二章 幕開 月の夜に亡者は嘆く
――それはまるで国を蝕む病の様な物でした。満月の夜になると、国の至る街、至る所で、憎悪に塗れた亡者が嘆き、苦しみ、暴れ、恐ろしい咆哮を上げて、人々の命を脅かすのです。
けれど、人々はそんな夜に怯えながらも、ただ耐え忍ぶだけで、原因を解決しようとはしませんでした。
何故ならきっと出来ない、出来るわけがないと……誰もがそんな風に思っていたからです。
そして満月が満ち欠け、身の毛のよだつ腐臭は消え、心臓を鷲掴みする様な恐ろしい悲鳴が無くなり、人の血の匂いだけが残り香る。
そんな長い、長い、夜を耐え忍んだ人々は、確かな休息に身を癒やしながら、皆こう考えました。
――我々は耐えたのだと、あと一月は安全なのだと。
誰もがそう思い、人々は原因から目を逸らす。……そんな国に、ある日、ある時、ある人が現れたのです。
◆◆◆◆◆
血の匂いがほんのり残る中、欠けた月の日、酒場に集った踏破者達は祝杯を上げる。
生き残った事を噛み締める様に、市民を、大切な者を守り抜いた事を誇る様に、様々な者が様々な思いで此処に居た。
〔はは、全く慣れた物だな、呪いの夜も、それにしても一体これで何度目なのだ……〕
〔あの轟音、どうやらレール街北区に、山崩しが出やがったらしい……〕
〔レール街ならまだマシだろ? あそこは担当人数も多いし、何より北区だ、血狂いが居るじゃないか〕
〔やれやれ、夜を越したと言うのに、どいつもこいつも、相変わらず呪いの夜の話ばっかりじゃな、全く酒が不味くなるわ……おいベール、何か面白い話は無いか?〕
〔っー、ジルドさん、無茶振りキツイっすよ、あー……そっすね、噂に聞いた話なんでわかんないんすけど、聖域のアレ、なんか成功したぽいっすよ、べオルグを見たって奴が居るんす〕
〔……あら、貴方、生きていらっしゃったのね、どう今宵は?〕
〔今は何とかやれてるが、これがいつまで続くかわからんぞ、全く国は、何をやっておる〕
〔まぁそう言うなよ、いわばこっちはおまけ、呪いの夜の本番はあっちで、騎士と兵隊さん達はそっちで頑張ってるのさ〕
〔わははは、文字通り腐っても、準迷宮産の魔物、それなりの魔晶石を落とすのだけが救いだな、お陰で酒は飲める〕
束の間の休息を楽しむ者、情報交換をする者、事後確認をしに来る者、ただ酒を飲みに来た者、騒ぎに来た者、話をしに来た者、静かに飲む者。
大きな酒場で、踏破者達は各々、好き勝手に行動をする。
一見誰もが、何気なく、生き残った日常を楽しんでいる風に見えるかも知れない、けれどその実は違う、と耳を澄ませる者は嗤う。
……耳をよぉく、澄ませれば、ほら、幾多の雑音の中から、悲痛な声が聞こえてくるのさ、と
〔頼む、教えてくれっ、他の地区はどうなってるんだっ! バロン区域から連絡がないぞっ!〕
〔……誰か教えてくれないか、これで何度目なのだ、あと何回これを繰り返せばいいのだ?〕
〔ひひ、血が取れない、間に合わなかった……間に合わなかった〕
〔うぅ、メルドゥーの亡骸を見たって、アイツに伝えといてくれないかい……〕
〔おいっ、落ち着けお前、バロンは二人しか正式な踏破者が居なかった筈だ……まさかだよな?〕
〔あぁ、神よ、神よ、何故、こんな試練を人々に与えるのですか? 彼らは一体、何に嘆いているのですかっ〕
〔し、死んだって、言うのか!? あぁ……〕
〔あぁ、腕が、腕がぁ……〕
〔おい、縁起でもない事を言うな、本部に連絡は入れといた、無駄な事を考える暇があれば無事を祈っとけ……〕
そんな悲痛な声を聞いて、くひひひ、と少年は笑い声を漏らす。
それでも、まだ此処に居るのは戦い、生き残った者、逃げなかった者、まだ他人と協力する気がある者。
長く続く、呪いの夜、けれど未だ慣れずに、生き残った彼らは決まった様に、光を、人の暖かさを求めて此処へと集うのだ、趣味は悪いが、その少年も例外では無かった。
そしてそんな少年の耳に、一段と興味惹かれる会話が入る。
〔おいおい、トールが居ねえぞ? まさか、あいつ死にやがったか?〕
〔いーや、逃げやがったんだろう、あいつは臆病者だったからな、ずっと聖域に行きたい、だなんて言ってただろ?〕
他の国から流れてきたその少年は、そんな会話を聞き、実に、滑稽そうに笑う。
(ばーか、何処も一緒だよ、魔物、病気、事故、災害、飢餓、或いは人同士の殺し合い、人間なんて脆い物で、運が悪けりゃ、死ぬ、ただソレだけの事で、それはどこに居ても避けられないのさ)
此処は、ただほんの少し、死ぬ確率が高いだけだ、だがそれがどうした?
むしろ満月の夜、なんて分かりやすい目安があって、耐え忍べば生き残れる、なんら理不尽ではないだろう、災害以下だ。
実力が高ければ生き残れるのさ、と少年は卑しく嗤う。
勿論、少年の考え方は正しくはない、けれど間違っても居なかった。
それは強い者、そして守るべき者、守るべき物が居ない者の考え方だった。
(しっかしまぁ、こんだけの踏破者が居ても……)
少年は再び周りを見渡す、今度は値踏みする様に見渡す、弱い者、強い者、熟練の者、様々な者が多く、他の国や、街よりも大きな組合の建物を見て、
(誰も迷宮を踏破しようとは思わないもんなのかね)
少年はそう思う、けれどそんな馬鹿な考えをすぐに頭から振り払う。
(ま、そんなの無理か、できる物なら国がやっているしな)
いーや、もしかしたら出来るのかもしれないな、なんて笑う。
呪いの夜など、我々、か弱く善良な市民にとってはそれなりに驚異でも、結局は対応ができる物で、所詮、国が滅びる程では無いのだ。
くだらねえな、と少年はただ笑いながら、酒を呷る。
そしてボヤける視界の中、睡魔に身を委ね、目を閉じる、何が起ころうが、どうせ此処が一番安全なのだからと。
◆◆◆◆◆
(あぁ、なんだよ……五月蝿えな)
心地よい眠りを邪魔するかの様に、ざわざわと人々の声が、目覚まし代わり耳へと伝わる。
元からここは酒場に近い物だ、騒がしいのは当たり前なのだが、しかし、まるで何かが起こった様に、何時もより喧しかった。
(なんだ……喧嘩でもしてんのか?)
異常と言っても、走る声は緊急を知らせる物ではなく、危険ではない事は分かっていたので、少年は顔を上げようともせずに、そんな雑音を無視して、惰眠を貪ろうとする。
(……あっ?)
けれど、その前に……そんな前に、音が消える、人々の、踏破者達の声が消え失せる。
そんな明らかな異常事態に少年はゆっくりと顔を上げようとする中、静かな建物の中に 凛とした、そして透き通る様な少女の声が響く。
《望まない死を先延ばしにした所でッ! その先に何の意味があるッ!?》
(何が……起きてやがる)
顔上げた先にあった光景に、少年は回らない頭の中、狼狽えてしまう。
束の間の休息を楽しむ者、情報交換をする者、事後確認をしに来る者、ただ酒を飲みに来た者、騒ぎに来た者、話をしに来た者、静かに飲む者、大きな酒場で、好き勝手にしていた者達が……悲痛な声を上げていた者でさえ、その誰もが声を飲み込み、ただその者を見ていたのだ。
《けれど、もしッ! 少しでもっ、この呪われた夜を終わらせたいとそう思うのならばッ!》
その大きいとは言えない体には、分不相応な剣を背負い、見せる様にした左腕には、視線を集める銀の腕輪を2つ付け、そしてこの場所には、この国には似合わない筈の、自信満々の笑顔を浮かべた少女が
《――――踏破者よッ! 我に続けッ!》
高らかに声を上げる。




