に残った古い機械音だ。


 まだ動くものがある。


 レンは壁に手をつき、立ち上がった。


 目の前に、内部端末があった。


 画面は真っ暗。


 だが、端に小さな橙色のランプが点いている。


『内部電源は停止しています。ただし、観測核は休眠状態です』

「死んでない」

『はい』

「じゃあ、起こす」


 レンは端末にケーブルを差し込んだ。


 外では、砂嵐が塔を叩いている。


 中では、古い観測核が、まだ眠っていた。


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