第97話 揺れは、制御内だった
十五メートルの区画線は、灰色の庭の外周に細く並んだ。
三メートルを五本。昨日の九メートルより長い。だが、一本ずつ見れば同じ長さだ。レンはそのことを何度も確認した。広げるのではない。並べる。面で命令しない。区画で聞く。
外周制御盤の横には、昨日つないだ仮バイパス端末が低く光っている。古い給電溝の三番線は、まだ生きていた。弱い。ぎりぎり。だが、死んでいない。
ガタは境界線の外で停止し、二重センサーカバーをつけている。退避マーカーも増えていた。
「また増やしたな」
『退避の文化が育っています』
「文化にするな」
『根づかせます』
『マーカー位置は有効です。今回の退避線を表示します』
「ノアまで甘い」
『安全域の可視化は有効です』
レンは手動レバーに左手を置いた。右手は端末の読み取り開始キーに近い。灰色の庭は静かだった。白い粉が積もり、灰色繊維が枯れた骨みたいに立っている。
[SEGMENT READ TEST]
――――――――――
AREA:OUTER RIM NW / 3M x 5
MODE:READ / LOW FIXATION
TEMP BYPASS:ACTIVE
MANUAL CUT:READY
――――――――――
『目的は粉塵固定ではなく、深部ログ入口の保持時間延長です。固定率は上げません』
「粉は最低限だけ沈める」
『はい。見える分だけです』
『見えすぎなくていいです』
「ガタは黙って見ろ」
『黙ります。二重で見ます』
レンは短く息を吐いた。
「始める」
『一番区画、通電』
かち、と音がした。
白い粉塵が細く浮き、沈む。一本目は安定。二本目も続く。昨日見た表層誘導路が、また薄く現れる。三本目で灰色繊維が少し震えたが、粉は立たない。
『三番区画、制御内』
「四番」
『四番区画、通電』
仮バイパス端末が小さく鳴った。古い給電溝の奥から、低い振動が返ってくる。レンの足裏に、かすかな震えが伝わった。
「揺れてる」
『地下幹線へ返る前に、仮バイパスで受けています。負荷上昇、許容内』
『許容内という言葉を信じる日が来るとは思いませんでした』
「俺もだ」
四番区画の粉塵が沈む。九メートルを越えた。十二メートル。前より奥が見える。細い溝が、白い地表の下から庭の内側へ伸びている。
五番区画に入る直前、灰色繊維の束がまとめて鳴った。
きし、きし、と乾いた音が続く。
ガタのライトが細くなった。
『前回の嫌な音です』
「分かってる」
『五番区画、通電を遅延します』
「切るか」
『待機。まだ制御内です。仮バイパス、負荷吸収中』
仮バイパス端末の青い光が強くなった。古い給電溝の三番線が震えている。焦げた匂いが少し上がった。
レンの指がレバーに沈む。
「ノア」
『五番区画、出力をさらに下げます。固定ではなく読み取り優先に変更』
「見えなくなるぞ」
『十分です。線だけ読めればいい』
五番区画に、細い青が走った。
白い粉塵は大きく沈まない。表面が薄く揺れただけだ。だが、その下の誘導路が一瞬だけ光った。奥へ向かう線が、十五メートル分つながる。
『表層誘導路、五区画連続。深部ログ入口、再接続』
灰色繊維がまた鳴る。
今度は、庭の奥から返ってきた。
レンは歯を噛んだ。ガタが後退しかける。退避マーカーの一つが倒れた。
『倒れました。わたしの退避の気持ちが倒れました』
「動くな」
『動きません。倒れていますが、動きません』
仮バイパス端末が、二度短く鳴った。青い光が一瞬だけ赤に寄る。
『負荷上昇。上限近いです』
「切る」
『待機。あと一秒だけ読みます』
「一秒」
『読み取り中』
レンはレバーを引きかけたまま止めた。
一秒が長い。
灰色繊維の鳴る音が、耳の奥で太くなる。白い粉塵が盛り上がりかける。ガタのセンサーライトが小さく震える。仮バイパス端末の表示が細かく乱れる。
『取得。落とします』
「落とせ」
ノアの補助線が一気に細くなった。五番、四番、三番。区画線が順に消える。白い粉が戻り、見えていた溝を覆う。仮バイパスの赤い揺れも青へ戻った。
庭は止まった。
止まっただけだ。
レンはまだレバーを握っていた。
『逆流なし。粉塵噴出なし。センサー汚染なし』
『倒れた退避マーカーあり』
「それは拾え」
『拾います。生き残りました』
ガタがゆっくり前へ出て、倒れたマーカーをアームで起こした。前面センサーは白くなっていない。ライトも正常だった。
レンはようやく指を開いた。手袋の内側に汗がたまっている。
「今度は、耐えたな」
『はい。負荷は上限近くまで上がりましたが、仮バイパスで吸収できました』
「読めたか」
『一部』
ノアの表示が切り替わる。欠けた文字列が並ぶ。環境再生ログの入口。その奥に、前より太い線が残っていた。
[READ RESULT]
――――――――――
SEGMENT READ:15M
BYPASS BUFFER:ACTIVE / LIMIT NEAR
REVERSE RESPONSE:NONE
INNER LOG GATE:HELD 06.4 SEC
――――――――――
「六・四秒」
『前回より二・六秒延長』
『MIOは』
「出たのか」
レンの声が少し硬くなった。
ノアは短く間を置いた。
『観測語は出現していません。今回は深部ログ入口の保持のみです』
「そうか」
レンは端末を見たまま、息を吐いた。落胆はあった。だが、手元が止まるほどではない。今日はMIOを出す日ではない。落ちない線を作る日だ。
『ただし、保持時間は伸びました。次に観測語が出る場合、安定時間も伸びる可能性があります』
「可能性か」
『はい。進むための可能性です』
ガタがマーカーを回収しながら言った。
『今日は、消えない土台を作った日ですか』
「そんな感じだ」
『では、わたしのマーカーが倒れたことにも意味があります』
「それはない」
『ないですか』
『マーカー転倒は次回の退避線補正に使えます』
『ありました』
「ノアが拾うな」
レンは少しだけ笑った。
灰色の庭はまた白く戻っていた。十五メートルの線は見えない。だが、端末には残っている。仮バイパスは焦げた匂いを残しながら、まだ青く光っている。
危なかった。
けれど、前と違う。
粉は吐かなかった。ガタの目も塞がれなかった。庭は揺れたが、こちらの線は切れなかった。
「ノア、次に必要なのは」
『南側旧管制施設の環境制御ログです。十五メートル保持で、必要なログ種別を絞れました』
「やっと南側に行く理由が固まったな」
『はい。灰色の庭に直接入る前に、南側で環境固定体の制御記録を取得します』
ガタのライトが露骨に下がった。
『南側に行く日が近づきました』
「よい日じゃないか」
『よくありません』
「普通の日?」
『かなり悪い普通の日です』
レンは仮バイパス端末の保護カバーを閉じた。奥で青い光が弱く脈を打つ。古い線が、ぎりぎりで生きている。
そのぎりぎりが、次の数秒を支えた。
レンは灰色の庭をもう一度見た。
「次は、記録を取りに行く」
『準備します』
『わたしは三枚目のカバーを提案します』
「却下」
『提案だけです』
風が吹き、白い粉塵が庭の表面を薄く流れた。
その下に、十五メートルの線がある。
今度は、揺れても切れなかった。
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