第12話 特別の意味
『どれだけ好きだと思ってるか知らないくせに』
その言葉が、頭の中で何度も響いていた。
好き。
——好き?
(……殿下が、私を?)
理解が、追いつかない。
今まで一度も、そんなふうに考えたことはなかった。
怖がられていると思っていた。
嫌われているとさえ、思っていた。
なのに。
「……どうして」
かすれた声が、零れる。
「どうして、何も仰ってくださらなかったのですか」
震える声で、問いかける。
アルベルトは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……言えるかよ」
苦々しく、吐き出す。
「お前みたいなやつに」
「……私、みたいな」
「完璧で、正しくて、隙がない」
自嘲気味に笑う。
「そんなやつに、“好きだ”なんて」
言葉を切る。
少しだけ、視線を逸らす。
「……馬鹿みたいだろ」
その一言に。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
(違う)
違う。
そんなこと、ない。
「……違います」
気づけば、言葉が出ていた。
「私は、完璧ではありません」
「は?」
アルベルトが、眉をひそめる。
「見ての通りです」
小さく、笑う。
自嘲ではなく。
どこか、力の抜けた笑みだった。
「ため息一つで、関係を壊すような人間です」
「……それは」
「何も分かっていなかったのです」
言葉を、続ける。
止まらない。
「殿下のことも、自分のことも」
胸の奥に、溜め込んでいたものが。
少しずつ、溢れていく。
「私は、ずっと」
視線を落とす。
震える手を、ぎゅっと握る。
「選ばれるために生きてきました」
正しくあればいい。
間違えなければいい。
そうすれば、選ばれる。
必要とされる。
——そう思っていた。
「でも」
顔を上げる。
まっすぐ、アルベルトを見る。
「殿下は、違った」
言葉に、力がこもる。
「私が正しいかどうかではなく」
一歩、近づく。
「私を見てくださっていた」
その事実が。
今さらになって、胸に落ちる。
「……」
アルベルトは、何も言わない。
ただ、こちらを見ている。
「怖かったのです」
ぽつりと、零す。
「殿下の前では、うまくできない」
完璧でいられない。
取り繕えない。
「だから、嫌われると思っていました」
「……っ」
アルベルトの表情が、揺れる。
「でも」
小さく、息を吸う。
覚悟を決めるように。
「違ったのですね」
その一言で。
すべてが、繋がる。
「……今さらかよ」
呆れたように言う。
けれど。
その声は、どこか安堵していた。
「はい」
素直に、頷く。
「今さらです」
一歩、さらに近づく。
もう、手を伸ばせば届く距離。
「……殿下」
静かに、呼ぶ。
「私、思い出しましたの」
ふと、微笑む。
柔らかく。
「昔、殿下がくださったもの」
「……あ?」
「ナナツフシムシです」
その名前に。
アルベルトの目が、わずかに見開かれる。
「……そんなの、まだ覚えてるのか」
「はい」
くすりと笑う。
「とても大切に育てましたもの」
あの小さな箱。
誇らしげに渡された、特別なもの。
「蛹になって」
懐かしむように、目を細める。
「やがて、美しい蝶になりました」
静かな声で、続ける。
「とても、綺麗で」
あの時、思ったのだ。
——これは、特別だと。
「……だから」
視線を、アルベルトに戻す。
まっすぐに。
逃げずに。
「“特別”とは、何か」
はっきりと、言う。
「ようやく分かった気がいたします」
アルベルトは、何も言わない。
ただ、息を詰めるように見ている。
「選ばれることでは、なかったのですね」
その言葉に。
ほんの少し、驚いたような顔をする。
「……ああ」
小さく、頷く。
「そんなもんじゃない」
「はい」
同じように、頷く。
「ですから」
最後の一歩を、踏み出す。
距離が、ゼロになる。
「私は——」
一瞬、だけ。
息を止める。
そして。
「私は、殿下のものです」
言い切る。
迷いなく。
まっすぐに。
その瞬間。
「……っ!」
アルベルトが、強く息を呑んだ。
次の瞬間。
ぐい、と腕を引かれる。
「……は、馬鹿かお前」
低い声。
けれど、震えている。
気づけば。
強く、抱きしめられていた。
「今さらそんなこと言うな」
ぎゅっと、力がこもる。
苦しいくらいに。
でも。
「……はい」
その苦しさが、心地よかった。
そっと、腕を回す。
抱き返す。
「遅くなってしまい、申し訳ございません」
小さく、謝る。
「本当だよ」
即答される。
思わず、笑ってしまう。
「ですが」
そのまま、続ける。
「もう、間違えません」
ぎゅっと、力を込める。
「殿下を、見失いません」
その言葉に。
アルベルトの腕が、わずかに強くなる。
「……離すなよ」
ぽつりと、呟かれる。
「絶対に」
「はい」
迷いなく、頷く。
「離れません」
もう、選ばれる必要はない。
正しくある必要もない。
ただ。
「特別だから」
その一言で、十分だった。




