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皇帝納骨堂

 長女に続けて、エリザベートは翌年も子供を産んだ。


 皇位継承権のある男児が求められたが、またしても女児であった。


 続けての女児であったため、フランツ・ヨーゼフ皇帝も落胆を隠せなかった。


「今回も可愛い女の子だよ、エリザベート」


 皇帝が労ってくれたが、表情に影があった。


 失望しているのは明らかだった。


 妊娠中も、「次こそは皇太子を」という無言のプレッシャーをひしひしと感じた。


 長女ゾフィーの誕生の際はオーストリア国中が皇女の長寿と幸福、繁栄を祝したが、第二子が皇太子ではなく、またしても皇女だったので、祝福ムードは微塵もなかった。


「名前はどうするの?」


「……ギーゼラ」


 皇帝が勿体ぶったように言った。


 長女に大公妃ゾフィーの名を冠したような由来を知らされなかった。


 皇女であっても、次女にはなんの期待もされていないのだろうか。


「どういう意味があるの?」


「高貴な子という意味だ」


 フランツ・ヨーゼフ皇帝が言い淀んだ。


「古高ドイツ語のgisal(ギザル)には人質、保証、誓約という意味がある」


 高貴な子であるがゆえ、政略結婚の保証であり、平和の人質。


 そんな含意があるようなことをちらりと匂わせた。


「私が皇太子を産めなかったのが悪かったのね」


「そうじゃない。そうじゃないが……」


 皇帝に慰められたが、結局はそういうことだった。


「その通りです。一日も早く皇太子を産む。それが皇妃の務めです」


 姑のゾフィー大公妃に産まれたばかりのギーゼラを奪い取られた。エリザベートは母親でありながら、子供たちとの面会さえ自由にさせてもらえなかった。






 今度こそ、皇太子を。


 宮廷でそう望まれても、エリザベートは子を産む気にさえならなかった。


「シシィ、気晴らしにどこか旅行でもしようか。どこに行きたい?」


 皇帝に訊ねられ、気落ちしたエリザベートは何の気なしに行った。


「……ハンガリー」


 イーダ・フェレンツィと親しく話すうち、ハンガリーはいつしか心の故郷となっていた。


 しかし、ゾフィー大公妃が真っ先に反対した。


「なぜハンガリーなんぞを訪れる必要があるのです」


「ハンガリーの反乱の芽を摘む必要もあります。お許しいただけませんか、母上」


 皇帝がなんとかゾフィー大公妃を丸め込んだ。


「子供たちは置いていきなさい」


「いいえ、子供たちにもハンガリーを見せてあげたいです」


「エリザベートもこう言っておりますから。どうかお願いします、母上」


「次こそは皇太子を。ハプスブルク家の存亡はあなたにかかっているのですよ」


「……はい。承知しております」


 エリザベートが弱々しく応じた。二歳になった長女のゾフィー、生後十ヶ月になった次女のギーゼラを連れ、念願であるハンガリーのブタペストを訪れた。


 ドナウ川を渡ると、空気の色が変わった。


 ウィーンの街を覆っていた重く閉じた灰色とは違い、ブタペストの空はどこまでも高く、淡い青を湛えている。川の両岸に広がる街並みは素朴でありながら誇り高く、石造りの建物は長い歴史を黙して語っているようだった。


 丘の上にそびえる王宮は、威圧というよりも見守るような佇まいでドナウの流れを見下ろしていた。川面には午後の光が煌めき、ゆったりとした水の動きが張り詰めた宮廷生活とは別の時間が流れていることを示していた。


 大通りには馬車が行き交い、ハンガリー語の抑揚の強い響きが耳に心地よく残る。


 どの建物も均整が取れているわけではないが、それがかえって人の暮らしの温もりを感じさせた。エリザベートは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


 ここでは自分が「産む役割」だけの存在ではないような気がした。


 ――ここなら、息ができる。


 そう思えたこと自体が久方ぶりのことだった。


 しかし、その安堵は長くは続かなかった。


 旅の疲れが出たのか、長女のゾフィーがぐったりとしていた。


 額に手を当てると、熱があるのがすぐに分かった。


「……熱い」


 次女のギーゼラも不機嫌に泣き出し、何度も激しい下痢を繰り返した。


 まだ小さな体には、長旅と環境の変化は過酷だったのだろう。


 往診に訪れた医師は「命に別状はありません」と淡々と告げたが、エリザベートの不安を拭い去るものではなかった。長女のゾフィーは熱に浮かされ、意味をなさない言葉を呟きながら、小さな手でエリザベートの指を必死に掴んでいた。


 幼いギーゼラは力なく泣き、体力を奪われた身体が小刻みに震えている。


「ごめんなさい。私が連れてきたせいで」


 誰に向けるともなく、エリザベートは呟いた。


 ゾフィーとギーゼラは発熱と下痢の症状に見舞われた。


 夜になると、子供たちの熱はさらに上がった。


 エリザベートは一睡もできず、交互に額を拭き、祈るように名前を呼び続けた。


「ゾフィー、ギーゼラ、お願い、良くなって」


 寝ずの看病をしていると、ギーゼラの熱が徐々に収まってきた。


「どうだい。二人を連れてウィーンへ先に戻るかい」


「少し熱が収まってきたみたい」


「私はブタ王宮に招かれている。狩猟の予定もあるのだが」


 皇帝が主治医に二人の体調を訊ねた。


「容体は心配なさるほどでもないでしょう」


「そうか」


 皇帝は二人が回復していると見て、公務に出掛けるつもりのようだった。


「まだ心配よ、フランツ。二人の傍にいてあげて」


「大丈夫、医者も付いている。何かあったら知らせてくれ」


 母である時間を奪われていたエリザベートが懇願しても、皇帝は予定通り公務に出掛けて行った。ギーゼラの熱は収まりつつあったが、長女ゾフィーは一向に体調が良くならなかった。微かな呼吸をしていたのが、いつしか呼吸が途絶えた。


「……ゾフィー?」


 ただ眠っているだけのように見えるが、いくら揺すっても身じろぎひとつしない。


「ゾフィー! ゾフィー、目を開けてちょうだい!」


 エリザベートは半狂乱で皇帝を呼び戻したが、何もかもが手遅れだった。


 皇女ゾフィーは旅先のハンガリーで亡くなった。死因は腸チフスとされた。


 ウィーンに引き返したが、ゾフィー大公妃は幼い子供たちを旅に連れて行ったことを痛烈に批判した。


「……なんてことを! すべてあなたのせいですよ、エリザベート」


 長女を失ったショックで、反論する気力もなかった。


 ゾフィー大公妃はエリザベートに長女の死の責任を取らせ、次女ギーゼラの養育権をエリザベートから剥奪した。長女の病死の責任の一端はフランツ・ヨーゼフ皇帝にもあったため、母親の横暴を為す術なく見ているだけだった。






 長女ゾフィーの亡骸は、カプツィーナー教会の地下にある皇帝納骨所に埋葬された。


 ハプスブルク家代々の納骨堂に、わずか二歳で埋葬されてしまった。


 エリザベートはしばらく何も手に付かず、どんどん食も細っていった。


 次女のギーゼラにも面会することが叶わなかった。


 このところ言葉を覚え始めてきた次女のギーゼラに、ゾフィー大公妃は毎日のように母親の悪口を吹き込んでいるらしい。


 諜報活動でもしてきたのか、イルマが姑の悪口を克明に報告した。


「お母さまにあえなくてさびしい。お母さまにあわせて」


「シシィは皇族にあるまじき下品な振る舞いをするし、悪い考えを持っているから、話をしただけで、ギーゼラまで悪魔になっちゃうわよ」


「そんなことはないわ。だっていつも、とてもやさしいもの」


「悪魔は優しく見せかけて突然飲み込んじゃうのよ。だから気をつけなくちゃならない」


「そんなこと、ない」


「証拠ならあるわ。シシィは痩せこけていて、いつもお腹を空かせている。お腹が空いていたら、なんだって食べるわ。ギーゼラが悪魔に食べられないよう私が守ってあげる」


 イルマの報告を聞き、エリザベートは無感情で言った。


「……母親は悪魔か。まるで洗脳ね」


 幼い頃から姑に母親(エリザベート)は悪魔だと吹き込まれていれば、たまに会えたとしても怖がって懐きはしないだろう。


 母親のことは怖がる代わり、姑の言うことはなんでも聞く。


 そんな風に育つのは目に見えていた。


 皇帝も長女の死に責任の一端があるため、母親には面と向かって反抗しなかった。


 ギーゼレを取り戻してもくれない。


 失意の妻の味方もしてくれない。


「フランツ、しょせんあなたは母親の操り人形なのね」

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