ベルギーのバラ
旅先である地中海に、皇帝からの手紙が届けられた。
筆まめなフランツ・ヨーゼフ皇帝は、エリザベートの旅先に近況を記した手紙をよく送って寄越してきた。その内容は微笑ましいものだった。
「まあ、フランツィったら孫にはデレデレね」
若き皇帝だったフランツ・ヨーゼフはもう六十歳近い壮年となっていた。
孫娘のエリザベート・マリー・ヘンリエッテ・シュテファニー・ギーゼラを溺愛しており、外出するときは孫娘を連れて歩くことが多かった。
祖父と孫娘はウィーン郊外の遊園地プラーター公園に赴いたようだ。
日曜日のため馬車が混み合い、立ち往生した。皇帝が
「おおい、なんとかしてくれ」
と大声で言うと、孫娘のエリザベートが可愛らしいソプラノで言った。
「はやく前に進んでください」
天使のように愛らしいエリザベートの声を聞いた群衆が長閑に応じた。
「前がつかえて動けないのですよ。もうしばらくお待ちください。皇帝陛下、皇女様」
十九世紀末のヨーロッパは階級の差は激しかったが、王家の人々は気さくで、それほど堅苦しくなかった。庶民の中に出入りすることもあり、皇女エリザベートの人気は高かった。
エリザベートの母であるステファニー妃は、音楽会、展覧会、親戚訪問に旅と憑りつかれたように渡り歩いているので、エリザベートはおじいちゃん子として育った。
皇帝からの手紙に目を落としつつ、皇后エリザベートは嘆息した。
「やっぱり性格が合わなかったのね」
「結婚前から薄々分かっていたことですけどね」とイルマが応じた。
皇太子ルドルフとベルギー王室から嫁いできたステファニー妃が結婚したのは、二人がそれぞれ二十二歳、十六歳の時だった。
王室によくある政略結婚であったが、この結婚にエリザベートは反対だった。
ベルギーの都ブリュッセルに立ち寄った際、ステファニーを一目見て、ルドルフとは性格が合わないだろうな、と直感した。どうにも生真面目過ぎるのだ。
イルマなぞはよほど辛辣で、ステファニーに対する点数は非常に厳しかった。
「ステファニーは眉毛も睫毛も薄くて、可愛げのない平凡な女性です。とりたてて美人ではないし、あまりにも子供っぽい」
切って捨てるような評価には、さすがに同情した。
「でも、ベルギーのバラだって評判じゃないの」
「皇妃の足下にも及びません」
イルマはいつになく辛口であったが、結婚前のルドルフはなかなかに浮かれていた。
――理想の女性を見つけました。善良で忠実な妻となるでしょう。
そんな手紙を受け取ったが、そう思っていたのはルドルフ皇太子とフランツ・ヨーゼフ皇帝ぐらいのものだった。周囲の目はステファニーに厳しく、点数は極めて低かった。
ベルギーの人々はステファニーを「ベルギーのバラ」と褒め称えたが、ウィーンに輿入れしてからは「ベルギーの田舎娘」と蔑まれた。
ヨーロッパ全土で絶世の美女と持て囃される皇后エリザベートが比較対象なのだから、さすがに気の毒ではあった。
容姿の美醜はともかくとして、性格の相違は如実であった。
宮廷のしきたりを屁とも思わないエリザベートの影響を受けたためか、ルドルフは宮廷の七面倒な儀式や習慣を毛嫌いし、生来のリベラルで、気楽に市民と付き合うのを好んだ。ハプスブルク家は皆、敬虔なカトリック教徒であったが、ルドルフはほとんど教会に行かず、新聞記者や学者など、様々な階級の知識人を集め、自由な出入りを許していた。
ベルギー王室に育ったステファニーは、宮廷のしきたりの中で行われるパーティーや晩餐会、外交儀式の繰り返しに安心感と生きがいを見出していた。夫が好むインテリな自由人を嫌悪し、貴族以外の階級と付き合わないよう何度も訴えた。
王室という特権階級の繭の中で育つと、ステファニーのような生き方がむしろ当然で、ルドルフのような自由奔放な生活態度の方こそ異例なことであった。
結婚当初こそ幸せであったが、ルドルフとステファニーの蜜月は一年ほどしか続かなかった。それでも結婚三年目に待望の子供が生まれることになった。
皇帝も皇太子も、帝国の後継ぎとなる男児を切望したのは言うまでもない。
宮廷も、子供が生まれれば皇太子夫妻の仲も戻るのではないかと期待した。
ルドルフは急にステファニーを労わりはじめ、子供が生まれる時は何日も付きっ切りで待機し、夜遅くまで励ました。
しかし、生まれてきたのは女の子であった。
ルドルフの顔には明らかに失望の顔が浮かんだが、それでもステファニー妃の額にキスをして祝福した。皇妃エリザベートの初めての子に、大公妃ゾフィーの名が冠されたように、ルドルフの初めての子に祖母であるエリザベートの名が冠された。
宮廷の期待とは裏腹に、エリザベートが生まれても皇太子夫妻の仲が修復されることはなかった。ルドルフは憂さ晴らしに、高級娼婦と噂されるミッチー・ガスパールと懇ろになった。黒髪の美しい女性で、裏の社交界の女王のような存在だった。
ステファニー妃はルドルフの背信を決して許さなかった。
持ち前の生真面目さを発揮し、ルドルフを徹底的に追求し、公的な場でも詰問した。
ルドルフがミッチー・ガスパールの家にお忍びで出掛けたのをステファニーが尾行した。
ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が刻まれた馬車を見つけ、問答無用で帰してしまった。街の物見高い見物人たちは皇太子の困惑ぶりを一目見ようと待ち続けた。
何も知らずに出てきたルドルフは馬車がないことに気付き、人々の笑いものとなった。
ステファニーの追及ぶりは凄まじく、皇太子夫妻の不和は私事の範疇を超え、帝国を揺るがす深刻な問題となりかけていた。ルドルフは医者から、ステファニーにはもう子供が生まれる可能性はない、という報告書を受け取った。
バチカンの許しがなければ離婚できないため、ルドルフは秘密裏にローマ教皇に離婚の許可を求める手紙を送った。
ところがローマ教皇は不許可の書簡を直接ルドルフに出さず、ウィーン駐在のバチカン大使を通じて、フランツ・ヨーゼフ皇帝に返送した。
初めて真相を知った皇帝は驚き、ルドルフの軽率さを詰った。
二人の離婚話は、ウィーンの社交界の公然たる話題となっていた。
「ルドルフの離婚問題は頭の痛い問題ね」
「そうですね。いちど直接、お会いになるのがいいのでは」
「そうね。ルドルフとはいちど、腹を割って話すことにしましょう」
ハプスブルク家は家族がべったり毎日顔を合わせるということはなかった。
歩兵軍総司令官を務めるルドルフはそれでなくとも多忙を極めていた。
執事から漏れ聞いたところによれば、毎日三、四時間の睡眠しかしていないらしい。
軍務は山のようにあり、チェコ語、ハンガリー語で手紙を書き、報告を受け、裁決を下し、プラハやブタペストにも出張した。
皇帝の代理として公式の場にも出席しなければならなかった。
深夜になると、ルドルフはシャンパンにコニャックを入れてがぶ飲みした。
酒でもストレスが解消できないと、愛人のミッチー・ガスパールを訪ねて憂さ晴らしした。
「ルドルフ皇太子も難しいお立場ですからね」
帝国の期待を一身に背負ったルドルフは、幼い頃から帝王学を叩き込まれた。
待望の男児が生まれた時、フランツ・ヨーゼフ皇帝は狂喜した。
「ルドルフは私の喜びの全てであり、私は彼のために働く」
そんな宣言をするほどの喜びようで、ルドルフには誰よりも目をかけてきた。
しかし、皇太子という立場は未来の可能性こそ期待はされるものの、実際には強大な権力を持つ皇帝に圧倒されて、意外に権限は小さい。大きな野心と高い理想を掲げたところで、すぐさま実現できるような立場にはなかった。
フランツ・ヨーゼフ皇帝は十八歳で即位して以来、強固な保守主義と絶対君主制を信奉した。勤勉に公務をこなす堅実な国父として振舞ったが、その姿勢は「時代遅れ」と批判されることもままあった。
片や、ルドルフ皇太子は自由主義の強い影響を受けて育ち、貴族の特権廃止、民主主義、多民族国家内の少数民族の権利確立といった進歩的な改革を理想とした。
いつだったか、ルドルフが不吉な予言をしていたことが気がかりだった。
「皇帝は破局への道を走っておられる。御退位を考えることもないようだ」




