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婚約を解消していただいても構いませんと言ったら、第二王子が「どれだけ好きだと思ってる」とキレました  作者: 只野 唯


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第4話 完璧な令嬢


「——背筋を伸ばしなさい、アリアナ」


 幼い頃から、何度も言われてきた言葉だ。


「視線は落とさない。常に前を見て」

「言葉は簡潔に、しかし品を忘れずに」

「感情を表に出すな。それは弱さだ」


 静かな叱責が、何度も、何度も繰り返される。

 まだ小さな身体には、少し重すぎるほどの期待だった。

 ——けれど。

 アリアナは、それに応え続けた。


「さすがでございます、アリアナ様」


 教師が満足げに頷く。

 その一言が、何よりの報酬だった。

 褒められることが、嬉しかった。

 認められることが、必要だった。


(もっと、頑張らなくては)


 そう思った。

 そう思い続けていた。

 ——あの日までは。


「……男の子、ですって?」


 屋敷の廊下で、使用人たちの声がひそやかに交わされている。


「ええ。ようやく、跡継ぎが」

「奥様も旦那様も、さぞお喜びでしょうね」


 その言葉の意味を、完全に理解したわけではなかった。

 けれど。

 胸の奥に、嫌な予感が広がる。

 足が、自然と早くなる。

 向かったのは、両親の部屋だった。

 扉の前で、足を止める。

 中から、笑い声が聞こえた。

 ——こんなに、楽しそうな声。

 聞いたことが、あっただろうか。

 そっと、扉を押し開ける。


「お父様、お母様——」


 声をかけると、二人がこちらを振り向いた。

 そして。

 ほんの一瞬だけ、驚いたような顔をして。

 すぐに、笑った。


「アリアナ、見てごらん」


 母の腕の中には、小さな赤ん坊がいた。


「あなたの弟よ」


 ——弟。

 その言葉が、やけに遠く聞こえた。


「この子が、我が家の跡継ぎになる」


 父が、誇らしげに言う。

 嬉しそうだった。

 心の底から、喜んでいる顔だった。


(……ああ)


 その瞬間。

 すべてを理解してしまった。


(私は、もう——)


 必要、ないのだと。

 それまで。

 アリアナは、ずっと「特別」だった。

 待ち望まれて生まれた、たった一人の子供。

 家を継ぐ者として、大切に育てられてきた。

 けれど。

 それはすべて、“代わりがいなかったから”に過ぎない。

 代わりができた瞬間。

 その価値は、あっさりと塗り替えられる。


「アリアナ」


 呼ばれて、はっとする。

 母が、優しく微笑んでいた。


「これからは、あなたは良いお嫁さんになれるようにお勉強しましょうね」


 ——良い、お嫁さん。

 それは。

 今までとは、まったく違う役目だった。


「……はい」


 自然と、そう答えていた。

 笑顔も、作れていたと思う。

 それが正しい反応だと、分かっていたから。

 それからの日々は、早かった。

 学ぶ内容は変わった。

 けれど、本質は同じだった。

 ——求められる形に、なること。

 それだけ。


「婚約が決まりました」


 ある日、そう告げられる。


「お相手は、第二王子アルベルト殿下です」


 驚きは、なかった。

 喜びも、なかった。

 ただ。


(選ばれた)


 そう思った。

 数ある令嬢の中から、自分が選ばれたのだと。

 それが、何より重要だった。


「必ず、相応しい妻となります」


 そう答えた時。

 父も母も、満足そうに頷いた。

 ——それで、いいのだと。

 アリアナは理解した。

 完璧であればいい。

 求められる役目を、完璧に果たせばいい。

 そうすれば。

 また、“必要とされる自分”でいられる。

 だから。

 努力した。

 間違えないように。

 失敗しないように。

 常に、正しくあろうとした。

 ——けれど。


「……はあ」


 小さく、息を吐く。

 中庭の風が、頬を撫でる。


(また、失敗してしまいました)


 ほんの些細なこと。

 たった一つのため息。

 それだけで、すべてが崩れてしまう。

 完璧でいなければならないのに。

 それができない自分に、価値はないのに。


「……どうして」


 ぽつりと呟く。

 どうして、あの人の前だと。

 こんなにも、うまくいかないのだろう。

 他の誰の前でも、失敗などしない。

 完璧でいられる。

 褒められる。

 必要とされる。

 ——けれど。

 アルベルトの前では。

 うまく笑えない。

 うまく話せない。

 うまく呼吸すら、できない。

 まるで。

 試されているかのように。


「……きっと」


 答えは、簡単だった。


「私は、選び間違えられたのですわ」


 本来なら。

 もっと相応しい人が、いるはずなのに。

 それでも、たまたま選ばれてしまっただけ。

 だから、こうして。

 少しずつ、見限られていく。

 ——あの時と、同じように。


「嫌われる前に、離れるべきなのかもしれませんわね」


 静かに、そう結論づける。

 胸は痛まない。

 痛んでは、いけない。

 それが、正しい判断だから。


「……完璧でなければ」


 小さく、言い聞かせるように呟く。


「選ばれる資格など、ありませんもの」


 風が、吹き抜ける。

 その言葉を、誰にも届かない場所へとさらっていった。


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