9
~ 石伊 マスミ ~
「実はあの頃、好きだったんだけど」
こんなにゾッとする言葉はなかった。その発言をした人は、近所に住んでる年上のイトコの友だちで、散々、泣かされた相手だった。
気に入っていたぬいぐるみを引きちぎられたり、叩かれたり、プロレス技をかけられたこともあった。泣いてもやめてくれなくて、それを止めないで、笑って見てるイトコごと嫌いだった。どれくらい嫌いかっていうと、道で見かけたら、走って逃げるくらい。追っかけてきて、腕をグイグイ引っ張られたりして、益々、嫌いになっていった。
高校を卒業して家を出てからは会う事もほとんどなくなってて、ほんとに嬉しかった。もう、怯えなくっていいんだ、って思って。
だけど、成人式で実家に帰った時だった。イトコがお祝いの品を持って来てくれて。なぜか、その人もついてきて。げ、と思ったら、そんなことを言い出したんだった。
もう私、化け物かと思った。その人が。晴れ着だったんだけど。私。すでにもう、ふっくらしてたんだけど。着物だから、晴れ姿っぽくなってて。自分でも、馬子にも衣裳っていうもんね、なんて思ったりして、すごくいい気分だったのに。
いやいやいや。なんで照れてんの。感覚おかしいでしょ。なにが、「今もう、彼女いるんだけどさ。告白しとけばよかったな」だよ。なんで恋愛成就すると思ってんの。万が一にもあるわけないでしょ。散々、痛い目にあわされて、泣かされた相手、どうやって好きになるの。
そうは思ったけど、面と向かって言う勇気はない。両親がせっかく用意してくれた晴れ着なのに、殴られたり、汚されたりしたら、たまったもんじゃない。
我ながら、引きつった笑顔で逃げ出した。成人式の時間が迫ってたことに、ものすごく感謝した。
顔を合わせるたびに意地悪してくる相手が、自分のことを好きだなんて、想像もしないし、好意を抱くわけもない。ツンデレなんて言葉があるけど、私は無理。テレパシーなんて存在しない。もしかして私のこと気になってるから、あんなことするのかな?なんて、思うわけもない。向けられた言葉と行動が、その人との関係性だ。
あれが好意だというならば、私は恋愛に夢も希望も抱かない。ヤツの照れた笑顔は、心底、薄気味悪かった。
と、いうことを思い出したのは、草岡さんとサヨコさんと、オールドでコーヒーを飲んでいたときだった。草岡さんが、ふいに、「石伊って、メイクは最低限しかしねえの?」と聞いてきたからだ。
メイクは苦手だった。ハッキリ覚えているのは、成人式のときに美容室でメイクしてもらったことだったから、反射的に思い出したんだろう。冷静になると、結婚式にお呼ばれしたときも、メイクしたなあ。
そもそも私、メイクどころか、鏡も、あんまり好きじゃなかった。何度か化粧品を買いに行ったことはあったんだけど、とんでもなく濃い化粧をされてしまうことが多かった。店員さんが、説明しつつメイクしてくれるんだけど、どんどんいろんなアイテムが出てきて。ふんふん、と頷いているうちに、特濃メイクにされてしまう。「いかがですか?」と鏡を見せられて、笑ってしまった。もう、すごかった。薄めの顔に濃いメイクだから、浮いちゃって。劇的ビフォーアフターなんて言ったらプラスに聞こえるけど、濃く化粧したからって、プラスに変化してるとは限らない。別人にはなってたけど。
口紅を一本だけ買って、アパートに帰って、メイクを落とした素顔を見て、ちょっと泣いてしまったこともある。もういいや、って諦めて、メイクは最低限しかしないことにした。できるようになるまで、あんな思いを繰り返すのは嫌だった。
好意を抱かれた相手に粗雑に扱われ続けたこと。店員さんも仕事だとはいえ、濃すぎる化粧を施されたこと。服を買いに行っても、似合う似合わないじゃなくて、流行りや売りたいんだな、って扱いで服をすすめられたりしたこと。そういう経験が、私の外見に対する自己肯定感の低さに拍車をかけていた。ぽっちゃりなのは、自分のせいなんですけど。
一言で言うなら、「どうせ私なんて」っていうことだ。それがもう、肥大化してる。
「……うん。似合わないし。下手だし」
「そうか?」
「うん。あんまり興味もなくって」
「似合わないってことはないんじゃないかねえ」
「えっと。正確には、似合うメイクの仕方が分からないっていうか」
「ふうん?」
草岡さんがジロジロと私の顔を観察し始めた。不躾な視線だけど、けなそうと思ってやっているわけじゃないから、特に気にもならない。
「ユミちゃん、そんなにジロジロ見たら、居心地悪いだろ」
「うっさいな。サヨバアは黙ってて。あ、ほら。好物きたぞ」
「今日も美味しそうだねえ。い~さん、ありがとう」
「お待たせ、サヨコさん」
い~さんと呼ばれた店主が持ってきたプリンアラモードに、サヨコさんが大喜びでスプーンを持つ。
「ほらほら、ユミちゃんも石伊ちゃんも、食べようよ~」
「はい」
サヨコさんおすすめのプリンアラモードは美味しい。私もユミちゃんも、すぐに食べ始めた。
草岡さんと親しくなって、オールドに来るようになったら、サヨコさんとも一緒にコーヒーを飲むようになった。輪が広がる、ってこういうことなんだなあ、なんて嬉しくなりつつ、プリンを頬張る。草岡さんが、食べつつも送ってくる視線が頬に刺さるけど。
「ユミちゃんってば。食べづらいって」
サヨコさんの制止の言葉もなんのその。草岡さんは私の頬っぺたに視線を注ぎ続ける。まあ、気にはなるけど、イヤにはならない。悪意のある視線じゃないから。
食べ終わった頃に、草岡さんが口を開いた。
「アタシがやってやるよ。石伊」
「へ?」
「アンタにメイクしてやる。肌はキレイだし、化粧ノリもいいと思う」
「でも、メイク道具、最低限しかないよ」
「アタシが持ってる」
「でも」
「でもでも言わずに、一回、やらせろって。金払えなんて言わないし」
「いいんじゃないかね。家でよかったら、場所は提供するよ」
「そうするか。アパート狭いしな」
「え。悪いですよ」
「いいんだって。サヨバアは暇なんだから。サヨバア自慢のガーデニング見てやったら。喜ぶし。石伊、そういうの好きじゃん」
「そうだよ、そうだよ!」
本人そっちのけで二人で段取りを組み始めちゃった。どうしよう。メイクなんて似合わないし、私がやったところで……。
「あの、私、やっぱり」
「いらっしゃいませ」
「こんにちは~。二人です」
「はい、お好きな席にどうぞ」
やっぱり断ろうとしたときに、お客さんが二人、入ってきた。お好きなお席に、と言われて店内に視線を泳がせた一人が、サヨコさんを見て、足早に近づいてきた。
「あの、すみません。以前、助けていただいた者です。あのときは、ロクにお礼も言えずに、ごめんなさい。ありがとうございました」
ハーフアップにしたストレートの髪の毛がサラサラと肩からこぼれ落ちるくらいに、頭を下げた。キレイな黒髪。
「うん?……ああ、あの時の子かい。元気になったんだね。よかった、よかった。お友達が、すごく心配してたんだよ。アンタも、よかったねえ」
お礼を言った子じゃなくて、もう一人の背の高い子の顔を見て、サヨコさんは相手のことを思い出したらしい。背の高い子も、御迷惑おかけしてすみませんでした、と頭を下げた。
「いいんだよ、そんな。気にしないでおくれ。元気になったんなら、それでいいじゃないか。ね?」
サヨコさん、人助けしてたのか。してそう。困ってる人とか、ほっとけなさそうだもんね。お節介とか言われちゃうこともあるだろうけど、助かったと安堵する人だって、たくさんいるだろうな。
「一緒に座る?座るなら、席、作るけど」
店主が小さなお盆に水を二つ持って立ってる。さらっと聞いてきた声は、なにも含まれてなくて、ただ聞かれただけだった。言葉の裏に、早く座ってくれ、とかそういうのがない。
「よかったら、一緒に座るかい?」
二人は目を合わせた後に、頷いた。
「ぜひ。きちんとお礼も言いたいので」
「はい。じゃあ、ちょっと待っててね」
店主は水をいったん置いてから、五人で座れるように席を準備してくれた。ここの店主は、ちょっと不思議な感じの人だ。肩の力が抜けていて、飄々としていながら、その実、細かい気配りができている。店の雰囲気よりはちょっとカジュアルな印象だけど、そのおかげで、この店でお客さんも気構えずにのんびり過ごせてるんじゃないだろうか。
「さ、改めて自己紹介でもしようか。あたしは鵜野サヨコだよ。よろしくね」
「だる」
「この子は草岡ユミちゃん。ごめんね、この子、思ったことそのまま口に出すんだよ。気分悪いかもしれないけど、ただの憎まれ口だから。遠慮なく言い返しておくれ」
「サヨバア、なんだよ、その言い方」
「私は宇ノ沢シヅカです。ユミさん、前、ここで会った時、私のことフォローしてくれましたよね。改めて、サヨコさんも、ユミさんも、ありがとうございました」
「別に。あれはそんなんじゃ……」
「谷津崎ココです。サヨコさん、ユミさん、お世話になりました。ありがとうございます」
「だから、礼を言われることなんて、アタシはしてないし。サヨバアが」
「石伊マサミです。草岡さんの同僚です。よろしくお願いします」
「聞けって!」
焦ったように口を挟み続ける草岡さんの落ち着かなさげな姿に、みんなの笑いが重なった。素直じゃない草岡さんは、誰かを助けてお礼を言われるなんて、なんだかむずがゆいんだろう。
「もう、体はすっかりいいのかい?」
「はい。ほんとうに、あの時はお世話になりました。ありがとうございます。ちゃんとお礼が言いたかったので、今日、会えて嬉しいです」
「お待たせしました」
店主がコーヒーを運んできた。テーブルに置くと、すい、とカウンターへと去っていく。
それにしても、不思議な集まりだなあ。あんまり、こんな感じで見知らぬ人と顔見知りになることって、なかったかも。サヨコさんのおかげかな。自分一人だったら、こんなことは絶対にない。
外見的なコンプレックスも手伝って、人間関係で気後れすることは、まま、あった。仲がいい友だちが次々と家庭を持って子育てが始まって、ってタイミングで、遊ぼうって集まることは、ほとんどなくなった。定期的に連絡はとってるけど、なかなか時間が合わない。私も、みんなと休みがズレてるし。だからといって、積極的に友人作りをするタイプでもなくて、おひとり様の時間の中で、やっと見つけた楽しみがカフェ巡りだったんだ。
迷惑かな、なんて、仲のいい子を誘うのも躊躇する私が、どうして草岡さんと親しくなったのか。それはきっと、妹と彼女が重なったのもあるし、草岡さんは口や態度は悪いけど、私を粗雑に扱うことがなかったからだ。元々は違ったけど。あの頃の彼女は、私だけじゃなくて、誰のことも視界にも意識にも入ってなかったんじゃないかなあ。でも、変わった。仕事への姿勢も。今はもう、口が悪いだけの、たまに一緒に出かける同僚だ。
照れてしまったようで、草岡さんは頬杖をついてそっぽを向いてしまった。その姿を、サヨコさんが優しい目で見ている。
「あの、違ってたらすみません。石伊さんって、ファミレスで働いてませんか?」
「あ、はい」
「やっぱり。何度か、接客してもらったことがあって」
「ごめんなさい、私、覚えてなくて」
「いえいえ。毎日お客さん、いっぱい来ますもんね!私たち、旅行の計画立てるときに、よく、行ってるんですよ~」
「今度また、お邪魔します」
「ぜひぜひ!お待ちしてます。ね、草岡さん」
「別に」
そっぽを向いたままの草岡さんに声をかける。そっけない返事だけど、ちゃんと記憶にはとどめてるだろうな。
ああ~。それにしても私、人の顔と名前って、覚えるの苦手なんだよな。視線が下がりがちだからだろうな。こういうとき、申し訳ないなって思う。でも、次に会った時はちゃんと挨拶しよう。
「二人は、旅行が好きなのかい?」
「はい。大好きで!ココが付き合ってくれるようになって、楽しみが増えたんです」
「いいねえ。あたしも行ってみたいねえ」
「行ったことないんですか?」
「いやいや、行ったことはあるよ。でもさ、この年になるとなかなかね。スマホでいろいろしなきゃいけなかったりするだろ?もたつくと恥ずかしいし、迷惑になるから、気後れしちゃってね」
「サヨバア、図々しいくせに、そういうとこ繊細だよな」
「そりゃそうだよ!長年、図々しく生きてきて、世の中の繊細さに取り残されちまったんだ。それに気付いたんだから、迷惑かけないようにくらいは心がけるだろ」
二人はよく、こんな会話をしている。気心が知れていてうらやましいな。遠慮なく言い合える仲って、いいなあ。
「えっ!じゃあ、みんなで一緒に行きません?」
「は?」
「せっかく知り合えたんだし、どう?ココ」
「……うん。御迷惑じゃないければ」
「迷惑、かな?」
「ほぼ初対面だから。いきなりそんなこと言われたら、ビックリするよ。私もビックリした」
「ほんと?!あちゃー。また、やっちゃったかあ。ごめんなさい」
「いやいや、全然だよ。嬉しい限りだけど、ほんとに行っちゃったら空気読めないバアサンになっちゃうからさ。気持ちだけいただいておくよ」
「そんな!お礼もしたいし、行きましょうよ。嫌じゃなかったら」
「シヅカってば」
「だって、旅行してみたいのにしたことないって、もったいないもん。ココだって、旅行の楽しさ分かってきたの、一緒に行くようになってからじゃん」
「そうだけど。……シヅカはいいの?」
「もちろん。言い出しておいて、ヤダはないよ。ね、行きましょ、サヨコさん」
「ええ~……。……ほんとにいいのかい?」
前のめりで誘い始めたシヅカさんを、ココさんが戸惑ったように止めるけど、話しは行く方向へと流れてる。サヨコさんが、はにかみながら笑ってる。ああ。こんな顔見たら、連れて行ってあげたくなっちゃうよね。
「サヨバア、なにモジモジしてんだよ。らしくねえな」
「だってさ。旅行なんて、旦那と行った温泉以来だしさ」
「残念ですけど、今回は女子旅でお願いしますね」
「ああ。大丈夫だよ。何年も前に、あの世に一人で旅立っちまったからねえ」
「ごめんなさい」
「いいんだよ、いいんだよ!旦那もあの世で喜んでるさ!一緒に旅行に行ってもらえるなんて、よかったよ、ってね。さ!どこに連れて行ってくれるんだい?あたしは、温泉が好きだよ」
「温泉ですね!調べておきます。どこがいいかなあ。電車がいいですか?レンタカーがいいですか?」
「あたし、車の免許は持ってるけど、ワゴン車は運転できないよ」
「ふふふ。私、できます!大丈夫です!じゃあ、また来週にでも、みんなでこの店で集まりませんか?」
旦那さんの件をサラリと流したその会話に、サヨコさんとシヅカさんのコミュニケーション能力の高さを感じていたところで、みんなという単語が飛び込んできて、え?と首を傾げた。
「私も?」
「そうですよ。せっかくですもん」
「アタシは行かねえよ」
「何言ってんだい、ユミちゃん。アンタも旅行なんて行かないじゃないか。行こうよ」
「めんどくさ」
「はい、決まりね!忙しくなるねえ。アタシも、いろいろ調べてみるよ!」
楽しそうにサヨコさんが宣言して、旅行は決定したのだった。
「あの、すみません。シヅカが」
「いえ。嬉しいです」
ココさんがこっそり言った謝罪に、俯き加減に返事をした。当然みたいに誘ってもらえて、すごく、嬉しかった。
~ 草岡 ユミ ~
人に注目されたいとか、羨ましがられたいって、なんか最近、思わなくなったな。
石伊の顔をジロジロと眺める。うん。いいんじゃないか。
「ほら。見てみろよ」
「ええー……」
落ち着かない様子で座っていた石伊に、鏡を突き出す。
「なんで顔、背けてんだよ。ちゃんと見ろよ」
「でも」
「またかよ!お前、“でも”が多すぎんだって。いいから見ろって!」
おそるおそる、石伊が鏡を受け取る。えい、と見たくない物を無理やり見るような仕草で鏡に顔を突き出した。
なんで自分の顔見るのに、こんな覚悟いるんだよ。
「あれ。変」
「なんだと?」
「ち、違う違う。いつも、すごく濃くされてたから……目元とか、ほっぺとか」
「ユミちゃん、なに騒いでんだい?あれっ!?いいねえ、石伊ちゃん!素敵じゃないか」
サヨバアとココ、シヅカが朝風呂に行っている間に、石伊にメイクをしていた。石伊が、みんなの前では嫌だと、頑なに言うから。戻ってきたみんなが、石伊を見て、騒ぎだした。もちろん、いい意味で、だ。
「似合ってるよ、石伊さん」
「うん。いいと思う!でも、チークはもう少し明るい色の方がよかったんじゃない?」
「やっぱりか。アタシが持ってる中で、一番明るいの使ったんだけど」
「うわー!私、いればよかった。もうワントーン、明るいの持ってたよ~」
「仕方ないじゃん、石伊が嫌だっつんだからさ」
「うう」
「石伊さん、どうしたの?」
鏡を握りしめて、ポカンと自分の顔に見入っている石伊を、ココが覗き込んだ。
「え。これ、どうやってやったの?」
「どうやってって、お前の目の前でやってただろうが」
「うん。でも、なんか、濃くないし」
「濃くするのがメイクじゃねえよ。ただ、これでも、重ね塗りしてるとこもあるけどな。ま、石伊は肌キレイだからな。そこまで塗る必要、ねえよ」
「へ」
「次は私がする!私のメイク道具でやろう!」
「今日は一日、この顔だから。今度は、サヨバアの家でやるか」
「よし!次は絶対、私」
「あたしのだと、肌に合わないよねえ」
「当たり前だろ、サヨバア。いくつ年違うと思ってんだ」
「私も、コスメ持って来てもいい?」
「おう。みんなで石伊にメイクしてやろうぜ」
「……や、やるの?」
当人を置き去りにして盛り上がっていると、石伊がおそるおそる口を挟んできた。
「当たり前だろ。嬉しくねえかよ、その顔」
「う、嬉しい」
「なら、いいだろうが」
「う、うん。ありがとう」
「フン」
「さ、じゃあ、みんなで朝ご飯だよ!旅館の朝ご飯って、ワクワクするよねえ」
にこにこのサヨバアの号令で、みんなでゾロゾロと部屋からでた。
「うわあ。気持ちがいいねえ」
サヨバアがはしゃいだ声を上げる。ここは、帰りに寄り道した海辺の町にある、テラス席があるカフェだ。
トロピカルな色の飲み物がたくさんあったけど、サヨバア以外はみんな、コーヒーを頼んだ。サヨバアは、初めて飲むよ、とタピオカドリンク。ごつい入れ物に、ぶっといストローが刺さって出てきたのを見て、目を丸くしてた。喉に詰まらせんなよって言ったら、「もう十分幸せだから、詰まらせても悔いはないよ」とかバカな返事がきた。満面の笑みで言ってるから、本気なんだろう。バカだな。悔いなんて、あったってなくたって、あの世の沙汰次第で、こうして有無を言わさずにこの世に留まることになんのによ。
いきなり決まった旅行は、それ以上にハイスピードで日付が決定した。シヅカが段取りよくすすめてくれたからだ。旅慣れてる。
一泊二日の弾丸温泉旅行は、シヅカの運転で、昔から有名な温泉地ってことになった。そこにある老舗旅館が旅のメインだ。古めかしいとはいえ、設備もしっかり手入れされていたし、サービスもしっかりしてた。ウェルカムドリンクにサヨバアがビビっていたのが、だいぶ笑えたけど。「なんだい、これ。飲んでいいのかい?支払いは、どうなってるんだい?」ってさ。美肌になれるって謳い文句の温泉も、しっとりしていて気持ちがいい泉質だった。旅館の庭が、これまた立派な日本庭園で、湯上りに浴衣を着て、みんなで散歩したりした。サヨバアは、カラフルな色の浴衣を選んでて、さすがブレねえな、って思ったな。
晩ご飯も朝ご飯も、それなりに美味かった。朝ご飯はばりっと和食だったけど、晩ご飯はブランド牛のステーキや刺し盛りなんかもあった。
前は全然興味なくって食べなかったけど、サヨバアが和食得意で、しょっちゅう、煮物とかおすそ分けされてるうちに、美味さが分かってきた。
手の平を広げる。ネイルはもう、まったくしてない。こんな生活も悪くねえな、なんて思ってる、今のアタシを見たら、あの頃のアタシはなんて言うかな。そんなことを、よく考えるようになった。
サヨバアがタピオカドリンクを飲み終わる。
「どうだったよ、初めてのタピオカは」
「餅に似てるねえ。勢いよく飲むと、危険だって分かったよ」
「そうだろ!なかなか難しいんだよ、流行の飲み物ってな」
「好奇心に任せて一気に飲まないように、これからも気を付けるよ」
「気に入ったのかよ」
「うん」
「なら、今度、別のお店に行きませんか。私、美味しいとこ知ってるんですよ」
カフェ好きの石伊が嬉しそうに誘う。メイクはお気に召したらしい。今日はずっと、機嫌がよさそうにしている。
「いいね!行きたい」
「シヅカさんもココさんも、どうですか?」
「予定が合ったら」
「タピオカもいいけど、飲みにも行きませんか?いい居酒屋さんがあるんですよ」
「いいねえ」
シヅカもココも、結構な酒豪であることは、昨夜の晩ご飯のときに判明した。アタシも結構、飲むけど、二人もなかなかだ。昨夜は、久しぶりに、楽しいと思った酒だった。……いや。もしかしたら、ほんとうに楽しい酒は、初めてだったかもしれない。
「じゃあ、連絡とりあっていこう~」
この不思議な関係は、なんと、SNSでグループまで作ってしまった。こういう関係って、いつまで続くもんなんだろうな?
「草岡さんのシフトは分かってるんで、私が連絡しますね」
「アタシも参加なのかよ」
「当然だろ!何言ってんだい、ユミちゃん」
「へっ」
「さ、そろそろ帰ろうか」
時間も時間だったから、会計をしようと、テラス席から店内に入った。その途端、悪意のある声がとんできた。
「うわあ。やっと帰るんだ!あの椅子、よく壊れなかったよねえ!」
いつも思うんだけど、たまにいる、こういうヤツって、なんなんだ。わざわざ言う必要ねえよな。言うなら、面と向かって言えばいいのに。あなたに言ってません、って言い訳できる距離から、悪意をぶつけてくんだよな。
チラリ、と声の主を確認する。どこにでもいるようなオバサンだった。石伊と行ったカフェにいたオバサンに似てる気もしたけど、ここは旅先だし、断言はできない。
他の三人はレジ前に行っていて気付かなかったっぽい。足を止めた石伊の顔を見ると、見事に強張っていた。さっきまでの柔らかい表情とは、大違いだった。
シヅカが運転する車が高速に入った。はしゃぎすぎたサヨバアは、一番後ろのシートで眠そうにしている。その手前のシートに、アタシと並んで座っている石伊は、強張った表情のままだ。
「おい。お前、なんで黙ってたんだよ」
「……なにが?」
「さっきのカフェで。なんで言い返さねえんだ。見ず知らずの他人に、あんなこと言われるいわれ、ないだろうが」
「……誰かを悪く言ったり、からかったりするのは、その人の品性の問題で……私には関係ないから……」
ブチ、と何かが切れた。
「じゃあ、なんでお前、そんな顔してんだよ!嫌なんだろうが!その気持ちに蓋してどうすんだよ!!」
自分でも思ってないくらいの大声が出た。シヅカがルームミラーで、一瞬、こっちを確認したのが分かった。
「でも……」
「でも、じゃねえ!殴られたら殴り返せ!それができないんなら、悔しいって泣け!!」
顔を真っ赤にした石伊が、フグみたいに膨れた表情で口を開く。
「く……草岡さんみたいに……私は、できない、から」
「当たり前だろうが!アタシだって、石伊の真似なんてできるか!そういうこと言ってんじゃねえよ!悔しいのか、悔しくねえのか聞いてんだよ!!」
「悔しいよ!!悔しい!!」
「じゃあ泣け!!」
「なんで!」
半分涙声の石伊が、それでも涙をこぼさずに叫んだ。
「お前の悔しいって気持ちを、アタシが聞いてやるよ!!」
「う…………」
大声を上げたわりには、ずいぶん押し殺した嗚咽を漏らしつつ、石伊は涙をこぼし始めた。ぽろぽろとこぼれてくる涙と一緒に、鼻水がにじんでる。
無言で助手席から、ココがティッシュを差し出した。受け取って、石伊に渡す。眠そうだったサヨバアが、後ろから、大ぶりのタオルハンカチを石伊に渡した。
「どこから買ったんだよ、このハンカチ。刺繍とフリルついてんじゃねえか」
「いいだろう、お気に入りなんだよ」
腕を伸ばして、石伊の背中を優しくさすってるサヨバア。そうだ。サヨバアと出会ったおかげで、アタシはなんだか、石伊の気持ちが分かった気がしたんだ。
石伊が素直に泣けないのは、一人で泣きすぎたんだろう。悔しいと泣いても、誰も受け止めてくれる人がいなければ、むなしさが増す。男にモテても、ヤケ酒飲んでも、いつもイライラして、なにも満たされなかったアタシみたいに。
腕組みをして、石伊越しに、無機質な高速道路の景色を眺める。
「一人で泣きたくなかったら、声かけろ」
石伊は黙って頷いた。
~ 宇ノ沢 シヅカ ~
「あれっ。珍しい」
「なにが?」
リビングのソファに座ってスマホをいじっていたら、ユカリ君から連絡が入った。ユカリ君というのは、縁があって知り合った大学生の男の子だ。ひょんなことから知り合って、一緒に星空を見に行って、それ以来、たまーにご飯に行ったり、旅行先の写真を送りあったりしている。
隣でサブスクの映画を観ていたココが、一時停止をして聞いてきた。字幕だから、会話するなら一時停止になるよね、そりゃ。
ココとは、今、一緒に住んでいる。旅行の計画を立てるのにも便利だし、お互い、独身だし。まあそれよりもなによりも、ココが責任を感じてしまったんだな。亡くなった人に会えるお香を、私が買ったことに。自分で納得してしたことだから、ココが責任を感じる必要はないんだけど。何度もそう言ったんだけど、何かあった時に、側にいられるように、ってことで。ココが引かなかった。ま、二人だと生活費も助かるし。旅行に行ってる間の家の管理も困らないし。結局、お互いにいい相手ができたら、同居は解消するってことで、折り合いがついた。
でもこれが、居心地よくて!まるで、最初っから一緒に住んでたみたいな感覚なんだよね。ストレス、ほぼなし。部屋もそれぞれあるしね。最初からガチガチにルールを決めるんじゃなくて、最低限の譲れないことだけを決めたっていうのも、よかったのかもしれない。
で、だ。ユカリ君。
「明日、晩ご飯一緒に食べる約束してたんだけど、食べ放題の店がいいって」
「店、もう決まってたの?」
「なんとなーく、もつ焼き屋行こうかって話してた」
「そっか。じゃあ、急にいい店が見つかったのかもね」
「うーん?かも?」
大学生だし、たくさん食べておかしくないけど、食べ放題って提案は、今までなかったなあ。だって、食べ放題って、年の近い友だちと一緒に行った方が楽しい気がする。学生だから、友だちと集まる機会も多いだろうし。
「食べ放題って、シヅカ、行くの?」
「実は、行ったことない。この機会に行っとこ」
「私も行ったことないなあ」
「行く?多分、平気だよ。あの子」
「ううん。いい」
分かった、と頷いて、ユカリ君に了解の返事をする。ココが言うように、目当ての店があるのかもしれないから、店も任せることにした。
何の食べ放題かなあ。メッチャ楽しみになってきた。どれくらい食べられるかな。楽しみだな。
「いやもうガチで。すみません」
「大丈夫だって~。店だって、まだ決まってなかったんだし」
両手を合わせて拝みつつ謝るユカリ君に、ヒラヒラと手を振る。そんなに謝らなくっても、食べ放題にチャレンジするいい機会だし、いいのに。
「ありがとうございます」
「実は食べ放題って初めてだから、結構、楽しみ」
「うわ。もしかして、あんまり興味なかったですか」
「違う違う。今まで行く機会がなかったんだよ。そんなことより、具合い悪い?顔色、よくないよ」
色白のユカリ君だけど、今日は明らかに、色白とは言い難い顔色をしてた。真っ青。気になって聞いたら、質問に被るように、お腹がぐうううう、と盛大に音を立てた。うわわあああああ!!とユカリ君が慌てて大声を上げたけど、聞こえちゃったよね。
「ごめん。お腹空いてるんだね。行こっか」
「はい。こっちです」
「なんの食べ放題?」
「焼き肉なんですけど、デザートも副菜もあるし、パンとかもあります。もちろん、ご飯もあるし。酒の飲み放題もできます!」
「なんでもあるんだ?!」
「はい。結構、人気で。予約しました」
「できたの?」
「はい。キャンセルがあったみたいで」
「ラッキーだね!」
「はい」
「ねえ。具合い悪そうなのに、食べ放題でいいの?ご飯、軽く食べて、食べ放題は今度でもいいよ?」
食べ放題に行く予定でお腹空かしてたけど、当日になったら体調すぐれない、ってことだってあるもんね。無理はしない方がいい。
「いえいえ!むしろ、食べ放題に行きたいんです。ってか、行かないとヤバいです」
「?そうなの?ならいいんだけど。途中で具合い悪くなったら、すぐに言ってね」
「はい」
具合いが悪いのに、食べ放題に行かないとヤバいって、どういうことだろう?もしかして、昨日から何も食べてなくて、お腹空きすぎて具合い悪いのかな?なら、早く行って、食べないと。
「私、お酒の飲み放題、してもいい?」
「もちろんです」
色白の顔を青く見えるくらいに白くしたユカリ君が勢いよく頷いたら、またしてもお腹が盛大に鳴った。
おおー。すごい。っていうか、こんなに食べるんだ?!弟がいるけど、ここまでは食べなかったなあ。
ビールならぬ発泡酒を片手に、焼き肉やサイドメニューをつまみながら、驚く。
食べ放題とお酒の飲み放題って、別々にできないんだね。あんまりお酒飲まないユカリ君も、一緒にお酒の飲み放題頼むことになって、申し訳ないなあって思ったけど、食事だけで十分、その分もペイしてるわ。ってくらいに、食べる食べる。丼飯何杯、なんてもんじゃない。食べ方はキレイだけど、食べてる量はとんでもない。目の前で、大食い選手権を見ている気分になった。
注文したお肉や皿にセルフで盛ってきたフライドポテト、サラダに、焼いた野菜、ご飯、ラーメン、冷麺……それらが次々とキレイになくなっていくのは、爽快ですらあった。
それにしても、食べ放題飲み放題のお店って、すっごい。お肉だって、いろんな部位が揃ってるし。少しだけど、海鮮もある。お酒は、発泡酒、サワー、ワイン、焼酎、日本酒、メッチャ揃ってる。もちろん、ドリンクバーもあるから、ジュースやお茶も飲み放題。デザートはアイスだけど、それでもすごいよね、品揃え。
今度、弟と来てみよっかな。離れて暮らしてるから、それぞれ就職してからはあんまり会ってないんだよなあ。
「うわ」
ぼんやりと弟のことを思い出してたら、ユカリ君が声を上げた。
「どうしたの?」
「もう、制限時間です。せっかく来たのに、この前行った旅行の話しないで、食べるのに集中してしまった。あああ。時間内いっぱい、食べきってしまったあ」
二時間の制限時間いっぱい食べたんだ。すごいな。食べる勢い、衰えなかったなあ。
「いいんじゃん。せっかく来たんだし、食べ放題」
「そんな。これじゃ俺、シヅカさんに飯食うの見せただけじゃないですか」
「いいね!見事な食べっぷりを見せてもらったよ!」
「いやいや、そうじゃなくて。この後、コーヒーどうですか」
「いいよ~。お酒でもいいけど」
「シヅカさん、まだ飲めるんですか?」
「全然、飲めるよ~」
「いいですね。じゃあ、居酒屋行きましょう」
「あ。私、行ってみたいとこあるんだよね」
「どこですか?」
有名な焼き鳥チェーン店の名を告げると、ユカリ君は意外そうにした。
「いいですけど、行ったことないんですか?」
「ないんだよー。一人だと、なかなか大きいチェーンの居酒屋って行かなくって。コンパなんかも、行かなくなっちゃったし」
「まだ、ツマミとか食べられます?」
「余裕~」
ユカリ君の食べっぷりに感心しつつお酒ばっかり飲んでて、食べるのは疎かになっちゃってたから、まだお腹に余裕はあった。
「じゃ、行きますか。確か、駅前にありましたよ」
「いいね!」
残っていた日本酒を飲み干して立ち上がる。キレイに空いた皿とグラス。うん。満喫した!
照明が明るくて店内が清潔なチェーンの居酒屋は、メッチャ賑やかだった。いくつか、団体のお客さんも入ってるっぽい。
カウンターでもいいですか、とにこやかな店員さんが声を張り上げたけれど、そうでもしないと、店内の賑やかさににかき消されてしまいそうだ。
生ビールを二つ、枝豆、フライドポテトに水菜のサラダ、唐揚げ、ホッケに焼き鳥の盛り合わせなんかを頼む。お客さんの賑やかな声と元気な店員さんの声で、店内は華やいでいて活気がある。それだけでも気分が上がる。
すぐに生ビールと枝豆が出てきて、さすが、と思いつつ乾杯をする。
「ところで、お腹はいっぱいになったの?」
「まだですね」
「そっか。もしかして、今まで、食べるの遠慮してた?」
同じようなお酒の量を飲むけれども、ココは私よりもずっと食べる。気心が知れているから、彼女は遠慮はしない。だけど、もしかしたら、ユカリ君、遠慮させてしまっていたのかも。私、年上だし。ユカリ君よりは全然、食べないし。お酒は飲むけど!
「いえいえ、違うんです。いつもこんなに食べるわけじゃなくって、メッチャ腹が減るときがあるんです。ビックリさせて、すみません」
「いやー、遠慮してたら申し訳なかったなあって思ってさ。そうじゃないならいいんだけど。メッチャ腹が減るときって、季節の変わり目とか?」
「では、ないっすね」
「そうなの?」
「そうなんっすよー。俺も困ってるんですけど」
「困ってるのかあ。じゃあ、なんとかできないものなのかな。原因は分かんないんだもんね?検査とか、した?」
「身体的な不調ではない、ですね」
なんだか言いづらそうにしてるな。そういえば、ご飯食べたら顔色よくなったし、身体的な不調ではないのかも。じゃあ、なんでだろ?
「もしかして、ユカリ君、原因分かってる?言いづらかったら、言わなくてもいいよ~。ただ、力になれそうならって思っただけだからさ」
「えっと」
口ごもってしまった。相談したいのかもしれないけど、しづらい内容なんだな。無理に聞いたりするの、やめよう。
「おまたせしました!爆盛り唐揚げっす!こちら、トッピングの明太マヨソースです」
どかん、と大きいお皿に、大きな唐揚げが十個くらいのってる。たっぷりの明太マヨソースは、小鉢に添えられている。すごい迫力だ。
「熱いうちに、食べよう。美味しそう」
「はい」
あちち、と言い合いながら唐揚げを食べる。そうだ。この前、温泉旅行に行った時の写真でも見せようかな。ユカリ君、なかなか旅館には泊まらないって言ってたし。いい旅館だったもんね。
スマホを操作していると、唐揚げを瞬く間に半分程度平らげたユカリ君が、思い切ったように言った。
「あの。ちょっと信じられないかもしれないんですけど。俺も、半信半疑なんですけど」
「うん?」
「シヅカさん、これ、視えます?」
私と反対側の、斜め後ろくらいを指さした。なんっにも視えない。っていうか、普通に店内が見える。
「うん?店の中しか見えない」
「ですよねー……」
ガッカリ気味に肩を落とし、がぶりと大口を開けて唐揚げを頬張る。明太マヨソースをたっぷりつけて。もぐもぐもぐと食べ終わった後にビールを流し込み、追加のビールを頼んでから、大きく息を吐きつつ言った。
「ナニカが憑いてるんです。そういうときって、腹が減って仕方がないんです。でも、俺にしか視えないから、それが現実かどうか、分からないんです」
ナニカ。なにか。私にはみえなくて、ユカリ君にはみえてる。誰にでもみえるわけじゃない。
「それって、霊?」
ズバッと聞くと、ユカリ君は慌てて周囲を見回してから、首を亀みたいに引っ込めた。
「多分。そういうモノだとは思うんですけど」
消え入りそうな声を聞いて、ハッとする。賑やかな店内だから、あまり気にせずに口に出してしまったけど、本人にとっては繊細な話題なんだ。半信半疑で、自信ない、って前置きしてたんだし。そうだ。ココも、子どもの頃、霊感があるって言ったら、幼馴染の子にひかれちゃったことがあったんだっけ。
「ごめん。大きな声で言っちゃって」
「いえ。俺が言いだしたことなんで。それよりも、いきなりこんなこと言い出して、シヅカさん、ひかないっすか?」
まあ、以前の私だったら、半信半疑ではあるけど、本人がそう言ってるんだから、くらいに思っただろうけど。今の私は、違う。霊が視える人は、いるんだって知ってる。
「ひかないよ。ユカリ君、悩んできたの?」
しっかりとユカリ君の目を見て、ハッキリ言う。自分はちゃんと聞くよ、という態度が必要だと思った。誰にでも認識できる物体について話すんじゃなくて、自分にしか視えないものがある、ってことを打ち明けるのって、結構な勇気がいるから。特に、大人になってからは。
目をちょっと泳がせた後に、ユカリ君はジョッキの取っ手をつかんだまま、黙り込んだ。表情がない横顔は、何を意味してるんだろう。
でも、そっか。ユカリ君は細身だ。あれだけの量を食べたら、食べ過ぎで倒れてしまってもおかしくないのに、お腹が膨れた様子もなく、まだ食べられるって、そういうことだったのか。
私も視線を外して、ちょっと冷めたホッケの開きを食べる。ホッケって、美味しいよね。淡泊なんだけど、お酒のツマミにもなって。ご飯のおかずにもなる。ほろりと大きく身が崩れるから、食べやすいし。
ハイハイハイハイ、うえーい!みたいな賑やかな声に耳を傾けつつ、ホッケをつまんで、日本酒を飲んでいたら、ユカリ君が、ポツ、と言葉をこぼした。
「はい」
うん。ならどうだろ。ココと引き合わせてみるのは。二人、同じ悩みを抱えて生きてきたかもしれない。自分にしか視えないナニカ。それは確かに、半信半疑で不可思議で、自分自身のことを疑うことになったりもするだろう。自分はどこかおかしいのかな、って。
「もし、なんだけど」
「はい」
「私の友だちに、霊感ある子がいるんだよ。その子に、ユカリ君の話、してもいい?それで、会ってみたいってことだったら、ユカリ君、会ってみる?」
「霊感、ある、友だちが、いるんすか、シヅカさん」
「いるよ」
一言一言、区切るように言ったユカリ君は、その言葉と一緒に、目を少しずつ見開いていった。いるよ、ってキッパリ言ったら、ぶは、と吹き出した。そのまま笑い始める。
「すごいっすね!シヅカさんの人脈って!」
「え。すごい、かな?」
「や。少なくとも、俺の周りには霊感ある人、いなかったですから」
嬉しそうに笑い終えたユカリ君は、笑顔の片鱗を残したまま、頷いた。
「ぜひ、会ってみたいです。よろしくお願いします」
「オッケー。早い方がいい?」
「できれば。コイツがいるうちに」
「じゃあ、今、連絡しちゃうね。一緒にいるうちに返事がきたら、会うタイミング、決めちゃおう」
「すみません。めんどうかけて。あ。友だちが会いたくないって言ったら、無理しないでください」
「もちろん」
素早くココに連絡する。今日は家にいるって言ってたし、気付いたらすぐに返事をくれるだろう。
「あ。そうだ。この間、俺、メッチャ湖キレイなとこ見つけたんっすよ。ここっす」
「うわ。ほんとだ。遠い?」
「そこそこっすね。でも、行けなくはないっす。車かバイクがおススメっすね」
「ちょっとそこ、地図送って~」
「了解っす」
ユカリ君と一緒に旅行することはない。私の旅行の嗜好を話してから、オススメの場所を見つけると、教えてくれるようになった。
若いのに、って言ったら失礼かもしれないけど、そういう気の遣い方や人との距離感が、彼の育った環境が、穏やかだったことを感じさせた。
「あ。いいって。いつだと空いてる?」
「明日にでも」
「オッケー」
場所はオールドにした。飲みながら話すようなことでもないし。
~ 幕間 ~
「納得いかなーい!死ぬまでお金に困らないって、占い師に言われたのに!」
「死ぬまでだろう。お前の人生は終わったんだ」
「えー!使いきれなかった財産で相殺してよ!」
「それはできない」
「なんでよ!やってよ!私のお金よ!」
「お前の物だけではないだろう」
「はあ?私のお金は私の物ですけど?!」
「救えんな」
「はあ~?」
「納得いかぬか」
「絶対に、イヤ!働くのもイヤだし、わけわかんない理由で支払いしなきゃいけないのも!私のお金は、私の物!私が全部使うのが当たり前でしょ!」
「わけがわからなくはないだろう。自分の人生の清算だ。お前がやってきたことだ」
「悪い事なんて、したこと、ありまっせーん!」
「自覚はなかったとしても、清算額が出ている。覆せない」
女は受け取った紙を粉々に手で破り捨てた。
「はい、これでいいでしょ!もう、終わり!さっさと、あの世に連れて行ってよ」
「そうか。後悔はしないな?」
「しないって!しつこいな!」
「なら、考えろ。己の罪が分かるまでな」
会話はそこで終わった。物音も途切れた。刃物が一筋の光を放っただけだった。
鎌を仕込み杖に戻した男が口を開く。
「なにか用か」
「用はないわ」
「そうか」
「交代の時間」
「ああ」
「ねえ。いつか、おさまりそう?」
「お前はどうなんだ」
「全然」
「だろう。つまらぬことを訊くな」
「子分、笑いものになってるわよ」
「俺に子分はいない」
「そうよね」
お互いが独り言のようなその会話は、互いの視線が合う事もない。無言で男が消え、女が腰にぶら下げているナイフに手をやる。
「でも、子分はそうは思ってないわ」
切ない表情に、どこか羨ましそうな感情が滲む。女は首を左右に振り、その場を去った。
~ イト(井頭 イツキ) ~
「いらっしゃい」
「こんにちは。後から二人来ます」
「はい。注文は、それから?」
「そうします。いいですか?」
頷くと、窓際のテーブル席に、彼女は座った。水とメニューを置いて、カウンターへと戻る。以前、サヨコさんたちと一緒になったときに、谷津崎ココ、と名乗ったのが聞こえた。前に宇ノ沢さんが話していた、霊感のあるという友達は、彼女のことだった。思えば彼女、ミドリさんがいるときからたまに店に来てたな。顔を見て、思い出した。どういう経緯があったかは知らないが、元気になったようでよかった。
顔と名前を知っていて、たまに来てくれるからといって、気安く話しかけたりはしない。なれなれしいのと親しみがあるのは別だ。それに、お客さんとの距離は、店側が一方的に決めるものじゃない。
今日はのんびりした日だった。店内には、谷津崎さんしかない。昨日は結構、混んだんだけどな。のんびりしているようでいて、急に満席になる日だってある。常連ばかりではなく、一見の客も来る。その日によって波があるのが、飲食店だ。天気や季節、イベントにも左右される。ただ、長いことやっていると、勘が働くようになるんだと、ミドリさんが言ってた。俺はまだまだ、その域には達していないから、仕入れたり仕込んだりした食べ物が余って、自分で食べることも多かった。ま、そんなに大量じゃねえけどな。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
谷津崎さんの連れかと思いきや、入ってきたのは丸くんだった。週一で来ていた丸くんだったけど、最近は少しご無沙汰だった。最後に来た時に悩んでたから、いろいろあったのかもな。
「どうぞ。小説、すすんでる?」
「まさか。ミステリーはここで読むって決めてるんですよ」
「はは。じゃあ、まだ二冊目の前半だ」
「そうなりますね。ブレンドと、ハムチーズのホットサンド、お願いします」
「はい」
「こんにちは」
「いらっしゃい」
「シヅカ」
宇ノ沢さんが男の子と一緒に来て、谷津崎さんが手を振る。扉が閉まったかと思ったら、また開いた。
こういうこともある。なにかをキッカケに、お客さんが一気に入ったり、な。
静かだった店内は、その後、続々とお客さんが来て、カウンター以外は満席になった。注文が重なったことで、慌てないようにと注意する。俺が焦ると、お客さんがゆっくりできない。最初に、少し時間がかかることを伝えておく。そうすると、待ってくれたりもする。時間がないときは、また来るよ、なんて行っちゃうときもあるけどな。
一人で店をやっているから、順番でしかできない。こういうときも、慌てず騒がず。そして、いつもよりは素早く、だけど丁寧に、集中していたミドリさんを思い出しながら動く。
不思議なもんだ。それだけで、なんだか心が落ち着くんだ。彼女が大切にしてきた、お客さんの時間を、俺も大事にしたい、って思えるんだ。
お客さんの話し声に耳を傾け、動向を気にしながら、注文をさばいていく。その集中している時間も、愛おしい。
ふ、と集中が途切れた時には注文をさばき終えていて、お客さんが寛いでいる姿が目に入る。そういうとき、なんとも言えない気分になる。なんてえのかな。ああ、いい時間だな、っていうか。
クラシックがいつもよりも遠く聞こえる店内で、丸くんが、いつものカウンターの端で、小さく手を上げた。
「ブレンド、追加していいですか?」
「はい」
俺の手がすくまで、待っててくれたんだな。こういうお客さんは、珍しくない。そのたびに、人の優しさとか、思いやりとか、さり気なさとかを感じて、ありがたいな、としみる。
「お待たせしました」
「いえいえ」
チラリと、カウンターの上に置かれた小説を確認する。今日も、開かれた様子はなかった。少しの違和感。丸くんは、空いている時ほど、小説を読まない。一人の時間を楽しむように、クラシックに耳を傾け、コーヒーの香りを嗅ぎながら、しっとりと過ごすのだ。逆に、こういう、混んでいる日は小説を読む。いろんなお客さんの話し声や物音が、クラシックやジャズに混ざりあって、また別の雰囲気を作り上げるのが、小説を読むのにいいらしい。
ま、でも、絶対、ってないからな。その日の気分もあるだろうし。っていうか、なんかやつれてるし。聞かないでおこう。その方がいい。
二杯目のブレンドを飲み終わると、丸くんは会計に立った。
「いつも、ありがとうございます」
「いえいえ。また来まね」
「お待ちしてます」
レジ前での短いやり取りの後、丸くんが少しだけ、前かがみになって言った。
「母が、亡くなったんです。それで、ちょっと来られなくって」
「そっか。お悔やみ申し上げます」
「いえ。以前、話しを聞いてもらって。ありがとうございました」
「俺でよければ、いつでも聞くよ」
「はい」
じゃあまた、と曇った笑顔とともに、丸くんは帰って行った。
そしてまた、それを合図にしたみたいに、お客さんが帰り始めた。テーブルを片付ける間もなく、レジで次々に会計をする。
ありがとうございました、と言いつつ、一区切りかな、と店内を見回すと、谷津崎さんのテーブルはまだ話し込んでいた。
宇ノ沢さんが連れてきた男の子は、初めての来店だな。あちゃー。コーヒーどころか、水もなくなってたな、あのテーブル。
カウンターの中に入って、ピッチャーを持ってテーブルへ行き、グラスに水を注ぎ足していたら、男の子が顔を上げた。
「あ、あの。プリンアラモードとホットケーキ、頼んでもいいですか?」
「はい」
「私たちは、コーヒー追加で。それぞれ、同じ物を」
「はい」
顔色悪いな、あの男の子。具合い悪いのかな。いやでも、そしたら甘い物を二品、頼まねえよな。パウンドケーキも食ってたし。腹、減ってたのか。混んでたから、注文しなかったのかな。申し訳ない。
カラになったコーヒーカップや皿を片付けて、急いで注文の品を作る。ちょっとだけ、クリームやフルーツを多めに盛りつけた。プリンアラモード、コーヒー、ホットケーキの順番に運ぶ。よほど腹が減っていたのか、男の子はすぐにプリンアラモードを食べ始めた。最後の皿を運んでいたときだった。谷津崎さんと男の子が、は、と俺を凝視した。
ん。なんだ?いや、待て。視線の先は、俺じゃねえ。
番人になってから、視えなかったモノが視えるようになった。特別、意識してないから、ソレは人ごみになればなるほど、紛れる。俺、そういうモノの影響、受けねえから、余計。
三人の目線なんかをパッと確認した感じ、宇ノ沢さんは視えてない。谷津崎さんと、男の子が視えて……。
うわ、と大声を上げそうになった。隣に、急にワカナが立ったからだ。イタズラそうに、ニヤリと笑って俺に人差し指を立てた後に、「さ、場所変えよっかあ!」と霊に話しかけて、すい、と共に消えた。
ワカナは三人に視えてない。それは確実だった。ただ、谷津崎さんと男の子が、目をパチクリさせた。飲み込んだ大声の代わりに、ホットケーキをテーブルに置く。
「お待たせしました、ホットケーキです」
「どうしたの?」
宇ノ沢さんの問いかける声と、俺の声が重なった。ホットケーキを置いて背を向けると、谷津崎さんが、「いなくなったの」と宇ノ沢さんに囁いたのが聞こえた。そして、男の子の声。
「どうしよう。腹、いっぱいです」
「えっ」
宇ノ沢さんが二人を交互に見る。男の子は、急に顔色が良くなってきたみたいだった。ま、腹、苦しそうにさすってるけど。
「よかったじゃん!!私、ホットケーキもらってもいい?」
「お願いします」
「ココも食べる?」
「一口だけ」
安堵したような空気がテーブルに漂っていて、それまではどんな話をしていたのか、少しだけ気になった。
「やっほー」
「おわ。ビビらせんなよ」
そろそろ寝るかとベッドに入ったところで、シロがワカナの声で話し始めた。マジで、時間関係ねえんだよ、ワカナはよ。
「一応、昼の件、話しておこっかなって思ってさ」
「おお。分かった」
毛づくろいをしていたシロが、ベッドにフワリと上がってくる。普段はほんと、普通のウサギなんだけど、こういうときは、重さすら感じさせなくなる。使い魔って、こういうもんなのかもしれないけど、まだ慣れない。
「あの霊、男の子に憑いてたんだろ?」
「そだね。地縛霊だったんだけど、あの子にくっついて来たんだよ」
「地縛霊なのにかよ?その場所から動けないのが地縛霊なんじゃねえの?」
「ほぼ動けないよ。執着心が強ければ強いほどね。あの子、相当な特異体質なんだよねっ」
「はあ?特異体質ってなんだよ?」
フワフワの耳が、たまにピクリピクリと動く。なにに反応してんのかな。撫でたいけど、ワカナが話してるときは、なんだか気が引ける。
「ん~。あの子、地縛霊とか悪霊、癒せるんだよね」
「はああ?座ってコーヒー飲んでただけだぞ」
「そうそう。無意識なんだよ。憑いてきた地縛霊、癒してんの」
「どうやってだよ?」
「食べて、かな。彼の生命力っていうか、癒しの力っていうのが、食べることによって増幅するんだ。くっついてきた地縛霊はラッキーだよね。その力を吸収して、正気に戻れる。自分の過ちに気付いて反省できれば、やり直すことができる。いろいろ」
癒しの力?生命力?なんじゃそりゃ。
「ちょっと待て。さっぱりわからん」
「だからさっ、イトは、ミドリさんの側にいると、なんだか心が落ち着いただろ?それと似たようなこと」
あ。そろそろ時間なさそうだな。口調が変わってきた。後で考えることにして、質問だけしとくか。
「除霊とは違うのかよ」
「違うねえ」
「成仏するってことか?」
「違うねえ」
よし。分かった。分からん。
「ってかさ、除霊とも成仏とも違う、そんなシステム、あんのかよ」
「だってさ、救いがどこかにないとじゃん?あの世は、地獄に突き落とすのが仕事じゃないよー」
「あの子、自分でそれ、分かってないんだよな?」
「視えてはいるみたいだけどね」
えっと。あと、違和感。あっ!
「悪霊化しかかった里中に影響受けて、調子崩した谷津崎さん。なんで悪霊とテーブル囲んで平気だったんだよ?」
「あの男の子が、霊を癒してるからでしょ。もういい?」
「……次回まで、質問まとめとくわ」
「そうして」
じゃあね、とも言わずにワカナは口を閉ざした。シロは、いつものライオンラビットに戻った。ちょっと小首を傾げて、俺を見上げた後に、また、毛づくろいを始めた。
霊を癒す力、ねえ。地縛霊とか悪霊が、人にとって悪影響を及ぼす。え。ってかさ。お盆とかにかえってくるご先祖様とかは、違うわけだよな?とりあえず、霊感のない人にも悪影響を及ぼすのが地縛霊と悪霊。それを癒して、本来の道に戻せるのか、あの男の子。
すごくね?しかも、霊感ある人間が地縛霊と同じテーブル囲めるくらい、影響なくせんだよな。
無意識かあ。あのとき、急に腹いっぱいになった、みたいな感じだったよな。視えないモン視えて、憑かれたら腹減って。ソイツがいなくなるまで腹減ってるってことだよなあ。
おいおいおい。大変じゃねえの?あの子。それもやっぱり、体質なのかよ。




