第10話 通行試験
[EXPEDITION READY CHECK]
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小型搬送台車:準備完了
簡易防護板:準備完了
予備電源:二本
保守機械:二機同行可能
経路情報:中枢塔外縁まで取得
未解決:第三検問柱/防衛試験/旧道路 B-7 陥没
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出発前に、レンは床を拭いた。
昨日こぼした水の跡と、工具についた黒い泥がまだ少し残っていた。布でこすると、白灰色の床に薄い黒い筋が伸びる。きれいにはならない。だが、放っておくと足元が滑る。
それだけの理由で拭いた。
「ノア。台車、保守機械、警戒網、全部出してくれ」
『小型搬送台車は入口横で待機中。保守機械一号、二号は巡回から帰還中。拠点警戒網は低出力監視に移行できます。出発中も未登録対象の接近を検知した場合、居住モジュール内に記録を残します』
「家は留守番か。変な言い方だけど、まあ留守番だな」
レンはヘルメットを持ち上げた。透明板には細い傷が増えている。指でなぞると、ざらついた。外側を軽く拭き、かぶる。
視界に薄い地形表示が重なった。中枢塔までの経路。三・二キロ。第三検問柱、旧道路 B-7、外縁防衛試験。赤い点が三つ。
レンはその表示を一度消した。
「出る直前に赤い点を三つも見せるな。歩き出してからでいい」
『了解しました。危険地点接近時のみ強調表示します』
「それでいい」
入口の外で、保守機械が二機並んでいた。低い車体、四本脚、背中の細いアーム。青いセンサーが淡く点いている。台車はその後ろにいる。前部の防護板は閉じたままだ。
レンは手動ロックをかけた。
かち。
相変わらず軽い音だった。レンはもう一度回して、閉まっていることを確認した。開かない。よし。
[DEPARTURE STATUS]
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仮設拠点:施錠
夜間警戒:低出力継続
隊列:設定済み
目的地:中枢塔外縁
通行試験:予約済み
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「予約済みって、やっぱり嫌だな」
『通行試験は中枢塔外縁で開始されます。現時点では、試験内容は未開示です。中止は可能ですが、その場合は中枢塔関連情報を取得できません』
「ここまで荷物を作って中止したら、昨日の俺が怒る」
レンは歩き出した。
一号が前に出る。五メートル先。二号は右後ろ。台車は三メートル後ろ。最初の数歩で、足音が増えた。レンの靴音。保守機械の、ごん、ごん。台車の低い走行音。空は重い灰色のまま、雨はまだ降っていない。
旧都市外縁の道路跡は、昨日より少し歩きやすくなっていた。保守機械が削った瓦礫が脇に寄せられ、細い通路ができている。完全な道ではない。足を置く場所は選ぶ必要がある。それでも、船から初めて外へ出た時とは違う。
レンは前を見る。遠くの黒い縦線。中枢塔らしき影は、まだ細い。
『二百メートル先、第一障害物。保守機械一号が先行処理します。レンは速度を落とし、台車との距離を維持してください』
「止まらずに行けるなら、それで頼む」
一号が前へ出た。倒れた柱の破片にアームをかけ、ゆっくり押す。ごり、と重い音がして、破片が脇へ動いた。道が少し広がる。
「昨日までなら、ここで詰まってたな」
『保守機械の編入により、移動効率は改善しています』
「便利だ。怖いけど便利だ」
レンは通り抜けた。横を見ないようにした。倒れた建物の奥は暗い。壁の穴から、古い管やケーブルが垂れている。何かがいそうに見える。見えるだけだ。たぶん。
足元の水たまりを避けた時、台車が少し遅れた。後ろで、がこん、と音がした。
レンは足を止めた。
「今のは」
『台車の左脚が小石を踏みました。転倒なし。搭載物の固定に異常なし。進行可能です』
「心臓に悪い音を出すな」
台車は何事もなかったように追いついてくる。防護板の固定具も外れていない。レンは荷台の横を軽く叩いた。
「頼むぞ。今日は転ぶな」
『台車に音声理解機能はありません』
「俺が言いたいだけだ」
旧都市の中心部へ近づくにつれて、地面の色が変わってきた。黒い岩盤の上に、白灰色の舗装材が残っている。ところどころ割れているが、人工物の直線が増えた。水路は細くなり、代わりに地面の下から低い振動が伝わってくる。
レンは足を止め、靴底で軽く踏んだ。
「下で何か動いてるな」
『地下搬送路です。中枢塔方面へ向かう旧経路が一部稼働しています。ただし、地上からの入口は崩落しています。酸素濃度、構造強度、自律機械の有無が未確認のため、現時点では使用を推奨しません』
「地上で行く。地下はまた今度だ」
また今度、と言ったあとで、レンは少し顔をしかめた。また今度が増えている。水路、工場、通信塔、家、防衛設備、そして地下搬送路。やることが終わらない。
一号のセンサーが青く点滅した。
[CHECKPOINT APPROACH]
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第三検問柱まで:120メートル
状態:識別不安定
推奨:隊列維持/送信制限/防護板待機
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「来たな」
『第三検問柱は通行者識別用の設備と思われます。保守機械二機の同行条件は満たしていますが、識別系が不安定です。停止要求が出た場合は従ってください。攻撃兆候が出た場合は防護板を展開します』
「停止要求なら止まる。撃ってきそうなら防護板。こっちからは何もしない。そもそも撃つものがない」
『防護板展開準備を保持します』
第三検問柱は、道路跡の左右に立っていた。
柱というより、半分折れた門だった。左右に黒い柱。上部は壊れていて、片方のアーチだけが残っている。柱の側面には細い青い線が走っていた。近づくと、その線が弱く点滅する。
レンは指定距離で止まった。一号も止まる。二号も止まる。台車が後ろで静かに停止した。
[IDENTIFICATION GATE]
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通行者:未確定
同行機械:二機確認
仮設拠点管理者:信号不完全
再認証を要求
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「信号不完全だと」
『管理者認証が弱いようです。通信塔経由の権限情報を再送できます。第三検問柱へのローカル送信に限定し、軌道リングへの外部同期は遮断します』
「位置はもう見られてるだろ。ここにいるんだから。通せ。ただし軌道リングには飛ばすな」
ノアの応答が少し遅れた。ヘルメットの端に、通信先制限の表示が出る。第三検問柱。ローカル。外部同期遮断。
柱の青い線が少し強く光った。
[RE-AUTH]
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仮設拠点管理者:確認
同行機械:条件達成
通行権限:限定
警告:中枢塔外縁で再試験
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「限定でも通れるならいい」
『通行可能です。ただし、外縁試験は継続します』
「知ってる。知りたくないけど知ってる」
レンは検問柱の間を通った。
通る瞬間、柱の内側から低い音がした。ぶん、と空気が震える。身体に触れたわけではない。だが、ヘルメットの内側で耳が少し詰まった。
レンは足を止めかけ、止めなかった。検問柱を抜けてから振り返る。柱の光はもう弱くなっていた。
「今の何だ」
『非接触認証です。生体、装備、同行機械を走査したと思われます』
「勝手に身体を見るな」
『防衛設備の標準処理です』
「標準が嫌だ」
そこから先は、道路跡が広くなった。両側に低い建物の残骸が並び、中央に白灰色の道が伸びている。ところどころ、床下の青い線が露出していた。電力か通信か、あるいはその両方。
一号が急に止まった。
レンも止まる。台車が後ろで止まる。二号が少し右に出た。
『前方、旧道路 B-7 陥没地点です。距離八十メートル。左側の建物沿いに幅一・二メートルの残存通路があります。台車通行は可能ですが、保守機械二号は姿勢制御が必要です』
「二号が落ちるのは困る。先に一号、次に俺と台車、二号は後ろで待機。必要なら一機ずつ通す」
レンは陥没地点へ近づいた。途中で足を止める。道路が大きく割れていた。真ん中が黒く沈み、底は見えない。下から冷たい空気が上がってくる。かすかに金属のこすれる音もした。
レンは一歩下がった。
「落ちたら終わりだな」
『救助困難です。落ちないでください』
「その言い方でいい」
左側の通路は、建物の壁沿いに残った細い部分だった。人ひとりと台車がぎりぎり通れる。保守機械は脚をたたむ必要があるらしい。
『一号を先行させます。二号は後方待機。台車は防護板を閉じ、追従距離を一メートル短縮します。レンは壁側を歩いてください。穴側へ体重を流さないでください』
「壁側。台車は近く。二号は待て。わかった」
レンは壁に左手をついた。ざらついた感触。手袋越しでも、表面が崩れやすいのがわかる。体重をかけすぎないようにする。
一号が先に進む。脚を低くし、身体を細く使って通路を抜ける。青いセンサーが何度か点滅した。通過。
レンが続く。
右側は穴だ。見ない。足元を見る。左手は壁。右手は軽く開く。息が浅くなる。ヘルメットの内側で、自分の呼吸がうるさい。
半分まで来た時、後ろで台車が小さく鳴った。
きし。
レンは止まった。
「ノア」
『台車の右脚が段差に接触。転倒なし。三秒停止します。レンは動かないでください』
レンは壁に手をついたまま固まった。指に力が入る。壁の欠片が少し崩れ、足元に落ちた。から、と軽い音。
「壁も信用できない」
『体重を壁に預けないでください。台車、姿勢復帰。進行可能です』
「言われなくても、もう預けない」
最後の二メートルで、レンは足を置く場所を一度間違えた。靴底が滑る。右に身体が流れる。穴側だ。
息が止まった。
一号のアームが伸び、レンの右腕をつかんだ。強い。痛い。だが、引き戻された。レンは壁側へ身体を戻し、膝をつきそうになって踏みとどまる。
『保守機械一号、姿勢補助を実行』
「助かった。痛いけど助かった」
陥没地点を抜けた時、レンはしばらく立ったまま動かなかった。右腕に、機械のアームでつかまれた跡が残っている。スーツ越しでも圧迫感がある。
台車も抜けた。二号は少し遅れて、脚を低くして通過してきた。途中で一度止まったが、落ちなかった。
レンは息を吐いた。
[B-7 COLLAPSE]
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通過:完了
台車損傷:なし
保守機械:損傷なし
レン:右腕圧迫あり/活動継続可能
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「活動継続可能って、便利な言葉だな」
『医療評価では軽微です』
「右腕は、まだ握ると痛い」
レンは右手を開いて、閉じた。途中で力が抜ける。もう一度握ると、スーツの内側で鈍く痛んだ。
動く。なら進む。
中枢塔の影は、さっきより太くなっていた。
旧都市中心部へ近づくにつれて、空気が変わった。雨の臭いではない。金属と薬品の間のような臭いが、フィルター越しでも残る。地面の青い線は増え、建物の壁にも細い光が走っている。
ノアの投影が少し乱れた。
肩の輪郭が欠ける。髪の端がノイズでほどける。すぐ戻るが、また乱れる。
「ノア、映りが変だ」
『中枢塔からの干渉です。投影補助信号と、私の識別子に対する照会が混在しています。動作に重大な影響はありませんが、応答速度が一部低下する可能性があります』
「大事なところで黙るなよ」
『努力します』
「努力って言ったな」
レンは少しだけ笑った。笑ったつもりだったが、口元は硬かった。
前方に、広い空間が見えた。
旧都市の建物が途切れ、円形の広場のような場所が広がっている。その中央に、中枢塔外縁の門があった。巨大な黒い壁。その奥から、さらに高い塔が伸びている。上部は雲の中に隠れていた。
近づくほど、スケールがおかしい。
レンは足を止めた。
「でかいな」
『中枢塔外縁です。旧都市 D-12 の主要管理施設と思われます。起動すれば、周辺設備へ影響が広がる可能性があります』
「だよな」
広場の入口で、隊列が自動的に止まった。一号が前方で低く構える。二号が右後ろ。台車がレンの後ろから少し左へ出る。防護板はまだ閉じている。
広場の反対側、中枢塔の門の前に、三本の細い柱が立っていた。第三検問柱より新しい。表面に傷はあるが、まだ形が保たれている。中央の柱が青く光った。
[CENTRAL OUTER GATE]
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通行試験を開始します。
対象:仮設拠点管理者
同行機械:二機確認
支援AI:ノア・コア分離片 反応あり
試験項目:識別/制御/遮断判断
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「遮断判断?」
『不明です。試験項目として表示されています』
「嫌な言葉だ」
柱の光が強くなる。広場の床にも青い線が走った。レンの足元を避けるように、円が描かれる。隊列ごと囲まれている。
台車の防護板が自動で半分だけ開いた。
「勝手に開いたぞ」
『外部信号ではありません。防護板の自動反応です。周辺の電磁変動を検知しています。完全展開を推奨します』
「全部開け」
『展開します』
がしゃ、と防護板が開いた。レンは台車の左側へ移動する。完全に隠れるほどではないが、何もないよりましだ。
[TRIAL 01:IDENTIFICATION]
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黒瀬レン:仮設拠点管理者
支援AIノア:ノア・コア分離片
保守機械:二機
送信制限:有効
外部同期:遮断
判定:継続
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「一つ目は通ったか」
『識別試験は継続判定です。合格ではありません』
「細かいな」
次の瞬間、二号が勝手に一歩前へ出た。
「二号、止まれ」
『命令を送信しています。中枢塔が保守機械二号へ照会を送り、拠点指令と競合しています。反応が遅延しています』
二号のセンサーが青から白へ変わる。足がもう一歩出る。中枢塔側の柱が強く光った。
[TRIAL 02:CONTROL]
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同行機械への制御権を確認。
保守機械二号:外部照会中
管理者命令:競合
制御権を維持してください。
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「近距離命令を使う。二号、止まれ。外部同期を切れ。ここで待機だ」
『レンの音声命令に合わせて、ローカル命令を重ねます』
レンは声を張った。ヘルメットの中で自分の声が響く。二号はまだ動く。足が震えるように小刻みに動き、白いセンサーがちらつく。
一号が横から二号の進路をふさいだ。
金属同士がぶつかる。がん、と鈍い音。
『一号が物理停止を試みています』
「壊すなよ」
二号の脚が一度滑った。床の青い線が強く光る。レンは歯を食いしばり、台車から固定棒を抜いた。何に使うかは決めていない。手に何か持っていないと、声だけでは足りない気がした。
「二号、戻れ。戻らなくていい、止まれ。そこにいろ」
言い間違えた。
だが、二号のセンサーが青に戻った。白い光が消える。脚が止まる。一号も押すのをやめた。
[CONTROL RESULT]
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保守機械二号:制御維持
外部照会:遮断
同行機械制御:確認
判定:継続
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レンは固定棒を握ったまま、息を吐いた。
「戻れじゃなくて止まれだった」
『最終命令は停止として処理されました。結果は有効です』
「助かった。俺の口が雑だった」
広場の奥で、中央の柱がさらに光った。空気が重くなる。ノアの投影が大きく乱れた。顔の輪郭がずれ、肩から下が薄くなる。
「ノア」
『……応答可能です』
声にノイズが混じった。
[TRIAL 03:SEPARATION]
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ノア・コア分離片を確認。
中枢塔接続要求:発生
接続すれば、上位制御へ移行します。
遮断すれば、分離状態を維持します。
管理者判断を要求。
――――――――――
レンは表示を読んだ。
上位制御へ移行。
遮断すれば、分離状態を維持。
「ノア、接続したらどうなる」
『中枢塔の上位制御に接続されます。記憶領域、権限、制御系が拡張される可能性があります。ただし、現在の支援AIとしての独立応答が変化する可能性があります。戻せるかは不明です』
「君が変わるってことか」
『可能性があります』
レンは喉の奥が乾くのを感じた。水を飲んだばかりなのに、舌が張りつく。
ノアの投影は揺れている。いつもの平たい声も、わずかに乱れている。中枢塔はノアを呼んでいる。ノア・コア分離片。分離したものを、戻せと言っている。
「接続しない。今は遮断だ」
『中枢塔が管理者判断の理由入力を要求しています』
「勝手に人のAIを持っていくな、で通るか」
『正式な理由としては不適切です』
「じゃあ、現地支援AIの独立性を維持。管理者の生存支援を優先。上位接続は情報不足につき保留。これでどうだ」
『有効な理由です。送信します』
レンの手が固定棒を握りしめる。指が痛い。離そうとして、離せない。
柱の光が白くなる。
[SEPARATION RESPONSE]
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管理者判断:上位接続を保留
理由:現地支援AIの独立性維持/生存支援優先/情報不足
遮断処理:実行
ノア・コア分離片:分離状態維持
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広場の床を走っていた青い線が、一本ずつ消えていく。空気の重さが引いた。ノアの投影が戻る。完全ではない。髪の端にまだノイズが残っている。
『遮断完了。私は現在の状態を維持しています』
「よし」
レンはそこで膝が少し落ちた。慌てて踏みとどまる。台車の防護板に手をついた。板がかすかに鳴る。
中枢塔の門が、低い音を立てた。
ごん。
左右の黒い壁の一部が動く。ほんの少しだけ、隙間が開いた。中は暗い。奥に青い光が一本、まっすぐ伸びている。
[TRIAL RESULT]
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識別:確認
制御:確認
遮断判断:確認
通行試験:合格
中枢塔外縁アクセス:限定許可
次段階:外縁管理端末への接続
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「合格、って出たな」
『はい。中枢塔外縁への限定アクセスが許可されました。内部区画への進入権限はまだありません』
「限定でいい。今日は中に入るだけで終わりにしたい」
レンは門の隙間を見た。中に何があるかわからない。だが、通れる。試験は越えた。ノアも持っていかれなかった。保守機械も二機いる。台車もある。防護板も閉じていない。
固定棒を台車に戻そうとして、レンはまだ握っていたことに気づいた。
「……ずっと持ってた」
『使用はしていません』
「持ってるだけで役に立つこともある」
レンは固定棒を荷台に戻した。指が少し固まっていた。一本ずつ開く。
一号が前へ出る。門の隙間に近づき、止まる。二号はまだ少しぎこちないが、青いセンサーに戻っている。
「二号、大丈夫か」
『保守機械二号に損傷はありません。外部照会の残留も検出されていません』
「なら行く」
レンは一歩踏み出した。門の内側から、冷たい空気が流れてくる。外の雨や金属臭とは違う。古い機械室のような、乾いた臭いだった。
中枢塔の中へ入る。
床は黒く、中央に青い線が一本走っていた。その線の先に、端末がある。背の高い操作台。上部に、割れていない透明板が残っている。
ノアの投影が、レンの横に浮かんだ。まだ輪郭は少し荒い。
『外縁管理端末です。接続すれば、中枢塔内部の一部情報を取得できます。上位接続は不要です。接続範囲を制限できます』
「上位接続はしない。情報だけ。生存支援と帰還手段に関係するものだけ」
『了解しました。接続範囲を制限します』
レンは端末の前に立った。手を置く場所が青く光る。針が出るかもしれない。そう思って少し待つ。何も出ない。
「……刺さないよな」
『現時点では針状機構は確認できません』
「現時点では、か」
レンは右手を置いた。
端末が低く鳴る。ノアの投影が一瞬だけ強く光り、すぐ戻る。壁にログが出た。
[OUTER TERMINAL ACCESS]
――――――――――
仮設拠点管理者:確認
支援AIノア:分離状態維持
接続範囲:外縁情報のみ
取得可能情報:中枢塔構造/旧都市 D-12 状態/軌道リング低出力通信
――――――――――
レンは息を吐いた。手はまだ端末の上にある。外すと何か止まりそうで、すぐには動かせなかった。
「まず、帰る方法に関係する情報からだ」
『検索します』
画面に文字が流れる。速い。ノアが翻訳する前に消えていく。レンには読めない。だが、ひとつだけ、見覚えのある語が浮かんだ。
船名。
いや、見覚えがあるような気がしただけかもしれない。
[RECOVERY INDEX]
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墜落船:登録なし
外来機体:確認
軌道リング:低出力待機
帰還補助:条件付き可能
必要条件:中枢塔内部接続/軌道リング同期/ノア・コア状態確認
――――――――――
「帰還補助、条件付き可能」
レンはその部分だけ、声に出した。
帰れる、と書いてあるわけではない。条件付き可能。しかも条件が重い。中枢塔内部接続。軌道リング同期。ノア・コア状態確認。
だが、初めてだった。
この星に落ちてから、帰ることに関係する表示が出たのは。
『追加情報があります。外来機体の搭乗者記録は破損していますが、生体識別にレンの名前があります。同伴登録が一名。状態と位置は未取得です』
「出してくれ」
[PERSONAL TRACE]
――――――――――
外来機体の搭乗者記録:破損
生体識別:黒瀬レン
同伴登録:一名
状態:不明
記録断片:隔離領域に保存
――――――――――
レンの手が、端末の上で止まった。
「同伴登録、一名」
口の中が乾いた。今度ははっきりと。
雨の夜。伸ばした手。部屋の声。寝る場所まで部品を置くな、と言った誰か。
レンは端末から手を離せなかった。
「ノア。同伴って、誰だ。生きてるのか。どこにいる」
『記録断片は隔離領域にあります。現時点では人物名、状態、位置のいずれも取得できません』
不明。
聞き慣れた言葉なのに、今だけは腹の奥に重く落ちた。
レンは端末から手を外した。指先が冷たい。手袋をしているのに、冷えが残る。
中枢塔の奥で、低い音がした。さらに内側の扉が、一度だけ光る。開かない。ただ、そこに次があると示すように。
[NEXT ACCESS]
――――――――――
中枢塔内部区画:未許可
必要条件:外縁端末の安定化
推奨次段階:外縁拠点の設置/通信遮断装置の強化/ノア・コア状態確認
――――――――――
「また拠点か」
『中枢塔内部へ入るには、外縁側に作業拠点が必要です。通信遮断を維持するための装置も必要です。現状の装備で内部へ進むことは推奨しません』
「帰る話が出たと思ったら、また作業が増える」
レンは笑おうとして、うまくいかなかった。
同伴登録、一名。
その表示が、まだ頭に残っている。名前はない。状態も不明。だが、一名いた。レンはひとりで落ちたわけではないかもしれない。
ノアの投影が横にいる。さっき、中枢塔に持っていかれそうになったAI。レンは、その場で一度だけノアを見た。
「ノア。さっき、接続を止めてよかったか」
『現在の私は維持されています。管理者判断により、上位接続は保留されました。支援継続に支障はありません』
「君の答えは?」
『私に判断権はありません』
「そういう話じゃない」
ノアは少しだけ黙った。
『現在の支援継続に支障はありません。レンの生存支援を継続できます』
「なら、今はそれでいい」
レンは台車を見た。防護板、予備電源、工具箱。保守機械一号、二号。中枢塔外縁の門。端末。奥の閉じた扉。
今日、中に深く入るのは無理だ。
右腕は痛い。足も重い。ノアにも干渉が残っている。帰り道には陥没路がある。
「今日はここまで。外縁端末の情報だけ持ち帰る。内部には入らない」
『推奨します。仮設拠点への帰投経路を表示します』
「それでいい」
レンは外縁端末から記録データを抜いた。小さな記録片に保存する。抜く時に手が少し滑り、記録片が端末の縁に当たった。かち、と軽い音。
「落とすなよ、俺」
『記録片は重要です』
「わかってる。言わないでくれ」
記録片を台車の内側ポケットに入れる。今度は固定具をかけた。二回確認する。
中枢塔の外へ出る時、門の光が弱くなった。通行許可は残っているらしい。閉じはしない。だが、内側の扉は動かない。
レンは振り返った。
黒い塔。青い線。奥にある、まだ開かない扉。
そこに帰る方法と、ノアの本体と、誰かの記録がある。
レンは視線を戻した。
「帰るぞ」
『はい。レン』
外では、灰色の空が変わらず広がっていた。雨はまだ降っていない。
帰り道の赤い表示が、ヘルメットの端に浮かぶ。旧道路 B-7。第三検問柱。仮設拠点。
レンは台車の位置を確認し、一号に前へ出るよう指で合図した。
歩き出す前に、台車のポケットをもう一度見た。記録片は入っている。固定具もかかっている。
それを確認してから、ようやく足を出した。
「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。
第一章完結です。お読みいただきありがとうございました。
23日0時公開のスペシャル話を挟んで、第二章がスタートします。
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