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婚約を解消していただいても構いませんと言ったら、第二王子が「どれだけ好きだと思ってる」とキレました  作者: 只野 唯


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第3話 昔は好きだった


 ——かつて。

 アリアナとアルベルトは、こんな関係ではなかった。

 むしろその逆で。

 周囲の大人たちが微笑ましげに見守り、

 「これは良い縁だ」と早々に婚約を決めてしまうほどには、仲睦まじい関係だった。

 初めて出会った日のことを、アリアナは今でも覚えている。

 まだ六歳の頃。

 王宮の一室で行われた顔合わせの席で——


「これをやる」


 差し出されたのは、小さな箱だった。

 ぱかりと開けば、中には。


「……虫、ですの?」


 思わずそう口にしてしまう。

 細長い体に、いくつもの節。

 貴族の令嬢に贈るには、あまりにも場違いな代物だった。

 普通なら、悲鳴を上げてもおかしくない。

 だが。


「かわいい……」


 思わず、そんな言葉が零れた。


「……は?」


 目の前の少年——アルベルトが、固まる。


「とても珍しそうですわ。こちらは何という虫なのですか?」


 興味津々に覗き込むと、アルベルトの表情が一変した。


「……ナナツフシムシだ」


 どこか得意げに、胸を張る。


「節が七つあるからそう呼ばれている。珍しいやつだ」

「まあ」

「本来は簡単に手に入るものではないが……」


 そこで一度言葉を区切り、こちらを見る。


「貴方には、特別に差し上げる」


 ——特別。

 その言葉に、胸がふわりと浮いた。


「よろしいのですか?」

「ああ」


 当然のように頷く。


「貴方は、私の婚約者になると聞いている」  


 まだ幼いのに、その声音には妙な説得力があった。


「婚約者は、特別な存在だ。だから、特別なものを渡すのは当然だろう」

「……ありがとうございます」


 大切そうに箱を抱える。

 その日から。

 アリアナにとって、その虫は“特別”になった。

 ——それだけではない。

 それをくれた少年もまた。

 いつの間にか、“特別”になっていた。

 それからの二人は、よく一緒に過ごした。

 王宮の庭で、並んでしゃがみ込む。

 視線の先にあるのは、華やかな花ではなく、小さな生き物たち。


「アリアナ、見てみろ」

「何ですの?」

「エリタテトカゲだ」


 得意げに指差す。


「襟を立てているように見えるだろう?」

「本当ですわ」


 ぱっと顔を輝かせると、アルベルトはますます嬉しそうにした。


「オスにだけあるんだ。これが立派なほど、強い個体とされる」

「どうして立てるのですか?」

「メスにアピールするためだ」


 まるで何でも知っているかのように語る。

 その知識のほとんどが、誰かから教わったものだと知っていても。

 アリアナは、ただ純粋にすごいと思った。


「アルベルト様は、物知りでいらっしゃいますね」

「……そうか?」


 少し照れたように視線を逸らす。

 その仕草が、やけに可愛らしくて。


「ええ。とても」


 素直に頷けば。

 アルベルトは、ほんの少しだけ誇らしげに笑った。

 ——あの頃。

 二人の時間は、穏やかで。

 やわらかくて。

 確かに、温かかった。

 ナナツフシムシは、やがて蛹になり。

 羽化して、蝶になった。

 光を受けてきらめく翅は、息を呑むほど美しくて。


(……本当に、特別ですわ)


 そう思った。

 あの時、彼が言った通りだと。

 “特別なもの”をくれたのだと。

 そして。

 その“特別”をくれた人もまた——

 自分にとって、かけがえのない存在になっていた。


「アリアナ」


 名前を呼ばれる。

 振り返れば、そこにはアルベルトがいて。


「次はあっちを見に行こう」


 当たり前のように、手を差し出される。

 その手を取ることに、何の迷いもなかった。

 ——ずっと、こうしていられると思っていた。

 何も疑わずに。

 何も恐れずに。

 ただ、隣にいられるものだと。

 そう、信じていた。


「……アリアナ」


 不意に、現実に引き戻される。

 呼ばれた名前に顔を上げると、そこは王宮の廊下だった。

 隣にいるのは、アラン。

 差し出された手を取ったまま、歩いている。


(……そうでしたわね)


 先ほどの出来事を、思い出す。

 泣いて。

 慰められて。


 ——そして。


 アルベルトに、見られた。

 無意識に、唇を噛む。

 あの時の表情が、頭から離れない。

 怒っていた。

 けれど、それだけではなかった。 


(……どうして)


 胸が、痛む。


「大丈夫?」


 アランが、少しだけ屈んで顔を覗き込んだ。


「顔色が悪いよ」

「……問題ございません」


 すぐに答える。

 もう、泣いてはいない。

 いつもの自分に戻らなければならない。


「そう?」


 どこか納得していないような声。

 けれど、それ以上は追及されなかった。

 やがて、足が止まる。


「ここでいいかな」


 中庭へと続く扉の前だった。


「少し風に当たるといい」

「……ありがとうございます」


 軽く頭を下げる。

 扉を開けて外へ出ると、やわらかな風が頬を撫でた。

 一人になる。

 静けさが戻る。

 ——その瞬間。


「……っ」


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。

 思い出してしまったから。

 あの頃のことを。

 無邪気に笑っていた、あの時間を。


「……どうして」


 ぽつりと、言葉が零れる。

 どうして。

 あんなにも、自然に隣にいられたのに。

 どうして。

 今は、こんなにも苦しいのか。

 どうして——


「……嫌われてしまったのでしょう」


 返ってくる答えは、ない。

 ただ、風だけが静かに吹き抜けていく。

 かつて“特別”だと告げてくれた人は。

 今では、遠く。

 手を伸ばしても、届かない場所にいる。

 ——まるで。

 あの蝶が、空へと飛び立ってしまった時のように。

 二度と、戻ってこないもののように。

 アリアナは、そっと目を伏せた。


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