竜の谷(1)
「久しいな、エルドラク。邪魔をする」
「ようこそおいでくださいました。陛下」
ザグラフに扉を開けられ、馬車を降りたロザリンドが目にしたのは長閑な谷間の村。それに、すでに挨拶を交わす少年魔王と竜翼の老爺の姿だった。
ザグラフが『視られている』と言った根拠もわかった。頭上の晴天には幾頭もの竜種が飛び交い、あるいは旋回している。
さすがは魔族領。
(『銀ひめ』ではヒロインがステータス上げにちょっと訓練するだけだったものね……。ここならレア種がいっぱいいそう)
そこへわらわらと同行者たちが集う。
うち、紅髪の長身の青年に手招きで呼ばれ、ロザリンドは従った。
「ローズ、おいで。お前もいたほうがいい」
「はい。兄様」
立場上、いちおう王女らしくしずしずと応える。
彼の名はサジェス。大ゼローナ国の王太子にして、ゲームではヒロインの攻略対象のひとり――だった。王族四人兄妹の長兄だ。
(本当に、いろいろと設定が違いすぎるのよね……)
容姿は実写化にあたって許容範囲とはいえ、記憶にあるゲームとは何かが違う。主にキャラクターの性格や人間関係が。
……とはいえ、それら「本編」は終わったこと。
ロザリンドは、あくまでゼローナの王女であり、此度の事件の「被害者」として、スンと表情を取り澄ました。
そこへ、馬車のひとつから三名の犯罪者が引き下ろされる。騎士たちに連れて来られたのは黒髪の少女がひとり、竜人族の翼を持つ屈強そうな女性がひとり。わずかに額にこぶがある、中肉中背の男性がひとりだった。
横一列に並ばされた彼らに、竜人族の長は冷ややかに無言対応。代わりに、長の脇に控えていた初老男性が声を張り上げた。
「この――ッ、馬鹿者が!!」
「おじい様、でも……! 以前、仰っていたではありませんか。世が世なら、兄上はエキドナの公子。“転移”の能力を持つゼローナ王族さえ得られればと」
「黙れ、ベティ!」
「っ」
ベティと呼ばれた娘は、頬を張られる予感に身をすくませる。
が、それを未然に防いだ者がいた。今上魔王の片腕として辣腕をふるう魔族青年、シュスラだ。
シュスラはベティの祖父の手を遮るように立ちはだかり、氷の視線を流した。
「控えよ。王と客人の前で無様な真似は許さん」
「うう……」
くずおれる初老男性を一瞥し、シュスラがサジェスたちに向き直る。
ユウェン――少年魔王ユーグラシルもまた、口をひらいた。
「すまない。こんな奴らでも魔族の血は流れている。そちらの王女を謀り、メイドとして潜入した愚かな娘も、曲芸団に混じって誘拐実行に及んだふたりも、帰国の温情に甘えて当方で厳密に処罰しよう」
「ええ、よろしくお願いします。魔王陛下」
サジェスは鷹揚に頷き、傍らの妹を見遣る。
ロザリンドも、もちろん否やはない。黙って首肯した。
「では、早速協議を。エルドラク殿。頼めますか」
「うむ。おいでなさい」
シュスラが促し、エルドラク老爺は達者そうな足腰で踵を返した。
「ゼローナの姫はこちらへ」と、老爺の縁者らしき女性がロザリンドをいざなう。
会談のあいだ、客室で待たされるのだろう――
そう理解し、その場を離れようとしたとき。ふと振り向いたユウェンと目が合った。
* * *
谷を流れる川に面した館の一室。
女性がロザリンドだけである点を鑑み、女性の使用人が付けられた、なかなか過ごしやすい部屋だ。
前世のぼんやりとした記憶では、ちょっとしたリゾートホテルのような。
「ふうん、いい部屋ね。ありがとう」
「ようございました。さ、ではこちらへ。人間の王女様」
「……へ?」
片腕を腰に当てて部屋を吟味していたロザリンドは驚き、付き人の女性を見た。
彼女も竜人族なのだろう。額に一本角。背には竜の翼を持ち、翼の邪魔にならないよう南国めいた大きな布を器用に巻いて服に見立てている。
いそいそと連れて行かれたのは続きの間。なんと、おおらかな生け垣が張られた半露天風呂だった。ご丁寧に花まで浮かべられている。
「え? なに、これ」
「我が竜の谷は火山地帯でもありまして、温泉が豊富にございます。ご心配なさらず。こちらはお客様専用ですわ。知らせをいただいてから急いで整えましたの。お気に召していただければ幸いです」
「ええっ! まっ、――アアッ!!?」
さすがは竜人美女。にこやかだがたいへん力が強い。ロザリンドは抗うすべもなく旅装を脱がされ、滑らかな色石が敷き詰められた風呂へと放り込まれた。
そうして、思う存分磨かれたわけだが。
「うそでしょ。もう? もう、そんな話になってるの??」
「左様です。長らくお妃をお迎えにならなかった陛下が、人間との和睦交流の証にゼローナの王女を妻になさると」
「えええ……」
「違うのですか?」
「えっ、いいえ。違わ……ないけど。おおまかには」
「なら、問題はありませんわね」
うふふと笑う女性は、再びロザリンドの世話に立ち戻る。みごとな御髪ですこと、と褒めそやす声もどこか遠くに感じた。気持ちが追いつかない。
ざああ、と花の香りのお湯が盥に張られ、丁寧に髪を浸される。
ロザリンドは想像以上の歓待に戸惑い、まるで借りてきた猫のように大人しくなった。




