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選択してください  作者: 大福満代


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~ ワカナ ~


「どうしたの、スミ姉」

 背筋も腕も足も、髪の毛すらスラリとした印象を与える、目の前に立った同僚の……というか、”お迎えさん“の先輩であるスミ姉に軽く驚く。”お迎えさん“は基本的に多忙だし、お互いに干渉し合うことは少ない。多少の親交はあるけれど、この世みたいに、一緒に息抜きをしたり、飲みに行ったり、みたいなコミュニケーションを積極的にとったりはしない。ただただ、淡々と仕事をこなす。スミ姉は割と、交流を持ってはいるタイプだ。

 けど、俺みたいな、はぐれ”お迎えさん“みたいなのに関わっても、いいことはない。仲間内での評判くらい、いくら俺でも知ってる。ま、一言で言うと、「バカなヤツ」かな。前から、あんまり関わんない方がいいよ、って言ってるのに、定期的に話をしに来たりする。彼女がどうして”お迎えさん“になったのかは知らないけれど、元々、情が深い性格なのかもしれない。外見の印象とは違って。

「ワカナ。動くよ」

 無表情のまま、唇だけが動いて、そう告げた。

「え」

「助けたいんでしょ」

 動揺して視線が動いたところをつかまえるように、スミ姉が目に力を入れた。

「チャンス、逃さないようにね」

 それだけ言うと、スミ姉は消えようとした。

「待って。スミ姉。なんでそんな」

「なんでもなにもない。動くなら手を貸す。動かないなら、放置」

「いや、だから」

「アンタみたいなバカに、見せて欲しいんだ」

「なにを」

「信じてもいいものがあるかもしれないことを」

 すい、とそのままスミ姉は消えた。

 スミ姉の名に刻まれている色は、黒だ。疑いに通じる色。

「みんな、いろいろあるんだよねえ」

 ふわ、と柔らかい風が通り抜けた。救えるものなら、救いたい。俺はその為に“お迎えさん”になった。

「いっちょー、気張りますかあー」

 だからと言って、ガチガチのバリバリにはやらないんだけど。


~ イト(井頭イツキ) ~


 その日の丸くんは、ちょっと様子が違った。

 いつも、読まなくても、絶対にミステリー小説を手にしてくるのに、手ぶらだった。閉店間際に来店した。週末でもなかった。そして、ブレンドだけを注文した。

 なにか話があるのかもしれない、と頭の片隅に置いておいて、店は通常営業をした。お客さんは丸くんだけじゃない。来店してくれたお客さんには、オールドで寛いで欲しいから、そうした。閉店の時間になり、一人になったところで、丸くんがカウンターの中にいた俺に、頭を下げた。

「すみません。相談にのってほしいんです」

「うん。俺ができることなら」

「はい。お店、もう閉店ですよね?場所を変えませんか?」

「いいの?閉店作業してたら、遅くなっちゃうよ。丸くん、明日も仕事だろう?」

「はい。大丈夫です。お店、どこがいいですか。僕、先に行って、席を確保しておきます」

「そうだな……」

 ちょっと考えて、おやっさんのところを指定する。店の情報をスマホで送ると、丸くんは会計をして出て行った。

 丸くんの行動は、スマートだな、思う。相手の仕事の邪魔にならないように弁えて、更に、気を遣わせ過ぎないように、目の前で待たない。目の前で待たれたら、どうしても落ち着かない。だからといって、丸くんに閉店作業を手伝わせることはできない。そして、相手が都合がいいように、自分の選んだ店ではなくて、相手に聞いてみる。恐らく、俺がどこでもいいと言った場合に備えて、自分でも店は考えていただろう。しっかり考えた上での行動だ。

 水回り関係の掃除を先にしてレジを閉め、店内の掃除を軽くする。在庫チェックをして、明日の注文やメニューのことを考えてから、鍵をしっかり閉めて、店を出た。

 おやっさんの店に決めたのは、なんとなく、霊関係のことかな、と思ったからだ。相談の内容がな。おやっさんに迷惑をかける気はないけど、パッと浮かんだんだ。相談の内容が、俺の手に余るようなら、おやっさんに話すことになる。手間もはぶけるしな。それに、俺、腹も減ってたし。おやっさんの店は居酒屋だから、遅くまでやってるし。ちょうどいいかな、ってな。

 なるべく急いで作業を終わらせて店を出たけれども、やっぱり遅くなっちまった。早足でおやっさんの店へと向かう。店内はほどよい混み具合いだった。丸くんが、カウンターの一番奥で手を上げた。丸くん、カウンターの端、好きだよなあ。居酒屋でもそうなんだな。

 ふ、と笑みが口元ににじむ。

「ちはっす」

「ああ。お連れさん?」

「そうっす。丸くん、遅くなってごめんね」

「いえいえ」

「お。美味そう」

 丸くんの前には、瓶ビールと、春菊のお浸し、豚の角煮が並んでいた。相談事があると言いつつ酒が入るのは、シラフでは話しづらいことなのか、俺に気を遣わせすぎないようにか。ま、どっちにしろ、丸くんなりの気遣いだ。

「メッチャ美味しいですね、ここ。イツキさんが来るまで待とうと思ったんですけど、我慢しきれなくって、頼んじゃいました。イツキさん、なににします?」

「俺もビールで。ツマミは……タコの唐揚げと出汁巻き玉子、焼きそばもいいなあ」

「えっ。焼きそば、あるんですか?」

「ない日もあるよ。おやっさん、今日、焼きそばできます?」

「ごめん。焼うどんならできるよ」

「お願いします」

「焼うどん、美味しそうですね。僕も頼んでいいですか?」

「もちろん、いいよ」

「お願いします!」

 注文している間に女将さんが運んできてくれたビールで、ニコニコの丸くんと乾杯する。ウマー。仕事の後のビール、しみるっ。

 やっぱ、美味いもんって、力あんなあ。オールドでは思い詰めた表情だった丸くんが、すっかり笑顔になっているのを見て、ホッとする。おやっさんの料理、美味いからな。俺も料理はするけど、おやっさんには、全然、かなわない。中華だけかな、おやっさんに並べるとしたら。……ミドリさん、いっつも、美味しいって食ってくれたっけなあ。

 ミドリさんの一口は小さかった。ゆっくりと、幸せそうに微笑みながら食事をしている姿が、今でも目に浮かぶ。ほんとうに美味そうに食うんだよ。目を細めてさ。それで、かみしめるように、美味しい、って言うんだ。嬉しくってなあ、俺。調子に乗っていっぱい作って、食べきれないわ、って苦笑されたりしてさ。懐かしいなあ……。おっと。しんみりしちまった。今は丸くん、丸くん。

「イツキさんとこうして飲むの、初めてですね」

「そう言えばそうだなあ。ミドリさんがいたときも、オールドで顔を合わせるだけだったもんな」

「ですね」

 ミドリさんの名に、丸くんがふふ、と笑う。

「どした?」

「実は僕、ミドリさんがいなかったら、モモカさんとお付き合いはしてなかったかもしれないんです」

「へえ?!そうなの?」

「はい。僕、一度、モモカさんにフラれてるんですよ。そのときに、ミドリさんが話しを聞いてくれて。背中を押してくれたんです」

「そうだったのかあ。知らなかったよ」

「ですよね。ミドリさんって、そういう人でしたよね」

「うん。そうなんだ」

 しんみりとしつつも、常連である丸くんにも、ミドリさんの心が伝わっていたって分かって、嬉しい。そうだ。ミドリさんは、そういう人だった。

 丸くんと知り合えて、よかったな。ミドリさんがいた頃は、俺も客の一人だった。同じ、客っていう視点で、ミドリさんとの思い出話もできるしな。

 ただ、でも、それもあと少しなんだよなあ。

 つい最近、ワカナには、そろそろ時間だよ、と言われていた。思い出が詰まったあの店を、もうしばらくしたら閉店して、新しい土地へと移動しなければならない。

 それは仕方のない事だった。移転したって、俺の中にある思い出が消えるわけじゃない。だから、受け入れてはいるけれど、寂しいって思うくらいはいいはずだ。

「仕事終わりに、無理を言ってすみませんでした。来てくれて、ありがとうございます」

 人気がなくなった店内で、丸くんの声がやたら大きく聞こえた。心ここにあらずだった、ごめん、丸くん。

「いやいや。それで、どうしたの?」

「はい」

 口を開きかけて、丸くんはおやっさんと女将さんを気にする素振りを見せた。聞かれたくないことなんだな。

「腹もふくれたし、オールドで食後のコーヒーでも飲みながら話そうか?」

「あ、いえ」

 俺たちの会話が聞こえていたんだろう。そんなやり取りをしていたら、おやっさんと女将さんは、厨房の奥へと消えてしまった。ザーザーと水を流している音がする。床磨きでも始めたんだろうか。

 ま、とにかくこれで、俺たちの会話を万が一にも耳にする人はいなくなったってことだ。丸くんもそう思ったらしい。小さめの声で話し始めた。

「他言しません、と言っておきながら、こんなことを相談するのは申し訳ないんですが」

「うん?」

「亡くなった母の家が、幽霊屋敷と近所で噂になっているんです。近所の人から連絡がきまして。それで、面白半分に敷地内に入った子どもが、その日から熱が上がったままだって。……幽霊屋敷と、関係あるでしょうか?」

「お、おお……?」

 予想外の相談がきた。しかも、内容がてんこ盛りだ。ちょっと、頭の整理が必要だ。それと、情報の収集と。

「相談されても困るとは思ったんですが、僕、そういう方面での心当たりは、イツキさんしかいなくて。あ、もちろん、約束したことは誰にも話してません。ただあのとき、他言しませんって約束したのに、こういう相談をするのは、約束を違えることになるかな、って思って」

 ずいぶん、悩んだみたいだなあ。いろいろ考えてくれてさ。

「丸くん。他言してないなら、約束を破ったことにはならないよ。それに、不思議な体験をしたのが、アレ一回きりなら、俺を思い出すのは当然だ。だから、そこまで気に病まなくていいよ」

「あ、はい」

「で、だ。ええと。ちょっと待ってくれ」

 幽霊屋敷、って噂になってるってことは、丸くんの母親が幽霊になって家にいるってことになるのか?で、子どもが家の敷地内に入って、その日から熱が出て下がらない、と。

「まず、丸くんは、お母さんの家には行ったのかい?」

「はい」

「丸くん自身は、どう?体調崩したとか、なにか見たとか」

「まったくないんです」

 そういえば、ワカナ、丸くんのことを、「彼、強そうだよね」って言ってたな。そういう影響は受けづらいみたいだし、霊感もないんだろう。ってことは、自分がなんともないから、家に幽霊がいない、っていう確証にはならないわけだ。ただ、問題は、その子どもたちだなあ。ワカナに教えてもらったことを鑑みると、幽霊の影響で熱を出したってことになる。ただ、その熱を下げることは、俺たちにはできないはずだ。本人次第、って言ってたもんな。

 まあー、憶測だもんなあ。これ、全部。まずは、霊がいるのかどうか。調べないと。俺、行ってみてもいいのかなあ。番人としての役割じゃないし、範疇超えてる気がするけど。うわ。どうすっかな。でも、同じようなことが起こったら、大変だよな。管理は丸くんがしてるんだろうし。

 黙り込んだ俺に、不安そうに丸くんが手を動かす。カウンターの上で、握ったり、開いたり。ああ。そうだよな。丸くん。心細いよな。こんな、空気をつかむようなことが起きたら。

「ええと。まず、ほんとうに霊がいるとしたら、子どもたちが熱をだしたのは、その影響だとは思う。ただ、熱を俺たちが下げることはできない。本人次第だ」

「そんなっ」

「丸くん、落ち着いてくれ。まずは、霊がいるかどうか、確かめることが先だ。もしかしたら、緊張や興奮で熱が上がったのかもしれないし」

「もう、一週間くらい、熱が上がったままだそうです。医者も、特に異常はないと」

 おう。じゃあ、霊の影響かな。だとすると、その霊、あんまりよくない状況ってことだよな。悪霊、になってるのか、それとも地縛霊なのか。……ここで丸くんに言うのは、残酷すぎる。

 ええい。ワカナ。すまん。後で謝るし、ダメだったら俺だけ罰を受けるから!!俺は、こんなに困ってる丸くんをほっとけねえよ!

「俺が確かめるよ。ただし」

「絶対に、他言しません」

「よろしく頼む」

 善は急げ、ということで、俺たちは次の定休日に現地に向かうことになった。丸くんは休みじゃないけど、有休、全然使ってないから余ってるんだって。偉いなあ。俺なんて、有休あったら、足りなくなる勢いで使うけどな。

「ワカナ。すまん」

 帰るなり、シロに向かって話しかけたけれども、返事はなかった。


~ 谷津崎 ココ ~


 お母さん、一応、聞いてよ。いくら幼馴染みだっていっても、勝手に連絡先教えないでよ。思わず、文句が口からこぼれそうになった。

 最近、よく集まっている五人で、オールドでコーヒーを飲んでいるときだった。週末に、シヅカと私とサヨコさんの三人で、パン食べ放題に行こうかって話で盛り上がってるとき。サヨコさんは、ユミさんと石伊さんが一緒じゃないことに気後れしてたみたいだけど、週末は二人とも、仕事が抜けられないから。そこのパン食べ放題、週末しかやってないんだ。

 スマホの画面をサヨコさんに見せつつ話をしていたら、メッセージの着信が鳴った。あまりにも続いて鳴ったもんだから、急ぎかもしれないから確認した方がいいよ、って言われて。慌ててメッセージ画面を開いたら、あんまり気分のいい内容じゃなかった。

 十何年ぶりかの、幼馴染みからの連絡だった。しかも、霊関係の。

「どうしたの、ココ。急ぎ?」

「えっ。緊急なのかい?ここはいいから、行きなよ!」

「サヨバア、待てって。早とちりすんなよ。ココ、なんも言ってねえだろ」

「でも、表情変わったから」

「よくない知らせですか?」

 みんなが心配そうにしてくれるので、心の隅にベッタリとくっついた嫌な気分は、少しだけ軽くなった。

 どうしようかな、と一瞬だけ迷って、ま、いいか、って話してしまう。

「幼馴染みです。息子が幽霊屋敷に行ってから熱を出したから、どうにかできないかって」

 端的に、必要最低限の言葉だけを繋げたら、その場が静まった。シヅカだけが、ぎょっとした顔をした。大丈夫。私だって、誰彼構わず、こんなこと言ったりしない。

「こ、ココ……」

 なんでシヅカが動揺してるの、ってちょっと笑っちゃいつつ、片手を上げて、大丈夫、と返す。

「どういうことなんだい?それは」

 ユミさんは無表情になり、石伊さんは困った顔で口をつぐんだ。サヨコさんが、不思議そうに、素直な気持ちを口にした。

「私、霊感があるんです。だから、どうにかできないかってことみたいですね」

 話している間にも、ピコポコと通知音がうるさい。マナーモードにして、スマホをバッグにしまう。バッグの中から、着信を告げるバイブの音がするけれど、ほうっておく。

「そうかい。初めて会ったよ、霊感がある人。そういう頼まれごと、よくあるのかい?」

「いいえ。私、視えるだけなんです。それに、あんまり人に話してこなかったし。初めてです」

「そうかい。なら、困ったね」

「はい。それに、その相手、霊感があるって言ったら、距離を置かれた人なんです」

「ええー!!なんだい、それ。ひどい話だねえ。霊感があってもなくても、ココちゃんはココちゃんじゃないか。悲しかったね」

 歯に衣着せぬ、サヨコさんらしいその言い方が、幼いあの日の自分に届けばいいのにと思う。

「そうなんです。だから、ちょっと……どうすればいいんだろう」

「そうだねえ」

「ほっとけばいいんじゃねえの。そんなん。自分の都合で、酷いことした相手に助けてもらおうなんて、虫が良すぎんだろ」

「草岡さん、そんな言い方」

「ほんとうのことだろうよ。ソイツ、ココに酷い事したんだろ。なのに、そのことを謝ったのかよ?謝りもしないで、自分が都合悪くなったら助けてくれなんて、ふざけんなっつーの」

「ココちゃんにやったことは酷いけど、子どもが熱を出して必死なんだろ。すがるような気持ちで、連絡してきたんじゃないかねえ」

「そもそも、なんで幽霊屋敷と熱が関係すんだよ?意味わかんねえし」

「霊がほんとにその家にいるなら、関係してるかも……。私、霊を視た後、体調崩したりするんです」

 え、とユミさんとサヨコさんがビックリした顔をした。

「そうなのかい。なら、あり得るのかもしれないね。ココちゃんは、どうやって回復するんだい?」

「薬も効かないので、自然治癒としか言いようがないです」

 はは、とユミさんが意地悪そうな笑い声をあげた。

「そのまま言ってやればいいんだよ!ひどいことして謝らねえし、子どもは他人の敷地に勝手に入るし。自業自得だっつーの」

「草岡さん、言い過ぎだよ。誰だって、あるよ。他人に迷惑かけちゃうこと。草岡さんだって、あるでしょ?」

「……うるせえよ」

 複雑な表情でユミさんが黙り、今度は石伊さんが口を開いた。普段、控えめな石伊さんにしては珍しく、ハッキリとした口調だった。

「ココさん、私、できることがあったらしますから、いつでも言ってください。霊は視たことないし、そういう知り合いもいないですけど。草岡さんも、口は悪いけど、力になってくれます」

「もちろん、あたしも手を貸すよ。でも、まずは、どう返事をするかだよね」

 軽く頷きつつ、アイスコーヒーを追加で注文した。一気に喉が乾いて、飲んでいたコーヒーでは足りなかった。

「あっ!!あたし、クリームソーダがいいよ!い~さん。ユミちゃんたちは?」

「いらん。まだある」

「私も」

「私、プリンアラモードを」

 カウンターの向こうから、分かったと頷く店主。その間もうるさくバイブが鳴るスマホの画面をひらく。

 ズラズラと書かれているのは、なんというか、自己弁護のような。自分がいかに大変で、息子のことが心配過ぎて、ああでこうで、どうにかして欲しい、ってことばっかり。

 変わってないなあ、さっちゃん。子どもの頃からこうだった。でも、とか、だって、が口癖で、いいわけばっかりしてて。謝るのも、なかなかできない子だった。高校からは別になったし、大学からは私、一人暮らしになって地元から離れたから、彼女がどんなふうに生きてきたかは知らないけど。少なくとも、このメッセージを見る限りでは、変わってない。長文がどかどかと、迷惑メールみたいに送られてくる。これを読む相手のことなんて、まったく考えてない。

 うわ、と気味悪そうに、つないでいた私の手を放り出すように離したさっちゃん。次の日から遠巻きに、クラスメイトの子と、私を見てはヒソヒソしてた。

 ユミさんの言う通り、助けてあげる義理はないなあ。でもなあ。

 天井を見上げた後に、シヅカの顔を見た。まだ心配そうにしている彼女に、なんだか気が抜ける。

 私だって、助けてもらったじゃない。あんな目つきをして私を見た彼女が連絡してきたのは、サヨコさんの言うように、藁にも縋る気持ちなんだろう。そんな相手を無下にするのは、気持ちがいいことじゃない。

「連絡、返そうかな」

「ココ」

「そうかい。なにかあったら、すぐに言っておくれ。なにもできないかもしれないけど。ね、ユミちゃん」

「……ココが困ったらな」

「ありがとうございます」

 素直じゃないユミさんの返事に、石伊さんはホッとした顔をした。ユミさんは、言葉を選ばずに発言するから、キツイときがある。そういうとき、石伊さんは悲しそうな顔をする。さっきも、悲しかったんだろう。

 ユミさんがいないときに、石伊さんがそっと教えてくれたことがあった。ユミさんは、彼女の妹に似ていて、ほっておけないんだって。お姉ちゃんなんだなあ。

 さて。どう返事しようかな。この長文メッセージに。スマホを片手に首を傾げる。

「はい、お待たせしました」

「ありがとう、い~さん」

「草岡さん、半分食べる?」

「いらねえっつうの」

「ごめんなさい。ちょっと、返しちゃってもいい?」

「もちろんだよ」

 みんなが話している声を聞きながら、考え考え、文を作っていく。

 私は視えるだけだから、どうにもできないこと。もし本当に、霊の影響なら、薬は効かないから、自然治癒しかないこと。ちょっとだけ悩んで、最後に付け足した。さっちゃんも、心配し過ぎて体壊さないでね、と。

「終わった?」

「うん」

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

 アイスコーヒーも、とっくに飲み終わっていた。待たせちゃったけど、誰もイヤな顔はしていなかった。気軽だけど、お互いに気を遣い合える関係、いいよね。

 店を出た後に、サヨコさんがもじもじと、私に耳打ちした。

「あのさ。もし、家に来たときに、旦那がいたら、教えてくれるかい?」

「はい。すぐに」

「ありがとう」

 お礼と一緒に向けられた笑顔は、ほんとうにほんとうに、嬉しそうで。私もふんわりとした気分になった。


~ 草岡 ユミ ~

 

 ココが霊感があると言った時、ヒヤリと冷えた。もしかして、アタシの正体も分かっているんだろうか、って。

 固まったまま、一瞬でいろんなことが頭の中をかけめぐった。そんなわけない、ってすぐに気付いたけど、心は固まったままだった。

 アタシは霊じゃない。霊じゃないけど、「生きてる」わけじゃない。それまで和気藹々としていた五人の中で、急に、自分だけが弾かれてしまったような感覚に陥った。自分でも抑えようのないイラつきが一気に湧き上がって来て、会ったこともないココの幼馴染みを罵ってしまった。……我ながら、以前の自分に戻ってた、と思う。表情も、言ってることも、感情も。自分のことがすごく薄汚く感じて、ここに自分はいちゃいけないんじゃないかって思ったところで、石伊が止めてくれた。止めてくれなかったら、アタシは、全部をメチャクチャにして、自暴自棄な生活に逆戻りしていたかもしれない。それくらい、一気に、過去の自分への嫌悪感が湧き上がっていた。それと、みんなとは違う存在の自分に。

 アタシが言ったことは、過去の自分に言ったことだ。石伊に言われるまでもない。アタシは過去に、酷い事ばかりして生きてきた。それなのに、誰にも謝っていない。誰にも、だ。謝る機会は二度とない。謝りたくても。そうして、そんなことすっかり忘れた顔をして、穏やかに過ごしてた。

 机をひっくり返して店を出て行きたい衝動に駆られたときに、石伊が、アタシの気持ちを繋ぎとめてくれた。

「草岡さんも、口は悪いけど、力になってくれます」

 なんだよ、うるせえよ。なに、勝手に、人の気持ち代弁してんだよ。誰が力になるっつったんだよ。

 知らずに下がった視線の先に、テーブルの下で隣に座ったサヨバアがハンカチを差し出してるのが見えた。最近お気に入りの、刺繍入りのタオルハンカチ。

 なんだよ、どいつもこいつも。アタシみたいなサイテー野郎に、なんでそんな優しいんだよ。サヨバアのハンカチをテーブルの下で握る。にじんだ涙は、瞬きを数回、しただけで飛んだ。後は、ぎゅっと目尻と眉に力を入れたらおさまった。

 帰り道、隣を歩く石伊にだけ聞こえるように言った。

「悪かったよ」

「うん」

 こっちを見ないで返事をした石伊は、優しいヤツだと思った。


「おい。霊感があるヤツに、アタシの正体がバレないのって、どうしてなんだよ」

「え。どうしたの、今更」

 ちょうどよく現れた“お迎え”に現金を渡しつつ聞く。どうでもいいけど、電子決済になんねえのかよ。アタシみたいなのが何人いるか知らねえけど、いちいち現金受け取りに来るの、大変じゃねえのかよ。

「いいから、教えろよ」

「だって、霊体じゃないから。分かるわけないじゃん。それに、霊感ある人に正体バレるようなモンじゃないよ。そもそも、簡単に正体バレて働けなくなったら、清算できなくなっちゃうでしょ~。あの世の力、ナメないでよねっ」

「こわ」

「はいはい、怖いんだよ~、あの世っていうのはね」

「おい。もう一つ教えろ。なんで霊障は自然治癒しかねえんだ」

「あれ。なんでそんなこと知ってんの」

「知り合いが霊感あんだ。ソイツが言ってたんだよ」

「へえ。うーん。病気とか、体の故障とかの不調じゃないからねえ」

「違うのかよ」

「病気は原因があるでしょ。ウィルスだったり。ケガは、骨が折れてます、とかね。だから、薬があったり、外傷にも措置がある」

「霊障だって、原因あるだろ。霊が原因なんだろ。その霊がいなくなったら、よくなるんじゃねえのか」

「違うねえ。その霊に、精気を取られちゃってるし、悪い影響をもらっちゃってるし。時間をかけて回復するしかないんだよね」

「そうかよ。早く治る方法はねえのか」

「ないねえ。個人差ですね。どしたの?今日、やけにシツコイけど」

「知り合いの同級生の子どもが、幽霊屋敷に行ったら熱上がって下がらねえんだって」

「へえ」

「なあ。アタシは、視えるようにはならねえんだよな?」

「ならないねえ。元々霊感ないしね、あなた」

「ま、そうだよな」

「もういい?」

 かわいらしさを演出したのか、小首を傾げて聞いてくるので、手を上げる。じゃねん、と短く言って、”お迎え“は姿を消した。

 ダメか。やっぱ、ねんだな、自然治癒以外は。あるようだったら、ココの助けになると思ったのに。


~ 左田 ユカリ ~


 息切れしつつ、控室で着ぐるみを脱いだ。二度とやらん、とは思っていたんだけど、頼まれちゃったからなあ。嫌とは言えなかった。暇だったし。どんな形であれ、大食いの動画、ガチで考えてるから、機材欲しいし。金、貯めないと。

「あー……しんど」

「お疲れっ。助かったよ~」

「うす」

「今日、子どもたち、元気だったねえ」

「げ、元気でなによりっす」

「またお願いねっ」

「うす」

 Tシャツにジャージでソファに座って息切れしている俺を尻目に、スタッフは急いで控室を出て行った。忙しいんだろうな。イベント中だし。

 B級グルメと銘打った、屋台とキッチンカーがズラリと並ぶ広場。ゲストを呼んだイベントがいくつかあるから、運営のスタッフは大変そうだ。タイムスケジュールがキツそうなのに、アクシデントも起こるし。ピンチヒッターで着ぐるみに入った俺も、もちろん、大変だったけどな!

 せっかくだし、なにか食って帰ろうかな。水分も摂りたいし。

 控室の中にはデカいクーラーボックスがあって、そこにいろんなドリンクが入っている。何でも好きに飲んでいいよ、と言われているけど、何本も飲むのは気が引ける。

「よし、着替えて行くかあ」

 息を整えて立ち上がり、まずは何を食べようかなあ、なんて鼻歌を歌っていたら、スマホが鳴った。

 あれ。シヅカさんだ。どうしたんだろ。

「もしもし」

「ユカリ君?ごめんね。シヅカです」

「はい」

「急なんだけど、今から付き合ってもらえるかな?」

「えっと。どこにっすか?」

「ココの知り合いのとこ」

「は?」

「急いでて。ほんと、ごめん。付き合ってもらえるんなら、行きがてら、電車の中で説明するから」

 焦った声を出しているシヅカさんの後ろから、谷津崎さんの、ごめん!っていう声が聞こえてくる。

「分かりました。どこへ向かえばいいですか?」

「助かる~」

 場所を確認したら、俺が今いるとこから、さほど遠くない場所だった。シヅカさん達の方が遠い。合流は、最寄り駅ってことになった。

「ごめん!急いで向かうから!事情は、メッセージで送る!」

「うす」

 すぐに通話が切れて、ツーツーという音が響いた。うん。俺、まだ時間あるわ。やっぱ、ちょっと食ってから行こう。腹が減っては、って言うし。キッチンカーのスパイスカレー、美味そうだったんだよな。

 

 おお。マジか。

 待ち合わせの最寄り駅につく頃に、シヅカさんからメッセージが送られてきた。それは結構、シュールな内容だった。

 谷津崎さんの幼馴染みの息子さんが、幽霊屋敷に行ってから体調を崩したんだって。熱は下がったけど、体力が落ちて、元気がない。どうにかできないか、って相談から始まったっぽい。

 で、どうにもできないって言ったんだけど、薄情なんじゃないか、どうにかして欲しい、また同じことがあったらどうするの、霊感がある知り合いは他にいないから、責任をもってほしい。それに、幽霊屋敷にほんとうに幽霊がいるかどうか確認して欲しい、とかなんとか、そういう怒涛のメッセージが、昼夜を問わずに来るんだそうな。

 キッつーう。それ、ガチでキツイわ。相談じゃないわ。もうなんか、それって、一方的な押し付けじゃんな。責任ってなんだよ。霊感あるだけで、まったく関係ない事の責任負わされたら、たまったもんじゃないよ。

 んで、谷津崎さんも困ってしまって、見に行くだけだよって言ってしまったら、いますぐ来て、って始まったんだって。今すぐは無理、それに、霊を視ると体調を崩すから、って言っても、ひどい、子どもがどうなってもいいの、とかメチャクチャなことを言ってくるもんだから、もうほんと、どうしようもなくって、俺に連絡がきたらしい。俺と一緒だと、霊の影響受けないから。

 なるほど。なかなかの幼馴染みがいるんだな。谷津崎さんとは全然、イメージ違うなあ。俺はいいけど。バイト終わってたし。…………ん。いや。ヤバくね?俺。そこで憑かれちゃったら、また食費で大赤字だよな。そういうわけにはいかない。そこのところ、どうすればいいんだろ。今回は頼まれて行くわけだから。……請求って、アリ?

 不安になって聞いてみると、「必要経費は請求するって言ってある」って返ってきた。おお、それはよかった、とは思うけど、その幼馴染み、莫大な食費がかかるとは予想もしてないんじゃ。シヅカさんの、せめてもの意趣返しなのかな。

 ほんとに大丈夫なのかなあ、と思いつつ、駅のベンチで動画を流し見していたら、シヅカさんたちが到着した。

「ごめんっ!ほんとごめん!」

 二人で両手を合わせて拝み倒すので、かえって申し訳ない気持ちになる。

「いえ。大丈夫っすよ。それより、谷津崎さん、大丈夫ですか。顔色、よくないですよ」

「ちょっと睡眠不足で」

「ほんと、非常識だよね。私、ガツンと言おうかな。ユミさんみたいに」

「いい。私が言う。ダメだ、もう。ユカリ君にまで迷惑かけることになっちゃったし」

「いきなりすぎですよね」

「そうなんだよー。その、幽霊屋敷の持ち主が、今日、来られるんだって。だから、家の中に入れるし、ってことで、無茶苦茶、無理言われて。ココ、半休とったんだよ」

「シヅカもでしょ。シヅカは仕事、休まなくてもよかったんだよ」

「いいや。乗りかかった船だよ!って、サヨコさんなら言うね」

「言う、言う」

「ごめんね、ユカリ君。行こっか」

「うす」

 駅前でタクシーを拾って、乗り込む。よくある町並みを眺めて十五分くらいすると、住宅街へと入った。シヅカさんは、タクシーを降りるときに、しっかり領収書をもらっていた。

「経費ですって渡してやる」

 ずいぶん、お怒りのようだけど、話しを聞くだに、そりゃそうだ、とも思う。その幼馴染み、人の生活とか、お構いなしだよな。

 住宅街の細い道を、スマホのナビをたよりに三人で歩く。

「ええと。この辺りのはずなんだけど……」

 キョロキョロと辺りを見回す。数十メートル先くらいに、何人かが集まっているのが見えた。

「あ、あそこじゃないっすか」

「ほんとだ。もう集まってるっぽいね」

「急ぐ?」

「ってか、どうする?家に入る?入って、ユカリ君、憑かれちゃったら、そこからもうすでに、食費がかかるよ」

「動画、回しますか?」

 お怒りのシヅカさんをなだめる為に、ふざけてみる。俺の気持ちを汲んでくれたのか、シヅカさんが笑った。

「いい案だね~。やっちゃう?録画になるけど」

「んんー……生配信じゃないと、編集って言われちゃうんじゃない?」

「でもさ、一応、撮っとく?」

「というか、家の持ち主さんがいるなら、どうしたいか聞いた方がいいんじゃないかな。ユカリ君のことも話して、その上で、オッケーが出たら、入ったらどうかな。ユカリ君、いい?」

「いっすよ」

 俺が食費を負担しないですむなら、全然、なんでもいい。

「ココの幼馴染みは、それでいいのかな」

「さっちゃんのことは、気にしなくていいよ。どうせ、人の話なんて聞かないし。家の持ち主でもないし。いるかいないかだけ確かめたら、もうそれでいいよ」

 あ。これ、谷津崎さんも相当、怒ってるな。冷静に見えたけど、実は、シヅカさんより怒ってそう。当事者だもんな。

 二人の後ろをついて、おとなしく歩いていく。お互い、顔が認識できるところまで近づいたところで、前の二人の足がピタリと止まった。ん?

「え」「あれ」「ん?」その場にいろんな形の疑問符がとんだ。

「い~さん?どうしてここに」

 現地にいた三人のうち、俺も一人は見覚えがあった。オールドの店主だった。意外な人に、意外過ぎる場所で出くわしたから、場が軽く混乱しているのにも関わらず、その女の人は、無神経に言った。

「遅いよ!」

 俺、帰ろうかな。


~ 谷津崎 ココ ~


「いいかげんにしてよ」 

 冷静に言ったつもりだったけど、思った以上に冷たい声がでた。やりたい放題のさっちゃんには、ほんとうに迷惑してた。こんなに人を巻き込んで。挙句の果てに、遅いよ、ってなに。

「だって、遅いから」

「いいかげんに、して。私、会社、半休とったんだよ。第一声がそれなの、恥ずかしくないの?さっちゃんのワガママに付き合って、関係ない人にまで迷惑かけたんだよ」

「だって私、ココちゃん以外には頼んでないし。勝手にココちゃんが連れてきたんでしょ」

「そう。なら、私、迷惑、被ったんだけど?謝らないの?」

「でも私、ケイタが心配で」

「心配なのは分かるけど、だからって、他人に迷惑をかけていい理由にはならない。さっちゃんからの連絡で、私、どれだけ迷惑したか」

「だって、すぐに返事がないから」

 冷静に、冷静に、と思っていたけど、そこでついに、堪忍袋の緒が切れた。

「ふざけんなっ。自分の都合で他人の生活かき回しといて、謝罪もお礼の言葉もないなんて、常識知らずにもほどがあんだよっ!!」

 ユミさんを降臨させようと思ってシュミレーションしてたのに、彼女みたいな迫力はでなかった。付け焼刃はダメだ。シヅカは隣で、メチャクチャビックリしてるけど。ユカリ君も、口を挟めずにいるみたい。そうだよね。いきなり私がガチギレしたんじゃね。

 さっちゃんは、ビクリと肩を震わせて黙った。そんな被害者みたいな顔したって、許すもんか。他人の罪悪感を煽って、筋も通さず、謝罪もせずに終わらせようなんて、許さない。

「恥ずかしくないの、初対面の人もいる前で。自分のことばっかり。まさか、こちらのお二人にも同じような態度とったんじゃないでしょうね?」

 黙ったまま、さっちゃんが目線だけを上げた。子どもの頃からの癖だ。彼女が言い逃れしようとするときの。

「謝って。子どもだって知ってるよ。悪い事したら、謝るんだよ」

「あ、あの」

 オールドの店主の隣に立っていた男性が、そっと、私とさっちゃんの間に入ってきた。露骨に助かった、みたいな顔をしたさっちゃんを睨んでから、向き直る。

「出会い頭に騒いでしまって、すみません。私、谷津崎ココといいます。サナエさんの幼馴染みです」

「あ、初めまして。僕、丸野です。この家の持ち主です」

「オールドの店主さんは、どうしてここに?」

「丸くんに頼まれてね。俺、井頭っていうんだ。ちゃんと名乗ったこと、なかったね。渕田さんが話してた、霊感のある幼馴染みって、谷津崎さん?」

 そっか。サヨコさん、だから、”い~さん”って呼ぶのね。

「はい。そうです。それで……」

「立ち話もなんですし、家に入りませんか?鍵、開けますよ」

 丸野さんがそう言いつつ、鞄から鍵を取り出した。いろいろ、お互いに情報が不足していて、こういう場合は、呼び出した本人がつなげるものなのにと、さっちゃんを見ると、もう全然、自分は部外者です、みたいな顔をしてる。

「謝って。きちんと。この場にいる人、全員に」

「ど、どうして」

「どうしてって、みんな、さっちゃんの為に集まったんでしょ?」

「私の為じゃないよ。幽霊屋敷が……」

「謝らないなら、私、このまま帰る。丸野さん、帰りましょう」

「僕は、関係者なので、そういうわけには」

「なら、私たちで話しましょう。オールドに行きませんか」

 収まらない怒りを、なんとか抑えつけつつ話していると、成り行きを見守っていた井頭さんが、いつもの気軽な口調で言った。

「残念、今日は休みなんだ、店。俺がここにいるからさ。でも、開けるよ。移動しようか」

 その場にいる全員に目線をやり、促すように、気軽な足取りで歩き出す。

「そんな。ケイタの事、どうするんですか。無責任ですよ!それに、また、同じことがあったら、どうするんですか!」

「あのね。さっちゃん。言わないと分かんないの?そもそも、勝手に家に入らなかったら、体調不良になんてならなかったでしょ?他人の家に勝手に入っておいて、その言い分。いいかげんにしなよ。さ、行きましょう」

「ま、待って!」

「待たない。自分がどんなに無礼なことをしたか、きちんと省みて、分かったら、連絡ちょうだい」

 井頭さんの後を追って、私も歩き出す。ここから歩いて駅まで行くには遠いけど、大通りまで行けば、タクシーが走ってるはず。

「待ってって!」

 振り向かなかった。戸惑っている雰囲気だった他の三人も、私の後から歩き出した。


~ 渕田 サナエ ~


 え。待って待って。なんで帰っちゃうの?ケイタはどうすればいいの?それに、幽霊屋敷に幽霊がいるかどうか、今日、分かるよって、町内会のみんなに言っちゃったのに。聞く前に帰っちゃったんだけど。

 え。どうしよう。追いかけようかとも思ったけど、近所で噂になったら困る。仕方なく、家に帰りつつ、ココちゃんのスマホに着信を入れてみる。けど。

「出るわけない、かあ」

 だよね。出てくれるくらいだったら、帰らないもんね。それにしても、ココちゃん、薄情だよね。っていうか、無責任すぎる。一度は引き受けておきながら、なんにも教えてくれないで帰っちゃうなんて。

「ただいま」

 玄関のドアを開けると、リビングから動画の音が流れてきた。熱は下がったけど、ケイタは体調を崩しがちで、学校は休んでた。そろそろ、登校しないと、勉強も遅れちゃう。

「ケイタ、調子はどう?」

「……………べつに」

 動画に視線を固定したまま、ケイタはボソボソと返事をした。あれ以来、ケイタは最低限しか私と口をきいてくれなくなった。どうにかしないと。

 ちょっと早いけど、晩ご飯の支度をしようと台所に立つ。今日はケイタの好きな唐揚げにしよう。それと、サラダと、インスタントのポタージュ。野菜は好きじゃないから、ケイタはあんまり食べないけど、ポタージュは大好きだし。少しでも食べて、栄養つけないと。

 レタス、トマト、キュウリ。ボウルに入れて流水で洗っていると、ケイタが隣に来た。水を止める。ケイタが久しぶりに側に来てくれたのが嬉しくて、しゃがんで視線を合わせた。

「どうしたの?」

「ママ、幽霊屋敷、どうだったの。幽霊、いた?」

 言葉に詰まった。いるかどうかも教えてもらえずに、みんな、帰ってしまった。でも、今日、分かるからねって、ケイタにも言ってたんだ。

「あー、うん。いたよ!」

「そうなんだ。どんな霊?」

「ま、ママ、霊感ないし、そこまでは聞かなかったなあ。でも、いたって」

「ふうん。あの幽霊屋敷、どうなるの?」

 どうって。どうするんだろう。丸野さんが亡くなったんだから、空き家だし。息子さんが引っ越してくるのかしら。

「どうするんだろうね?」

「幽霊は?どうするの?そのままあそこに住むの?」

 息子さんが引っ越してくるにしても、売却するにしても、お祓いくらいはするんじゃないかしら。噂が立ったんだし。

「ううん。幽霊は、やっつけちゃうんだって。今度、専門の人が来るって」

「ふうん。僕、見たいなあ。幽霊をやっつけるとこ。ママ、お願いしてもらえない?」

 笑いもせず、はしゃぎもせずに、じいっと私を見つめながら話すケイタの様子が、いつもと違うことに、そのときに気が付いた。

「え、あ、うん。いいよ。ママ、お願いしておくね」

「ほんと?」

「ほんとにほんとだよ!約束ね」

 指切りをしようと指をだしたけど、ケイタはその手をじいっと見つめただけだった。

「ケイタ?」

「ウソだね。また。ママ、どうしてウソつくの?」

「え」

「ママって、いっつもウソばっかり、だね」

 軽蔑したような視線を投げて、ケイタは自分の部屋へと行ってしまった。

「そんな」

 水をはったボウルに沈んだままのトマトとキュウリを、ぼんやりと、見るともなく見ていたら、エプロンのポケットに入れていたスマホが鳴った。

 ココちゃんかと思ったら、のんちゃんママだった。

「もしもし」

「乃田です」

「はい」

「今日、どうでした?」

「ああ。分からなかったんです。霊感、なかったんですよね。嘘だったんです、幼馴染みの。どうしましょう」

 単調な口調で、よどみなく答えた。近所で私が嘘つきだなんて噂が広まったら困る。悪いのはココちゃんだし。ココちゃんがこの近所で嘘つきと噂になっても、なんにも実害がないから、いいだろう。

「…………」

「のんちゃんママ?」

 のんちゃんママからの返事はなかった。代わりに、長い長い沈黙が流れた。あまりにも長くて、電話を切り上げようかと思ったら、やっと、のんちゃんママが話しだした。

「幽霊、いるそうですよ。これから対策するそうです。ケイちゃんパパにも連絡したそうですから」

「えっ」

 そんな。ひどい。私には教えてくれなかったのに。

「丸野さんから事情を聞いて。ケイちゃんママに教えてあげてくださいって言われたから、電話したの」

「そんな。どうして知らないフリなんて」

「ごめんね。どういう対応をするかか、知りたかったの。ケイちゃんママが。ねえ。ほんとうに、自分のしてること、分からないの?」

「………………」

「ノゾミが言ってたよ。ケイちゃん、ママがウソばっかりつくから、イヤだって言ってるって。そのままで、いいの?」

 ケイタに嘘つき呼ばわりされたばかりだったせいもあって、カッと頭に血が昇った。

「なんでそんなこと、のんちゃんママに言われないといけないの!」

「うん。そうね。わざわざ言う必要はないんだけど。ケイちゃんがかわいそうで」

 かわいそう。ケイタが?どうして?あんなに愛情をかけて育ててきたのに。

「子どもって、意外に、大人のすることを、よーく見てるものよ。子どもだからって、侮っちゃダメよ」

「うるさいっ!」

 叫んで電話を切った。カズトの言葉が頭の中でこだまする。「自分で分かっているんだろう?自分の悪いところを受け止めてくれ」……分かってる。私もどうにかしたい。謝れなくて、責任転嫁ばっかりしてて、都合が悪くなるとウソばかりつく自分のこと、一番嫌いなのは、私だ。ダメだって分かってるのに、出まかせばかりでその場しのぎの自分を持て余してる。

「でも、今更、どうすればいいの」

 長年、そうして生きてきた。頑なになった心は完全に迷子になっていて、出口は全く見えなかった。


~ イト(井頭イツキ) ~


 おっとっと。なんと。谷津崎さんたちも来たか。この前、話してたのがちょっと聞こえて、こんな身近でよく似た話があるもんだな、なーんて思ってたんだが。当事者同士でしたか。

 サヨコさんたちは丸くんのことを知ってるけど、谷津崎さん達は知らないはずだった。ってことは、この場で全員を知ってるのは、俺ってことか。ある程度、お互いの事情を知ってるのも。まあ、渕田さんのことはよく知らんけど。

 谷津崎さんはだいぶご立腹で、渕田さんに厳しい言葉を投げていた。宇ノ沢さんが気圧されたように口をつぐみ、その後ろで、霊に憑かれると腹が減るらしい男の子は、目を白黒させていた。丸くんも、ポカンだ。

 こういうときは、成り行きを見守るしかない。これだけ怒っているということは、それなりに理由があるはずだ。宇ノ沢さんも止めないし、よっぽどだな。こりゃ。

 渕田さんは、俺たちが来た時も、似たり寄ったりの態度だった。遅いですね、幽霊屋敷なんて放置して、どういうつもりですか、と、丸くんに言いたい放題なので、止めようかな、どうしようかな、って思ってた矢先に、谷津崎さんたちが現れたんだ。幽霊屋敷放置してって、丸くんも、そんなことになってるなんて思ってもいなかっただろうし。まあ、酷い言いぐさだった。

 俺を見てビックリしている彼女たちに、井頭です、と名乗った。その名は、おそらく、移転したら使えなくなる。番人になって名も変わったのに、今も使っているのは、丸くんたちとは井頭として出会ったからだった。

 タクシーの中でも、電車の中でも、全員が無言だった。オールドを開けるよ、とは言ったものの、ちょっと遠いよな。

 途中で気付いて、手頃な店を選んで入ろうか、と提案してみたけど、全員が首を横に振った。曰く、あんまり人に聞かれたくない話だから、他人を気にしなくていい場所がいい。オールドを提供してもらえたらありがたい、ってことで。

 そう言うなら、ま、いっか。そう思って、店を開け、全員分のコーヒーを淹れた。

「お待たせ」

「すみません」

 コーヒーを淹れたはいいけど、誰も飲まない。気まずい沈黙が続く。

「あー。えっと。谷津崎さん、渕田さんからなんて言われてたの?宇ノ沢さんと、えっと」

「左田ユカリです」

「左田君は?」

「はい。私は、幽霊屋敷に幽霊がいるか確認して欲しいって言われて。私、でも、幽霊を視ると、体調を崩すんです。だけど、ユカ……左田君がいると、大丈夫なんです。なので、一緒に来てもらって」

「私は、無理やり同行しました。霊感はないです。丸野さんは、あの家の持ち主なんですよね。井頭さんは、どうして、一緒にいたんですか?」

 だよな。やっぱ、聞かれるよなあ。完全、部外者だもんな、俺。ただの喫茶店の店主だし。

「彼は、僕がお願いして来てもらったんです」

「そうそう。俺、知り合いに、ちょっと詳しい人がいるんだよ、そういうの。だからさ」

「詳しいのって、居酒屋の大将と女将さんですか?このお店で見かけたことがあるって、ココが話してました」

 宇ノ沢さんが間髪入れずにぐいぐい訊いてきて、おや、と思う。知ってるのか。おやっさんのこと。どこまで、かな?迂闊なことは言えないな、こりゃ。誤魔化すのも難しそうだし。ま、いっか。

「うん。そう。店によく、二人で来てくれてね。雑談混じりに話してたことがあったんだよ」

「そうですか。私たちも、ちょっとした縁があって。ユカリ君のこと、相談したんです」

「相談?」

「はい。ユカリ君、霊に憑かれると、その霊がいなくなるまでお腹が空いて、どうしようもないんです。そういうの、どうにかできないかなって。そうしたら、どうにもできないけど、食べることで、霊を癒してるんじゃないかって、教えてくれたんですよ………うわ、ごめん!勝手に話しちゃった」

「あ、いっす、いっす。どっちみち、話さないといけないことだし」

「ごめん~!ほんと、ごめん!」

 謝り倒すシヅカさんを、困ったようになだめている左田君は、人が好さそうだ。ま、人が好くなかったら、ここまでついてこないわな。

「それで、あの、母の家に霊は」

「いました。丸野さんのお母さんかは、わかりませんけど」

「そうですか……。」

 谷津崎さん、意外にキッパリしてんだな。ざっくりと告げられた丸くんが、肩を落とした。

「僕、霊感がなくて、全然、視えないんです。体調も、全然崩さなくて。でも、家にいるのが、もし、母だとしたら、……ほっておけない、です」

 ぎゅ、とテーブルに置いた手が握り絞められた。椅子に座ったまま、深く深く、頭を下げる。

「お願いします。協力していただけないでしょうか」

「私が、できる範囲でしたら」

「ありがとうございます」

「ただ私、ユカリ君がいないと、体調が。それに、視えるだけだし。癒せるとしたら、ユカリ君なんです」

 全員の視線が、左田君に集まる。ちょっとだけのけ反った後に、左田君が頷いた。

「大丈夫っす。今ちょうど、大学、長期休暇中なんで。短期バイト繋いで、小遣い稼ぎしようとしてたくらいなんで」

「ありがとうございます」

「あの、それで俺、霊と話せないんです。谷津崎さんが話せるみたいなんですけど」

「相手が話せばね」

 なるほどね。霊感持ちって言っても、様々なもんだなあ。感心してたら、左田君が申し訳なさそうに、丸くんへと頭を軽く下げた。

「あの、それとですね。俺、一緒に家に入ったら、憑かれちゃうと思うんです。そうすると、その霊がいなくなるまで、ずっとお腹が空いて。食費が」

「はい。母が成仏できるんでしたら、僕が負担します」

 成仏……とは限らんが。丸くんのお母さんとも限らんし。

 頭の隅をワカナの顔がよぎり、いらぬツッコミを心の中でしてしまう。まあ、丸くんのお母さんって確率は高そうだが。どっちみち、霊がいるんであれば、どうにかしないといけないだろうしな。今のあの家の所有者は丸くんなんだし。

「休み中なら、丸野さんの家で、霊の気が済むまで食べたらどうかな?その方が、霊も成仏しやすいんじゃない?行ったり来たりの手間もはぶけるし」

「でも私たちは、会社があるよ」

「ココと私はね。でも、私たちはずっといる必要はないじゃん」

「それに、買った商品ばかりだと、お財布が大変なことになるよ」

「じゃあ、通って作ろうか。丸野さん、家のライフライン、どうなってますか?」

「あ、そのままです」

「じゃあ、問題ないですよね」

「はい」

「私たちが行けないとき、どうする?」

 女性二人が真剣に左田君の食事の段取りをつけ始めたので、丸くんをつんつん、とつつく。

「結構、膨らみそうだけど……費用、平気なの?」

「はい。母の遺産がそのままあるので。左田君には、日当も支払います。バイトに行けなくなるから」

「そっか」

 丸くんがそう決めたなら、俺が口をだすことじゃない。それに、もし、家にいる霊が丸くんの母親だとしたら、どうあってでも、助けてやりたいはずだった。

 仕方なしに絶縁した母親。情がなかったわけじゃないのに、そうせざるを得なくて、そのまま逝っちまったんだ。……苦しいだろうな。

 ああだこうだと、左田君そっちのけで二人が話し合いをする。途中途中で、丸くんに質問を挟むけど、俺たちの出番は、とりあえず今はない。左田君は一番の功労者になるはずだけど、今は心許なさそうにコーヒーを飲んでる。

 よし。小腹も減ったし、なんか作るか。サンドイッチくらいなら作れるな。

 席を立って、カウンターへと入る。丸くんの好きなハムチーズのホットサンドでも作るか。人数分の材料を用意する。うん、よしよし。後は、サラダが作れるな。

 鼻歌交じりに作り上げ、テーブルに運ぶ。

「休憩しようぜ。小腹減ったし」

「すみません」

「いいの、いいの。さ、食おうぜ」

 いただきます、とパラパラと声が上がり、あっという間にホットサンドとサラダはなくなった。うん。やっぱ、気持ちよく飲み食いしてくると嬉しいもんだよな。

 ごちそうさまでした、という言葉を聞いて片づけをしている間に、大体の話はまとまったらしい。テーブルに戻ると、話し始めた。

「ユカリ君には、丸野さんの家で泊まり込みで食べてもうらうことになりました。ココには、合間合間に、霊に話しかけてもらうことにします。なにか分かったら、すぐに丸野さんに連絡します」

「はい。よろしくお願いします」

「食事はなるべくキッチンを使わせてもらって、作ります。ただ、私たちは仕事があるので、ずっと作り続けるのは難しいので、助っ人を呼ぶことにしました。いいですか?」

「はい」

「井頭さんも知ってますよ。サヨコさんたちです」

「ああ。なら、安心だな」

「そうですか。お任せします」

 サヨコさんたちには、宇ノ沢さんと谷津崎さんが連絡してくれることになった。始める前に、全員で顔合わせをすることにする。

「御迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。時間は気にせず、いつでも、連絡をください。僕も、なるべく顔を出すようにします」

 丸くんが、また、深々と頭を下げた。

「あのー」

 それまでは真剣な表情だった宇ノ沢さんが、そこで急に表情を変えた。えへへ、みたいな、イタズラそうな顔をしている。

「はい」

「動画、撮影したらダメですか?」

「えっ?!」

 さすがの丸くんも、そんな質問がくるとは思ってなかったらしい。目を白黒させている。

「あっ、もちろん、ユカリ君が食べてるところをノンストップで撮るだけです。生配信はしません。霊とかは、言いませんし。プライバシーは守ります」

「シヅカ。それじゃ、分かんないよ。実は、ユカリ君が霊に憑かれて大食になってるとき、動画配信して、収益化して、それを食費にあてようって計画を立ててたんです。ふざけてるわけじゃないんです」

「あ、なるほど。そうでしたか」

「いいチャンスかな、って思ったんですよ」

 突拍子もないことを言い出したな、とは思ったけど、なるほど。確かにふざけてるわけじゃないな。除霊として請け負っているわけじゃないから、ただただ食費がかかるだけなんだ、彼。霊が憑いてるとき。マジで大変だわ。

 そうは言っても、丸くんも状況が状況だけに、二つ返事でいいですよ、とは言えないようだ。うんうんと唸った後に、考えさせてください、と困ったように言った。

 だよなあ。うん。ナニが映り込むか分かんねえしな。

「もちろんです」

「あの……無理にとは言いませんので……」

 左田君が、身の置き所がなさそうにおずおずと言ったのは、ちょっとおもしろかった。彼、ほんとに人がいいんだな。彼頼みの計画なんだから、もっと強気でもいいのに。それに、こんな場面であんなこと言うなんて、宇ノ沢さん、なかなか太いな、神経が。おもしれーな。

 店でコーヒー飲んでるときからは、それぞれ想像できない姿を見せてもらって、それはそれで、なんだかすごく、面白かった。

「あ、丸くん、俺もちょいちょい、顔出すよ」

「そうしてもらえると、心強いです」

 あ、そうだ。おやっさんのとこにも話をしに行って来なきゃな。そっかあ。宇ノ沢さんたち、おやっさんのこと知ってたのか。そういや、ワカナにも、連絡しないとな。一応な。

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