狭間の世界で
(ここは……ええと、たしか)
ロザリンドは目を瞬いた。
たった今まで長い夢を見ていたようであり、これこそが夢な気もする。ぼうっと辺りを見回と、何もなかった。
さいわい両足は床についている。不安定なことはない。これは、靴越しに擦った地面が大理石のようにすべすべだったために「床」と認識したに過ぎず、そのじつ部屋でないのは明らかだった。天井や壁がないからだ。更に言うなら光源が見あたらず、うっすらと明るい。足元に影がない。
そうした特徴から記憶がじょじょに整理されてゆく――ロザリンドは、ひとつの仮定を導き出した。
「ひょっとして、生まれ変わるときにさんざん待たされた場所? 死んじゃったの? わたし」
「大丈夫。生きてるよ」
「!!」
ふいに声をかけられ、弾かれたように振り返ると、羽根帽子を目深に被った男がいた。
流れる金髪。旅人のような装い。
彼のことは――覚えている。
『銀のひめごと』における、プレイヤーのサポートキャラ〝案内人〟。忘れるわけがない。
前世から慣れ親しんだ存在への気安さに、ロザリンドは反射で食ってかかった。
「もうっ! びっくりしたじゃない。これってあんたの仕業? さっさと戻しなさいよ」
「相変わらず元気だなぁ……。まぁ、落ち着いて。ちよっと話があったから呼んだんだ。ちなみに、ここでの時間はあちらへ影響しない。いまのキミは精神体だからね」
「精神……って、魂みたいなもの? おかしいわね。身体ならあるけど」
きょとんとして両手を広げ、訝しそうに自分の格好を確認する。
その様子に、鍔広帽子の青年は感慨深そうに頷いた。
「それだけ、いまのキミがその姿を受け入れている証だよ。いいことだ」
「……案内人?」
「っふ。このボクを捕まえて、そんなふうに呼ぶのはキミだけだった…………って、調子が狂うから手短に終わらせよう。これを見て」
胸ぐらを掴んだロザリンドの手を丁寧に外し、帽子の青年は、すいと片手を宙に振る。
すると、光る画面が現れた。
ちいさめの映画スクリーンのようなそれを、ロザリンドはくちを開けて凝視する。
「これって」
「違和感があれば言ってくれ。あくまでもキミの概念に沿うよう表現している――スチル、だっけ?」
「ええそう。そうよ。これ、いつの場面?」
「キミをこっちに呼んだ瞬間の、あっちの様子さ」
「!! え、ええええッ!?!?」
ロザリンドは、くちをはくはくとさせた。
じつは、不埒者が消えたあたりからごっそりと記憶が抜けている。
スクリーンでは、あるじを失った騎竜が愚直に森を目指しており、気を失ったように見えるロザリンドは虚空に身を傾けていた。
―――いやこれ、ぜったい落ちるでしょ。
そう突っ込もうとした矢先、ガイドが再び手を滑らせる。その先で画面が移動。とある一点が拡大された。騎竜の真下に黒翼を広げ、飛んでくる双角の王が……!
たまらずロザリンドは奇声を発した。
「きゃーーーーぁああ!!!! ユ、ユウェン!? うそっ、綺麗っ、かっこいい! 後ろ姿でもわかるわ。髪、伸び……えっ、待って青年バージョン?? カメラ視点変更! 正面! 横顔でもいいです、お願いします!!!!」
「キミは……本当に賑やかだなぁ」
「放っといて。心の叫びを我慢しすぎたら死んじゃうでしょ。尊きものを前にして」
「いや、それは困るから!? 本題に入ろう。キミは、彼が好き?」
「!」
ロザリンドは息を呑んだ。
ほっそりした上半身を屈めてこちらを覗き込む青年の瞳が深淵そのものの色合いであることに、つい驚きを覚えて。
微笑んだ青年は「おっと」と呟き、帽子を押さえて身を引いた。
「ボクのことはいい。質問に答えて」
「それは……もちろん。好きよ。ユーグラシルが」
「『ユウェン』とも呼ばれているね。彼自身を?」
「そうだって言ってるでしょう」
「――――ハレルヤ!! やった! ようやくだ!」
「?? は?」
快哉を叫んだガイドの姿があまりに珍しく、むしろ初見(※ゲームの記憶含む)で、ロザリンドはおおいにたじろいだ。
ガイドであるはずの青年は、うれしくて仕方がないというふうに両手で拳を握っている。歓喜に打ち震える……とは、こんな様子を指すのかもしれない。
やがて、奇人を眺めるかのような視線に気づいたガイドは、コホンと咳払いをした。
「確認事項はそれだけだ。さ、戻してあげよう。目を閉じて」
「……いまさら取り繕ったって変わんないわ。ねえ、何なの、あんた」
「〝案内人〟だろう? キミが言った」
「まあ、そう……ッ?! ひゃっ」
水色の大きな瞳を開けっ放しだった王女が、問答無用に光に包まれる。
そうして、しゅるりとほどけるように姿を消した。
* * *
「行ったか」
転移の際に慌てて目を瞑ったようだが、あれでは肉体に戻ってからも、ちょっとばかり目が眩んでいるかも――などと、ガイドは思った。
否、ガイドと呼ばれた存在は。
ふるりと頭を振って姿を変え、どこからか椅子を顕現させる。そうして、妙な人間くささで座面に収まり、深々と埋もれた。
その外見は球体。
なんと、プリズム色に波打つ光そのものだった。
「長かった……いくら向こうのイメージに変換されるとはいえ、まさかの『げーむきゃらくたー』とは。あの娘の願いひとつのために、どれだけ骨を折ったやら」
ひとであれば長大な溜め息をこぼしたろう。
光は、たゆたうように回顧する。
――二千年以上前のこと。
かつて光は、『ゼローナ』なる王権を誕生させるため、すでに在った狂乱の魔王を退かせるだけの武力を人間たちに与え始めた。
それが異世界からの転生者以外に〝能力〟を授けるようになったきっかけ。
光はおそろしく奔走(※比喩)した。
最初の国王に特別なギフトを贈り、破綻しないように制限を定め、世代ごとに注意深く見守って。
(まったく。いつぞや『猫になりたい』と願った娘とは、また違う厄介さだった……。もう懲り懲りだ)
無欲すぎたヨルナ。
強欲を貫いたロザリンド。
かの娘たちは、今、それぞれの幸せに向かって進んでいるだろう。
それは善きこと。光にとって古の約定であり、本懐である。だからこそ満足げに呟いた。
「幸せにおなり。最後はみずからの手で、ね」
揺れる光は、まるで水面のように。
いたずらな妖精の羽のように、キラキラとさざめいた。




