魔王の成長
「――なかなか議場に戻られないと思ったら。おやおやまぁ」
「シュスラ」
控えの間へやって来たシュスラの呆れ声に、場はいったんの落ち着きを取り戻した。
高位魔族の青年は〝ちょっと目を離した隙に〟すっかり十六、七歳の容姿になった主君のありように、困ったように微笑む。
「お召し替えが必要ですね。御身の魔力もやや荒ぶっておられる。会談は明日にしますか」
「……そうする」
溜め息とともに椅子の背にもたれたユウェンはたしかに億劫そうで、ロザリンドは眉を寄せた。「では、詳しい変更連絡はのちほど」とシュスラに告げられたサジェスが首肯し、ひとまずの散開となる。
後ろ髪をひかれるように、ちらちらと振り返りながら退室するロザリンドに、熱っぽく朱赤の瞳を潤ませたユウェンは流し目を送り、ひらりと手を振った。
その、長く伸びた前髪のあいだからのぞく迫力の美貌に。
「!」
「……ちょっと休めば収まる。王女、きのうの言を撤回だ。おとなしく館で待て」
「え、あっ」
「ザグラフ、彼女を丁重に運べ。見張りを命ずる。逃がすなよ」
「畏まりました」
「はァ!? やだ、歩けるったら!」
問答無用に炎竜人の青年に抱えられ、ロザリンドはじたばたと暴れたがびくともしない。
仮にも一国の王女に、こんな扱いはどうなのかと兄に助けを求めるも綺麗に黙殺される。
「薄情者……!」
「またな、ローズ。いい子でいなさい。――ザグラフ殿、愚妹がすまない」
「いいえ、王命ですので。お気になさらず」
「どいつもこいつも、どこに目ェ付けてるの!? やーーだーー!!」
元気いっぱいに抵抗するロザリンドは面々に見送られ、みごとな実力行使で退室を余儀なくされた。
「もう」
さすがに屋外では衆目がある。里の竜人たちから奇異の目で見られるのは避けねば、と、辛うじてしおらしくなったロザリンドは、「絶対に脱走しない」と約束したうえで地面に降ろされた。たいした距離でもない。徒歩で進む。
傍目には勇猛果敢な炎竜将軍を伴に、しずしずと歩く灼熱の髪色のロザリンドに、里人たちは自然に会釈して道を譲った。
がらりと雰囲気を変える人間の王女に、ザグラフは訥々と話を聞かせる。
――――魔王の、魔王たるゆえんの特異体質。その成長に関する説明を。
「アクアジェイルの城でも一度ご覧になったでしょう、陛下が突然成長なさるのを。通常、魔王陛下の〝成長〟に必要なのは、世界に蔓延る負の魔力です。体が満ちれば自ずと力も強くなりますからね。代々の魔王陛下は、そうして成体になりました」
「ユウェンは違うのよね?」
「ええ。おそらく、このあと陛下ご自身からお聞きになるかと思いますが」
しばらく言いよどみ、半歩前をゆくザグラフが斜め後ろの王女を振り返る。
……黙っていれば、白磁の肌に健康そうな薔薇色の頬。きりりとした気のつよい眉。目尻の上がった水色の瞳に不遜さを漂わせる口元。うつくしい王女である。
しかも、総じて男の気を惹きそうな体つきに、本人がどれだけ猫を被ろうと隠しきれない奔放さに高慢さ。なるほど、当代魔王をして『争乱の相』と言わしめたオーラがある。
ザグラフは諦めたように前を向いた。客用の館はすぐそこだ。
「ユーグラシル陛下は我々の誇りです。悠久の魔族の歴史にあって、唯一と言っていい。世界中の負の魔力を取り込まず、増やさず、争いを起こさずに千年の幼体を貫かれたかたですから」
「……」
「ゆえに『千年魔王』とお呼び申し上げます。魔のちからの根源であらせられるので、陛下が負の成体となられれば我々も間違いなく血に狂う。和平どころではないでしょう」
「……まあ、そうでしょうね」
「ご理解が早くて助かります。と、着きました。どうぞ中へ」
「はいはい。ご苦労さま」
ぞんざいに労をねぎらわれ、ザグラフはきっちりと彼女を館付きの侍女へと引き渡した。
* * *
「派手に大きくなりましたね」
「うるさい。服を寄越せ」
――ユウェンとシュスラは、元々この会談用の建物に滞在している。借り受けている最上質の奥間に移り、ふたりは淡々と会話を交わした。シュスラが持ってきた成人用の衣服に、ユウェンは手早く着替える。その動作に淀みはない。
「熱も下がりましたね。良かった」
「俺が鎮まらなければお前たちまで調子が狂うだろう」
「そうなんですよねえ、はい、御髪を整えますか」
「……ん」
しゅるりと帯を締め、どかりと身支度用の椅子に腰を下ろす。双角と黒翼は引っ込め、再びの隠形になったユウェンは、肩下まで伸びた黒髪を後ろから梳られた。
なめらかな髪の質感と溢れんばかりの膨大な王の魔力に、ほう、とシュスラが感嘆の息をつく。
「ご自身の意思、しかも無意識に成長を望まれたわけですから、あまり心配なさらずとも大丈夫ですよ。血の近い私に体調の変化はありません」
「……」
「お気遣いは、たいへん嬉しく思います」
「そうか」
ようやく肩を下げた、青年と少年のあいだの容姿を得た魔王が眉尻を下げる。
コトン、と櫛を卓上に置いたシュスラは手鏡をあるじに渡した。「切りますか?」
「いや、いい」
一瞥してそれを返したユウェンが立ち上がる。さらりと真っ直ぐな闇色の髪が揺れる。
背は、長身のシュスラをわずかに見上げるほどに迫っていた。
ゼローナとは違い、四角に切り取られただけのような窓のシルエットが細長く床に落ちる。部屋は藍に沈みゆく。光は茜色。
カツ、と靴音が響く。頭を垂れるシュスラの前を黒絹の長衣とマントがそよいだ。
「……面倒くさいが、話をつけてこよう。エルドラクを呼んでくれ」




