第98話 外縁が、輪になった
南側旧管制施設から持ち帰った環境制御ログは、欠けていた。
完全な手順書ではない。焼けた記録の端、途中で切れた波形、読める単語だけが残っている。それでも、灰色の庭が欲しがっていたものは入っていた。環境固定体の立ち上げ順。粉塵固定域の許容幅。外周制御を面で扱わないための区画同期。
レンはそれを、通信塔系統の地図に重ねた。
通信塔、北東中継塔、旧管制施設、地下幹線、灰色の庭外周。五つの線が、細くつながる。完全な復旧ではない。低出力で、短時間だけ通す輪だった。
『外縁グリッド、低出力接続準備完了。全系統を常時接続する能力はありません』
「常時じゃなくていい」
『部分リングとして十秒から十二秒。負荷次第で短縮します』
「十分だ」
ガタは外周制御盤の後方で、三枚目のカバーを抱えていた。装着は却下したはずだ。
「それは置け」
『持っているだけです』
「装着する気だろ」
『状況が悪化した場合、文化として採用します』
『二重で十分です。三枚目は視界低下が大きすぎます』
『ノアまで反対ですか』
「全員反対だ」
ガタは三枚目のカバーを、しぶしぶ工具箱の横に置いた。
[OUTER GRID TEST]
――――――――――
COMM TOWER:LOW LINK
NE RELAY:LOW LINK
SOUTH CONTROL:ENV LOG REF
UNDERGROUND TRUNK:BUFFERED
GRAY GARDEN OUTER RIM:SEGMENT READY
――――――――――
レンは遮断レバーに左手を置いた。右手は端末の実行キーにある。灰色の庭は白く静まり、外周に引いた三メートル区画が、粉塵の下で眠っている。
「始める」
『外縁グリッド、部分リング起動。三、二、一』
最初に鳴ったのは、通信塔側だった。
遠くの塔から低い振動が返り、北東中継塔の方へ細く流れる。次に、南側旧管制施設のログ参照が開いた。地下幹線が一度だけ揺れ、仮バイパス端末が青く強くなる。
最後に、灰色の庭が反応した。
白い粉塵が、一斉には動かない。外周の区画ごとに、細く浮き、静かに沈む。三メートル、三メートル、三メートル。切れた帯が少しずつつながり、庭の外周に灰色の地表が現れていく。
『一番から五番、安定。六番から八番、低固定。九番、反応遅延』
「九番、切るか」
『待機。南側ログ補正を入れます』
灰色繊維が、きし、と鳴った。
レンの指がレバーに沈む。ガタのライトが細くなる。だが、粉は立たない。南側旧管制施設のログ波形が補助表示に重なり、九番区画の青が細く落ちる。
粉塵は、ゆっくり沈んだ。
『九番、安定。外周二十七メートル、低固定』
『吐きません。今日は吐きません』
「まだ終わってない」
レンは息を止めたまま、地図を見た。
通信塔、北東中継塔、旧管制施設、地下幹線、灰色の庭外周。五つの点が低い青でつながり、輪になった。完全な円ではない。欠けた場所も多い。だが、戻り線がある。片道ではない。
[OUTER GRID PARTIAL RING]
――――――――――
STATUS:LOW POWER
RING:PARTIAL
DURATION:09.6 SEC
DUST REVERSAL:NONE
――――――――――
「輪になった」
『はい。外縁グリッド、部分リング成立』
その瞬間、灰色の庭の奥で、粉塵が広く沈んだ。
外周だけではない。庭の内側へ、扇形に白い膜が薄くなる。灰色繊維の根元が何本も見えた。床面の古い番号。割れた誘導路。さらに奥で、黒い支柱のような影が一瞬だけ立つ。
レンは画面ではなく、庭を見た。
「奥に何かある」
『大型構造影を検出。距離不明。名称断片、取得中』
表示が乱れる。外縁グリッドの青い輪が、細く震えた。仮バイパス端末が赤に寄る。
『負荷上昇。保持限界まで三秒』
「読めるだけ読め」
『読んでいます』
黒い構造影の上に、欠けた文字が走った。
[STRUCTURE FRAGMENT]
――――――――――
...ENVIRONMENT CONTROL...
...OUTER MANAGEMENT...
...ORBITAL BASE...
NAME:UNCONFIRMED
――――――――――
「環境制御……外縁管理……軌道基部」
『名称未確定です。断片のみ』
庭の奥の影が、粉塵に飲まれ始めた。白い膜が戻る。輪の表示が細くなり、通信塔側の青が落ちる。
『保持限界。落とします』
「落とせ」
ノアが出力を落とした。通信塔、北東中継塔、旧管制施設、地下幹線、灰色の庭外周。青い点が順に暗くなる。最後に仮バイパス端末が低く鳴り、元の弱い光へ戻った。
庭はまた白くなった。
灰色繊維は動かない。粉塵も噴かない。ガタのセンサーも白くない。
レンは、手動レバーから指を離した。
『外縁グリッド停止。損傷なし。逆流なし』
『センサー汚染なし。非常に重要です』
「今日は重要でいい」
ガタのライトが少し上がった。
『認められました』
レンは端末に保存されたログを見た。十秒にも満たない輪。欠けた大型構造影。未確定の名称断片。通信にはまだ遠い。それでも、外縁は片道ではなくなった。
点が、輪になった。
「ノア、次はこの輪をもう一度出す」
『はい。部分リングの再現性確認が必要です』
「それから、あの構造影」
『環境制御中枢、外縁管理核、軌道連絡基部。いずれかの可能性があります。確定には追加ログが必要です』
ガタが工具箱の横に置いた三枚目のカバーを見た。
『大型構造影が出た場合、三枚目は』
「いらない」
『まだ何も』
「いらない」
『強い否定です』
レンは短く笑った。すぐに、灰色の庭へ視線を戻す。
白い粉塵の下に、さっきの輪が隠れている。奥の影も見えない。だが、記録には残った。十秒に満たなくても、外縁はつながった。
レンは端末を閉じなかった。
もう一度、部分リングのログを開く。
[OUTER GRID PARTIAL RING]
――――――――――
COMM TOWER / NE RELAY / SOUTH CONTROL / UNDERGROUND TRUNK / GRAY GARDEN
LOW POWER RING:ESTABLISHED
NEXT:STABILITY TEST
――――――――――
その表示を見て、レンはゆっくり息を吐いた。
「ここから先が、本体だな」
『はい。外縁は入口です』
『入口でこれなら、奥は嫌です』
「だろうな」
風が吹き、外縁灯が低く鳴った。
灰色の庭はまた静かになった。けれど、もう前と同じ静けさではない。
白い粉の下に、輪がある。
その奥に、まだ名前のない大きな影がある。
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