プロローグ 〜台風王女の恋〜
元いた世界の名前なんて、これっぽっちも覚えちゃいないわ。けど、これだけは覚えていたかった。
あなたに出会うために望んだ「悪役王女」「追放」、「バッドエンド」――
なんてことない。
それこそが望み。ご褒美だったの。
* * *
「ねーえ、まだ着かないの? 魔都!」
見渡せど見渡せど荒れ地。砦を越え、国境も越えたころ。馬車に揺られることに飽いた赤髪の少女は、ひょいと車窓から顔を覗かせた。
「ちょっ、お姫さん」
馬で並走していた三本角の魔族青年が、頬を引くつかせて手綱をさばく。背に立派な竜人族の羽を持つ彼は、半眼で苦笑した。
「わかっちゃいましたが、とんだ跳ねっ返りですね。危ないですよ」
「平気よ。ユウェンは?」
「あちらに」
窓の縁に手をかけ、彼が指す前方に視線を凝らすと、一団を率いる先頭に二頭の馬。それぞれが一人乗りで片方がユウェンだ。後ろからでもわかる、薄闇色の尖った耳が人間との差異を感じさせる。成長途中の華奢な体格に短い髪――
かたや、もう一頭の馬には長い黒髪の高位魔族青年が。
彼らふたりは純度の高い、つまり混じりけのない魔王の血脈なのだという。
「……話せないかしら」
「どうでしょう。ここはもう“竜の谷”の勢力圏です」
「だから?」
「先触れしてあるとはいえ、竜人族の長はじつに気難しい。我々は、すでに『視られて』います。王に心酔する長だからこそ、いかにも異分子たる存在――貴女を始めとする人間の同行者たちは、厳しい目で見られるでしょう」
「はあ」
「もっとわかりやすく言います。せめて、『ユーグラシル王』と。節度ある距離を心がけてください」
「……」
「それから」
「何よ。まだあるの?」
辟易と叫ぶ人間の王女に、魔王の側近たる炎竜人の青年は、ふっと笑った。
「魔都に向かう前に、ここで数泊します。けっこう大きな案件ですからね。不自由かもしれませんが、ちょっと我慢してください」
「もう、わかったわよ!」
舌打ちを堪えてからだを引っ込め、ひらひらと手を振ると、護衛だとユウェンから付けられた青年――ザグラフは会釈して馬首をかえした。さっと馬車から離れる。
ひとり、馬車のなかに取り残された王女は腕組みで唸った。
「護衛っていうか、これって完全にお目付け役じゃない……? ユウェンったら。あとで覚えてらっしゃい」
馬車は合計三台。取り囲む護衛は魔族と人間を合わせて十名足らず。陣容としては薄いが、戦力は過大だろう。なにしろ、たいへんな実力者揃いだ。
機動力を再優先に組まれた一団は、精鋭魔族と人間の王侯貴族が五名。此度の両者の協力を引き起こした犯罪者が三名。
赤髪の少女は、とある事件の犯罪者たちの輸送・引き渡しを名目とする両国会談に、無理やりついてきた形になる。
王女の名はロザリンド。
栄えある大ゼローナ国王第三子にして第一王女。
渦巻く紅蓮の髪と水色の瞳が特徴的な、正真正銘問題児。
なんと、つい先日、自身の見合いを蹴って王城を出奔した、十七歳のうら若き乙女でもあった。
近しい人々は彼女をこう呼ぶ。
――――「台風王女」と。
* * *
もとを辿れば、ロザリンドは転生者だ。
前の世界での死に様は忘れたが、気がつくと前世でやり込んだ乙女ゲーム『銀のひめごと』のプレイヤー入力画面のような空間にいた。
好きな名前を入れて設定をもろもろカスタマイズする、あの場面だ。
ゲームにはシステムを管理する存在がいた。『案内人』という、旅人ふうの優男。
そのキャラクターが降り立ち、藪から棒に問いかけた。
「あちらの世界からやって来た魂には、生まれ変わる際にもれなく”贈りもの”を授けるんだ。キミは何を望む?」
「望み……」
真っ暗な空間で、真っ白な入力画面と、淡く発光する案内人ににっこりと促され、まだ名前がなかった●●●●は、最低限の熟考時間を経て勢いよく答えた。
「じゃあ、『ロザリンド』になる!」
案内人は「……は?」と固まったし、●●●●は、案内人がゲームと態度が違うことを不審に思った。
その後は、レアスキルでどう? だの、裕福な家庭に生まれるのは? だの、お茶を濁されるばかり。
●●●●が意図する「『銀のひめごと』のヒロインではなく悪役王女になりたい」という願いを正しく理解されるまで相当の時間を要した。
案内人は、つばの広い羽帽子の頭を抱えた。
「何ということだ……キミの願いは破格すぎる」
「案内人のくせに。つべこべ言わずにやりなさいよ」
「見え方も問題なんだよなぁ!?」
斯くして、さらに待たされることかなりの時間。●●●●の感覚が麻痺し、ありとあらゆる前世の記憶も薄れてきたころ、ようやく変化が訪れた。
光とともに、ぐったりと疲れたふうの案内人が再来する。
「ここまでやったんだ。頼むから、一回で幸せになりなさい」
「はあ? 意味わかんないし。さっさと魔王ユーグラシルに会わせなさいよね」
自身が光の塊でなければ、両手を腰に当てて憤慨していたところだと●●●●は思う。
ぶつぶつとこぼす案内人の手がひらめき、●●●●は、真っ白な四角い画面に吸い込まれていった。
そうして、十七年と約十ヶ月。
あの手この手で無双してもなかなか追放してもらえなかったロザリンドは、ゲームよりも子煩悩が過ぎる両親がすすめた最終兵器=見合い(※父親の親友の後添い)をきっぱりと断り、敵前逃亡をやってのけた。
いま、自力でこぎ着けた追放(?)エンドの続きは、ゲームで見ることが叶わなかった魔族領にある。
すべて未知の世界。
(やってないけど、まずは“竜の谷”イベントなわけね。『銀ひめ』やり込みゲーマー舐めんじゃないわよ……!)
意を決したロザリンドがこぶしを握った瞬間、ガクンと揺れて馬車が止まった。




