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死の周波数──18.3Hzの振動  作者: 比古狭霧


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4/4

第4話 『黒川正人』

黒川正人。

町内会長。


以前、

「夜になると音が聞こえる」

と訴えていた男だった。


だが今は違う。


三上が思い出す事が出来ない、新名修平との関連が強い可能性がある以上、音の発信源を探る以外にも再度訪問する価値はある。


前回の訪問時より庭の草はさらに伸び、郵便受けには新しいチラシが溢れていた。


加速度センサーを外壁に押し当てる。

数値が跳ねる。


0.04G


前回よりわずかに上昇していた。

思わず眉をひそめる。


古い木造住宅なら微細な振動は珍しくない。


微小振動として検出されやすいレベルだが、

今は周囲に工事もなく風もない。


大型車両。遠方の工事。強風。

原因は他にもいくらでもある。

だが、それらは一定の周期を持たない。


振動の「強さ」ではなく、その揺れ方は、

日常的な内部要因によるものと結論付けるのが

現時点では適切と思えた。


計測器の波形は、

やはり同じく18Hz帯だった。


302号室。

新名のアパート。

そしてこの家。


すべて同じ層に山が立っている。


今度は壁面を軽く叩いた。

反射波を確認する。


建物そのものが共鳴体になっている可能性がある。

低周波は空気だけではなく、壁や床も揺らす。

だから最初に調べるのは住人ではない。


建物だ。


発生源が人間なのか。

建物なのか。


あるいは別の何かなのか。

それを切り分ける必要がある。


インターホンを押してもやはり反応が無い。

二度、三度。スピーカーを通して静かに

反響を帯びた音だけが返ってくる。


三上は家の横に回り、勝手口の扉に手をかけた。

前回と同じく、鍵はかかっていなかった。


居間では黒川正人がソファに座り、

何かを広げ眺めていた。


前回に比べ明らかに痩せ、頬はこけ、無精ひげが伸び、ワイシャツのボタンが一つ掛け違っている。目は赤く充血し、視線が定まらない。


部屋のテーブルには、前回より増えた睡眠薬のシートが散乱し、灰皿には吸いかけの煙草が何本も押し込まれていた。


黒川が眺めているものに目を向けると、そこには高校生くらいの娘と思われる写真が収まっていた。


三上は軽く頭を下げ、声をかけた。


「どうも黒川さん。先日お伺いした三上です」


黒川は視線を上げ、ゆっくりと顔を上げ、三上を認めた。疲れ果てた目が、わずかに細められる。


「……三上先生か。もしかして、あの音のことで何か分かったのかい……?」


解決を期待していない声は、

三上に向けられているようで、

手元の家族アルバムに向けられていた。


「すいません、まだお伝えできそうな情報は無いです。……娘さんですか? いらっしゃったんですね」


一瞬だけ写真に視線を落とした後、

その表情が、わずかに緩んだ。


「今は、東京にな」

「もう二年年……いや三年か。正月ですら帰ってこないがな」


声には寂しさが混じっていた。


「高校までは毎日うるさかったんだがな……」


「やれ小遣いが足りないだの、送り迎えしろだの……生意気でよく口喧嘩したもんだ」

小さく笑う。


「家から声が消えて静かになったと思ったら……今度は奇妙な音に悩まされるようになっちまった」


過去に向けられたその笑顔は、

長続きしなかったが、

人間味と立体感が垣間見れた気がした。


「……現在はお一人で生活されてるんですか。奥さんは? 確かいらっしゃいましたよね。庭の草や郵便受けのチラシが溜まっていたので」


黒川はそっけなく答えた。


「春くらいにな……出て行ったよ。今は実家で別居状態ってやつだな」


三上は計測器を構えながら、

世間話のように会話を続ける。


「それは、やはり音が聞こえ始めて迷惑をかけたくないのが理由ですか」


後ろで黒川が言い淀む。


「いや、それもあるが……違う」


計測器で室内を調べると

三上は穏やかに切り出した。


「前回より、音は強くなっていたりしますか?」


黒川は小さく笑った。

しかし笑顔はすぐに消えた。


「……もう、距離感がなんだかよく分からなくなっちまったよ、先生……音が外から聞こえているのか、家の中なのか、頭の中なのか……分からねえんだ……」


諦めたような声で続ける。


「静かな場所ほど……はっきり聞こえるような気がするんだが……耳を塞ぐと、なぜだか余計に近づいてくる気がしてんだ……」


そう言いながら、黒川は無意識に両耳へ手を当てた。その瞬間、計測器の振幅がわずかに跳ねた。


三上は見逃さないよう、メモを取りながら質問を続けた。


「娘さんと言えば……同じような年齢で新名修平という青年が、当時この町に居たと思うのですが、覚えていますか」


黒川の表情がわずかに変わった。


「……覚えてない」


小さな変化を見逃さないよう、

三上は続ける。


「まだ名前しかお伝えしてませんが……例えば、何か"新名修平"という名前を見聞きした事もありませんでしたか。町内会が特定の人物を議題にして話し合うというのは、珍しいと思うのですが」


三上は資料を取り出した。

町内会議事録のコピーだった。


『新名修平に関する相談』

出席者:町内会長 黒川正人


黒川は資料を一瞥し、すぐに視線を逸らしたが、

衰弱し切った袋小路の思考力では綻びが出る。

短い時間に思いを巡らせている顔色の後、

やがて観念したように語り始めた。


「あぁ、覚えてるさ。俺のところに助けてくれと言いに来たが、俺には何も出来なかった。だから、警察に行けと言った、学校にも相談しろと言った。親族にも連絡しろと言ったんだ!それ以上を俺に求められても困ると!」


だんだんと声が大きくなり、

明らかに狼狽が色濃く影を落とした。


「俺は関係ないんだ。死ねなんて言ってない!あいつが……あいつが勝手に死んだんだ!」


三上の視界の端で、

ふと、何かかが跳ねた。


18.28Hz


黒川が「俺は関係ない」と言った瞬間のタイミングで、計測器の画面が反応した。


18.29Hz


さらに「勝手に死んだんだ」と叫んだ瞬間、18.31Hzに達した。


三上は内心で整理した。


声の大きさ・強さだけでは、この低周波数スペクトル帯に周波数成分が新たに発生したり、顕著に変化することは無い。別の要素だからだ。


築50年以上にもなるこの家であれば、壁・床・配管の材質が今いる部屋の温度上昇(人の呼気・体温)でわずかに膨張/収縮し、構造の固有振動数が変化した可能性、空気密度が影響したとも考えられるが――。


特定の意味を持つ言動をした時にだけ、

周波数自体が意思を持っているかのように、

果たしてタイミング良く「応答」するだろうか。


仮に何かしらのシグナルを送っているのだとしたら、その明確な意志は「誰が」「何の為に」メッセージを送ろうとしてるのだろうか。


それとも302号室の時のように、死が訪れた後も部屋に滞留する「場の記憶」のようなものが何かを訴えてるとでも言うのだろうか。


そしてそれは、

黒川にだけ聞こえる音や、

夢の中に現れるという新名修平と、

やはり何か関係しているのだろうか。

三上はメモに考えを断片的に羅列し記録した。


【黒川正人宅観測】

死亡には至っていない

睡眠障害・不安・幻覚症状を訴える

ストレス反応による身体的症状の顕著な悪化

音の聞こえ方に変化(距離感の喪失)

新名修平との接触事実を確認・相談歴あり

対話時に主成分の上昇傾向?

周波数自体が意志を持つとしたら?


三上が立ち上がり、計測器を回収しようとしたとき、黒川が小さく呼び止めた。


「なあ、先生」


振り返ると黒川は俯いたまま、

テーブルの端を指で叩いていた。


「……あいつ、新名が本当に死ぬとは思わなかったんだ」


初めてだった。

この日、黒川が新名について主語を使ったのは。


「町内会長になれば……相談なんて毎日のように来るんだよ。先生だって色んな人から質問や相談されるだろ」


黒川は顔を伏せたまま言った。


「くだらない近所の揉め事だの、騒音だの、金だの……」


掠れた声が途切れる。


「こっちだって、娘の進路で家内ともめたり、家庭内がゴタゴタしてたんだ。それなのに……他人の悩みなんて、いちいち全部抱えてなんていられないんだよ!」


「……でも」


それまで忘れていたものが、

ふと思い出したかのように言葉が滑り出る。


「……そうだな。あいつ何回も来てたんだな」


計測器の振幅が、

ほんの僅かに下がった。


そこで言葉が途切れる。


計測器の振幅が一瞬だけ下がった。


ほんの僅か。

だが確かに下がった。


それまで会話の中で振幅が上がることはあれ、

下がることは無かった振幅が。


三上は会話を続けようとしたが、やめた。

代わりにこの事実だけをメモの最終行に加えた。


黒川は再び顔を伏せ、

今度は動こうとはしなかった。


挨拶すると三上は静かに家を出た。

外の空気はひどく冷たかった。


車に戻る途中、三上はメモを見返した。


黒川正人が自己弁護に終始している間、

呼応するように18Hz帯の反応は確実に強まっていた。


しかし、当時の心境をおそらく本音で語った際、

何度も新名が相談に来ていた事実を本人が最後に認めた時、

一瞬だが振幅が下がった。


これが偶然ではなく、意志によるものだとしたら……。

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