家族晩餐会
その日は、ホーフブルク宮殿で皇帝夫妻の出席する家族晩餐会が行われることになっていた。
ルドルフの妹ヴァレリーの婚約祝いを名目とした晩餐会であったが、皇太子夫妻の仲直りの意味合いもあり、周到に準備された大切な会であった。
しかし、肝心のルドルフが姿を現さなかった。
フランツ・ヨーゼフ皇帝がステファニー妃に訊ねた。
「ルドルフはどうしたのだ」
ステファニーは電報を受け取っていた。
――まことに申し訳ないが、風邪のため、行かれない。
「一人で晩餐会に出なければならないなんて……」
電報を受け取ったステファニー妃はよろめき、泣きじゃくった。
晩餐会に招かれていたフィリップ・フォン・コーブルク大公は、ルドルフ専用の狩猟の館があるマイアリングを訪れていた。狩猟から戻り、一緒にウィーンに帰ろうと誘ったが、
「マイアリングに残ります。皇帝に心からよろしく」
と欠席の詫びと伝言を託されたという。
「風邪か。体調が悪いならば仕方あるまい」
ウィーンの晩餐会はルドルフ皇太子を欠いて開かれた。翌朝、ルドルフの友人ヨーゼフ・ホヨス伯爵と執事のロシェクが大慌てでやって来た。
「ルドルフ皇太子がお亡くなりになりました」
「どういうことだ?」
フランツ・ヨーゼフ皇帝が血相を変えた。
ルドルフと若い女がベッドの上で血だらけになって死んでいるのをホヨス伯爵とロシェク執事が発見した。ベッドの傍らにはピストルが転がっていた。
「ピストルで頭を撃ち抜いたようです」
「一緒に死んでいた女というのは?」
「男爵令嬢マリー・ヴェッツェラかと思われます」
マリーは綺麗に身支度を整えていた。
ルドルフとマリーの遺書が何通も残されており、合意の情死であることが窺えた。
マリー・ヴェッツェラの遺書にはこんな一節が記されていた。
――愛するお母様、どうかお許しください。私は死ぬ方が幸福なのです。
三十歳の皇太子ルドルフはベルギー王室から嫁いできたステファニー妃を置き去りにし、ウィーンの森の外れにあるマイアリングの館で死体となって発見された。
供に死んでいたのは十七歳の男爵令嬢マリー・ヴェッツェラ。
皇太子死亡の衝撃は一夜にして宮廷を駆け抜け、全ヨーロッパに広がった。
ウィーンの街では号外が飛ぶように売れ、市民たちは号外を回し読みした。
しかし、死の真相は謎に包まれていた。
射殺説や政治的暗殺説まで、まことしやかな噂が出回った。
フランツ・ヨーゼフ皇帝は、ウィーン大学教授であり宮廷侍医であるヴィーダーホーファー博士の報告を受けた。
「皇太子陛下は自ら弾丸をこめかみに撃ち込まれました」
「弾丸を……自分で?」
到底信じられないという面持ちで、皇帝が大声で叫んだ。
「そんなことがあるものか。証明できるのか」
ヴィーダーホーファー博士はルドルフのこめかみの傷を見せた。
弾丸が貫通した傷痕に蠟を詰め、包帯を巻き、静かな死に顔とした。
「……心中ということか」
「それはなんとも」
盛装して安らかに眠っているようなルドルフの遺骸がホーフブルク宮殿に運ばれた。
マリー・ヴェッツェラの遺骸は誰の目にもつかぬよう深夜に運ばれ、まるで生きた人間かのように二人の男に左右から支えられ、車に乗せられた。まだ心中とは公表せず、いかなる目撃者があってもスキャンダルとならぬよう、細心の注意が払われた。
マリーの遺体はハイリゲンクロイツの僧院にただちに埋葬された。
近親者は誰ひとりとして、その場に立ち会うことが許されなかった。
「マイアリングの狩猟の館をただちに閉鎖せよ」
皇帝の命令でマイアリングの狩猟の館は閉鎖され、人の寄り付かない禁域となった。
ルドルフの葬儀は、降り積もった雪が凍てつく日に厳粛に執り行われた。
皇太子ルドルフの遺体を一目見ようと、前の晩から夜通し立ち続けた群衆の数は数万人にまで膨れ上がった。冷え切った体を温めるために酒を飲み、若き皇太子の死を悼んで泣き、あちこちで喧嘩が勃発し、行列を整理する警官隊と衝突した。
異常な興奮状態が全ウィーンに広がっていった。
皇妃エリザベートも、皇太子妃ステファニーも、ただひとりの遺児エリザベートも、皇帝の配慮で葬儀には参加しなかった。ルドルフの葬儀に参加した市民は十万人にも及んだが、悲しみを押し殺し、皇帝フランツ・ヨーゼフは粛々と歩み続けた。
年老いた皇帝は威厳に満ち、背筋をしゃんと伸ばして歩いてはいたが、歴史と伝統を誇るハプスブルク家に衰退の影が忍び寄っているのを市民の誰もが感じ取っていた。




