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婚約を解消していただいても構いませんと言ったら、第二王子が「どれだけ好きだと思ってる」とキレました  作者: 只野 唯


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第9話 離れる決意


 静かな部屋。

 窓から差し込む光が、床に淡く広がっている。

 整えられた机の上には、白い紙と、ペン。


 ——それだけ。


 アリアナは、その前に座ったまま、動けずにいた。


(……書けば、終わりですわね)


 分かっている。

 この紙に、ほんの数行。

 婚約解消の意思を書き記すだけでいい。

 それだけで。

 すべてが、終わる。


「……」


 ペンを取る。

 指先が、わずかに震えた。


(大丈夫ですわ)


 自分に言い聞かせる。

 これは、正しい選択だ。

 間違っていない。


 むしろ——


「遅すぎたくらいですもの」


 小さく、呟く。

 本来なら。

 もっと早く、気づくべきだった。

 自分は、この立場に相応しくないと。


「……ふう」


 息を吐く。

 胸の奥が、じんわりと重い。

 けれど。

 それを理由に、立ち止まるわけにはいかない。


(私は、選ばれる側でなければならない)


 そうでなければ、意味がない。

 価値がない。


 ——それなのに。


 今の自分は、どうだろう。


「……失敗ばかりですわね」


 苦笑が漏れる。

 ため息一つで、相手を怒らせる。

 言葉も、まともに返せない。

 顔色を窺うことしかできない。

 そんな人間が。

 王子妃など、務まるはずがない。


「……当然ですわ」


 むしろ。

 ここまで続いていたことの方が、不思議だ。

 本来なら。

 もっと早く、見限られていてもおかしくなかった。


「……優しい方ですもの」


 ぽつりと、零れる。

 アルベルトの顔が、浮かぶ。

 不機嫌で。

 言葉もきつくて。


 ——でも。


 完全に切り捨てることは、しなかった。


「だからこそ」


 ペン先を、紙に落とす。


「これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはいきません」


 すらりと、文字を書き始める。

 震えは、止まっていた。

 書くべきことは、決まっている。

 迷いは、ない。


 ——ないはず、だった。


「……」


 ふと、手が止まる。

 滲むように、浮かんできたのは。

 幼い日の記憶。


「貴方には、特別に差し上げる」


 小さな手に、渡された箱。

 あの時の、少し誇らしげな顔。


「婚約者は、特別な存在だ」


 あの言葉。


「……っ」


 胸が、痛む。

 ぎゅっと、締め付けられる。


(……もう、違いますわ)


 あの頃とは。

 何もかもが、違う。

 隣にいることが当たり前だった時間は、もうない。

 笑い合うことも。

 自然に手を取ることも。

 ——できない。


「……私は」


 かすれた声で、呟く。


「特別では、ありませんもの」


 ただ、たまたま選ばれただけ。

 代わりがいなかったから。

 それだけの存在。


(だから)


 今、こうして。

 選び直されようとしている。

 それだけの話だ。


「……当然ですわね」


 自分に言い聞かせるように、頷く。

 そう。

 当然だ。

 何もおかしくない。


「……」


 再び、ペンを走らせる。

 今度は、止まらない。

 淡々と、言葉を並べていく。

 感情を、込めないように。

 ただ、事実だけを。


 ——その方が、正しいから。


 書き終える。

 ゆっくりと、ペンを置く。

 紙の上には、整った文字で。

 婚約解消の意思が、記されていた。


「……これで、よろしいですわね」


 誰に言うでもなく、呟く。

 胸は、静かだった。

 驚くほどに。

 痛みも、ない。

 涙も、出ない。

 ただ。


「……終わりですわ」


 ぽつりと、言う。

 それだけだった。


 ——本来あるべき形に、戻るだけ。


 必要な者が、残り。

 不要な者が、去る。

 それだけのこと。


「私は」


 紙に視線を落とす。

 そこに書かれた、自分の言葉。


「必要、ありませんもの」


 その一言が。

 静かな部屋の中で、やけに重く響いた。


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