二章 4話 影の実力、彼女の実力、遂に見えるは王国
――ッ!あ゛アッア゛ア゛嗚呼嗚呼ッ!!
狂ったように体を振り回しながら、憎しみの呪詛を響かせ、どんどんと走り迫ってくる鳴き狂いを、私は冷静に、それでいてワクワクとしながら待ち受ける、何故なら……
(まだっ、お前の相手は私じゃないっ、行けッ、《影ノ人形》!)
意識する、試す様に念じる、もっと魔力を持っていけと、実力を見せてみろと。
私の体を包む薄暗い光が、体から抜けていく何かが、魔法の発動を実感させて、目の前に影色の私が現れる。
――パタパタパタ!
(体感だけれど、前と魔力は変わらないか、けど出現位置はある程度制御できた……)
果敢に向かってくる鳴き狂いに対し、負けじと走る影を見ながらそう思う、確か前は私の横に出現した筈だ。
……後はその実力を見せてもらおう!
(けど、本当に足が遅いなぁ、影って言っても本物の私より身体能力が低いし、服は反映されてるのに武器は反映されてないし……もしかして戦闘用の魔法じゃないのかな?)
もう一つの魔法、影ノ偽装を思い出しながら、そう思う、そして試しに発動しようとするけれど、何も起こらない、やっぱり見つかっていると発動出来ないみたいだ。
(っと、戦闘中に考え事なんて、随分と余裕だな……私)
顔を上げ、ぶつかり合う影と鳴き狂いを視界に入れる、その戦いを見逃さないように、影を応援する様に意識を集中させる。
――嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!
接敵するや否や、直ぐに鳴き狂いが悲鳴を上げるように影へと腕を伸ばす。
それは攻撃と云うには余りにも拙い物、けれど必ず息の根を止める、そんな意志に満ちた一撃。
(あんな物なのか、私でも全然やれそうだけど……さて影はどうかな)
あれぐらいながら、流石に武器を持って無くても躱せる筈、そんな私の考え通りに、影は鳴き狂いの一撃を躱す。
……けれどその回避は遅く、凄まじく出来が悪い物で、影は体勢を崩し地面へと倒れてしまう。
それは余りにも致命的な隙で、そんな影を見て、初めて鳴き狂いは泣き止み、嬉しそうな悲鳴を上げ、追撃を掛ける様に、影の上に覆い被さる。
――嗚呼嗚呼ッは゛は゛は゛!
鳴き狂いは、自分の体が壊れていくのも意に介さず、地面ごと抉る様に滅茶苦茶な攻撃を繰り返す。
(思ったよりもだいぶ弱いよ……戦闘にはやっぱり使えないか)
消滅していく影を知らせる様に、私の体から溢れる美しい魔力の残滓を感じながら、敵を見つつ、剣をしっかりと握り直す。
鳴き狂いは消えてしまった影を探す様に、顔をゆっくりと上げ、辺りを見渡し、私に視線を合わせると、くしゃくしゃと嬉しそうに顔を歪める。
(次は私の番……まだ蟲の神器は使わない)
きっと私にとっては取り回しが悪いであろう大きなガレムの剣を、腕の中で何度も何度も握り直しながら、戦い方を考える、これから始まる万全で、まともな戦いにツバをゴクリと飲み込む。
鳴き狂いはもはや立ち上がる事を知らぬと言わんばかりに、四肢を使い、獣の如くに私へと迫る。
――アッア゛ア゛嗚呼嗚呼ッ!!
鼻に伝わるは凄まじい腐臭、視界を埋め尽くすは、恐ろしく顔を歪めた人の成れ果て。
私の肉を掴む、ただそんな意志だけを感じさせる様に、悲しい程、必死に、全力で腕を伸ばしてくる。
その腕は腐っていると云うのに、迫る速度は決して遅い物ではなかった。
(けど、遅くないだけだっ!)
それは当たれば深手は免れないだろう物で、死にかけの迷宮の主よりも速かった、けれど、その一撃にあるのはただ単純な力のみで、それ以外は何も無かった。
だからこそ、全身をもって踏み込む鳴き狂いの、敢えてギリギリを躱す、半歩だけ下がり、半歩だけ体をずらし、その直後、顔の目前を腐った腕が通り過ぎ、ほんの少し前髪に掠すってしまう。
(躱せた、こんなギリギリで……でもまだまだ拙いっ)
全力で攻撃したせいで、姿勢を崩し隙だらけの鳴き狂いを視界に捉えながら、敵の攻撃に掠ってしまった前髪を掻き上げるだけで、私は敢えて反撃はしない。
そんな私に、もう疑問を覚える脳味噌すら失ってしまったのか、先程と何ら変わらない攻撃を仕掛ける鳴き狂い。
……そんな同じ行動を繰り返す鳴き狂いに、私も悪趣味に頬を吊り上げる。
(……お前は呪いの夜の魔物なんだろ? なら糧にしてやる! お前が鳴き狂いなら、私は迷宮狂いだ!)
◆◆◆◆◆
――アッ嗚呼嗚呼ッ!?
肌にその一撃の風を感じるぐらいに、際どく躱す、躱し、躱し、ただ躱し続ける。
先程よりも近く、先程よりも疾く、先程よりも力を抜き、動きを最適化し続け、しばらくは体力が尽きる心配すら無くなってしまう程に洗練されていた。
(……もういいかな?)
目の前の魔物の様子を見る、私の体捌きを確かめる、私もあまり疲れていない様に、鳴き狂いも疲れてはいなかった。
私も流石に、ずっと叫び続け、ただ全力で体を振り回す化物に、少しだけ辟易としてきたのだ。
(もうこれじゃ練習相手にすらならなさそうだよ、余りに動きがおんなじだ、トマスやパトリクが声を掛けてこない辺り、本当に弱い魔物だったんだろうな……)
もはや考え事をしながら躱せる程になってしまった、目の前の化物を尻目に見ながら、更に頭を回す。
けれど私は決して無意味に躱し続けた訳じゃないのだ。
恩寵に回避って奴があったから上がらないかなって期待と、呪いの夜の魔物に慣れておきたかった事と……後は私の戦い方の確立だ。
(あの時、凄いチャンスだったと云うのに、弱い蟷螂の魔物を倒せなかった……蟲の迷宮の頃から心残りだったんだ、私の決定力の無さが、神器の決定力の無さが)
蟲の迷宮であの時、完璧に隙を突いたと云うのにも関わらず、関節1個しか傷を負わせられなかったのだ。
そして、その上、この鳴き狂いを見た瞬間ふと思ったのだ。
……きっと次の迷宮は、前世の記憶で云うアンデッドの迷宮だと。
アンデッド相手じゃ、きっと私の決定力の無さが絶対に響く、ずっと躱し続けて、少しも疲れる様子を見せない鳴き狂いを見て、その思いはより強く固まる。
(けど、その不安もガレムの剣で解消できる、相手の動きを見切り続けて、あの時の……あの一撃を出せさえすれば)
そう少しでも思ってしまうと、一度すら鳴き狂いへと振るって居ない、その剣を振りたくなってしまうけれど、何とか我慢する。
……まだ、最後の理由があるから、まだ、試していない事があるから。
ドス黒い呪詛を吐き出しながら、変わらずに獣の様に襲ってくる鳴き狂いを躱し、出来たその大きな隙の間に、息を吸い、神へと祈る。
……こんなにもギリギリまで躱せる様になったら、きっと効果がどのぐらいか分かる筈だと思いながら。
(お願いっ、《感覚強化》!)
影より多く、体からゴッソリと魔力が抜けて行く、影よりきらきらと、宝石の様に美しい紅い光が私を包む。
(……っ!)
けれどその刹那、凄まじい程の感覚が私を襲う、思わず動けなくなり、敵の目の前だと云うのに大きな隙を晒してしまう。
(……私の馬鹿、何も実戦でいきなり使わなくてもよかったじゃん!)
そして隙だらけの私へと、やっと攻撃が当たる、やっと肉を掴める、そんな悍ましい笑顔を浮かべながら、こちらへと全力で腕を伸ばす鳴き狂いをただ見つめる。
嗚呼、嗚呼、鳴き狂いは腕はどんどんと私へと迫り、遂には私の顔を撫でる様に接触を許してしまう。
後ろからは焦ったようなトマスとパトリクの声が、鮮明に聞こえ、ゆっくりとゆっくりと、確実に私に死が迫っていた……そう、ゆっくりと
(……凄い、ここからでも躱せる)
全てが鮮明に見える、全てが鮮明に聞こえる、全てを鮮明に感じる。
視界がゆっくりと、それでいて世界から闇が消えたように全てが明るく見え、聴覚は研ぎ澄まされ、音だけで物事を判断できそうな程に情報が蓄積し、肌で、全身で、まるで世界を感じる、世界が見える、そんな感覚が私の中を駆け巡る。
そこへ今まで躱し続けた経験が重なり、確実に私を捉え、目前へと迫っていた鳴き狂いを躱し、置き去りにする様に即座に離れる事に成功する。
(ぐっ……頭が痛い、神様、感覚強化もう大丈夫ですっ!)
魔力の使いすぎか、いや情報の処理に頭がパンクしてしまったのだろう、急いで神に祈ると、頭痛は収まらないけれど、なんとか感覚が元に戻る。
(この魔法、凄まじいけど、頭がっ……それに油断しすぎだ、私の馬鹿っ! 別に私の動きが早くなったわけじゃないんだぞ!)
……危なかった、きっとそれまで躱し続けていなかったら、慣れていなかったら、きっと死んでいた。
だからこそ、今度は油断せずに、再び獣の様に飛びかかってくる鳴き狂いを、ジンジンと響く痛みを我慢しながらただ見つめ、躱し、そして
――ザンッ!
首を切り落とす。
(ふぅ、流石に首を切り落とされて動くなんて事はないみたい、あぁ……疲れたっ、頭痛い)
ズキズキとした痛みを味わされながら、しっかりと両腕に確かな手応えを感じ、悪くなかったのでは? とチラリとトマスとパトリクへと視線を向ける。
(ふふふ、どうよ、肩書ほどは強くないけど、私もやるもんでしょ!)
「はぁ……やっと終わりましたね、どう思いますかパトリクさん」
心配させないでくれと言わんばかりに、大きな溜め息を吐き、私の方を睨むトマス。
「型がない……技術も身体能力も追いついていない、なのに、よくもあんなひやひやする戦いができるな、まさか見てから判断しているのか?」
驚く様なパトリクの声が聞こえるけれど、その内容は決して褒められているとは言えない物だった。
「もっと素直に言っても良いんですよ、めちゃくちゃな戦い方だって、一人の敵と相対するのなら良いのかも知れない、けれど相手が多数だと厳しいとね」
まるで私に言い聞かせる様に、トマスはハッキリと言い切る。
「でも、だからこそ、迷宮を踏破出来たんだろう?」
「……そうですね、パトリクさん…ここで見たことは、絶対に他言無用でお願いしますよ」
「なに、心配するな、お前らを王都に送ったら、直ぐにイルオレーネへ帰るさ」
「相変わらず王都が嫌いなんですね……僕もですけど、あとパトリクさん、あの剣、いくら良い剣だって言っても、やっぱり彼女の体格に合ってませんよ?」
「うーん、そうか? 悪くはないと思うんだが……もしかして拾わない方が良かったか?」
二人は好き勝手、私の戦いを見て、評論してやがるけれど、ちょっと待ってほしい……私は試しだって言ったよね?
「っ二人とも、これが私の全力だと思わないで欲しいです!」
急いで馬車へと戻った為、はぁはぁ、と乱れる息を抑えながら、主にトマスへと反論をぶつけるけれど。
「ははは、でもクライナちゃん、息が乱れてるじゃないか」
分かってる癖に、ムカつく事を言いながら、悪質な笑みを浮かべるトマス。
「走ったからですよっ!」
トマスめ! お菓子と紅茶で上がった株が大暴落したよ!
「まぁまぁ、いい気分転換になっただろう? けれど少々時間を掛け過ぎたな、さぁ、馬車に乗ってくれ、さっさと聖域の名ばかりの国境線を超えて、日が暮れてしまう前に城壁入りしないとね」
さぁ、急ごう、急ごうと馬車に入るトマスと、御者をする為に馬車の前方へと向かうパトリク。
そんな中、私は一人ポツンと立ち尽くす。
(……私ってこれまで何とかトマスに話を合わせてきたけど、やばい、地理とか全然分からないよ! だって私の前世の記憶って近世と中世の違いすら分からないし!)
メルガルド王国の王都のお偉いさん達に会いに行く道中に、今更そんな事を聞くのは流石に恥ずかしいな、と思いながら私も馬車に乗る。
この世界の国ってどんなのなんだろう……。
◆◆◆◆◆
「……きて、クライナちゃん、着いたよ、起きて、はぁ……クライナちゃん、迷宮だよ」
迷宮? そんな声に私の意識は覚醒する
「っはい、起きてますっ」
頬をゴシゴシと擦りながら、周りを見渡すと、トマスが目に入る。
どうやら私は戦闘の疲れか、それともゴトゴトと心地よい振動を起こす馬車のせいか、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「それで起きるのかい……クライナちゃん、ほら城壁が見えてきただろ、メルガルド王国へようこそ、なんて言うにはまだ早いけれど、もう少しで城壁入りさ」
そんなトマスの言葉と視線に釣られて、寝ぼけた頭で窓からソレを見る。
「っ、これは凄まじいですね、とてつもなく恐ろしそうな迷宮じゃないですか」
目の前と言うには遥かに遠く、けれど視界には一杯の堅牢そうな巨大な壁が広がり、その威圧感は前世の建物にも勝るほどで、寝ぼけていた私の頭が一気に覚める。
……あの壁! あの門! あのチェスのルークみたいな何か! 正に城壁、正に私が想像していた物!
(そっか、イルオレーネは戦争の心配もないし、魔物も居ないから、あんな普通の都市っぽかったんだ、凄いよメルガルド! これこそファンタジーだ!)
「クライナちゃん、寝ぼけてるのかい? ここがメルガルドだって言っただろ」
紅茶を飲みながら、半目で私を睨むトマス。
「冗談ですよ……冗談ついでに、メルガルド王国の大きさって言うのか、なんて言うか、どんな形の国か教えてくれません?」
今十分に恥は掻いた、なら、もういくら恥を上塗りしようが構うまい!
「規模が大きいだけで、中はイルオレーネとあまり変わらないさ、城壁の中は王都を中心に街が広がっているだけだよ」
意外にも素直に教えてくれるトマス、最初から聞いとけばよかった……。
「成る程、あそこに正門みたいなのがあるのに、何でわざわざ離れていってるんです?」
馬車も人もそれなりに居て、そこそこ賑わってそうな、大きな門があると云うのに、まるで反対側へと進んでいく馬車に疑問を覚える。
……どうせ暇なのだ疑問はどんどん聞いていこう。
「おいおい、君は英雄で、今から王都に行くんだよ? お客様用の門があるのさ、まぁ、あっちから行っても入る手間はあんまり変わらないだろうけどね」
一見賑わっている様に見えるけれど、入国する人は少なく、出てゆく人々の方が多いみたいだよ、なんて嬉しそうに笑うトマス。
「……あまり良い事に思えないんですけど、なんで先生はそんなに嬉しそうなんですか?」
まさかとは思っていたけれど、トマスは人の不幸を喜ぶタイプの人間なのかもしれない。
「なんだい、その目は、全く……君にも嬉しい事だと思うけど? これも呪いの夜の影響さ、目に見える悪影響は、それ程、この後の僕達の計画の成功率に影響するんだ」
「成る程……最高ですね!」
人々の不幸を笑うつもりはないけれど、思っていたよりもこの国の状況が悪く、追い詰められていて、つまり私達の計画の状況は良いみたいだ。
「でも計画って言っても、ちゃんと教えてくれなかったじゃないですか……この後一体どうするんです?」
どんどんと近づいてくる、明らかにお偉いさん専用っぽい検問所に驚きながらも、トマスへと疑問を飛ばす。
「この後は取り敢えず王都に向かって宿を取って休もうか、まだ謁見まで期間はあるし、そもそも僕は君の事をまだ報告していないんだ、だから報告する際に君を城へ連れて行こうと思う、だけどその前に、まずは更にハッタリを効かせる為に、王都で最高級の装備を整えようか」
報告が楽しみだ、と何がそんなに面白いのか静かに笑うトマス。
そんなトマスの言葉に私の頭が追いつかない。
「お城に、最高級の装備に、衣装? なんで先に言ってくれないんですかっ、そもそも謁見って何です? 例の迷宮踏破に乗り気な派閥の人達と会ったりするんですか?」
説明不足が過ぎますよ、とトマスを思い切り睨みつけてやる。
「いやいや、ごめん、ごめん、あまりプレッシャーを掛けても悪いと思ったからね、何しろ知らない国の王様に会うんだ、流石の君も緊張するだろう?」
……珍しく爽やかに笑うトマス、その言葉は耳を疑うものだった。
「……先生、まさか、冗談ですよね? あはは、私、聖騎士ですら無い怪しい者ですよっ!」
「なぁに、大丈夫さ、くくく、謁見の間には様々な騎士や権力者が集まるんだ、あぁ、流石に僕まで緊張してきたよ……」
迷宮に行けるかは君の頑張り次第だ、なんて呟くトマスに私は凄く、凄く嫌な予感しか抱けなかった。




