宮廷の闇
切迫した妄念と焦燥に支配された破滅型のダメ男。
ルドルフ皇太子こそ、母たるエリザベートが育成に成功してしまった稀代のダメ男なのだろうか。そんな自戒の念が去来したが、幼い頃から帝王学を叩き込まれて育ったルドルフとは母子らしい親密なやり取りが欠けていたのかもしれない。
心中なのか、情死なのか。
いずれにしたって、かなりの計画性があったことは間違いない。
ここまでの聞き取りを通じて、ルドルフが《《理解不能なまま死んだ》》ことがはっきりとした。
狂気はあった。
兆候もあった。
止めようとした人もいた。
それでも死は避けられなかった。
これ以上調べてもなんの収穫もない気配が漂うが、それでも聞き取りを続行した。
続いて呼び出したのは、マイアリングの狩猟の館を訪れた面々だった。
執事のロシェク。
馭者のブラートフィッシュ。
森番ラトシェック。
狩猟に招待されたヨーゼフ・ホヨス伯爵とフィリップ・フォン・コーブルク大公。
口裏を合わせられないよう、それぞれ別の部屋に一人ずつ呼び出した。
狩猟の館には同行していないが、情婦のミッチー・ガスパールも呼び出したが、頑として呼びかけに応じなかった。
「そう、ミッチー・ガスパールは来ないのね」
皇妃直々の呼び出しに応じないなんて、なかなか肝が据わっている。
会ったこともない相手であるが、彼女なりにルドルフの死を悼んでいるのなら、そっとしておくべきだと思った。それに皇妃に訴えたいことがあれば、いずれ、ひょっこり顔を出すやもしれない。
呼びかけに応じないということは、今は何も言うことがないのだ。
ただただ死を悼んでいる。
ひとまず、そういうことにしておこう。
狩猟の館の留守居のラトシェックはこのように証言した。
「ルドルフ皇太子が突然いらっしゃり、疲れている、と言って、すぐに寝室に入られました。それから一時間くらいが経ったでしょうか。馬車が館に到着しました」
「マリー・ヴェッツェラが馬車に乗っていたのね」
「すみません。どなたが乗っていたのか、確認しておりません。ルドルフ皇太子はマイアリングの電報局にも自分が来ていることを知らせないように、とおっしゃいました。また、道に面している窓をすべて閉めるよう指示なさいました」
「そう……」
聞けば聞くほど、周到な準備がなされていることが窺い知れた。
ウィーンを南下したレストランで落ち合ったルドルフとマリーを馬車に乗せたのが馭者のブラートフィッシュだった。
「狩猟の館の近くまでお二人を乗せました。ルドルフ皇太子は途中で馬車を降り、雪の積もる森の中を歩いて館まで向かわれました」
「森番は馬車の中まで確認したのかしら」
「いいえ」
「じゃあ、森番の隙を盗んでマリーは館に入ったのかしら」
「どのように館に入られたかは存じませんが、寝室の奥の部屋でルドルフ皇太子とマリー・ヴェッツェラはシャンパンを飲み明かしておりました」
「それは本当?」
「はい。お二人にウィーン民謡をお聞かせしたので、間違いありません」
エリザベート宛ての遺書にまさしくそんなことが書かれていた。
――素晴らしい晩で、ブラートフィッシュのウィーン民謡は実に見事でした。
「あなたの民謡は素晴らしかったと書かれていましたよ」
「勿体ないお言葉です。なんと申し上げればよいか、言葉もありません」
「いいえ。あなたに罪はありません。私はあなたを罰したいわけではありません。ただ、あの日に何があったかを正確に知りたいだけなのです」
馭者のブラートフィッシュは命じられるがままに皇太子とマリーを運び、民謡を歌った。
それから皇太子とマリーが心中を図るなど、夢にも思うまい。
順々に聞くうち、おぼろげだが事件の全容が掴めてきた。
皇帝夫妻出席の家族晩餐会が催される日の朝、狩りに招待されていたヨーゼフ・ホヨス伯爵とフィリップ・フォン・コーブルク大佐が狩猟の館にやって来た。
別室で聞き取りをしたが、ホヨス伯爵もコーブルク大佐も同じ証言をした。
「朝食をルドルフ皇太子と三人でとりました。皇太子はたいへんに上機嫌でした。マリー・ヴェッツェラが来ていることは知らされていませんでした」
「そう。それで?」
「すまないが、急に手紙を書く要件ができてしまったとおっしゃり、ルドルフ皇太子は狩猟には参加されませんでした」
「狩猟に誘った本人は、狩猟に参加しなかったのね」
「はい。その通りです」
急に手紙を書く用事というのは決して嘘ではなかった。エリザベートや妹のヴァレリー、ステファニー妃、娘のエリザベートに宛てて遺書を書いている。
フランツ・ヨーゼフ皇帝にだけは書かれなかったが。
午後になって狩猟から戻って来たコーブルク大佐はウィーンに一緒に帰ろう、と誘った。
しかし、ルドルフに欠席の詫びと伝言を託されただけだった。
「マイアリングに残ります。皇帝に心からよろしく」
これはフランツ・ヨーゼフ皇帝から聞き及んだ内容と完全に合致していた。
それからコーブルク大佐は晩餐会に出席するため、ホーフブルク宮殿へ馬車を走らせた。
ホヨス伯爵だけが狩猟の館に居残った。
「あの夜のルドルフ皇太子はたいへんに陽気でいらっしゃいました。辺りの道が凍って走りにくいだの、猟犬の能力や料理の味についてお話になり、私は夜の九時ぐらいには失礼いたしました」
ホヨス伯爵はそのように証言した。
ルドルフの後を追ってマイアリングに到着した執事のロシェクはこう証言した。
「誰が来ても入れないように。たとえ、皇帝陛下がいらしてもだ」
ロシェクはそう申し付けられ、皇太子が寝室に入るのを確認したという。
「マリー・ヴェッツェラが来ていたのね」
「はい。そう察しました」
馭者のブラートフィッシュの証言と総合すると、寝室の奥の部屋でブラートフィッシュがウィーン民謡を歌い、寝室の手前の部屋で執事のロシェクが待機していたということになる。
「その夜、あなたは何をしていたの」
「申し訳ございません。ルドルフ皇太子とマリー・ヴェッツェラがぼそぼそ話し込んでいるのが聞こえましたが、いつの間にか眠ってしまっておりました」
「そう……」
翌朝、すでに起き出していたロシェクは寝室の奥から鈍い音がするのを聞いた。
何事かと思っているうち、きちんと身支度を整えたルドルフが顔を出した。
「なにかございましたか」
「いや、何もないよ」
「それからすぐ、ルドルフ皇太子は寝室にお戻りになられました。昼食の支度はしてありましたが、それっきり寝室からお出になりませんでした」
その後、また鈍い音がするのを聞いたという。
「銃声だったのね」
「そうだと思います」
不審に思ったロシェクは寝室のドアをノックしたが、応答がなかった。
内側から鍵がかかっており、いよいよ不信感が募った。
「ホヨス伯爵をお呼びし、斧で扉を破りました」
ルドルフとマリーがベッドの上で血だらけになって絶命していた。
ピストルで頭を撃ち抜いたらしく、鮮血が飛び散っていた。
第一発見者となったホヨス伯爵と執事ロシェクはその場に立ち竦んだ。
「何も知らない馭者が馬車を用意して待っていました」
ルドルフが夜のうちに命じていたのか、ブラートフィッシュは馬車の馭者台に乗り、いつでも走り出せるよう準備万端だった。
「ホヨス伯爵が慌てて馬車に飛び乗り、宮廷まで向かわれました」
マイアリングの悲劇がつまびらかになったが、ルドルフが心中を遂げた理由は依然として謎のままだった。
聞き取りに疲れたエリザベートは、眉間に寄った皺を揉み解した。
「あの……、どのような罰となるのでしょうか」
執事のロシェクが脅え切ったように言った。
むざむざ皇太子を死に至らしめたとして、誰に罪を問えようというのか。
喪服を身に纏ったエリザベートは沈鬱な表情を浮かべた。
「誰にも罪は問いません。私はただ真実を知りたい。それだけです」
無駄骨だったとは思えないが、気休めにもなりはしなかった。
宮廷の闇と同化しているイルマ・シュターライが話しかけてくることはなかった。




