第107話 外縁管理施設
外縁管理施設は、砂の向こうで低く沈んでいた。
遠くから見えていた細い塔は、施設の中央に立つ通信兼観測塔だった。近づくにつれて、その下に横へ広がる構造物が見えてくる。半円形の屋根。斜めに埋もれた外壁。砂で塞がれかけた側面通路。ところどころ、金属ではなく石のような複合材が露出している。
基地とは違う形だった。
同じ旧文明の施設なのに、基地ほど閉じていない。外の地形に合わせて低く広がり、風を受け流すような造りをしている。死んだ建物というより、長く眠っている動物に見えた。
レンはその手前で足を止めた。膝が重い。肩のベルトが食い込んでいる。マスクの内側に、荒い息がこもった。
『外縁管理施設 E-03、目視範囲に入りました。距離、推定三百四十メートル』
『近いですか』
「近い」
『私には遠いです』
「だろうな」
『なら同意してください』
「あと少しだ」
ガタは防砂壁の切れ目から顔を出すように、車体を少しだけ前へ出した。車輪の周りには砂がまとわりつき、貼りつけた簡易カバーの端が一箇所めくれている。それでも、まだ走れている。
レンは端末を胸のホルダーから外し、施設へ向けた。画面の輪郭が揺れる。通信遅延があるせいで、ノアの解析も少し遅れて返ってきた。
[FACILITY SCAN]
――――――――――
対象:外縁管理施設 E-03
用途:外縁環境管理/送電調整/地形監視
外壁損傷:中
入口候補:南側保守口/西側搬送口
内部電力:微弱反応
――――――――――
「内部電力、あるのか」
『微弱です。施設全体ではなく、一部の非常系統と推定します』
「死んでない」
『はい。完全停止ではありません』
『では、起こさず静かに帰る選択肢もあります』
「ない」
『あると言うだけ言いました』
レンは施設の外周を見た。南側保守口は砂に半分埋まっている。扉らしきものは見えるが、そこまで行くには吹き溜まりを越えなければならない。西側搬送口は少し遠いが、搬送路がそのままつながっている。ガタが通れる幅もありそうだった。
風が止みかけていた。砂の膜が薄くなり、施設の輪郭がはっきりする。
中央塔の根元に、かすかな灯りが見えた。
「ノア、あれ」
『非常灯です。点滅周期、七・二秒。施設側の最低監視系統が残っています』
「誰かがつけたわけじゃないよな」
『自動維持と推定します。長期休眠中でも、外縁監視系の一部は維持されていた可能性があります』
「待ってたのか」
『機械的には、条件を満たす入力を待機していた、と表現できます』
『待たせすぎです』
「お前が言うのか」
『私も待機が嫌いです』
レンは少しだけ笑った。唇が乾いていて、笑うとマスクの内側がこすれた。
第四タグから伸びる通信線は細い。だが、まだ切れていない。ここで施設外観を取れば、最悪戻っても次につながる。入口まで行ければ、もっといい。
レンは残りのタグを確認した。二枚。
「第五タグを入口手前に置く。そこまで行って、搬送口を確認する」
『妥当です。帰還余力を維持してください。到達後、作業時間は十五分以内を推奨します』
『短いです』
「入口を見るだけなら足りる」
『開けると言い出す予感がします』
「言い出すかもしれない」
『予感が確信になりました』
搬送路は施設へ向かって、少しずつ幅を広げていた。砂に埋もれたレールは二本から四本になり、途中で分岐している。かつては小型搬送機が出入りしていたのだろう。地面には、古い車輪跡のような溝が残っていた。
ガタがその溝を見つけ、しばらく黙った。
「どうした」
『幅が近いです』
「お前の車輪に?」
『はい。完全一致ではありませんが、近いです。ここはローバー系作業機の通路だった可能性があります』
「よかったな。仲間の道だ」
『仲間ではありません。先輩の道です』
「急に敬意が出た」
『外部で働いた車輪には敬意を払います』
ガタは少しだけ進みやすそうになった。砂はあるが、搬送口へ向かう溝の一部が車輪を支えている。レンもその横を歩いた。足場が硬い。靴底に芯のある感触が返る。
施設が近づく。
壁面には、砂で削られた文字が残っていた。E-03。外縁環境管理区。下の行は読めない。レンは端末で読み取り、ノアに投げた。
『文字列断片を取得。外縁環境管理区、送電調整室、地形監視塔、保守搬送口の表示を確認』
「当たりだな」
『はい。外縁施設としての機能区分と一致します』
『充電設備は』
『搬送口付近に存在する可能性があります』
『すばらしい施設です』
「判断が早い」
搬送口の手前には、低い門柱が二本残っていた。片方は折れ、片方は傾いている。間にあった扉は、半分だけ閉じた状態で砂に噛まれていた。完全には塞がっていない。隙間がある。人間一人なら、どうにか通れそうだった。ガタは難しい。
レンは門柱の陰に第五タグを設置した。端子は死んでいたので、独立駆動にする。ランプが橙色に点き、第四タグの方へ弱く同期した。
[TAG LINK]
――――――――――
第五タグ:独立駆動で設置
第四タグ:接続維持
外縁施設外周:記録開始
帰還線:細いが維持
――――――――――
ノアの声が戻るまで、少し間があった。
『第五タグ接続を確認。施設入口圏内です。レン、ここから先は作業扱いです。滞在時間を制限してください』
「分かってる」
『ガタ、入口前で待機。必要時のみ牽引補助』
『待機は得意です』
「室内じゃないぞ」
『得意ではありません』
レンは搬送口の扉に近づいた。表面は砂と酸化で荒れている。手袋で触ると、ざらついた粒が落ちた。中央部には、基地とは違う管理紋が浮き彫りになっている。
円形ではない。六角形を二つ重ねたような形。その中央に、細い線が外へ伸びる意匠がある。通信塔や保守棟の表示とは違う。もっと外を向いた印だった。
「ノア、この紋、分かるか」
『照合します。基地管理系とは別系統です。外縁環境管理局の施設紋と推定されます』
「別系統か」
『はい。レンの現在権限で自動開放できる保証はありません』
「保証がないだけだろ」
『はい。試行は可能です』
『試行しない選択も可能です』
「却下」
『またですか』
レンは扉の横にある認証盤を探した。砂を払う。半分割れたパネルが出てきた。文字は消えかけているが、接続端子は残っていた。
指先が少し震えていた。疲れのせいか、寒さのせいか、施設まで来たせいかは分からない。レンは手袋の上から指を握り直し、細いケーブルを取り出した。
『レン、接続前に警告します。未知系統です。反応次第では、外縁施設側がレンを侵入者として扱う可能性があります』
「なら、どう繋げばいい」
『読み取り専用から開始してください。こちらから開放要求を出さず、施設側の応答を待ちます』
「分かった。触るだけだな」
『触るだけではありません。読みに行くだけです』
『違いが分かりません』
「俺も時々分からない」
レンはケーブルを認証盤へ差し込んだ。
一瞬、何も起きなかった。
次に、扉の管理紋の中央が薄く光った。青でも白でもない。古い照明のような、弱い緑色だった。
[ACCESS PING]
――――――――――
外部接続:検出
接続元:基地管理系/限定復旧権限
照合中:外縁環境管理局
応答:保留
――――――――――
レンは息を止めた。
扉の奥で、低い音がした。
がこん、と遠くのロックが一つ落ちる音。
しかし扉は開かなかった。
認証盤に、別の表示が浮かぶ。
[AUTHORITY CHECK]
――――――――――
基地管理系:確認
通信塔復旧履歴:確認
保守棟接続履歴:確認
外縁管理権限:不足
暫定照合区分:未確定
――――――――――
「権限不足か」
『不足です。ただし、拒否ではありません。照合区分が未確定です』
「未確定なら、まだ話せる」
『はい。施設側は接続を切っていません』
『つまり、開けるんですか』
「開ける前に読む」
『ほぼ同じ入口に見えます』
「違う。まだこっちから押してない」
扉の管理紋は、まだ弱く光っている。
基地とは違う系統。外縁環境管理局。微弱な非常灯。未確定の照合区分。
ここは死んでいない。
そして、レンを完全には拒んでいない。
風が砂を運び、搬送口の隙間で細く鳴った。レンはケーブルを抜かず、端末の記録を固定した。
「ノア、ログを保存。まだ切るな」
『了解。外縁施設入口到達、記録しました。接続は維持されています』
『帰らないんですか』
「帰れる線はある。扉は、今こっちを見てる」
『表現が不穏です』
「閉じられる前に読む」
レンは管理紋の光をもう一度見た。
遠くから見えていた影は、もう目的地ではない。
目の前で応答している、次の扉だった。
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