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選択してください  作者: 大福満代


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12/12

12

~ 宇ノ沢 シヅカ ~


「はい。よろしくお願いします」

「任せといておくれよ!」

「仕事が終わったら、連絡しますね」

「時間は気にしなくっても、平気だからね」

「はい」

 サヨコさんの頼もしい声を聞いて、安心して電話を切った。ええと。それから……宅配の弁当の手配はどうなってたっけ?

 スマホで注文画面を確認しながら、スケジュールにリンクさせる。完成したそれを、グループで共有できるようにする。

「うわ。こんな時間」 

 駅までダッシュだ、これは。

 バッグを掴んで玄関へと走り、鍵を閉めて、駅へと向かう。ココは今日はもう、出勤済みだった。

 丸野さん宅の除霊作戦は、結構、時間がかかりそうだった。なんか、すごい大物っぽいんだよね、霊が。

 オールドで最初に集まってから、着々と準備を進めた。ユカリ君が、大学休みのうちに決着をつけないといけないし。あれから一週間後の週末……昨日なんだけど。ユカリ君は丸野さん宅にこもることになった。家の人には、泊まりのバイトに行ってくることにしたって。まあ、あながちウソでもないよね。

 食事の準備は、どう考えても、私とココではカバーしきれないから、サヨコさんに相談したら、快く引き受けてくれた。どーんと胸を叩いて、「任せておくれよ。あたし、実は、料理は好きなんだよ!美味いかどうかは保障できないけど」と言った時は、その場にいた全員がコケた。「なんで好きなのに保障できねんだよ」「旦那も息子も、褒めるタイプじゃないからねえ」「っつーか、なんで好きなのにペットボトルでお茶飲んでたんだよ」「一人だとめんどくさくてね。手軽に美味しいお茶が飲める時代になって、ありがたいよねえ。企業に感謝だよ」「意味分かんね」という、ユミさんとのやり取りに、大笑いしちゃった。

「私も、よかったら、作りますね。美味しいお店も知ってるから、テイクアウトの方がいいかな?」

 という石伊さんには、できるだけ費用を抑えたいから、作って欲しいとお願いした。丸野さんが全面的に出資するとはいえ、だからと言って人の懐を食い漁るようなことはしたくない。

 ユミさんは料理はできないんだって。でも買い出しはできるし、いるよ、とそっぽを向きつつ約束してくれた。

 丸野さんからは、紹介してくれたら自分でお願いするから、と言われたんだけど、乗り掛かった舟だし、そもそも、ユカリ君の休み期間のことを考えると、素早く取り掛かる必要があったから、私が音頭をとることにした。

 ユカリ君の動画撮影については、丸野さんは悩んでいたけど、絶対に、ユカリ君以外を映さない、動画をアップする前には確認してもらう、ってことでオッケーをもらった。よしよし。ユカリ君は完全に部外者で巻き込まれた側だから、彼にとっても、プラスになることがあればいいな、って思ったんだよね。

 寝泊まりの準備も食事の段取りも整い、なんとか軌道に乗りそうだとホッとした。あとは、まあ、ココが心配。

 まさに私と同じで、乗り掛かった舟に乗っただけ。ココ自身は、丸野さんとは無関係だし。幼馴染みのさっちゃんの頼みで、確認だけに行く予定だったんだもん。ま、それに関しては、ココも納得してるから、そっち方面はいい。実は、ほんとのほんとに巻き込まれただけなのはユカリ君だし。しかも、一番の大役だし。申し訳ない。けど、ユカリ君は無理なら無理と言ってくるだろう。そういう子だ。だから、好意に甘えちゃったんだけど。ココだよ、ココ。

 さっちゃんを前にしたときの、彼女の怒りはすごかった。あんなに誰かを厳しく問い詰めたり、大声を上げたりするココは、初めて見た。止めようかな、と思ったのは一瞬だった。長年の積み重なったモノを吐き出すチャンスだと思ったから。

 だって、ココが霊感について話さなくなったのは、さっちゃんのせいだろう。仲良しの子に秘密を打ち明けて、酷いことをされたら、傷付くに決まっている。その深い傷を抱えながら、霊から受ける体調不良とも戦ってきたんだろうし。一人で。

 子どものしたことだし、さっちゃんにもそれなりに言い分はあるんだろう。でも、それを考慮したとしても、この前の態度との合わせ技で、彼女はアウトだ。

 今回の事を引き受けたら、また、さっちゃんと顔を合わせることもあるだろう。それって、辛いよね。だって、ココは言うだけ言ったけど、さっちゃんには全然、通じてなさそうだったし。ココも、全然、スッキリしてなさそうだった。全然、噛み合ってないんだもん。

 ココに、さっちゃんのことについて聞こうかな、と様子見をしたけど、踏み込めないな、と引いた。そういうの、誰にでもあるし。結局、私にできることは、心配することだけだった。

 ココが行くときは、なるべく行くようにしよう。ユカリ君だって、私が巻き込んだんだから、責任がある。

 まずは、今日は、サヨコさんと石伊さんとユミさんが行ってくれる。とにかく今はダッシュだ。

「遅刻だけはヤバい~」


~ 左田 ユカリ ~


 なんか俺、こういうの多いな。

 シヅカさんから呼び出されて、ついて行くだけならいいか、って行ったんだけど、気が付いたら、なんか俺を中心に話が進んでた。断ることもできたみたいだけど、人助けができるんなら、まあいいか、と引き受けた。ちょうど、長期休暇中だし、大学。

 流されてる間に巻き込まれてる、ってことはよくある。バイトも、よく代打を頼まれる。無理な時は無理って言うし、その辺は自分に無理をさせないようにしてる。だってさ。自分に無理させたら、苦しいし。できないもんはできないし。そこはハッキリ言うようにしてる。……なるべくだけど。

 バイト代なんてもらうつもりはなかったけど、丸野さんが日当をくれることになった。思わぬできごとに驚いたけど、ありがたく頂戴することにした。棚からぼたもち、とも言い切れない状況だけど。体張るしなあ。

 ぼんやりしてる間に、シヅカさんたちが段取りをしてくれて、あっという間に、俺の大食いチャレンジ除霊が実行されることになった。実は、大丈夫なのかと一番疑っているのは、俺だ。ほんとに除霊なんてできるんだろうか。

 丸野さんに案内され、俺、シヅカさん、谷津崎さんの順番で家の中に入る。すでに、丸野さんによって、冷蔵庫の中身はパンパンに詰められているし、両手には某ハンバーガー店の紙袋を抱えている。ちなみに、俺がこの除霊に参加するときに聞かれたのは、好き嫌いだけだった。ま、まあ、そうだよな。食事の準備、してもらうんだし。唯一、え、マジでいいの?と思ったのは、動画撮影の許可が下りたことだった。事情が事情だけに、難しいと思ってたんだけど。機材が間に合わなくて、スマホで撮影することになったのは、残念といえば残念だ。まあ、なるようになるよなあ。もしかしたら、呆気なく霊もいなくなるかもしれないし。そしたら、大食い前に、普通の食事として終わるなあ、なんて、気楽に考えてたんだけど。

「うお」

 リビングの扉を開けた丸野さんに、一気に黒い影がまとわりついた。……これちょっと、ヤバくねえ?振り向くと、谷津崎さんは顔色が悪い。

「大丈夫っすか?」

「平気……ユカリ君いるし。丸野さん、アレで平気なの、すごいね」

「っすね」

 こっちです~どうぞ~、と呑気な声で言っている丸野さんは、自分が霊にまとわりつかれていることに、まったく気付いていない。っていうか、あれくらいスゴイ霊なのに、一般人にはなんともないのか?それとも、俺がいるからか?……いや違う。丸野さん、霊感ゼロで、家に入ってもなんともないって言ってたんだ。彼が特異なんだ。

「行きますか」

「う、うん」

「……なんかちょっと、空気重いよね……」

 俺を先頭にリビングに入る。シヅカさんがそう言うってことは、霊感ゼロでも、多少はそういうの、感じるはずだけどな。

「あ、冷凍庫も一応、パンパンにしといたんで!飲み物はここに。あったかいのがよかったら、こっちに~」

 ……丸野さん、すげえな。

 霊は丸野さんにまとわりつくように、渦を巻いている。本体はどうやら、丸野さんの背中におぶさっている感じだ。うわ。マジですげえ。

「?どうしました?」

「いえ。あの。丸野さん、メッチャ霊にからまれてますよ。大丈夫ですか?」

「はい!全然!」

 あっけからんと返答する顔は晴れ晴れとしていて、丸野さんは本来はこういう性格なんだな、と分かった。初対面のときは、ずいぶん思い詰めてたんだ。まあ、実家が幽霊屋敷で被害者でました、なんて言われたら、どうしていいか分かんないし、そりゃ~思い詰めるよな。うん。

 霊よりも、丸野さんのタフさにビビり散らかしていると、腹が盛大な音を立てた。ひいいいいぃいいい。腹減った。減ったし、腹の音でけえ!!恥ずかしい!

「あっ。私、食事の準備するよ!ユカリ君はとりあえず、スマホと時計セットして、ハンバーガー食べ始めて!」

「あ、僕、どきますね」

「すみません」

「丸野さん、どこで食事していいですか?」

「どこでもいいよ。ソファでも、テーブルでも。長期戦になりそう?」

「……ですね」

 丸野さんの肩越しに鋭い視線がとんできた。渦は真っ暗で、霊の本体がどんな表情なのか、どんな姿なのかも分からない。ただただ、目だけがギラついて俺を見てる。

「大物だと思います。変な言い方ですけど」

「……そっか。なら、一ヶ所で食べ続けるのはキツイだろうから、ユカリ君がいいようにしてね。無理だけはしないで」

「はい」

 台所の方からリビングへと移ってきた丸野さんと話しながら、スマホと時計をセットして、テーブルにハンバーガーを並べる。録画をタッチして、動画が撮影され始めたのを確認してから、いただきます、と食べ始めると、丸野さんがよろしくお願いします、と頭を下げた。食べ始めた俺に背中を向け、リビングの扉辺りで固まっている谷津崎さんに向き直る。

「母でしょうか?」

「……それが。分からないんです。話さないし。今の時点では、女性か男性かも分からないです」

「そうですか。すみません」

「いえ、丸野さんが謝ることでは」

「でも」

「ショウタくーん。果物もってきたよー」

「えっ」 

 谷津崎さんと丸野さんが押し問答を始めそうになった時、玄関から女性の声がして、軽い足取りが近づいてきた。明るい声とともに、リビングの扉が開く。

「モモカさん」

「メロン、ものすごく美味しそうだったから、三つも買っちゃった!あ、初めまして。丸野の妻のモモカです。よろしくお願いします」

 ショートカットがよく似合うモモカさんは、笑顔で丸野さんにメロンを差し出した後に、俺たちに挨拶をした。筋肉がありそうな動き方してる。なにか、運動してる人なのかな。

 咀嚼中だったので、頭だけを下げている間に、リビングはあっという間に賑やかになった。

「モモカさん、いいって言ったのに」

「いいの、いいの。私にも手伝わせてよ。これ、煮物とか作ってきたよ。ハンバーガーの後、食べる?それとも、冷蔵庫に入れておいた方がいい?」

「た、食べます」

 飲み込んだ後に返事をすると、モモカさんはテーブルに作ってきたお惣菜を並べてくれた。

「宇ノ沢さん、谷津崎さん、よろしくお願いしますね。左田君。無理をお願いして、申し訳ありません。どうか、よろしくお願いします」

 一人一人に向き合って、深々とお辞儀をしていく。もちろん、食べている俺にも、だ。

 こんな風に丁寧に、一人前の大人みたいに扱われたのは初めてだった。食べる手を止めて、立ち上がって、頭を下げる。

「頑張ります」

「ありがとうございます。ショウタ君、寝るとなかなか起きないけど、用があるときは、揺すって起こしてね」

「はい。差し入れ、ありがとうございます」

「いえいえ。お口にあったらいいけど」

 結婚してるから、本来の住居はここじゃないけど、丸野さんは俺と一緒にこの家に泊まり込むことになっている。

 照れてるような表情の丸野さんの後ろから、黒い影がのそり、と背伸びをするようにモモカさんの方へと影を落とした。のそり、とゆっくりではあるけど、覆いかぶさるように動いたその動作に、モモカさんが襲われるのかと、思わず手を上げかけたけど、霊はモモカさんの手前で動きを止めた。

 じぃっとモモカさんを見つめ続けているようなその黒い影に警戒しつつ、座って最後のハンバーガーを手にする。

 マジで、腹減る。この霊、今まで俺が憑かれた中では、一番重たくてデカいからだろうか。

 つきまとっているのは丸野さんの方だけど、腹が減るってことは、俺に憑いてるはずだ。この前、丸野さんに憑いていなかったってことは、この霊は、家から動けないんだろう。とにかく、どうにかして、この霊の正体を、まずは突き止めないといけない。

 台所からは、唐揚げを揚げるいい匂いが漂ってきた。頑張ろう。できる限りは。


~ 淵田 サナエ ~


 あの日、カズトは悲しい顔をしただけで、私に何も言わなかった。ケイタが晩ご飯を食べないの、と言うと、唐揚げとポタージュと、小さなおにぎりをのせたお盆を持って、ケイタの部屋へと入って行った。

 一時間、二時間……、まんじりともせずにリビングのソファに座っていると、カズトはカラになったお皿を持って、ケイタの部屋からでてきた。ケイタがご飯を食べたってことだ。よかった、と胸をなでおろして、カズトの分の晩ご飯を準備した。

 会話もなく、静かな中で、カズトが食事を終えた。片付けようと手を伸ばしたら、片手で制された。そのまま立ち尽くしていると、カズトは自分で食器を洗い終え、座ってくれ、と自分が座ったソファの隣をポンポンとたたいた。

「しばらくね、俺の実家に帰ろうと思うんだ。ケイタと一緒に」

「え。ど、どうして」

「ケイタが、おばあちゃんのところに行きたいって」

「なら、私も」

「パパだけでいいって言うんだ。だからさ」

 カズトの実家は、この家からはさほど離れていなかった。通勤に少しだけ遠くなるくらいだ。

「分かった」 

 それ以上の言葉が見つからなかった。カズトは黙って、私の背中を、ぽんぽん、と叩いた。優しい手だった。


 次の日から、カズトもケイタも、家にはいなくなった。パートに行って、帰って、ただポツンと家で過ごした。癖でつい、三人分の食事の支度をしてしまって、何食も同じものを食べた。毎日、夜に一言だけ、カズトからメッセージが届いた。元気だよ、って。

 ただただ機械的に毎日を送っていた。そうしていたら、突然、パートから真っ直ぐ帰るのが嫌になった。ふらっと電車に乗って出かけて、気が向いた駅で降りた。駅前から真っ直ぐ伸びている大通りを歩いていたら、商店街が見えて、そっちに足を向けてみた。

 ポツンポツンと、シャッターが目立つ商店街は、小さかった。店先が暗い、でも美味しそうな和菓子屋で、白あんの饅頭を買った。中華屋の店先のテーブルで売られていた餃子と春巻きと粽を買って、肉屋でコロッケを買った。荷物が増えたから帰ろうと駅へと向かう途中で、映えドリンクを買った。レインボーの炭酸水の上に、これでもかとソフトクリームが乗っている。ボリュームがあってすぐには消費できなくて、電車に乗って帰りながら、少しずつ飲んだ。

 最寄り駅について、ブラブラ歩く。駅から家までは遠いけど、どうせ待ってる人なんて、誰もいない。別にいい。夕暮れが夜を連れてきてるけど、ただ黙々と歩いた。

 とっぷりと日が暮れた頃に、家の近所まで来た。ふと思い立って、幽霊屋敷の前を通ってみた。明かりがついていて、その明かりをぼんやりと眺めていたら、中から誰かがでてきた。

「……ココちゃん」

「さっちゃん」

 しばらくそのまま、二人で動きを止めたまま向き合った。開け放たれた玄関からは、美味しそうなカレーの匂いが漂っている。ああ。そういえば、幽霊屋敷の対策するって、言ってた。のんちゃんママが。

 パート帰りで、無意味にたくさんのお惣菜を両手に抱えて。家に帰ったって、一人なのに。今の自分が、なんだかすごく、みっともなかった。自分は悪くないと言い張って、すべてを誤魔化して、穏やかな家庭を手に入れたはずなのに、結局、私は今、一人だ。子どもの頃の私が、ココちゃんの隣に立って、あの頃から変われないで大人になった私を睨みつけているように感じた。

 無言だったココちゃんが、踵を返したときに、勝手に口が動いた。

「ココちゃん。いっぱい、ごめん。許してもらえないかもしれないけど。ごめん。怖かったんだ、私。ごめん」

 言ってる最中に、鼻水が垂れてきて、なんでだろうと思ったら、視界も滲んでた。カズトたちが出て行っても出てこなかった涙が、今、どうしてか分かんないけど、出てた。

 両手が塞がってるからどうにもできなくて、そのままの格好で、ずず、と鼻水をすする。ココちゃんが、私に振り向いた。

「分かった」

「うん。ごめん」

「ちょっと待ってて。っていうか、私、醤油を買いに行こうとしてたんだ。急いでるんだよ」

 醤油?今、醤油って言った?なんとか上げた腕で、鼻水と涙をぬぐいつつ、笑いがこみ上げてきた。あはははは、と声が出る。

「ココちゃん、醤油いるの?今?!」

「なんで笑うのよ~。醤油、必要なのっ」

「家にあるよ。ストック。買いに行くより早いよ。おいでよ」

「いいの?」

「いいよ、別に」

 ぐじぐじとまだシツコイ水分を拭きつつ歩き出す。醤油だって。私がどんなに苦しくても悲しくても、こんなに当たり前なんだ、世間は。私の事なんておかまいなしに、世の中はいつも通りに動いてる。みんな、私の事なんて、気にしてない。

 世の中はこんなにもいつも通りで、そうして、私はその中で、ものすごくちっぽけで、滑稽な存在なんだ。それがなんだか、すごくおかしくて、そして、それに私は安堵した。

 なあんだ、って思った。私、なににこだわっていたんだろう。こんなに、何十年も。私のちっぽけな虚栄心なんて、どうでもいいようなことだ。馬鹿だなあ。そんなことよりも、カズトやケイタの方が、ずっとずっとずっと、大事だ。「私」という存在に、関係している、一番身近な家族。

 こんなに簡単なことなのに、私、どうしてあんなに頑なだったんだろう。ケイタもカズトも、傷付きながらも、私を信じてくれていたのに。もう、家はからっぽだ。

「はい」

「ありがとう」

 ストックしておいた醤油を渡すと、ココちゃんはなにかを言いたそうにした。なんだろう。幽霊屋敷の事も気になるし、着いて行ってみようかな。

「ねえ。一緒に行ってもいい?幽霊屋敷の対策してるんでしょ?」

「うん。それで醤油が必要で」

「歩こ」

 並んで歩いた。小さい頃みたいだった。

「旦那さんとお子さんは、いいの?」

「今、いないから」

「そっか」

「うん。それで、幽霊屋敷の対策って、なにしてるの?」

「えっと。……さっちゃん、怖いの苦手なんじゃないの?平気?」

 う。どうしよう。そうだよ。私、ホラーもゾンビもスプラッタも苦手で、今まで避けてきたんだよ。

「平気……じゃないかも」

「だよね。えっとね。除霊してるの。それで、たくさん食べ物がいるんだよ」

 は?どういうこと?除霊にたくさん食べ物が?

 わけが分かんなくって、頭の中を疑問符が飛び回る。あ、さっき、カレーの匂いしてた。ココちゃん、醤油が急いで必要だって言ってたし、料理作ってるのか。

「供物みたいなこと?」

「似てるけど、違う。たくさん食べることで除霊できる人がいて、その人が今、頑張ってるの」

 …………………。こういうの、なんて返したらいいんだろう。

「ほんとに?」

「うん。ほんと」

 半信半疑どころか、ココちゃんのことを病院に連れて行った方がいいかと、悩んでしまった。シンプルな質問に、シンプルな返事がきて、私を見るココちゃんの顔は、真剣そのものだった。

「信じられないんだったら、遠目にでも見て。それから、判断して」

「……うん」

 ココちゃんが元気そうにしてるし、遠目に見るくらいだったら、危険はないのかも。怖いのはイヤだけど、決死の思いで頷いた。子どもの頃にしてしまったことを繰り返したくなかった。自分の物差しで物事を図って、私はきっと、ココちゃんを、すごくすごく、傷つけた。数十年経って、やっとそのことを認めて、謝れた。それに、私、いつも、見たくない物から目を逸らして、なかったことにしたりしてきた。変わりたいんだったら、逃げてきたことから目を逸らしちゃいけない。

「さっちゃんって、霊感、ある?」

「分からない。怖いの嫌いだから、そういうの、関わらないようにしてたし」

「そっか。なら、リビングの入口から覗いてみるくらいで」

 うん、と頷きつつ、ココちゃんの後ろをついて玄関から家の中へと入る。いいのかな。私。家の中に入っちゃって。

「お待たせしました!醤油です」

「あっ。ありがとう。ヤダねえ、あたし、昨日、買って来なきゃって思ってたのに、すっかり忘れてさ」

「サヨバア、料理作り過ぎて、バグってたんじゃん?」

「ば……バグ?」

 リビングの中には、思ったよりも人が大勢いた。私には気付かずに、わいわいと話しているので、ドア付近からリビングの中を見回す。

 ……いた。あの男の子。すっごい食べてる。

 ソファの前に座り込んだ男の子が、なぜかスマホをテーブルに置いて、その前で黙々と食べている。あのスマホで、撮影してるのかな。カラになったお皿は全部、大皿だった。

 え。人間って、こんなに食べられるの?

「カレー、これでラストだよ」

「ユカリくん、カロリー高い物の方が、腹持ちする?」

「はい。多少は。でも、あんまり続くと胃が重たくて食べられなくなってくるんで」

「そっか。満腹感はなくても、胃は重くなるのか」

「うす」

「あ、じゃあ、私、サラダ大量に作りますよ」

「石伊~。あの紫の入れてやれよ」

「だから、紫キャベツだってば」

「ぎゃーっ!!ご飯炊かないとないっ」

 賑やかな声の中で、男の子は黙々とただ食べ続けてる。あの男の子、この前、ココちゃんと一緒にいた子だ。それにしても、とんでもない量……。大食いチャレンジなんて、とっくに通り越してそうな量を食べてそうなのに、まだ食べるの?

 その、あまりにも異様な光景に、霊がどうとかじゃなくて、足がすくんで、ただただ呆然と見てたら、後ろから声がかかった。

「あのー……。渕田さん?こんばんは」

「えっ?!はっ?!こここ、こんばんは」

 振り向くと、丸野さんだった。私がリビングの入口に立っていたから、困惑している。

「あ、すみません。私、あの、ココちゃんと醤油を」

「そうなんですね。すみません。僕、今、帰って来たところで。ちょっと、通してもらってもいいですか?」

 慌てて体をズラすと、丸野さんは素早くリビングへと入って行った。両手に、テイクアウトのお寿司をぶら下げている。

「お疲れさまです。みなさんの分もお寿司買って来たんで、食べてください。よかったら、渕田さんもどうぞ」

「わ、私?」

「はい。せっかくなので。御迷惑をおかけしていますし」

 え。御迷惑……ああ、ケイタの事か。違うよね。ほんとはケイタは迷惑をかけた方だ。勝手に敷地に入って、勝手に体調崩して。いい迷惑なのは、丸野さんの方だ。まずは、私がきちんと謝らないといけない。

 手招きをする丸野さんに向かって、腰を折る。

「このたびは、私と私の息子がご迷惑をおかけして、すみませんでした」

「いえいえ。そんな。そんなに謝られることではないので。息子さん、体調はどうですか?」

 今、家にいないんです、と反射的に答えようとして、そうじゃないでしょと脳内で自分が止めた。カズトからのメッセージがよぎった。

「元気、です」

「よかった。さ、どうぞ。食べながら、説明もしますよ」

「丸野さん、いつも悪いねえ。あんまり、気を遣わないでおくれ」

「いえいえ。見ず知らずの僕に、みなさん、こんなに親身になっていただいて。ほんとうに、ありがとうございます」

 ソファとダイニングテーブルに分かれて食べ始める。ココちゃんが、お茶を持って来てくれて、さっちゃんこっち、と自分の隣を示した。

 リビングは明るいんだけど、なんとなく居心地が悪かった。それは、私だけが部外者だからってことじゃなくて。雰囲気というか。空気?いる人達が醸し出してる感じではない。なんだろう?変な感覚だった。

 いただきます、と食べ始めたみんなの中で、食事の用意はしてあるから、とお茶だけをいただいた。商店街で買ったお惣菜やお饅頭は、三人分だった。ここでお寿司を食べてしまうと、食べられなくなる。

 お茶を飲みつつ、話しを聞いた。ちょっと信じられない話だったけど、ユカリ君という彼が、ずっとずっと黙々と食べ続けていて。恐怖を抱くくらい。だから、ほんとなんだ、って思った。

「どれくらいで除霊されるんですか?」

「分からないんです」

「そうですか」

 なら、彼は、除霊が終わるまで食べ続けなきゃいけないし、みんなはその食事を用意するんだ。

「あの、私、失礼します。もう、遅いですし。ココちゃん、またね」

「うん。今度、お醤油返すね」

「まだストックあるから、いいよ」

 話を聞いて、居ても立っても居られなくなった。立ち上がって、早口で告げると、大急ぎで家へと帰った。台所に飛び込んで、五合炊きの炊飯器でめいっぱい、お米を炊いた。

 早炊きにしたので、それほど時間はかからずにお米は炊けた。炊いてる間に準備した具材を芯に入れて、次々に握っていく。

 梅干し、ツナマヨ、佃煮、肉そぼろ、タラコ、おかか。海苔を巻いて、タッパーにずらっと並べて、蓋をして手に持つ。急ぎ足で、丸野さんの家へと向かった。

 チャイムを押す。帰るところだったのか、さっき、サヨバアと呼ばれていた女性が肩にバックをかけたまま、出てきてくれた。

「はーい」

「あの、これ。さ、差し入れです。よかったら」

「ええっ?!いいのかい?!ココちゃーん!お友だちが、おにぎりいっぱい持って来てくれたよー」

「さっちゃん?」

 サヨバアさんの呼びかけに、ココちゃんが顔をだした。ビックリしている。

「私、できるときだけだけど、差し入れするね。あの、頑張って」

「ありがとう」

 心臓がドキドキしてた。悪いことをしたわけでもないのに、逃げるように家に帰った。そのまま、スマホを取り出した。のんちゃんママの電話を呼び出す。

「はい」

「のんちゃんママ、今までずっと、ごめんなさい」

 勢いよく、謝った。


~ 草岡 ユミ ~


「何日かかんだろうな?」

「大変だよね、食べてる本人が」

「だよなあ」

 サヨバアに頼まれて、追加の食材を買いに、石伊と出た帰り。エコバッグを二人で両手にいっぱい持って、歩く。肉や魚、豆腐に納豆、こんにゃくといった食材から、調味料や根菜類まで入ってるもんだから、結構な重さだ。手がギチギチになるけど、石伊は平然としている。アタシより重い方を持ってるはずなのに。

「重くねえのかよ」

「重いよー」

 全然、重くなさそうだよな。

 成り行きとかいうヤツで、アタシまで大食い除霊の手伝いをすることになった。ま、どうせ暇だし。バイト以外は、特にやることねえから、別にいいんだけど。

 一人でアパートにいるのは、最近はイヤだった。生前のことが繰り返し頭に浮かんでは、苦しい気持ちでいっぱいになるからだ。後悔、という感情なんだろう。生きていればやり直すこともできたかもしれないその感情は、もう決して、どうにもできない出来事として、繰り返し繰り返し、アタシに襲い掛かってきた。夢に見て、飛び起きることもある。そういうときは、汗をビッシリかいていて、気持ちが悪くてシャワーを浴びると、目が覚めてしまう。

 だから、こうして、サヨバアたちと一緒にいるのは、アタシにとって、大事な時間になりつつあった。っていうか、きっともう……なってる。

「ねえねえ、草岡さんは、なにが一番、好き?」

「ネイル」

「ちっがうよ。食べ物だよー」

「石伊はどうなんだよ」

「私?私は……グラタンも好きだし、お寿司も好きだし、カレーも焼き肉も……サヨコさんが作る煮物なんて、サイコーに美味しいよねえ。それから……」

 途切れることない食への欲望を聞いてると、笑いがこみ上げてきた。飲み食いが好きな石伊は、実は最近、ちょっと痩せた。夜中の爆食いが、自然と収まってきたんだそうな。爆食いがなくなってきただけで、自然と痩せたって喜んでた。

「今度、飲みにでも行くか?」

「いいね!焼き鳥屋さんとか、行きたいけど、一人だと敷居が高くって」

「女の一人客って、店によっては珍しくないぞ」

「私はできないんですー。ねえ。この件が一段落したら、みんなで打ち上げに行きたいねっ!」

「いいんじゃねえか」

「だよね。様子見て、提案してみようっと。それで?草岡さんが一番好きな食べ物って、なに?」

 好きな食べ物。そういうの、あんま考えたことなかったな。食ってヤツに、あんまり興味なかったんだよな。羨ましがられるっていう視点でしか見てなかったしな。でも、パッと頭に思い浮かんだ食い物があった。

「サンドイッチ。分厚くて、紫のが入ったヤツ」

 なんだよ。なに、嬉しそうに笑ってんだよ。

 あんまりにも石伊が嬉しそうに笑うから、照れくさくなって、わざと目線を逸らした。


 買い物袋を抱えて玄関前まで来た時だった。石伊の後ろから玄関に入ろうとしたら、急に、背後で何かが動いた気配がして、ものすごい近くで、ガキンッていう、鈍いのに鋭くて、重たい音がした。それと同時に、どん、と背中を押されて、前のめりに転んだ。

 勢いがあったから、石伊にぶつかりそうになって、咄嗟に体をひねったら、持っていた荷物の下敷きになった。無防備だった腹に、醤油と酒とキャベツと大根が入ったエコバッグがヒットして、息が詰まった。ぐう、と胃が押されて、激しく咳き込んだ。

「草岡さんっ?!どうしたの?!」

「来るなっ!!家に入ってろ!!」

 転がったアタシを見た石伊が、荷物を玄関先に置いて、駆け寄ってこようとしたから、できる限り、大声を出した。咳き込んだままの大声に、石伊は驚いて足を止めた。

「入ってろ。すぐに行くから」

「でも」

「絶対、こっち来んな。来たら、お前とは二度と話さねえ」

「そ」

「いいから、行けっつってんだろ!!おら、持っていけ!サヨバア待ってんだからよ」

 体を起こしてエコバッグを石伊の方へと放り投げ、手で追い払う仕草をする。

「分かった。すぐに来てよ」

「ああ」

 さっさと行け、ともう一度、手を払う。アタシがぶん投げたエコバックの中身を拾い集めて、石伊は何度も振り返りながら、家の中へと入って行った。

 それでいい。だって、石伊はこの二人が見えてねえから。アイツの視線は、アタシにしか注がれていなかった。

 アタシが転ぶ前に立っていた場所には、二人の”お迎え“が睨み合っていた。一人は、以前、オールドの店先でぶつかった、サングラスの男。もう一人は、見知らぬ、黒髪の女だった。二人が握っている、お互いの鎌が交差している場所は……、アタシの首が、さっきまであったところだった。

 ゾクリ、と一気に背筋が凍り付いた。冷や汗が、じわじわと滲んでくる。体勢的に、サングラスがアタシの首を狙ったところを、女が助けてくれた感じだった。

「邪魔をするな」

「必要のない狩りは、禁止されてるはずだけど?」

「どうせ、もうすぐ狩ることになる。早いか遅いかだけの話だ」

「決まってない魂は狩れない。それに、アンタの管轄じゃないでしょ、彼女」

「俺の管轄内でうろついてる」

「例えそうでも、俺の担当だから、やめてくれる?」

 そこで、いつもの“お迎え”が現れた。常にはふざけているのに、口調も態度も、緊張し気味だった。

「必要な魂を狩るのに、担当は関係ない」

「彼女、今、もがいてんだよ。余計なちょっかい出さないでくれる?」

 鎌越しに話していた二人を引き離すように、鎌の取っ手を左右の手でつかんで、ぐい、と引っ張った。

「無駄なことだ。人間は弱くて、醜くて汚い。薄汚い存在だ。過ちを正すことなど、できない」

「そうでもないよ」

「お前も、分かってるだろう?人間が、いかに残酷で、残忍で、自己愛が強いか」

 サングラス越しに、男が“お迎え”の目を覗き込んだのが分かった。“お迎え”の顔が、苦しそうに歪んだ。

「それでも、俺は」

「おい」

 何かを言いかけた“お迎え”を遮って、サングラスが私の方を向いた。声が出なくて、視線だけを合わせた。

「無駄なことはやめさせろ。この屋敷の女は、救いようがない」

 この屋敷の女?霊は女なのか。ココとユカリが、男女どちらかさえ分からねえって言ってたけど。返事をしようにも、気圧されてしまって、声がなかなか出ない。

 返事をしようと、何度も息と唾を飲み込んでいる間に、”お迎え“が間に入ってきた。

「あるかもしれないだろ!!それに賭けて、こんなに大人数でやってんだろ!」

「どんなに真心を向けようと、無駄な相手もいる。どんなに心を砕いても意味がない。そんなヤツは、思い知ればいい。救う必要などない」

「……じゃあ、ここの霊が救われたら、どうする?」

「そんなことはあり得ない」

「どうする?」

「やってみせてから、問いかけろ」

 そう言って、サングラスはふいっと消えた。いつもの“お迎え”が黒髪の女に言う。

「ありがとう」

 微かに頷いた黒髪の女も、鎌をしまって、すぐに消えた。そして、“お迎え”がいつもの感じで、アタシに話しかけてきた。

「ちょっと~、ケガとかない?」

「ねえよ。丈夫な体だからな、おかげさまでな」

「よかったねえ」

「なあ。……アタシ、そんなにヤバいかよ?」

「まあね!最初からギリギリだったからね!」

「そうかよ。……諦めた方がいいか?」

 諦めて、ヤツに狩られた方が楽なんだろうか。その方が、今抱えている苦しみから解放されるんだろうか。

 すると、”お迎え“が真顔になった。

「諦めたいんなら、俺が今すぐ狩ってあげるよ。君の担当は、俺だ。諦めたいの?」

 諦めたい?アタシが?

 一人の部屋で悪夢から覚めた時の、心臓のバクバクした音。体は熱いのに、流れていく汗は冷たい。孤独と寂しさと、取り返しのつかない後悔に押しつぶされそうな時間。息をするのもままならなくて、苦しい、と心底、思う。

「いや。飲みに行く約束、しちまったから」

 自分で答えを出す前に、口が勝手に動いた。それを聞いた”お迎え“が、なんだか嬉しそうに笑った。

「だよねえ~。なら、狩らないよ。狩るときは、俺が狩る。忘れないで」

「……分かった。頼んだ」

 はは、と乾いた笑いを漏らしながら、“お迎え”が皮肉気な笑顔を作った。

「頼まれたくないねえ。けど、仕方ないねっ。仕事だからねっ」

「戻らねえと」

「そうだねえ。こっち、さっきから窺ってるよ、“友だち”が」

 振り向くと、石伊が玄関のドアから顔だけ出している。友だち。アタシが、こいつの?………そうなんだろうか。

「戻るわ」

「そうして。それからさ。酷なようだけど、草岡ユミとしてここにいられるのは、限られた年数だからね。忘れないで」

 現実は、人生が終わった後の方が容赦ない。そうだよな、と頷いて、膝に力を入れて、踵を返す。

「なんだよ、大丈夫だって言っただろうが」

「だって。具合いが悪いのかと思って。それか、機嫌か」

「機嫌の方だったな!もう大丈夫だって。ほら」

「うん。……無理しないでよ。横になる?」

「大丈夫だっつんだよ。石伊よりも頑丈だから。ほらほら。サヨバアが呼んでるって」

「あ、ほんとだ。はーい」

 玄関を閉める前に確認すると、“お迎え”はもう、いなかった。


~ 石伊 マスミ ~


 霊がほんとうにいるかどうかなんて、こうして除霊の手伝いをしていても、判断がつかない。私には視えないし、丸野さんの家は普通の家に思えたから。ただ、ちょっと、アパートに帰るといつもよりも疲労感が強くて、体もダルくなるな、ってくらいだし。

 そんな中、サヨコさんが体調を崩したのは、ユカリ君が大食いを始めてから、五日経ってからだった。なるべく通うからね、と毎日、私たちの仕事終わりの時間と合わせて丸野さんの家に行き、次から次へと料理を作っていた。和食も洋食も、お手の物。中華はあんまり作らないから、チャーハンとか餃子くらいかねえ、って言ってた。

 それにしても、サヨコさんの手際と言ったら、それはもう、すごかった。お手伝いを、なんて思っても、かえって邪魔になるくらい。野菜を切るスピードからして、全然、違う。

 昔は、お葬式も家でやったから、近所の主婦が集まって台所を仕切ったりしたんだって。町内会の行事とかも。だから、手慣れてるんだよ、なんて照れてたけど。味見しておくれ、と差し出された筑前煮があんまりにも美味しくて、思わず、作り方のコツを聞いてしまった。

 サヨコさんは、丸野さんの家にいるときにも作って、家に帰ってからも、いなり寿司とか、手間のかかる料理を作って、持参したりしてた。

「張り切り過ぎたんだろ、どうせ。すぐに元気になるって」

「そうかな。そうだといいんだけど」

 草岡さんと一緒にサヨコさんのお見舞いに行ったら、持って行っておくれ、と花柄のパジャマを着たサヨコさんから、料理が詰め込まれたタッパーを持たされた。「寝てろよ!」と草岡さんに怒られたサヨコさんは、「今から寝るよ」と、いつもよりも弱々しい声を出した。

「どうでもいいけど、石伊。アタシ、料理作れねえんだけど」

「知ってる。サヨコさんほどじゃないけど、私が頑張る」

 冷蔵庫に入ってる食材を確認して、オムライスを作り始める。サラダを準備して、炊飯器でチキンライスを作ってる間に、焼きソバの下ごしらえだ。

「草岡さん、このキャベツ、ちぎって」

「え。包丁で切らなくてもいいのかよ」

「いい。ただ、一口大に切って。このくらいかな」

「分かった」

「待って。先に洗って」

「うえ。洗うのかよ」

「洗うの!」

「へいへい」

「ユカリ君が寝てる間に、頑張って作ろう」

「へーい」

 ずっと食べ続けているユカリ君は、今は眠っている。睡眠もとらないと、体がもたないから。

 私が見てる範囲では、ユカリ君はトイレの回数はそれほど多くない。細身の体に、キャパオーバーの量の食事を食べているのに、だ。太っていく様子もない。それって、やっぱり、霊にエネルギーを吸い取られてるせいなんだろうか。

 視えない、霊。リビングを見回すけど、部屋の中には、なにも視えない。いたって普通の住宅のリビングだ。でも、いるんだよね。だって、ユカリ君の状況が、そもそも異常だもん。

 あんなにたくさん食べられていいな、とか、食べても太らなくってうらやましいな、とは、全然、思わなかった。あんなにたくさん食べても、満腹感がなくて、お腹が空いたまんまだなんて、どんな気分なんだろう。大変、なんてもんじゃないし。それに。……食べるのやめちゃったら、ユカリ君、どうなっちゃうんだろう。

 視えないモノに怯えるなんて、と思うけど、自分の目で見ているモノは、現実離れし過ぎているのに、否定できないほどに、生々しかった。

 だから、そんなバカな非現実的なこと、なんて言えない。サヨコさんほどのスピードは無理だけど、とにかく、ユカリ君が食べられるように、できる限り、準備しないと。

「石伊ー、この肉、生姜焼き用って書いてあるけど」

「生姜焼き用って書いてあっても、他の料理にも使えるから!それは、重ねてカツにするの。まずは、こっちのお肉を、焼きそば用に切って」

「うえー。生肉って、ぐんにゃりすんなあ」

「当たり前だよ、お肉だよ」

「石伊のほっぺの肉、ぷにぷにだけど」

「それは、ぽっちゃりなだけ!」

「いいじゃんか。柔らかくて」

「はいはい、さっさと切って」

「どういうふうに?」

「自分で食べるときに、この大きさなら食べやすいな、って大きさに。あっ!危ない。手を切らないでよ!」

「ううー」

 草岡さん、これを機会に料理を……しなそうだよね。


 サヨコさんは、二日経っても寝込んだままだった。今日は草岡さんとシフトがズレているから、私だけでサヨコさんの家へとお見舞いに来た。いろんな店のプリンを、テイクアウトしてきた。サヨコさん、オールドのプリンアラモード、好きだし。でも、さすがにテイクアウトはできないから、代わりに、いろんな店のプリン。サヨコさん、パンが好きだけど、寝込んでるときにパンは食べられないかも、って思って。

 ピンポン、とインターホンが鳴って、しばらくしてから出てきたサヨコさんは、もっと憔悴していた。

「待たせてごめんね、石伊ちゃん」

「いえ。どうですか、具合いは。これ、プリンなんです。よかったら」

「ええ~、いいのかい?プリン、嬉しいよ。うーん。まだ料理は作りに行けそうにもないよ。家でも、作れてなくってね。ごめんね」

「いえいえ。サヨコさんが謝ること、ないですよ。しっかり休んで、元気になってから、また、お願いします」

「あ、こんな玄関先で。石伊ちゃん、あがっていってよ」

「え。いいです、いいです。横になってくださいよ」

「寝てばかりでも、体が痛くなっちゃうさ。せっかくだから、お茶に付き合っておくれよ」

 力のない笑顔で手招きするので、お邪魔させてもらう。図々しいけど、サヨコさん、一人暮らしだし。心配で。

「ごめんね、散らかってて」

 苦笑いでサヨコさんがお茶の準備をしてくれる。散らかってて、とはいうけど、どっちかっていうと、リビングは人気がなくて、いつもよりも寂しい感じがした。一人暮らしとはいえ、普段はリビングにもいるから生活感が出るけど、今は、寝込んでるから、使ってないんだろうな。

「はい、お茶。それにしても、美味しそうだねえ、プリン。どれ、食べようかね」

「私がおススメの店のプリンです。どれも、美味しいですよ」

「そうかい、そうかい。石伊ちゃんのオススメなら、間違いないね。じゃあ、これにしよう。石伊ちゃんは?」

「私は、サヨコさんに食べて欲しくて買ってきたんで」

「そんなこと言わずに、一緒に食べておくれよ。一人じゃ寂しいだろ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「うん。さ、いただこう」

 シンプルな蒸しプリンを選んだサヨコさんが、美味しそうに目を細めた。ちゃんと、ご飯食べてるのかな。食べないと、体力落ちちゃうよね。それに、洗濯とか、どうしてるんだろう。

 気になったけど、そこまで聞くのは余計なことのような気がして、グズグズと考える。ああ、こういうとき、草岡さんがいたらなあ。ズケズケ聞いてくれるのに。

「ユカリ君、どうだい?」

「あ、まだまだ食べてます。でもちょっと、霊の形が分かってきたって。女の人らしいです」

「そうかい……。やっぱり、丸野君のお母さんなのかねえ」

「多分……」

「そうだ。ユミちゃんは、どうしてる?」

「元気ですよ。お肉触って、ぐんにゃりしてるって顔をしかめてました」

「あはは!ユミちゃんらしいねえ」

「サヨコさん、元気になったら、オールドでプリンアラモード、食べましょうね」

「もちろんだよ!それにしても、おかしいんだよね。あたし、体は丈夫な方でさ。あんまり寝込んだりしないんだけど。今回は、どうしたんだろうねえ」

「熱は、あるんですか?」

「いいや。ないんだよ。でも、起き上がってるのがダルくてねえ。眩暈もするし。まあ、年齢的に、体調不良がでても仕方ないんだけどさ」

「あんまり続くようなら、医者に行きましょう。私、付き添います」

「えっ。一人で医者くらい、行けるさ。運転だって、できるんだし」

「運転なら、私もできます。それに、体調不良のときに運転して、それこそ、何かあったらどうするんですか」

「……いいのかい?」

「もちろんです。今から行きましょうか?」

「いや、まだもう少し、様子見るよ」

 会話をしているうちに勢いがついたので、思い切って言う。

「サヨコさん、洗濯とか、どうしてます?もし、イヤじゃなかったら、私、やっていきます。お粥作ったりとか」

 サヨコさんは、ものすごく驚いた顔をした。でもすぐに、微笑んだ。

「石伊ちゃんに、そんなに心配かけたんだね、あたし。ごめんよ。洗濯は、そんなに溜まってないし、食事もなんとかするからさ。大丈夫だよ」

「でも」

 顔色の悪いままのサヨコさんをほっておけない。もう少し、粘ろうとしたら、リビングの扉が開いた。

「お客さん?」

「なんだい、帰ってくるなら連絡しろって言ってるだろ」

「……おふくろ。なんで客来てんのにパジャマなんだよ」

「ちょっと調子崩してさ。彼女、わざわざお見舞いに来てくれたんだよ。プリン持ってさ。石伊ちゃんだよ。石伊ちゃん、タケルっていうんだ、息子。この前は、紹介もできなかったもんね」

 タケルさんと、お互い、軽く会釈をし合う。

「タケルも食べな、プリン。好きだろ。冷蔵庫に入ってるから」

「おふくろ。そんなことより、調子崩したんなら連絡しろよ」

「そこまで大袈裟じゃないよ」

 冷蔵庫を開けて、タケルさんはペットボトルを片手に、私たちが座っているソファの反対側にある、ダイニングテーブルに腰かけた。ぐぐっと、半分くらい、一気にお茶を飲む。

「風邪?」

「なんだか分かんないんだよね。ちょっと、忙しかったから、疲れが溜まってたのかもしれないね」

「おふくろが?」

「なんだい、あたしだって人間だから、調子崩すことだって、あるさ」

 ふうん、と疑わし気にサヨコさんを一瞥した後、タケルさんはまた、口を開いた。

「飯と洗濯と掃除、すっから。おふくろは寝ろよ」

「まだ、石伊ちゃんがいるだろ」

「すみません、母は寝かせますので」

「あ、はい。帰ります。お邪魔して、すみませんでした」

「石伊ちゃん、謝らないでおくれ。プリン、ありがとうね」

「おふくろ、早く寝ろよ」

「はいはい、うるさいねえ。石伊ちゃん、またね」

「はい」

 タケルさんに追い立てられるように階段を上がっていったサヨコさんにお辞儀をして、玄関で靴を履いていると、タケルさんがのそり、と後ろに立った。

「あの」

「はい?」

「おふくろ、どうしたんですか。体調崩すくらい忙しいなんて。なにか、知ってますか?」

 無表情で訥々と問いかけてくる。そうだよね。心配だよね。サヨコさん、旦那さんは亡くなってるし、一人息子のタケルさんだって、ちょっと遠くに住んでるって言ってたし。一人暮らしだもん。たまに来たら寝込んでたら、心配だよ。でもただ、事情が事情だけに、ペラペラと話すわけにもいかない。サヨコさん自身が話すならまだしも。言葉を濁すしかない。

「頼まれごとをして。それで」

 ふうん、と口を引き結んだタケルさんは、そのまま、訥々とした口調で言った。

「石伊さんも、関係してますか?」

「多少」

「……おふくろ、困っている人をほっとけないんです。ただ、年齢も年齢なんで、無理させたくないんです。言ってること、分かりますよね?」

「……はい。すみません」

「お見舞い、ありがとうございます」

「サヨコさんに、お大事にって、伝えてください」

「どうも」

 頭を下げて、そのまま、地面を見たまま、玄関を出た。なんだかすごく、悲しかった。

 そうだよ。サヨコさん、元気だけど、それなりの年齢だもん。……私、サヨコさんのおかげで、いろいろ楽しみが広がって、人との交流も広がって。サヨコさんから、いっつも元気をもらってた。パワフルな人だから、そういう気づかい、足りてなかったかもしれない。

 サヨコさんを中心に、年齢関係なく、みんなで楽しく過ごしてたから、思い至らなかった。配慮が足りてなかったんだ。今回の件も、サヨコさんすごい、って言ってないで、もっと、体力がある私が頑張ってたら、サヨコさん、倒れなかったのかもしれない。

 涙がにじんだ。サヨコさんは年齢的に、私よりも体力はない。その、当たり前のことに思い至らなかった自分が、すごくすごく、恥ずかしくて、情けなかった。


~ イト(井頭イツキ) ~


 俺が、頻繁に丸くんのお母さんの家に顔を出すわけにはいかない。ただの、丸くんの行きつけの喫茶店の店主ってだけだからな、俺は。定休日に顔を出そうと思ってる程度だ。その前に、おやっさんのところへ来た。結構、大掛かりな話だし、俺の手にあまりそうな気配もしたから。

「て、わけなんですよ」

「うん」

 今日は、焼き肉屋に、おやっさんと女将さんと三人で来た。安いけど美味い、半個室の焼き肉屋は満席だ。あちこちから楽しそうな声と、焼き肉を焼く音と香ばしい匂い、店員さんの威勢のいい声が飛び交う。他人の会話なんて、誰も気にしない。

 ジュー、と並べられたカルビが音を立てる。女将さんが、サラダを取り分けてくれた。

「その女の子たち、お香の子だね。ショートカットの子が、お香を買って使ったんだよ。友だちの為にね」

「え。そうだったんすか」

 肉をひっくり返しながら、おやっさんが頷いた。宇ノ沢さん、谷津崎さんの為に、お香を買ったのか。元気になってよかったな、なんて単純な話じゃなかったんだ。たいした度胸だな、あの子。

「それで、更に、ユカリ君を心配して、おやっさんのとこまで行ったんですか」

「そうなるよね。しかも、ちゃんとお客として来店してくれたんだ」

 焼けた肉を皿に盛ってくれる。追加でビールを注文した。

「こういうことあるから、世の中捨てたもんじゃないなって、俺、思うんだよ」

「……そっすね」

 おやっさんがしみじみと言ったことは、ものすごく重かった。自分さえよければいいっていう、クソみたいなヤツが多い、クソみたいな世の中で、そんなヤツばっかじゃない、世の中はそこまで腐ってない、って思わせてくれる人が、この世には、確かにいるんだ。

「アドバイスしたんだ、だから。ま、言える範囲でだけどね」

「ですね。俺も、同じ立場だったら、そうしたと思います」

「イトは、もっと踏み込みそうだけどなあ。今回、ほっとけなくって、首、突っ込んじゃったんだろ?」

「そうなんですよ。独断だったんですけど、ワカナには怒られなかったです」

 女将さんがなぜか、反応した。

「特に、なにも?」

「?はい」

 じっと考え込んだ女将さんを横目で見た後、おやっさんが、今度はホルモンと上ミノを焼き始める。網から落ちた脂が炭に落ちて、小さな火柱が上がる。

「霊、ヤバそうかい?」

「かなり。ワカナの担当ではないみたいですけど」

「ダチョウ、貸そうか」

「うん。そうした方がいい」

「ダチョウって、おやっさんのとこのダチョウですか?俺にも、シロがいますよ」

「イトのとこのシロは、俺たちにとっては猫だよ。ダチョウは違う役目があるんだ」

「え。そうなんですか。ダチョウ、必要そうですか?」

「うん。シロは使い魔だろ。ワカナさんとの連絡や、咄嗟の対応に必要な。でも、大掛かりになるなら、ダチョウレベルの使い魔が必要なんだ」

「どんな役っすか」

「悪霊や地縛霊が暴走したときに、拘束できるんだ、ダチョウは」

「シロは、拘束まではできないんですか?」

「ある程度の対処はできるけどね。ダチョウはそもそも、檻の役目だから。シロたちとは違うのさ」

「分かりました。借りてもいいですか?」

「うん。ワカナさんに頼んでおくよ」

「ワカナにですか?反対されません?」

「しないと思う」

「そうだな」

 女将さんが静かに断言して、おやっさんも同意した。なら、平気だな。

「さ、食おう食おう。焦げちまう」

「焼き肉、久しぶりですよ」

「店やってると、なかなか来ないよな」

「そうなんですよ。自分の店終わってからだと、なかなかタイミングなくって」

 ビールと焼き肉で腹を満たし、店の外へと出たところで、女将さんが静かに俺を見上げた。

「イト。番人は、生者とも、清算中の人とも違う。お役目もあるし、踏み込めないラインもある。でもね。ギリギリまで粘ることはできるよ」

 女将さんの声は不思議で、静かなんだけど、なにかがこぼれ落ちてくるように、耳の中に滑り込んでくる。

 言っている内容は、きちんと分からなかったけど、俺はただ、頷いた。

 おやっさんが、女将さんの隣で、とてもとても、愛おしそうに彼女を見つめていた。俺はそれが、すごく、羨ましかった。

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