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婚約を解消していただいても構いませんと言ったら、第二王子が「どれだけ好きだと思ってる」とキレました  作者: 只野 唯


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第10話 婚約解消宣言


 王宮の応接室は、静かだった。

 重厚な扉に、柔らかな絨毯。

 磨き上げられた調度品が、整然と並んでいる。

——いつもと、何も変わらない。


 ただ一つ。

 違うことがあるとすれば。


「……本日は、お時間をいただきありがとうございます」


 アリアナの手の中に、一通の書状があることだった。

 完璧な礼。

 完璧な声。

 いつも通りの、完璧な自分。


 ——それでいい。


 それが、最後なのだから。


「……ああ」


 向かいに座るアルベルトは、短く応じた。

 表情は、読めない。

 怒っているのか。

 呆れているのか。

 それとも——何も感じていないのか。


(どちらでも、構いませんわ)


 そう思う。

 もう、終わるのだから。


「本日は」


 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

 一つ一つ、丁寧に。

 間違えないように。


「お話ししたいことがあり、お時間を頂戴いたしました」

「……話?」


 わずかに、眉が動く。


「はい」


 頷く。

 そして。

 手にしていた書状を、そっと差し出した。


「こちらを、お読みくださいませ」


 アルベルトが、それを受け取る。

 視線を落とす。

 紙の上の文字を、追う。

 沈黙。

 長くも、短くも感じる時間。

 アリアナは、ただ静かに待った。

 視線を上げない。

 表情も変えない。


 ——最後まで、完璧に。


 やがて。


「……は?」


 低い声が、落ちた。

 その一言で、空気が変わる。


「……何だ、これは」


 紙を持つ手に、わずかな力がこもる。


「ご覧の通りでございます」


 静かに、答える。


「婚約解消の、お願いでございます」


 沈黙。

 先ほどとは違う。

 重く、張り詰めた沈黙。


「……本気で言ってるのか」


 ゆっくりと、問われる。


「はい」


 迷いなく、頷く。


「熟考の末、出した結論でございます」


 嘘ではない。

 何度も考えた。

 何度も、考え直した。

 それでも。

 答えは、変わらなかった。


「……理由は」


 短く、問われる。


「私が、相応しくないためでございます」

「……は?」


 わずかに、声が荒くなる。


「何を言っている」

「事実でございます」


 淡々と、続ける。

 感情を乗せないように。


「私は、殿下のお傍にいるに相応しい人間ではございません」


 胸の奥が、きしむ。

 けれど。

 それを表に出してはいけない。


「これ以上ご迷惑をおかけする前に、身を引くべきかと」

「……迷惑?」


 繰り返される。

 低く。

 押し殺したような声で。


「そうでございます」


 頷く。


「私は、殿下にご不快な思いをさせてばかりで——」

「勝手に決めるな」


 遮られた。

 ぴたりと、言葉が止まる。


「……え?」


 顔を上げる。

 アルベルトの表情が、目に入る。


 ——見たことのない顔だった。


 怒り。

 苛立ち。

 そして。

 それ以上に。

 何かを、必死に押し殺しているような。


「誰が、お前を迷惑だと言った」


 一歩、距離が詰まる。

 圧が、強い。

 思わず、息を呑む。


「……殿下は、先日」

「それが理由か?」


 被せるように、言われる。

 言葉が、詰まる。


「ため息一つで?」

「……」


 何も言えない。

 それが、きっかけだった。

 けれど。

 本当の理由は、もっと前からあった。


「……違います」


 かすかに、首を振る。


「もっと以前から、私は——」

「じゃあ、何だ」


 逃がさないように、問い詰められる。


「……」


 言葉が、出ない。

 言えない。


「言え」


 低く、命じられる。

 逃げ場がない。


「……私は」


 震える声を、無理やり押し出す。


「選ばれるべき人間では、なかったのです」


 静まり返る。

 その一言が、すべてだった。


「……は?」


 アルベルトの目が、わずかに揺れる。


「私よりも、相応しい方は他にいらっしゃいます」


 淡々と、続ける。


「最初から、間違っていたのです」


 ——自分が、選ばれたこと自体が。


「だから」


 深く、息を吸う。

 これで、終わりだ。


「婚約は、解消していただいても構いません」


 言い切る。

 はっきりと。

 逃げずに。

 その瞬間。

 空気が、凍りついた。


 ——何かが、決定的に壊れる音がした気がした。


 アルベルトは、何も言わない。

 ただ。

 じっと、こちらを見ている。


 その目は——


 理解できないほど、激しく揺れていた。



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