第117話 送電調整室へ入る
送電調整室へ入る準備は、基地に戻ってから始まった。
レンは整備室の床に、E-03の簡易図を広げていた。入口区画、待機ライン、充電ステーション、左奥の保守通路。その先に、送電調整室の黄色い待機灯が記録されている。
地図はまだ粗い。通路の幅も、扉の状態も、床の安全域もはっきりしない。
それでも、次に入る場所は決まっていた。
[E-03 INTERNAL MAP]
――――――――――
入口区画:仮待機場所
充電ステーション:短時間補助充電可
保守通路:未確認
送電調整室:待機応答
地形監視塔経路:未接続
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「送電調整室から地形監視塔へ、低出力で分岐を通す」
『はい。全面起動ではありません。地形監視塔の待機系統へ、状態確認用の低出力分岐を通す作業です』
「それが通れば、E-04周辺の地形を読める」
『粗いスキャンから開始できます。沈降範囲、半地下搬送路の閉塞候補、旧搬送路の安全候補が見える可能性があります』
『つまり、車輪が沈む場所を事前に知れます』
「お前にとってはそこか」
『重要です』
ガタは整備台の下で車輪を休ませていた。補助充電で少し回復したせいか、動きは軽い。だが、砂はしっかり噛んでいる。レンがブラシを持つと、ガタは少しだけ後退した。
「逃げるな」
『逃げていません。整備姿勢の調整です』
「こっち向け」
『了解。不本意ですが、合理的です』
レンは車輪の隙間に入った砂を落とした。ぱらぱらと黒い粒が床へ落ちる。前より量は少ない。E-03入口区画で待機できた分、外で風砂を受ける時間が減ったからだ。
それだけでも、拠点化の効果は出ている。
ノアが端末に作業順を表示した。
[FIELD PLAN]
――――――――――
一:E-03入口区画へ到達
二:充電ステーションでガタ待機
三:保守通路入口確認
四:送電調整室へ限定進入
五:地形監視塔分岐の状態確認
帰還条件:通信低下/送電異常/床面沈降反応
――――――――――
「ガタは充電ステーション待機」
『はい。送電調整室内は床面状態が未確認です。ガタは充電ステーションで待機し、帰還補助に回る方が安全です』
『私は待機ですか』
「今日は待機だ」
『待機中に補助充電は』
『短時間なら可能です』
「なら文句ないだろ」
『文句はありますが、作業には支障ありません』
レンは工具袋へ装備を入れた。導通計、絶縁クランプ、細いケーブル、外部用ライト、短い固定杭、砂を払う小ブラシ。昨日よりさらに実務寄りの荷物になっている。
外へ出ること自体より、外で何を整えるかが中心になっていた。
E-03へ着くと、入口区画の空気は昨日より落ち着いていた。
受電点の仮カバーは残っている。少し砂をかぶっているが、端子への直撃は防いでいた。搬送口の右側にはまた三日月形の吹きだまりがある。空気循環が動いている証拠だ。
「カバー、持ってるな」
『外部受電点、変動幅は昨日より小さいです。仮保護の効果を確認』
『入口区画補助循環、周期維持』
「よし」
レンは入口区画へ入った。右壁の退避位置、黄色い待機ライン、浮きパネルの警告テープ。昨日貼ったものが残っている。自分が整えた場所が、そのまま次の行動を楽にしていた。
ガタが待機ラインを越え、充電ステーションへ向かう通路に入る。
『床面砂量、昨日と同程度。車輪清掃要求は帰還後に発生します』
「予告はいらない」
『予告しないと、あとで揉めます』
「揉めた覚えはない」
『私はあります』
充電ステーションまでの通路は、一度通った分だけ進みやすかった。レールの縁、ケーブル溝、砂の深いところ。ガタは少し右寄りを走り、レンは左の壁沿いを歩く。
充電ステーションの緑の誘導灯が見えた。
ガタは待機枠の端へ入り、前回と同じように少し斜めで止まった。
『待機枠との不一致、継続』
「今日はそこにいてくれ」
『補助充電を開始する場合、この不一致は我慢できます』
「ノア」
『低出力補助充電を開始できます。監視付きです』
レンは変換ケーブルを接続した。前回より少し早い。手順が分かっているだけで、作業時間が減る。補助セルのランプが点き、ガタの側面に細い青い光が入った。
『入力確認。待機します』
「異常があったら鳴らせ」
『大きめに鳴らします』
「普通でいい」
『努力します』
レンは充電ステーションの左奥へ向かった。
保守通路の扉は半分閉じたままだ。下に砂が詰まり、動かすには少し力が要りそうだった。扉の横には、かすれた文字が残っている。
送電調整室。
レンは手袋の指で文字の上の砂を払った。
ざり、と乾いた音がした。
「ここだな」
『はい。E-03送電調整室入口です。扉下部に砂固着。上部レールに歪みがあります』
「開ける」
『扉の変形は小さいです。左下を浮かせれば、手動で動く可能性があります』
レンは工具を差し込み、扉の下に詰まった砂を削った。固い。何度かこじると、固まった砂が崩れる。足元にざらざらと落ちた。
扉に肩を当てる。
動かない。
もう一度、体重をかける。
ぎ、と金属が鳴った。
「動け」
『上部レール、抵抗上昇』
「分かってる」
レンは息を詰め、もう一度押した。背中の筋肉が張る。扉が数センチだけ動き、詰まった砂が下からこぼれた。
がこん。
半人分の隙間が開いた。
送電調整室の中から、冷たい空気が流れた。焦げ臭くはない。古い金属と、乾いた砂と、薄い油の匂いが混じっている。
「空気は」
『有害濃度の上昇は検出していません。粉塵あり。マスク継続』
「入る」
レンはライトを先に入れた。
室内は狭くない。壁一面に古い配電盤が並び、中央に低い操作卓がある。床には砂が薄く積もり、操作卓の片側は固着していた。天井のケーブルラックから、細い線が何本か垂れている。
完全に死んだ部屋ではなかった。
奥の壁に、黄色い待機灯が一つだけ点いている。
[POWER CONTROL ROOM]
――――――――――
室内空気:短時間滞在可
操作卓:一部砂固着
配電盤:低出力待機
地形監視塔分岐:未確認
全面起動:対象外
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「全面起動はしない」
『はい。現在の目的は、地形監視塔分岐の確認です。送電室全体の復帰ではありません』
「分岐はどこだ」
『奥壁の黄色待機灯付近です。左から三列目、下段』
レンは操作卓を避け、奥壁へ向かった。床の砂に足跡がつく。ところどころ硬い感触がある。床下にケーブルが通っているのだろう。
左から三列目、下段。
そこに、古いラベルが残っていた。
地形監視塔。
レンは指で砂を払った。
「見つけた」
『地形監視塔分岐盤を確認。低出力待機状態です』
「通せるか」
『接点の一部が砂で固着しています。清掃後、状態確認用の微弱通電が可能です』
「やる」
レンは小ブラシで接点周りの砂を払った。細かい砂が舞う。ライトの中で粒が光る。咳き込みそうになって、マスク越しに息を止めた。
接点は残っている。
完全には腐っていない。
「ノア、微弱で」
『実行準備。通電時間は三秒。反応を見るだけです』
「いい」
レンは絶縁クランプをつけ、分岐盤へ短い補助線をつないだ。指先が少し震える。疲れではない。ここが通れば、E-04への道を見る手前まで進める。
逆に言えば、ここが通らなければ、また別の道を探すことになる。
『通電します』
低い音がした。
ぶん、と壁の奥で何かが震え、黄色い待機灯が少し強くなる。すぐに落ちると思ったが、消えなかった。奥壁の下から、細い光が床へ走る。
送電調整室の床を横切り、壁のケーブル溝へ入っていく。
その先は、E-03の外側へ向かっていた。
[TERRAIN TOWER BRANCH]
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地形監視塔分岐:応答
微弱通電:成功
経路状態:一部抵抗高
必要作業:外部受電点保護強化
次段階:低出力分岐維持試験
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「通った」
『はい。地形監視塔への分岐経路は生きています』
「抵抗高」
『外部受電点の仮保護では維持が不安定です。低出力分岐を継続するには、受電点保護カバーの強化が必要です』
「次はカバーか」
『はい。受電点を安定させれば、地形監視塔の待機系統を短時間起動できます』
レンは壁に手をついた。
送電調整室へ入れた。
地形監視塔の分岐が生きていた。
まだ地図は見えない。E-04の沈降範囲も分からない。だが、地形を見るための線は通った。
ガタの声が通信に入った。
『充電ステーション側、異常なし。私の補助充電も少し進んでいます』
「こっちは分岐が通った」
『では、地面が悪い場所を先に見つけられます』
「その予定だ」
『車輪に優しい計画です』
「人にも優しい」
レンは短く笑った。
操作卓の砂を少し払うと、別の表示が浮かんだ。送電調整室の簡易系統図。外部受電点から入口区画、充電ステーション、送電調整室、地形監視塔へ伸びる細い線。
E-03の中で、線がつながっていく。
[E-03 POWER ROUTE]
――――――――――
外部受電点:仮保護
入口区画:低出力維持
充電ステーション:補助充電可
送電調整室:限定進入済
地形監視塔分岐:応答確認
次作業:受電点保護強化
――――――――――
「今日はここまでだな」
『はい。目的は達成しています。送電調整室から撤収してください』
「了解」
レンは補助線を外し、分岐盤のカバーを戻した。カバーは少し歪んでいるが、閉まる。床の砂に、自分の足跡が残っていた。
部屋を出る前に、もう一度だけ奥壁を見た。
黄色い待機灯は、まだ点いている。
E-04へ行くための道は、地面を見るところから始まる。
レンはそう思いながら、送電調整室を出た。
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