第102話 外へ持ち出すもの
外部扉が開いたあと、レンはすぐには外へ出なかった。
冷えた風が足元をなで、細かな砂が通路の床に散った。基地内の空気とは違う。乾いていて、金属の奥に土の匂いが混じる。外は、生きている場所ではなく、長く放置された機械の外側だった。
「一回閉める。準備を詰める」
『妥当です。開放確認は完了しました。外部環境は通過可能ですが、長時間滞在には適しません』
『じゃあ今日は中止ですか』
「違う。出るために閉める」
『紛らわしいです』
「お前の砂対策も増やす」
『続行しましょう』
ガタの判断は早かった。
隔壁を閉じると、通路の風が止まった。レンは床に落ちた砂を靴先で寄せた。粒は細かい。基地内の粉塵より重く、黒っぽい。これが車輪軸やセンサー溝に入ると、たしかに面倒だった。
整備室へ戻る途中、ノアが通路壁に簡易ルートを投影した。
[EXTERNAL ROUTE]
――――――――――
現在地:基地外部隔壁
目的地:外縁管理施設 E-03
推定距離:二・八キロメートル
推奨経路:旧管理道路跡
注意:舗装破断、空洞反応、通信減衰
――――――――――
レンは足を止めた。
「二・八キロ。数字だけなら近いな」
『徒歩換算では近距離です。ただし、地形状態、通信タグ設置、帰還余力を含めると短距離とは扱えません』
『私の車輪では遠距離です』
「ローバーだろ。走るための体じゃないのか」
『室内床面用です。砂、段差、割れた舗装、全部いやです』
「用途が狭いな」
『安全志向です』
整備室に戻ると、レンは装備を床に並べた。携行電源、予備セル、通信タグ、補修材、手動クランプ、防塵マスク、細いワイヤ、古い保護布。多くはない。むしろ、足りないものばかりが目につく。
けれど、持ちすぎれば歩けない。
レンは重い工具箱を一度持ち上げ、すぐ戻した。中身の半分を抜く。大型レンチは置いていく。代わりに折りたたみ式のクランプと細いドライバを入れる。予備セルは二本。三本目は迷って、棚に戻した。
『予備セル三本目を推奨します』
「重い」
『帰還不能時の余力になります』
「その前に足が止まる」
『了解。二本構成で再計算します』
ノアは食い下がらなかった。数秒後、投影された装備一覧が短く組み直される。
[CARRY SET]
――――――――――
携行電源:一基
予備セル:二本
通信タグ:六枚
補修材:小型二包
手動クランプ:一式
防塵保護:レン用一式/ガタ用簡易
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「通信タグ六枚って、どう置く」
『往路で三枚。帰路補助として二枚。予備一枚です。通信塔との直線経路を確保しながら、旧管理道路跡に沿って配置してください』
「タグを置きながら進めば、ノアの声は届く」
『遅延は出ます。ただし、完全断絶の可能性を下げられます』
『私の苦情も届きますか』
『届きます』
「そこは切ってもいい」
『不当です』
レンはガタの車輪まわりを見た。前回巻いた保護布は、見た目だけなら不格好だったが、軸受けの隙間は塞げている。問題は車輪の内側とシャシー下部だ。外の砂は細かい。接地センサーや駆動輪の溝に入り込めば、空洞検知の精度が落ちる。
レンは古いフィルター材を切り、ガタの車輪内側に簡易カバーとして貼った。接着剤が足りず、一箇所だけ浮いた。
『そこ、浮いています』
「走ればなじむ」
『整備思想が雑です』
「現場思想だ」
『言い換えです』
貼り直そうとして、レンはやめた。完璧にするには素材が足りない。時間も足りない。今は、外に出て戻るための準備であって、ガタを新品にする作業ではない。
ノアがガタの状態を走査する。
『駆動部防塵性能、改善。接地センサー精度、許容範囲。牽引出力、短時間なら使用可能』
『短時間とは』
『三十秒以内です』
『短いです』
「三十秒も引っ張れれば十分だろ」
『何をですか』
「俺を」
『やはり転ぶ想定です』
「保険だよ」
レンは防塵マスクを手に取った。ゴムは少し劣化している。予備はない。端を引くと、ぎし、と嫌な音がした。
『マスクの密閉率、七十一パーセント。長時間行動には不足です』
「短時間なら」
『許容範囲です。ただし、外部粒子の吸入を完全には防げません』
「完全、完全って言うな。今あるもので行く」
『訂正します。今あるもので行ける範囲を提示します』
レンは少し笑った。
ノアの言い方が変わった。止めるのではなく、行ける範囲を切る。今はそれが欲しかった。
装備を背負うと、重さが肩にかかった。思ったより軽い。軽いということは、持っていないものが多いということでもある。レンは作業台に置いた工具を見直し、最後に細い金属棒を一本だけ追加した。
『用途未登録です』
「こじ開ける、叩く、支える、測る」
『多用途棒として登録します』
『雑な名前です』
「今はそれでいい」
ガタが床へ降りた。保護布と車輪カバーのせいで、動き出しが少し重い。小さく前進し、停止する。少し後退して、左右に車輪を振った。
『違和感があります』
「外れる?」
『外れません。腹立たしいだけです』
「なら行ける」
外部扉へ戻る前に、レンは通信塔の方向を確認した。基地内の壁越しでも、塔の低出力信号が端末に細く映っている。頼りない線だった。それでも、前はなかった線だ。
ノアがルートを再投影する。旧管理道路跡に沿って、六つの点が並んだ。通信タグの設置候補だった。
『第一タグは隔壁から三百メートル地点。第二タグは旧道路標識付近。第三タグは破断舗装の手前。そこまで到達できれば、外縁施設の視認精度が上がります』
「今日は施設まで行くんじゃないのか」
『到達を目標にします。ただし、第一成功条件は第三タグ設置です。第二成功条件は施設外観の詳細取得。第三成功条件が入口到達です』
「三段階か」
『はい。戻れることを前提に進めます』
レンはうなずいた。失敗の幅がある方がいい。全部できなければ失敗、では足が止まる。第三タグまで行けば前進。外観が取れれば前進。入口まで行ければ上出来。
そういう区切りなら、進める。
外部扉の前で、ガタが車輪を止めた。
『確認します。本当に出ますか』
「出る」
『外は砂です』
「見た」
『寒いです』
「感じた」
『遠いです』
「分かってる」
『では、私は反対しながら同行します』
「それでいい」
レンは通信タグを一枚、隔壁内側の端子に差し込んだ。基準点になる。小さなランプが一度だけ点き、通信塔の信号と重なった。
[TAG LINK]
――――――――――
基準タグ:設置
通信塔同期:成立
外部行動ログ:開始待機
――――――――――
ノアの声が、いつもより少しだけ近く聞こえた。
『レン、外部扉を開放します。初回行動です。速度よりも帰還線の維持を優先してください』
「了解」
『ガタ、レンの前方五メートル以内を維持。空洞反応、粒子濃度、足場の破断を優先報告』
『了解しました。不満も報告します』
『不満は低優先度です』
『重要です』
レンはマスクをつけた。呼吸が少しこもる。工具の重さを確かめ、通信タグのケースを腰に固定した。
隔壁が開く。
今度は、ためらわなかった。
冷えた風が正面からぶつかった。レンは一歩、外へ出た。靴底が砂を踏み、ざり、と乾いた音を立てる。
背後で基地の灯りが細く伸びていた。
前方には、砂に半分埋もれた古い管理道路が続いている。白線のような薄い帯が、灰色の地面の下からかすかに見えていた。
『旧管理道路跡を確認』
「道があるなら、使う」
『道が道として残っている保証はありません』
「それでも、ないよりいい」
ガタが先に進み、すぐに停止した。
『第一メートル、問題あり』
「何が」
『砂が車輪にまとわりつきます』
「低優先度」
レンは通信タグのケースを叩き、旧管理道路の先を見た。
遠くの塔影は、まだ霞んでいる。だが、前より少しだけ輪郭が濃かった。
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