第105話 送電支柱列
折れた送電支柱の列は、近づくほど大きかった。
遠くからは細い線に見えたものが、実際にはレンの背丈よりはるかに高い。一本は根元から曲がり、一本は上部だけが折れ、別の一本は砂に半分埋もれて斜めに立っている。支柱同士をつないでいたはずの線は、ほとんど切れていた。ところどころ、黒い繊維のような束が垂れている。
レンは支柱の根元で足を止めた。風が支柱の空洞を通り、低く鳴っている。がらん、とも、うなるともつかない音だった。
『旧送電支柱列に到達。第二タグとの通信、維持。第三タグ候補地点まで推定二百三十メートル』
『車輪振動、悪化。舗装に戻りたいです』
「舗装は割れてる」
『割れた舗装でも、砂よりは文化的です』
「ローバーの文化って何だよ」
『平坦な床です』
ガタは支柱の周囲を小さく回った。車輪が砂を押し、根元の金属片に当たってかつ、と鳴る。レンはしゃがみ、支柱の下部に残った表示を払った。
文字の一部が出てきた。
外縁送電管理線。そう読めた。
「ここ、ただの電柱じゃないな」
『外縁施設へ補助電力と管理信号を送る複合支柱と推定されます。送電、通信、位置標識の機能を兼ねています』
「便利すぎる」
『旧文明設備としては標準的です』
『私にもそういう標準がほしいです』
「お前は苦情機能が標準装備だろ」
『高性能です』
レンは支柱の側面を見上げた。折れた上部の内側に、細い管とケーブルが詰まっている。電力線だけではない。信号線、冷却用の小管、たぶん自己診断用の細い光ファイバー。何本かは切れているが、全部ではない。
ここには、かつて流れがあった。
電力だけではない。情報も、管理信号も、何かを動かす命令も、ここを通っていた。
レンは携帯端末を支柱へ向けた。
[POWER TRACE]
――――――――――
外縁送電管理線:残存
通電状態:不明
信号管路:一部連続
接続先候補:外縁管理施設 E-03
補助経路:取得可能
――――――――――
「ノア、これを辿れば施設まで行けるか」
『可能です。ただし、支柱列は旧道路から外れます。帰還線が弱くなります』
「タグを置きながらなら」
『第三タグを支柱列側に置く必要があります。通信塔との角度は悪化しますが、外縁施設方位の精度は上がります』
『悪化と上昇を同時に出すのはやめてください』
「現場ってそういうもんだ」
『現場は不親切です』
レンは支柱の根元に手を置いた。冷たい。表面は砂で削れてざらついている。だが、完全な残骸ではなかった。端末の画面には、細い線が一本、次の支柱へ伸びている。
道が見えた。
旧管理道路の白い誘導ライン。送電支柱の列。二つの経路が、外縁施設の方へ向かっている。
それだけで、荒野の見え方が少し変わった。何もない灰色の地面ではない。壊れた後も、まだ形を残した管理網だった。
ガタが支柱の裏側で止まった。
『レン、案内板らしきものがあります』
「案内板?」
『半分埋没。文字は読みにくいです。私は掘りません』
「誰も頼んでない」
支柱から少し離れた場所に、斜めに倒れた板があった。砂に半分埋もれ、表面は削れている。レンは手で砂を払った。手袋にざらざらした粒がまとわりつく。板の端を起こすと、金属が軋んだ。
文字と図が出てきた。
外縁管理施設 E-03。保守搬送路。北側点検溝。緊急避難ポッド跡。いくつかは読める。いくつかは欠けている。
『案内板情報を取得します。外縁施設名称、部分復元可能』
「名称、出るか」
『照合中。正式名称は欠落しています。用途区分のみ復元。外縁環境管理・送電調整・地形監視の複合施設です』
「環境管理、送電、地形監視。外の目と電源か」
『はい。基地外縁を面として扱うための施設です』
『そこに行けば、帰れますか』
「帰るためにも行くんだよ」
『言い方がずるいです』
レンは案内板の図を端末に写した。これで、ただ塔影を目指して歩くだけではなくなった。施設までの補助経路がある。保守搬送路もある。崩れていなければ、道路より歩きやすい可能性がある。
崩れていなければ、だが。
ノアが案内板の情報を地図へ重ねた。
[MAP UPDATE]
――――――――――
外縁管理施設 E-03:用途区分復元
旧送電管理線:補助経路登録
保守搬送路:候補表示
第三タグ候補:再設定
――――――――――
地図の黒い部分に、細い線が増えた。
レンはそれを見て、しばらく動けなかった。画面の中で、世界が少しだけ広がる。白い線。送電線。搬送路。まだ生きているかどうかも分からない。それでも、何もないよりずっとましだった。
「搬送路に出る」
『推奨します。旧道路より遮蔽物が多く、通信塔との見通しは悪化します。ただし、足場は安定している可能性があります』
『可能性ばかりです』
「外だからな」
『室内が恋しいです』
支柱列に沿って進むと、地面の質が変わった。砂の下に、細いレールのような金属が埋まっている。搬送機が走っていた跡か、整備用の軌道か。片方は曲がり、片方は砂に消えている。
ガタがそのレールに車輪を乗せ、すぐに降りた。
『幅が合いません』
「何の」
『私の車輪です』
「お前用じゃない」
『配慮がありません』
レンは金属レールの横を歩いた。足場は旧道路より硬い。砂はあるが、下に構造材が残っている。歩くたび、靴底にこつ、と芯のある感触が返ってきた。
少し進むと、小さな搬送機の残骸が見つかった。箱型の車体が横倒しになり、荷台らしき部分が割れている。中には何もない。だが、側面には古い施設番号が残っていた。
「ここ、人が使ってたのか」
『無人搬送機の可能性が高いです』
「でも、案内板があった」
『保守員用です。人間、または人型作業者の移動を想定しています』
「じゃあ、ここはただの設備じゃない。人が来る場所だった」
『その可能性が高いです』
レンは残骸の横で立ち止まった。
基地の外にも、人が通った跡がある。点検に来て、支柱を見上げて、案内板を読んで、搬送機を使って、外縁施設へ向かった誰かがいた。
当たり前のことかもしれない。だが、レンには少し変な感じがした。今までこの惑星は、巨大な機械とログだけの場所だった。そこに、誰かの動線が見えた。
ガタが残骸の下を覗き込む。
『充電ポートがあります』
「そこに反応するのか」
『重要です。外部にも充電文化がありました』
「文化って言うな」
『接続規格は古いですが、形状は一部互換があります』
「使える?」
『今は非推奨です。接点が腐食しています。私が壊れます』
「じゃあ触るな」
『見ているだけです』
レンは残骸の充電ポートを端末で読み取った。ガタ用に使うには危ない。だが、規格の一部は残っている。外縁施設の内部なら、もっとまともな充電設備があるかもしれない。
それは小さいが、現実的な報酬だった。
ガタが外で動ける時間が伸びる。レンが背負う予備電源を減らせる。次の探索範囲が広がる。
「外にも補給できる場所があるかもしれない」
『はい。外縁施設内に整備ベイ、または搬送機用充電ステーションが存在する可能性があります』
『行く理由が増えてしまいました』
「よかったな」
『よくありません』
ノアの声が少しだけ遅れた。
『第三タグ候補地点まで、四十メートル。通信塔同期、弱。設置を推奨します』
「了解」
第三タグの候補地点は、搬送路脇の低い制御箱だった。蓋は歪んでいたが、内部の端子は残っている。レンは膝をつき、砂を払った。指先が冷える。マスクの内側で息が荒くなる。
タグを差し込むと、一度だけ赤く点き、すぐ消えた。
「接点が悪い」
『右側端子を清掃してください』
『叩けば直りますか』
「たぶん悪化する」
『残念です』
レンは細い金属棒で端子の砂を掻き出した。もう一度タグを押し込む。今度は、ランプが点いた。
[TAG LINK]
――――――――――
第三タグ:設置
第二タグ:接続維持
旧送電管理線:経路登録
保守搬送路:部分取得
外縁施設 E-03:方位精度向上
――――――――――
地図の黒い部分が、わずかに薄くなった。
外縁施設の輪郭が、ぼんやりと表示される。まだ遠い。まだ完全ではない。だが、そこにある。
レンは制御箱に手を置いたまま、画面を見た。
道が増えた。電力線が見えた。搬送路が見えた。案内板から、施設の役割も少し分かった。
この惑星は、ただ壊れているだけではない。
壊れたまま、待っている。
『レン、休止を推奨します』
「少しだけ」
レンは制御箱の横に腰を下ろした。ガタは搬送機の残骸をまだ見ている。
『外部充電ポート、記録しました』
「触るなよ」
『触っていません。見ています』
「それ、触る前の言い方だぞ」
『失礼です』
レンは笑って、遠くを見た。
霞んだ先に、低い建物の影が見えた。塔だと思っていたものの下に、横へ広がる構造物がある。外縁管理施設 E-03。名前はまだ欠けている。だが、もうただの影ではなかった。
そこへ向かう線が、足元から続いていた。
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