二章 10話 裏切りの騎士と退職の騎士
走り疲れたからか、哀しみからか、それとも興奮からか、ドクンドクンと心臓が音を奏でる、涙は既に止まり、未来を見据えて頬は緩む。
全ては振り出しに戻り、そして私一人になってしまったけれど、呼吸する度に開放感からか、肺の中に青く新鮮なドキドキとした空気で満たされる。
それを味わいながら私は先の展開を考え、城を出る事を目指してただ足を進める。
(大丈夫……冷静だ私は、けど、これからどうする私、何も分からない王都で一文無し、幸い装備は全て揃っているけど)
荒くなった呼吸を落ち着かせる為に、赤い絨毯の上を堂々と尚且ゆっくりと歩きながら考える。
迷宮の前に、呪いの夜の魔物を討つと決意したけれど、満月はまだ遠く、あの呪いの夜の爪痕に歪んだ王都が頭に思い浮かぶ。
……確かこのメルガルドは城を中心に、王都から広がっており、囲む様に様々な街が繋がって、そして一番外側が城壁なのだ。
城壁から王都までリスト街、レール街、色々通ってきたけれど、私は何処を……何を目指せばいいのか。
(流石にこの装備を売るのは無いよね)
失敗してもう用済みになってしまった自身の装備を見るけれど、流石にそこまでは腐ってはいない……トマスに悪いしね。
城の中すれ違う者が忌々しそうに私を睨むけれど、もはやそんな事は気にもならなかった。
(呪いの夜も待つのもそうだけど、お金もないし、迷宮の情報収集もしないと駄目だし……つくづく私はトマス頼りだったんだな)
何しろ私は迷宮を踏破したとは言え知らないことばかりなのだ、迷宮の中をまるで道を知っている様に進んでいたガレムを思い出す、あの気持ちの悪い転移門の存在を思い出す、自分がまだ迷宮の場所すら知らないのを思い出す、そしてべオルグ、ガレム、踏破者達を思い出す。
(そうだ、ガレム達の様な踏破者になればいいんだ、情報収集も出来る筈だし、トマスは言っていた、魔物が落とす魔晶石とやらを売ればお金が手に入るって、そして何より踏破者になれば迷宮を踏破する仲間を集えるかもしれない)
トマスの本音を聞けたからこそ……私はまだ迷宮を踏破出来ると確信していた、何となく察していたけれど、トマスはきっと迷宮の踏破者なのだろう。
そしてそのトマスが中級迷宮は騎士が居れば踏破は出来る、出来る筈だと云った、けれどその言葉の真意は絶対に私を死なせたくないからで、つまりきっと一般の踏破者達でも不可能では無いのかもしれない。
(確かあり得ないだったっけ……あの時馬車で人々から集えば良いと言った私に、トマスは濁す様に一般の踏破者はあり得ないと言った、最初に私へハッキリと君じゃ迷宮踏破は無理だと言いきったあのトマスが、無理だとは言い切らずにあり得ないって)
不自然だと思っていたけれど、トマスの本音を聞けたからこそ、トマスの恐怖で覆われていた目を見たからこそ、そんな確信があったのだ……きっと行けると。
(うん、踏破者になろう……王都の爪痕を思い出す限り、人手は足りて無さそうだし、踏破者として呪いの夜に参加出来そうだし、そこで活躍できれば……)
目指すのは踏破者ギルド! と考えを巡らせていたけれど、それはまるで私の行く手を阻む様に立ち塞がる人影によって中断させられてしまう。
「ははは、待っていましたぞ、クライナ・アナベル様……そんな警戒しなくてもと言いたい所ですが、貴女の気持ちはよく分かりますぞ、嫌われ者は大変ですからな」
お互いに大変ですな、と私に笑いかける男、その立ち振舞いは上品かつ、温和な物を感じされられ、城にいるのも相まって執事の様に見えた。
……その体に纏うのが鎧で無かったのならば。
「……それで騎士様が私に何の様ですか?」
そんな物腰柔らかく話しかけてくる男に、私は決して警戒を解かずに言葉を返す。
人に嫌われる要素が一欠片も無さそうな温和な男だけれど、どうやら彼の言葉は正しいようで、私達が喋っていると、廊下を忙しく行き交う人達の視線が先程より更に厳しい物になっていた。
……だからこそ私は目の前の男に対して警戒を止めない。
「あぁ申し訳ない、まず自己紹介を宜しいですかな、私の名は【ジョネス・ルーズベルト】、貴方の言う通り騎士ですな……騎士は騎士でも裏切りの騎士なんて呼ばれておりますが」
悲しいものですな、と目の前の騎士、ジョネスが私を安心させる様に笑いかける。
「それでどうしても貴女に伝えたい事がありましてな、先程の出来事見させてもらいましたぞ、いやはや実に素晴らしかった、けれど不幸な事にあの場の殆どが貴女を嘘つきだと本質を見誤った……それは誰かが言わなければならなかった事だと云うのに、それに、貴女の言葉にはきっと曲げられない物があったのでしょう? だから貴女は正しいと、そう伝えたかったのです」
皮肉では無く心の底から敬意を表すように、ジョネスは私へと言葉を続ける。
「ふふふ、しかしどうやらそんな必要は無かった様ですな、このハンカチを渡そうと思っていたのですが、どうやら涙を堪えた訳ではなく、貴女はもう涙を流し終えて先を見据えている……」
それでも受け取ってください、とジョネスは何の邪念も感じない透き通るような笑顔を浮かべて、私へとハンカチを差し出す。
「……ありがとうございます」
害意は無い、そう判断し、お礼を云ってから素直に私はそのハンカチを受取る。
(……凄くいい匂い)
受け取ったそのハンカチからは何だか懐かしくなる様な、不思議で甘い香りがした。
「ふふふ、実に良い香りでしょう? そのハンカチを差し上げましょう、特別な品でしてな、いずれは消えてしまいますが、その良い香りが長く続くのですぞ」
何かを思い出す様にジョネスは、私へと渡したハンカチに含みある視線を向ける。
……貴重な物なのだろうか? そう思い返そうとするけれど。
「いえいえ、それは貴女が持っておいてください、確かに貴重な物ですが、騎士を辞める最後に良い物を見せてくれた貴女への……せめてものお礼ですぞ、本当は貴女が為すことを手伝いたいのですが、私は北へと急がなければならないので」
色々と衝撃的な発言をするジョネス、本当かは分からないし、色々と聞きたいこともあった、けれどその言葉はどれも真実だと思えたから、私は敢えて何も聞き返さない。
「ジョネスさん、お気をつけて」
……きっとそれが彼の云う曲げられない物なのだろうと、そう感じたから。
「ふふふ、貴女もお気を付けて、魔物だけじゃない、ここは国も腐って居ますから、そうですな、貴女も用事が終わったら……その匂いが恋しくなったら、是非、北のガーランドと云う小国にいらっしゃって下さい、歓迎しますぞ」
お時間を取らせてしまいましたな、と柔らかく笑いながらジョネスは頭を下げ、その場を去る。
(裏切りの騎士か……きっと騎士を辞め。崩壊に向かってるメルガルドからガーランドに行くからそう呼ばれてるんだろうな)
嫌われ者仲間に少しだけ励まされた私は、右手に握るハンカチをローブのポケットに入れてから、先を急ぐ。
(……それにしても本当にいい匂いだなぁ、ガーランドって国の特産品なのかな?)
迷宮を無事に踏破したら、何時かはガーランドに行ってみたいな……なんて思いながら。
◆◆◆◆◆
(……私は罪には問われなかった、だからきっと出られる筈だよね)
そう思いながら目の前の大きなドアを見つめる、ここから先は兵士が待機している屯所の様な物があり、私とトマスが城へと入った出入り口だった。
(いざとなれば影の神器を使って逃げればいいし、きっと大丈夫)
あくまでもそれは最終手段なのでまだ使わない、装備を取られずに城へと入れた時点で、城の中で魔法を使うのは不味い気がしたからだ。
そう思いながらガチャリとドアを開ける。
「あぁ……あんたか」
城への出入り口を守るかの様に衛兵が立っていた、兜を被っていて分からないけれど、やる気の無さそうな声をしており、明らかに最初に見た衛兵と違う筈なのに私を知っているのは、彼も謁見の間に居たからだろう。
「外に出ても大丈夫でしょうか?」
まるで私に用があると言わんばかりに、此方を見る衛兵に戸惑ってしまう。
「ここは入り口専用さ、残念ながら出口は此処じゃない」
出口はあっちだぞ、と衛兵は厭らしい笑い声を発しながら真反対を指差す。
「……そうですか」
そんな衛兵の言葉に私はドアノブを再び握る、何故なら衛兵の行動には何かしらの他意が感じられ、そこには通さないと云う感情があったからだ。
(……影の神器を使うしか無いか)
そんなドアを開けようとする私を衛兵は引き止める。
「ははは、なぁに冗談さ、少し話をしないか? 付き合ってくれれば通そう、少しだけ聞きたい事があるんだ」
そんな声が背後から聞こえるけれど、私は気にせずドアを開ける。
「頼む、本当に聞きたい事があるんだ、俺も聞かせてもらったよ、あんたの演説、あの時は嘘っぱちだなんて思ったけど……あんたを見て気が変わったよ、まだ戦う気なんだろ?」
そんな真剣な衛兵の声に私は引き留められる様に、足を止めてしまう。
「だからこそ聞きたい、どうしてだ、どうしてあんたは戦う? どうしてメルガルドへ来た? イルオレーネには魔物が居ないんだろ、こんな腐った国と違って平和なんだろ?」
なぜ全てを知って尚、此処へ来た?と、衛兵は王と同じ様な疑問をゆっくりと紡ぐ。
……それは私を本当に信じたからこそ出る疑問で、だから私はそれに答える為にゆっくりと衛兵へと振り向く。
「やはり不自然に思いますか?」
衛兵は振り向いた私の顔を見て、驚いた様に……哀しむように言葉を続ける。
「あぁ、だってあんたには選択肢があったじゃないか、教えてくれ、俺にはもう分からないんだ、満月の夜、何処かで誰かが死んでいく中……俺はそれでも此処に立っているんだ」
分からないと悲しげな声を出す衛兵。
兜で表情を覆っているからか、その言葉の意図は全く掴めなかった、でもそれは偽りとは云え平和を捨てた私を責めるかの様な言葉だった。
「戦う理由なんて無い方良いに決まってます、戦う気なんて無い方がいいに決まってます」
だから本心からの言葉が口から漏れる、死にかけた先のあの光景を思い出す。
フィネやアリアと分かりあえた、聖騎士達とも分かりあえた、私は記憶が戻る前より間違いなく幸福で平穏な日々に戻れた筈だった。
「でも私は迷宮を望んでいる」
大した理由も、理解される必要もありませんと、もはや取り繕う事も無く、私はニッコリと衛兵へと微笑む。
平和を捨てたからこそ私は此処に立っていた、迷宮を選んだからこそ此処に立っていたから。
「――それはそこまでする価値があった物なのか?」
けれど衛兵は私の邪悪な笑顔を見て尚、憐れむ様な、思いやる様な言葉を吐き出す。
その言葉に何故か心が乱され、グラリと決意が揺らされる、なんだこの感覚はと深く考えようとするけれど。
――バタバタバタバタ!
誰かが此処へと急いで向かってくる足音が聞こえて、私はその感覚を忘れ去る様に急いで振り払う。
(……数は一人だけど、この急ぎ様は間違いなくただ事じゃないっ、まさか時間を稼がれた?)
警戒する様にドアから離れながら、衛兵を見つめるけれど、やはり表情は読めない。
「あんた、悪いな、上司をぶん殴って首になった馬鹿が居るって聞いたからな……時間を稼がせてもらったよ」
あの短い間にあり得ないよな、と衛兵は羨ましそうな声で肩を竦める。
そしてガチャリと、思いきり急ぐ様に、それでいて丁寧にドアが開かれる。
「――おぉ! 間に合ってよかったであります! 英雄殿!」
私を見つめながら、本当に嬉しそうに目をキラキラさせた、キッチリとした軍服らしき物を纏った金髪の女性が現れる。
「自分はメルガルド騎士団、元第二小隊所属、衛生騎士【リコリス・ロンド】であります!」
彼女はそんな自己紹介と同時に、踵をビシィ!と揃え、頭に手を当て敬礼をする。
「英雄殿の言葉に感銘を受けたであります! 不肖ながら誠心誠意努力しますので、自分をどうか連れて行って欲しいであります!」
その目に宿るは敬愛と心配、そして期待、どうやら彼女は本当に私を慕っているだけど……。
(私の言葉が響いた人が居たんだ……ううむ、彼女を信用していいのかな、騎士だし)
なんて彼女を怪しんでいたけれど……返事を返さない私の腰に、後生でありますからぁ、と縋り付くリコリスを見て、一気に警戒心が無くなってしまうのは仕方が無い事だった。




